<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





東京組の二人に仙台駅まで自動車に乗せてもらって、そこで別れた。
二人は一路東京へ向かって帰路につく。
GWまっただ中。
東京までどれほど時間がかかるのか。
私は二人に、
「頑張れ~、福島で喜多方ラーメンで口直しして帰りや~」
と言って別れたのだ。

一方私自身。
時計を見ると2時半。
帰りの飛行機は20:45分仙台空港発。
6時間もどうするんだ?
6時間あったら新幹線で大阪まで帰るではないか。
私は一瞬途方にくれてしまったのだった。

なんどか仕事で仙台に来ているものの、観光は仕事の空き時間に青葉城を訪れた1度だけ。
他の観光スポットはよく知らない。
美術館か博物館を訪れるのもいい考えだが、何処か他のところはないだろうか。
平日だったら他の事業部の仙台事務所で仕事をさせてもらうのだが、なんといってGW中。誰もいないし鍵がかかっていて入れない。
仕方がないので仙台駅の観光案内所で無料の宮城県の観光パンフレットをもらってどこか訪ねるのいい場所はないかどうか調べて見ることにした。

宮城県は大きく分けて北部、南部、中部と言う具合にエリア分けすることができるようで、南部には白石という小さな城下町があるようで、興味をそそられるし、北部には石巻があって、この街も訪れてみたいところだ。
でもどちらも仙台からは多少の距離があり6時間以内に行って戻ってくるのは移動だけに時間をとられるようで良いアイデアとは思えない。
もっと近場にいいところはないものか、と仙台近郊に目を凝らしてみたところ「日本三景 松島」が目にとまった。

「日本三景?.....日本三景というと天橋立、厳島神社、松島のあの松島か?....松島って、仙台にあったんや」

と、マヌケにも長い人生において、はじめて松島がどこにあるのかを知ったのであった。
それが電車で30分もかからないところだということなので、これは是非とも松島を訪れなければと、即6時間の時間つぶしに松島を訪問することに決めたのであった。
しかも津波被害のあった沿岸部は私の会社の仙台事務所のある空港近くしか知らないので、訪れるにはいい機会でもあると思ったのだ。

これまで「天橋立」と「厳島神社」は訪れたことがある。
これに「松島」を加える事により日本三景のグランドスラム達成ということで、今日はめでたく帰りに宮城のお酒で一杯やりたいところだと思った。
「天橋立」は小学1年生の時に父の運転する自動車で母と三人で初訪問して以来、何度か訪れている。
途中、酒天童子で有名な大江山で蕎麦を食べ、宿泊は城崎温泉。
家族3人での最後の楽しい旅でもあった。
以後は父が会社を興したので社員旅行にごっちゃにされ、まったくもって詰まらない旅行になってしまい、以後、家族だけの旅行は数年前にリタイアして家にいるだけの二人を引き連れて岡山の下津井に墓参りを兼ねて出かけるまで何十年もなかったのだ。
しかし天橋立は京都府北部と言う地の利もあり最後に訪れたのは5年ほど前。
訪れた、というよりも仕事で宮津へ行った途中に通過した、というのが正しいのだが、とりあえず天橋立の片鱗はうかがい見たのであった。

「厳島神社」は20年ほど前に1度だけ訪れたことがある。
この時は仲良くなった英会話スクールのインストラクターだった二人のオーストラリア人の友人と出かけたのであった。
LとCという二人ので凸凹コンビはキャンベラの大学を卒業し、ワーホリで日本に来ていた気のいい奴らで、この時、ちょうど日本に来てから1年ほどが経過していたにもかかわらず、あまり旅行をしたことがないということなので、私のマイカーで広島旅行をすることにしたのだ。
当時、私の英語力はというと英会話スクールでもベーシッククラスに所属する頼りないもので、今考えるとよく二人に通じたものだと感心することがある。
岡山の瀬戸大橋、岡山城、広島の平和記念公園と移動し、湯来という広島の山合の温泉町に宿泊する前に厳島に立ち寄ったのであった。
厳島は奈良のようなところで鹿が境内をウロウロしていて、そのウロウロしている鹿の写真ばかり二人が撮影していたことが印象に残っている。
印象に残っているというと原爆資料館を訪れた直後、二人が私に、
「なぜ日本人はアメリカ人に抗議しないんだ。こんなのめちゃくちゃじゃないか。なんで黙っているのか理解できないぞ」
と本気で憤っていたことも印象に残っている。
私は返答に困ったのは言うまでもない。

ということで、ついに偶然にも日本三景のグランドスラムをこのGWに達成することになった私は、仙台の駅のガイド看板に記されていたように仙石線に乗車し、松島海岸駅を目指したのであった。

仙石線。
私は、
「釜石へ行く列車なんだな。時間があったら釜石まで行ってみたいな」
と地下ホームへ通じる階段を下りながら考えていたのだったが、仙石線は一昨年の地震で甚大な被害を受けた路線であり、松島海岸の次の駅からは不通になっていることを松島海岸駅に到着し、代行バスの乗り場に列ができているのを見て思い出した、というか気がついたのであった。
神戸も代行バスのバス停に長蛇の列ができていたものだが、それも4ヶ月ほどで解消した。
ここ東北宮城は今もなお不通区間があるという、その現実の空気を来てみて初めて体験することになった。

つづく



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )