goo blog サービス終了のお知らせ 

お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

JRウォーキング:宮地嶽神社秋季大祭お上がり見学

2015年09月23日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は恒例のJRのウォーキングです(ΦωΦ)フフフ・・

今日のコースは福間駅発着の11㌔3.5時間のコースです・・・結構あります(・∀・)ウン!!

福間駅を降りて受付を済ませ・・・サー出発です・・・502号線を道辻参道口を消防会館に向けて歩いていきます。

古博多人形の流れを汲む土人形で、素朴さと鮮やかな色彩が特徴の「筑前津屋崎人形巧房」をちょっと覗いて・・・すぐに「津屋崎千軒なごみ」がありました。

「津屋崎千軒なごみ」は昔の面影そのままの外観??と、館内にはギャラリーや観光案内コーナーなどがあり、個人で制作物は持ち込み販売もしているようです。

「津屋崎千軒なごみ」をでてすぐに長い白壁が続いています・・・酒蔵の感じです・・・角を右手には大きな杉玉が見えます・・・やっぱり酒蔵でした。

酒蔵は豊村酒造で創業は明治七年からやられているようです・・・建物の中の梁は流石に立派です・・・ここのお酒は地元福津市を中心に出荷しており、宮地嶽神社毎年新年には御神酒を奉納しています。

試飲をしたら美味しかったのですが買って帰ると重くなるので我慢しました・・・(ノд-。)シュン

酒蔵の隣は「藍の家」で、この建物は、明治34年に建てられた元紺屋(藍染めを主とする染物屋)です。

津屋崎千軒を今に伝える代表的な建物で、塩木の大きな梁(はり)や三和土(たたき)の広い土間、表側の3枚のあげ戸になっている雨戸など、当時の町屋形式を今によく残していて国の有形文化財(建造物)に登録されています。

「波折神社」の先を海に向けて歩いていると「おさかなセンターうみがめ」があります、内に入ると大きな水槽がありイカやタイなどが泳いでいます・・・海産物を買ってもウォーキングしていると無理ですね!!

宮路浜海岸沿いを歩いていると貸しボートがあります・・・1艘5,000円です・・・一人では一寸高いかな~(´ー`)フッ

「潮湯の里夕陽館」を過ぎて松林のそばを歩いていき、交差点で海側を見ると人だかりがしていました。

羽織袴を着た人や・・・(*゜Д゜) オヤ!馬に乗っている人がいます・・・秋季大祭の行列の出発地点です。

出発の30分前だったので先に宮路高神社に向かうことにしました。

参道には見物客が少しずつ集まっています・・・石段には両サイドに腰を下ろしている人もいます。



境内には屋台が並んでいて右手では奉納の柔道大会が行はれるようです。

私はお参りをしてもう一度参道の下に降りて、「松ヶ枝もち」を買い・・・疲れた体に甘いものが癒してくれます。

行列が入って着たようです・・・馬に乗った人の後に羽織袴の人が通り、そのあとに毛槍の行列です・・・毛槍の投げ渡しも行います。



牛車も通っていきます、最後の牛車には斎王が・・・(*゜Д゜) アレ?降りてしまったようです・・・今年はスザンヌが努めて居ると聞いたのですが・・・ザンネン(つд⊂)

行列の剤後には朝鮮通信使??のような人たちがいました。





宮地嶽神社を後にして黙々と歩き終了受付の3時までにやっと福間駅まで戻ることができました(´ー`)フッー

JRウォーキング:箱崎宮放生会

2015年09月12日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォーキングですが生憎の曇り空です・・・((*゜д゜*))フアン

今日のコースは箱崎駅から筥崎宮の放生会を見学しての4㎞・1.5時間の短いコースとなっています。

箱崎駅を降りると駅前でウォーキングの受付を済ませ人波についていきます。

最初に着いたのは「米丸一の供養塔」と「将軍地蔵」です。
【米丸一の供養塔】鎌倉時代、駿河の国(現在の静岡県)で木島長者とまで呼ばれた朝臣元直なる上級貴族が、齢四十過ぎにして念願の子宝に恵まれました。生まれた米一丸は才覚に恵まれながら成長し、二十歳の時、絶世の美女・八千代姫を妻にめとったものの、横恋慕した主君・一条殿の策略によって博多の地で夜襲にあい、命からがら逃れながらも箱崎の地で無念の自害を遂げたと言われています。福岡市東区の箱崎地区、県道550線沿いの箱崎6丁目交差点角にある「米一丸の供養塔」は、その霊を弔うために里人が建てたものとされ、石造りで高さ4.2メートルのその九重の塔(花崗岩)は、現在、県指定の文化財となっています

【将軍地蔵】寛永8(1631)年、二代藩主黒田忠之が建立したと伝えられ、以前は九州大学構内にありましたが、工学部建設でこの地に移されたものです。筑前国続風土記に「地蔵堂ある故地蔵松原という」と記されています。

将軍地蔵尊の前には沢山の石碑が並べれています、境内土地払下記念碑の石像が設置されています。

将軍地蔵尊本堂前ではお茶の振る舞いがされていました。

次の目的地の筥崎宮に向かっているとレンガ造りの門があります・・・ここが九州大学の門でした。

商店街の中を歩いていると筥崎宮の参道に出ました、多くの人たちの中を「花庭園」に向かいました。





花庭園は去年百合の花を見に来たところです、門を入っていくと今は秋の花が咲いています。



庭園の中には咲き始めた彼岸花が・・・ここの彼岸花は白色の花が多くあります。

庭園には咲き始めた白い萩の花などが・・・蜂や蝶が蜜を吸っています・・・やっぱり春の百合の派手さがないけど秋の花が風情を醸し出しています。





ゆっくり庭園の中を秋の花を楽しみながら歩き、途中(o'ω')y-~を楽しんで・・・外には沢山の人が歩いているのですが・・・静かデス!(●・w・●)ゝ

庭園を出て放生会に来た沢山の人と、参道の両側に並んでいる屋台を見ながら歩いていると・・・新生姜の屋台・・・小さなガラスのチャンポンの屋台・・・小さなチャンポン3,000円からと高いです(´ー`)フッ

本殿の前に来ると竹で組まれた門の様なものを潜り並んで参拝する人の列ができています。

本殿の脇を抜け裏に来ると人通りはすっかり少なくなっています・・・木々の下を歩くと落ち着いた気持になります(・∀・)イイ!!

筥崎宮を出ると少し雨が降ってきました・・・傘持ってきてよかった(・∀・)ウン!!

JRの線路を潜り歩いていると田んぼに出ます・・・緑がきれいです・・・「博多の食と文化の博物館ハクハク」が田んぼの先に見えてきました。

【博多の食と文化の博物館ハクハク】明太子の老舗ふくやが展開するフーズファクトリー。博多名物明太子の工場見学はもちろん、 試食や、明太子づくり体験もある。直売店では作りたての明太子も販売されている。その他、ミュージアムや、博多の名産品やレアアイテムも揃うショップなども展開しており、博多の観光を楽しめる博物館である。

「ハクハク」の前のテントの下には山笠の山車が展示されています。

中に入ると入口そばには明太子を使った菓子や飲食物が売られていて博多人形や博多織の帯などが展示されています。

2階には辛子明太子の工場があり1ラインが製造をしています・・・休日なのにたいっ変ですね!

ハクハクを出てからは箱崎駅に直行デス!(●・w・●)ゝ

今回のコースは短かったのですが案外足が疲れています・・・年取ったんだな~(つд⊂)フー

JRウォーキング:8つの寺社を巡る旅

2015年09月05日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRウォーキングの再開です・・・ゎくo(。・ω・。)oゎく

博多駅の近くの寺を巡ることになります・・・6.5キロm時間の短いウォーキングとなります。

博多駅前で受付を済ませ左手に行くと・・・郵便局が新しく建て替えられています、側のビルも建て替え中で博多駅前は建築ラッシュのようです。

最初に向かったのは住吉神社です・・・この辺りはあまり変わっていないようです。

【住吉神社】祭神は底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神。式内社。筑前国一宮。昔の地形は博多湾に臨む那珂川河口の岬だった。全国に約2000社ある住吉神社の始源と考えられ、開運除災・航海安全・船舶守護の神として崇拝されてきた。和歌神としても崇敬され、連歌師の宗祇も訪れている。直線的な屋根などに、仏教建築と対照的な古来の神社建築の名残をとどめている。本殿は国指定重要文化財で、神社が所蔵する同剣や銅戈十一口は県指定文化財。


南参道から入るとすぐに「三日恵比須神社」があり先に進むと土俵があります・・・赤ちゃん相撲の飾りが出ています・・・今時分だったかな~???

本殿に進むと側には勇壮な力士の像がありました・・・一寸豪快過ぎない!!!

住吉神社を出て櫛田神社に向けて歩いていると「興産ビル」があります・・・ここは36年前私が初めてN社で九州に赴任した時のビルです・・・此処から九州の生活が始まりました(゜-゜)

左手にキャナルシティーが見えています・・・この辺りはずいぶん変わってきています(´ー+`)キラッ

櫛田神社のそばに「萬行寺」があり覗いてみました。

【萬行寺】享禄2年1529に開山。性空が普賢堂町に道場を建てたのが始まりと言われている。 寛文5年1665に現在の地である祇園町に移った。明治期の高僧である七里恒順和尚は 境内に龍華孤児院を作り経営するなど社会貢献につくした寺としても有名。




萬行寺を出てすぐに「櫛田神社」に着きました。

【櫛田神社】博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。 天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代。
この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされた。 当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。 境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石がある。


楼門の提灯の下を潜り境内に入ると沢山の人がいます・・・(。´・д・)エッ礼服の人たちの中に花嫁さんがいます・・・境内には他にも白無垢の角隠しの花嫁さんがいます・・・結婚式が行われているようです。

御神殿の脇に行くと戦火で焼け残った石や瓦等が塗りこめられている「博多べい」があります・・・。赤い鳥居のところでは中国??の人が写真を撮っています・・・何処でもいますね!!石灯籠も良い雰囲気を出しています。
border="0">
櫛田神社の前には「博多町家ふるさと館」があります・・・一部修理中です・・・ここには博多の伝統工芸品や地元の銘菓、山笠グッズや書籍、当館関連商品まで博多の様々なお土産品を販売しているお土産処や明治中期に博多織織元の住居兼工場として建てられた町家を移築復元したもの、博多の歴史や文化に関する展示した展示棟がありました。

大博通りに出て駅に向けて歩くと「東長寺」があります。

【東長寺】真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山。本尊は弘法大師(空海)。寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が、密教東漸を祈ったと伝えられている。 弘法大師創建の寺としては日本最古で、当初は海辺の地にあったが、福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移った。墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓がある黒田家の菩提寺となり、300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされた。現在は市指定の史跡にもなっている。 寺蔵の千手観音菩薩は平安時代の作で、槙材一木に彫られている。高さ87cmの小像であるにもかかわらず、重量感に満ちた仏像で、明治時代に国宝の指定を受けている。

中に入ると境内はきれいに整備されていて平成23年に完成した5重の塔が目を引きます。

此処には昭和63年(1988)より彫刻が始まり、4年の歳月を経て完成。高さ10.8m、重さ30tの木造(檜)坐像では、日本一の大きさの大仏である福岡大仏があるのですがスルーすることにしました。

少し北に上がるときれいに整備された承天寺通りに着きます、通りのすぐに「天興庵」があり、覗いてみると綺麗に整備されたにはが見えました。

天興庵の隣には「承天寺」 があります

【承天寺】臨済宗東福寺派で、山号は萬松山。開山は聖一国師(円爾弁円)によるもの。 仁治3年(1242)宋出身の貿易商・謝国明が創建し、寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されている。 昭和50年(1975)、韓国の新安沖海底引揚げの沈没船から子院釣寂庵の銘のある木簡が発見され、対外貿易への関与が証明された。さらに、博多織の祖として伝えられる満田弥三右衛門の記念碑や、 延宝2年(1674)に博多の商家・谷宗理が桜井神社から買い取って、 承天寺に寄進・建立した鐘楼もある。


中に入ると3つの石碑がありました、うどん蕎麦の発祥地、博多織の祖・お饅頭処の碑となっていました。

境内を除くと石庭になっていましたが中に入ることができませんでした。

承天寺通りの最後に大きな門が立っていました・・・昨年完成したとTVでやっていた「博多千年門」です・・・エト・・(´・ω・)y-~

【博多千年門】2014年3月28日、承天寺通りの一角に新たな博多のシンボルとなる博多千年門(が完成した。千年門は古文書に登場する博多の出入り口「辻堂口門」をモデルにした木造瓦ぶきの四脚門。高さ、幅ともに約8メートルで、博多の街の未来千年の繁栄を願って命名された。通りのうち寺の境内に挟まれた約150mには、マツやモミジ、自然石が配置され、庭園のような趣となっている。

吉塚駅に向けて歩いていると「若八幡宮」がありました・・・

【若八幡宮】祭神は、大鷦鷯命(仁徳天皇)、大乙貴命、少彦名命。厄払いの神社として有名で「厄八幡」の愛称で親しまれています。 新暦と旧暦の大晦日に行われる「年越厄除大祭」や年初の祈願にはたくさんの人が訪れ長蛇の列ができます。(1度で100人ほど祈願できますが、2時間位並ばなければならないそうです。 なお、祈願には本人が訪れる必要があります。)




境内に入ると案外小さな神社でした・・・本殿の横には江戸の力持ち木村興五郎が持ち上げた、現在確認できる唯一の力石として貴重な価値を持っており、福岡市指定有形民俗文化財である力石がありました。

若八幡宮を出て吉塚駅に向けて歩いていると御笠川で潜水をしている消防隊?がいたので「何かの捜査ですか?」と聞くと「訓練をしています」とのことでした(´ー+`)ヤッパリ

吉塚駅前の東公園まで来ました・・・中に入ると芝生の先に小高い丘の上に銅像が立っていました・・・後でネットで調べてみると亀山上皇の銅像のようです・・・何した人?何で此処に???

公園の隣には「十日恵比須神社」がありました・・・


【十日恵比須神社】天正19年西暦1591年、武内家隠居、五右衛門が香椎宮・筥崎宮参拝の帰りに潮先において恵比須神の御尊像を拾い、翌、文禄元年 西暦1592年1月10日 社殿を営み、恵比須神の事代主命と大黒神の大国主命を祀る神社です。商売繁昌と縁結びのご利益があると伝えられています。毎年1月8日から1月11日まで、正月大祭が開催され、大勢の初詣客で賑わいます。正月大祭期間中には、福引きや芸妓さんのかち詣りなどの行事が行われます。古くから商売繁昌のための「えびす銭」の貸出も行われています。

十日恵比須神社から西に歩いていくと「崇福寺」に着きます・・・

【【崇福寺】崇福寺は1240年に太宰府に創建されたお寺ですが、黒田長政が1600年以降に現在地に移して黒田家の菩提寺としました。黒田家とは大変ゆかりが深く、山門はかつての福岡城の本丸表御門を移築したものです。また唐門は、黒田家が福岡城の前に築いた名島城(東区)の遺構を利用しています。こうした格式の高さの一方で、境内には庶民が信仰するお地蔵様がたくさん並び、地域の人々が毎日参拝に訪れています。



入口に説明ンがいたので「綺麗に整備されていますね」と尋ねると「大河ドラマのお陰で整備されました」と言うことでNHKのドラマも役に立っているようです。

崇福寺を出てぐるっと回った西側に「黒田家墓所」がありました・・・

【黒田家墓所】黒田家の菩提寺であった崇福寺境内の西北に接して所在する、歴代の墓所である。  藩祖黒田如水、初代長政、四代綱政、六代継高、七代治之、九代斉隆とその一族、また直方藩主などを祭る。昭和25年改葬工事が行われ、二十数基あった石塔は如水、長政等の一部を除き廃され、新たに黒田家本家分、直方家分等の合葬碑を建て、現在12基の石塔が並んでいる。



入り口を入ると大きな看板があり歴代の黒田家の墓の配置図が記載されていました・・・これはわかりやすいです(・∀・)ウン!!

中に入ると大きな墓が並んでいます、一堂に並んでいると迫力があります・・・墓の大きさで力の差が出ています。

今回は博多駅前のウォーキングでしたが・・・見ていなかった所、知らなかったことが多くありました・・勉強になります(・∀・)ウン!!



JRウォキング:高瀬裏川「花しょうぶ」と玉名の歴史・町並みを散策

2015年05月31日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は恒例のJRウォキングに参加いたしました。

玉名駅を出発して13㎞4時間の一寸長距離となっています。

朝8時半から県内一斉清掃で家の前を最速で掃除をし9時前の電所に乗って玉名駅に10時半過ぎに着きました・・・さあ~頑張ろうo(`・д・´)o ウン!!




最初に着いたのは「繁根木八幡宮」です、応和元年(961)紀隆村(きのたかむら)が大野別府の総鎮守として京都の岩清水八幡宮から勧請(かんじょう)したと伝えられています。

二層造の楼門は江戸時代初期に建造されたもので、高さが12メートルもあり桃山様式の華麗な彫刻が見事です((;゜д゜))ス、スゲェ

次に着いたのは八百万の神の八重垣神社です・・・八重垣神社の名は日本全国にあるようです。

八重垣神社を出て川の土手に上がり直ぐに降りると標識があり、此処は西郷隆盛の弟である西郷小兵衛戦士の地碑でした・・・見る物何もないな~??




少し歩くと川に出ます、此処は高瀬舟の着場跡です、ボランティアの人が説明をしています・・・昔は米俵を石坂を転がして船に積み込んでいたようです。

川沿いを登っていると私の今日のメインである「高瀬裏川水際緑地公園」に着きました・・・此処の菖蒲が見たかったのです。

此処の川の両サイドには石が組まれていて川の流れに菖蒲が植えられています、途中には秋丸目鏡橋と高瀬眼鏡橋が掛かっています。

秋丸眼鏡橋は天保3年(1832)高瀬大橋より700メートル上流、菊池川本流より分かれた運河、裏川に架設されています。

阿蘇溶結凝灰岩でできていて、全長11.70メートル、幅員は樋門を含み6.45メートルあります。

水流量を調整する分流板を備え、樋門、敷石等の施設を付属させた石造橋で、技術的に優秀で、大変珍しい橋です。

高瀬眼鏡橋は高瀬裏川下流部にかかる2連アーチの石橋です。

嘉永元年(1848年)高瀬町奉行高瀬寿平らによって築造され、八代郡東陽村の名匠石工橋本勘五郎により架けられたといわれています。

高瀬町の玄関として、高瀬港への荷物の積み下ろしのために掘られた裏川に架かる大きな石橋で、上流側には石積みの水切りが設けられています。



公園の上流に来ると大きな音楽が聞こえてきます・・・「玉名温泉夢まつりYOSAKOI」が行われています・・・階段を上がって反対側に行かないと見えないのでスルーすることにしました。



公園の側には「高瀬蔵」があります・・・外は暑く中に入ると涼しく沢山の人が休憩を取っています。

高瀬蔵は、寄贈を受けた商家を改修・整備し、平成17年4月に多目的ホールと飲食施設からなる「まちの核施設」として開館し、ミニ・コンサートなど各種イベントが行われ、飲食店もあります。

次に着いたのは「願行寺」です、ここは貞和5年(1349年)に遊行五世安国上人が開基し、清浄光末寺のなかでも最上位に位置づけられました、また大同3年(808年)に紀貫之が建立したという寺伝もあります。

此処には豊臣秀吉から賜ったと伝えられる陣太鼓が二つあります・・・熊本土産の陣太鼓はここから命名されたのかな~

市役所などの立派な建物が並んでいる所に「歴史博物館こころぴあ」があります・・・建物に上がる通路が・・・

ここには河とともに発展した玉名をテーマとし、玉名市の成り立ちやその特性などを紹介する博物館です。
中には市を代表する装飾古墳の模型や舟形石棺、古墳から出土した貴重な遺物、唐船模型や高瀬港に日本で最初に陸揚げされた大砲のレプリカなどで、海外交易の港として繁栄した歴史を紹介されています・・・私には刀の同田貫宗が目を引きました。



玉名温泉街の中心にある立願寺公園は足湯があって、広場ではここでも「玉名温泉夢まつりYOSAKOI」が行われています・・・一休みして見物をすることにしました。

此処のヨサコイは鳴子の使用など規定はないのかな~・・・

次に着いたのは疋野神社です。

ここは創建年は不詳であるが、社伝によれば景行天皇の九州巡幸の際に祀られたということで、平安時代の「続日本後紀」には承和7年(840年)官社に列せられたとあるます。

熊本本県内において最も古い神社の一社で当時、この地方の豪族であった郡司日置氏(へきし)の守護神として崇拝されていたが、日置氏の没落後には衰退し、社殿の跡さえ不明になった。近世になり再興され、熊本藩主細川氏は厚い崇敬をよせたとのことです。




最後は蓮華院誕生寺です。

ここはここ玉名の地でお生まれの「皇円大菩薩」をおまつりする真言律宗の「九州別格本山」です。

皇円大菩薩様は「皇円上人様」のことで、1073年、斉院の長官藤原重兼公の長男として玉名市築地に誕生、祖父重房公は関白藤原道兼卿から四代目で、肥後の国司でした。

皇円上人様は浄土宗の御開祖法然上人のお師匠で、 幼くして比叡山で修行された皇円上人は学徳に秀で、日本三大歴史書の一つ『扶桑略記』を編述したそうです。

やっと今日のコースの見学場所がおわり、商店街を通り玉名駅まで帰ってきました・・・今日は暑さで疲れました・・・帰りの電車の中で飲むビールがとても美味しかったです・・・やめられません(・∀・)ウン!!

JRウォキング「『脊振千坊聖茶まつり』で茶摘み体験ウォーキング」

2015年05月17日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日も先週に続いてJRのウォキングに参加しました。

コースは9.5㎞3.5時間の急なアップダウンがあるコースとなっています。

電車で吉野ヶ里駅に降りると沢山の参加者が降りてきます、受付を済ませ駅の階段から降りると沢山の人が並んでいます。

駅から無料シャトルナスで脊振山系の中腹にある「道の駅吉野ヶ里」まで送ってくれます。

私はバスから降りて物産館「さざんか千坊館」を見ることにしました、ここでは地元で採れた農産物や脊振山系の天然水を使った焼きたてのパン、旬の素材にこだわった料理等を味わうことができます。

いよいよウォーキングの開始です、「さざんか森林浴歩道」に入って行き・・・最初からきつい山道の坂を登ると展望台に着きます・・・景色は霞んで良く見えません・・・佐賀平野が微かに霞んで見えます。

ゆるい上り坂を歩いているとループ橋の下に出ました、ループ橋からは両側から木々が生い茂る遊歩道となっています。

木々の木陰は涼しく、水の流れている所では冷たい空気が動いています・・・木々の中から小鳥の声が聞こえてきます・・・足はきついけど気持ちの(・∀・)イイ!!疲れを感じます。

約1時間遊歩道を歩き杉木立の中に来ました、「霊仙寺跡」に着きました、霊仙寺跡は8世紀初頭の和銅年間から江戸時代にかけて存在した寺院の遺跡です。

最初に左手に「霊水石」があり、水上坊の裏手の湧水源にある石碑で、梵字ぼんじが刻まれています。説明では戦時中までは、豊作を祈願してこの湧水を汲んで、 田植え時に蒔くことが地元で行われていました。

【水上坊跡】
平安~鎌倉時代にかけて、霊仙寺の中心的位置を占めてた坊であったと考えられていますが、戦国時代にはかなり勢いが衰えてしまい、近世になると、 坊間の争いに敗れて荒廃してしまったようです。昭和52年の調査では3間x4間の建物の礎石や基檀、石組などが見つかっています。

【乙護法堂(霊仙寺跡)】
背振山山頂付近の神崎市教育委員会の案内板によれば、乙護法堂は和銅2年710 元明天皇の勅を奉じ湛誉上人が創建し、九州第一の大伽藍であったという。




乙護法堂の前では冷たいお茶の接待があり、私は木陰で( ´ー`)y-~とお茶を頂くことにしました。



乙護法堂のすぐ前の坂にはお茶畑があり、希望者はお茶積の体験ができるようです・・・茶畑の中には絣を着てたすき掛けの女子高生風の5人が茶摘みをしています・・・何だか慣れていないようです???

茶畑の脇を降りていくと、途中に石上(いわかみ)坊跡の標識があったのでコースから外れるのですが行って見る事にしました。

【石上(いわかみ)坊跡】栄西が背振山に滞在したとき、宋から持ち帰ったお茶の種子を蒔いた場所と伝えられ、 これが日本での茶栽培の始まりであると言われています。 現在は石垣の一部と茶の古木が残り、栄西が滞在した当時をしのばせます

しめった山道を滑らないように注意しながらやっと着いたところは何もなく・・・少しだけ平たくなっていて苔むした岩があるだけでした┐(´ー)┌ フッ

それからは急な下り坂を歩き・・・下りは歩きづらいもんです・・・車道に出るとやっと青々とした山の景色を楽しむことが出来ました。

歩いていると急に広い芝生と新しい建物が見えました・・・今日のゴール地点の「山茶花の湯」です、此処には佐賀平野と脊振山脈を望む大浴場をはじめ館内は、食事処、ほぐし処、直売所などがあります。

私は温泉に入らずに吉野ヶ里まんじゅうをお土産に買いBBQ場所の前でバスを待ち、吉野ヶ里駅に帰ることにしました。



JRウォーキング「駕与丁公園のバラ祭り」

2015年05月10日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は恒例のJRウォーキングに参加することにしました。

長者原駅を始終とした7km2時間のコースで平たんなコースとなっています。

長者原駅で受付を済ませコース案内を入手して出発ですワーイ♪ヽ(゜∀゜)ノワーイ♪

駅を出て暫くすると糟屋島役場に着きます・・・流石町の花がバラとなっていて役場の周りにはバラが沢山咲いています。

駕与丁公園の周りを西に行くと人が建物の前に並んでいます・・・九州酢造の前に来ました。

九州酢造は昭和56年に福岡県うきはの契約農園の富有柿のみを原料に、1年以上の熟成を経たもののみを商品化しており、生協からの依頼で柿酢と同じ製法で「りんご酢」を造っています。その他には「玄麦玄米黒酢」「胚芽もろみ酢」などの商品を造っているようです。

九州酢造を過ぎると田んぼの間を歩き駕与丁公園に着きます・・・(*゜Д゜) アレ?橋が???みずとり橋が通行止めになっていて・・・一部水に沈んでいます・・・吊り橋構造になっている橋の一部が浸水しています・・・構造ミス???



池の周りにはウォーキングの人達が沢山歩いています・・・橋に来ると皆が水辺を覗いています・・・パン屑を投げ込んでいて鯉やカメが集まっていました。

桜並木の下を過ぎるとバラ園に着きました・・・丁度今がバラの満開を迎えていました。









展望台に上り見下すとバラの周りを沢山お人が見学をしています・・・一面はバラの香りで・・・酔いそうです(・∀・)ウン!!







バラの香りの中を楽しみながら一つ一つ見て回りました・・バラ園には、180種類、2,400株のバラがあるそうです。









バラ園の側の広場ではテントの下では舞台で演奏が行われていました、周りのテントでは飲食物が売られていて・・・バラ上の講習会、子供の遊具を置かれていて賑やかに人々が楽しんでいます・・・バラの木々を買い込み持ち帰っている人が多くいます。





駕与丁大橋の先にはかすやドームが見えます、中央の中の島には、休憩のため四阿があり、池の側では釣りをしている人がいました・・・此処でもヘラ釣りができるようです。

駕与丁公園を後にして歩いていると「岩崎神社」に着きました、糟屋郡志免町の中央に位置し、この町に江戸末期から伝わる伝統行事「石投げ相撲」の会場としても知られるお社で悪病退散と豊かな一年を祈願するため、現在も毎年9月の第1日曜日に開催され、こども相撲、赤ちゃんの土俵入りなどでにぎわっているようです。

次に着いたのは「光酒造」で此処では焼酎の『博多小女郎』の他に色々な焼酎・梅酒・またたび酒・バラリキュール等が作られていました。

工場の中に入って見学していると黒い樽が積み上げられていました、係りの人に聞くと「チェリー種の樽に焼酎を寝かせて香りと色を出している」との事でしたが試飲場所に行くと見当たりません・・・マタタビ酒とバラリキュールの試飲をしました。

駅に向かってい歩いていると「大久醤油」に着きました、ここは明治三十年創業 大正天皇にも献上した醸造元で、今もなお昔ながらの博多の味を守り続けているようです。

中に入るとおばちゃんが此処では試食するものがないと大きな声で不満を言っています・・・おばちゃんはタダで貰える物が大好物のようです。

大久醤油を出て歩いていると暫くすると長者原駅に戻ってきました・・・今回のウォーキングは短く平坦であまり疲れることがありませんでした。

博多駅に戻り駅の周りを見て歩いているとサントリーがプレモルのイベントをしていました・・・のどが渇いたので入って見るか(・∀・)ウン!!

プレモル5種類のうち薫プレモルとコクのプレモル各200円で購入して・・・テーブルが空いていません・・・立って飲むか(・∀・)ウン!!・・・疲れがとれました(´ー`)フッ
 

JRウォーキング:酒宝柳川酒蔵巡りと中山大藤まつり

2015年04月25日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は恒例のJRのウォーキングに参加しました。

コースは11㎞4時間のコースとなっています。

鳥栖駅で乗り換えて筑後船小屋駅のホームに降り立つと新幹線の駅が見えます・・・此処に新幹線駅が必要なのかな~???

駅を出ると新しく整備されたスポーツ公園の中を歩き、暫く歩くと田園風景が続きます。

川沿いの道を歩いて行くと緑に輝く、麦畑が続いています・・・天気も良く風もあり気持ちよく歩くことが出来ます・・・やっぱ天気が良いと参加者も多くいます。

歩くこと1時間半でやっと「日野酒造」に着きました(´ー`)フッやっとコースの半分です。

中に入ると入口で酒粕のお土産を頂きました・・・ドゥシヨゥ<(ll゜Д゜)>粕汁以外は活用法知らないし・・・家族は食べないし・・・

中に入ると試飲できるようになっています・・・梅のリキュールと米焼酎の試飲をしました・・・美味いな~(・∀・)ウン!!

此処は120年の歴史があり地酒「国の寿」の他に焼酎とかリキュールなどを造っているようです。

酒蔵を出て川沿いを引き返していると川ではカラスが水浴びをしていました・・・これが烏の行水???



景色を楽しみながら歩いていると「中山大藤まつり」の幟が見えて来ました・・・此処に来るのは3度目になります。

中に入ると屋台が出ていて相変わらず沢山の見物者がテーブルで飲食をしながら藤棚の下で楽しんでいます。





何時もの様に藤棚の下を見学しながら石橋の下から・・・会場内を一通り見て歩きました・・・今年は早く満開を迎えたようで花が散り始めていました。

祭り会場を後にして新幹線口の方に歩いて行くと「九州芸文館」があります、此処は芸術文化・体験・交流などさまざまな事業を展開し、筑後地域の振興や発展に寄与・活用される事を目的として整備されたようです・・・相変わらずの箱モノ行政です。

入口の前には馬の親子のモニュメントがあり、中に入ると地場大川家具の細やかな寄木細工の家具の展示などが行われていました・・・細やかな仕事で見事に作られています。

新幹線駅のキヨスクで缶ビールを購入してベンチで飲むと・・・(´ェ`)ン-・・美味い・・・これが楽しみです(・∀・)ウン!!


JRウォキング:チューリップと直方散策

2015年04月11日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォーキングに参加です。

今回のウォーキングは直方・遠賀川の河川敷のチューリップと直方市内を散策で7.5km2時間のコースとなっています。

けやき台から一駅の原田駅で初めて乗る路線の桂川線(1両編成)に乗り換え・・桂川駅で福北ゆたか線に乗り換えます。

桂川駅では待ち時間中にプラットホームを歩いていると九州で一番売れている豆大福のチラシを見たので思わず買ってしまいました。

福北ゆたか線に乗り直方駅に着きました、駅から出ると元大関魁皇の銅像が出迎えてくれます。

駅前から遠賀川を渡り西に歩いて行くと「もち吉」の直売所があり側には「もち吉」の工場などがあります・・・直売所の裏にはチューリップ畑があり、芝桜の花畑もあります。



沢山の観光客がベンチに腰かけたり花畑の中で花を楽しんでいます・・・工場の側には神社まで造られていました。

此処まででコースの半分になります・・・今日はコースが短く感じます。

遠賀川に戻り中州を行くと河川敷にはヤギが繋がれていて・・・ヤギは美味しそうに雑草を食べています・・・子供たちが草をちぎり与えています。



河川敷の土手の上に「遠賀川水辺館」が建っていたので覗いてみましたが・・・こんなのが必要??? 側の八重桜が満開を過ぎ少しずつ散っています・・・花見を楽しむ団体もいます。

土手の先に来るとテントが並んでいて沢山の観光客がいます・・・「チューリップフェアー会場」に来ました。





このチューリップフェアーは平成4年に市民ボランティアの手で1万球を植えたのがチューリップフェアの始まりで、その後、年を追うごとに増え今では18万球に増えています。



会場には世界のチューリップの広場もあり、仮設の見学場所も設置されています・・・台に上ると広場が見渡せます。



私は広場の一角にあるテントで缶ビールを買い、ベンチに座りチューリップを眺めながら一時を楽しみました・・・昼間のビールは美味しいですo(`・д・´)o ウン!!

広い花畑を一通り見て回り中州にかけてある橋を渡りコースに戻りました。

古い建物があり「向野 堅一記念館」があります、この建物は明治41年(1908)小児科専門として開業した讃井源次郎によって、大正11年(1922)に、親族の医師らとともに内科、歯科を増設しながら、総合病院として、十年の歳月をかけて建造されたものです。

向野 堅一は、明治から昭和初期の実業家で日清戦争当時、軍事探偵として活動し、戦後は満州経済界で活躍したそうです・・・知らなかったな~

向かいには「直方谷尾美術館」があります、1992年11月、故谷尾欽也氏が開設した美術館で、昭和初期に建てられた洋館造りの医院を外観はそのままに内部を改装し、また1998年に新館を増設してモダンな雰囲気を演出した洒落たたたずまいで注目を集めていたそうです。

2000年3月に遺族から美術館と作品の寄贈を受け、2001年4月、直方市美術館(直方谷尾美術館)としてオープンしたそうです・・・谷尾欣也は明治屋産業の創業者では?

小高い丘の上に「直方歳時館」があります、この建物は、近代の炭鉱開発に尽力した堀三太郎氏の住宅として明治31年に建設されたものです。

その後昭和16年に市が寄贈を受けてから約30年にわたって中央公民館として親しまれその間約3000組を超える市民がここで結婚式を挙げ、またナイトスクールの開講によって多くの人々に親しまれていたそうです。

また、江戸時代にはこの地に隣接して、直方藩の迎賓館とも言うべき、御茶屋御殿があり、その後建物の老朽化により、利用されませんでしたが、平成9年から2年を費やし、「直方歳時館」と名称も新たに、直方の四季折々を演出する新しい生涯学習施設としています・・・スルーすることにしました。

線路をのこぎり丘の上に機関車が見えます、「直方市石炭記念館」で明治時代から日本の産業を支えてきた筑豊炭田の歴史を紹介する博物館です。

施設は本館、別館、石炭記念館の3館から構成され、室内展示の中には、重さ2トンに及ぶ日本で最も大きな石炭の塊、1907年頃にドイツから輸入された日本で最古の酸素呼吸器などがあります。

屋外には石炭輸送に活躍した蒸気機関車や採炭機械、救護隊の練習坑道などを展示されています。

展示館を出てすぐに直方駅に戻ってきました、今回でスタンプが10個になったのでウォーキングのコース案内を入れるケースをゲットできました。


JRウォーキング:春の久留米さくら祭り

2015年03月29日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はまたまたJRのウォーキングに参加いたします。

今日のコースは久留米駅の東西を歩く7㎞2時間の比較的短いコースです。

駅を出て暫く歩くと梅林寺に着きました・・・梅の花を見に来たところです・・・もう梅の花は咲いて無く葉っぱが出ています・・・筑後川沿いには桜の花が咲いていました・・・桜の木は少ないようです。

梅林寺を出ててすぐに水天宮に着きました、鳥居の側の桜は満開を迎えています・・・この水天宮は全国水天宮の総本宮で創建は、建久年間(1190~99)と伝えられ、境内にはお宮参りの参拝客が見受けられます。



水天宮を出て駅の東側に向かっていると・・・このウォーキングではコースをショートカットする人やタイムトライアルみたいに速足で歩く人・・・(*゜Д゜) アレ?赤信号で道路を渡っています。

「つきほし歴史館」(靴のムーンスター)を過ぎると「青木繁旧居」に着きました、青木繁は近代日本美術史の上でもっとも著名な洋画家の一人で代表作「海の幸」、「わだつみのいろこの宮」などの鮮烈な作品を残して、28歳で亡くなっています。

家の中には複製などが展示されています・・・そういえば中学校の美術の本に漁民が魚を担いで歩いていた絵を覚えていました。
 
大きな通りに出ると道路の真ん中に銅像が立っています、歩道には説明板があり「バルザック像」と表示されています、原作は「考える人」で有名なロダン。この像は、熱心な市民活動により設置されたようです。

昭和通に出てくると20階建ての久留米市役所が見えます・・・桜樹と建物がマッチしています。



市役所では最上階の展望台に上りました、20Fには議場と喫茶・展望台となっています、ガラス越しに久留米市内が一望できます・・・筑後川と平坦な広い町になっています。

市役所を出ると久留米大病院・久留米大前を通り筑後川に出ました、川端・土手は綺麗に整備されていて気持ち良い風が吹いています・・・釣りをしている人が見えます。

石垣と桜が見えて来ました、石段を上がると本日のメイン桜祭り会場です・・・会場には椅子が並べられていて琴の根が聞こえます・・・色々な催しが行われるようです。

城内には篠山神社があり結婚式後の記念撮影が行われていました。

城の石垣と桜の花は・・・日本ですね~(´ー`)フッ・・・お酒が有ったら~



お城から5分位で久留米駅の戻ります、駅前の時計はからくり時計となっていました・・・けやき台駅に帰り家に帰っていると団地の桜並木も満開を迎え綺麗です。





JRウォーキング:久留米椿フェアーと春の山辺を歩こう

2015年03月22日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は2連荘のJRウォーキングに出かけることにしました。

久留米からJR久大本線「筑後草野駅」で降りると・・・天気が良いので沢山の人が降りてきました。

今回のコースは9㎞3時間のコースで少し勾配があるコースのようです・・・さあ~頑張って行こう(・∀・)ウン!!

受付を済ませ山に向かって畑の中の道を歩いて行きます、畑には柿の木?が植えられています・・・この辺りは畑に柿の木か植木が植えられています。

山に向けて歩いていると「初心公園」がありました・・・階段を上がるんだ~・・・降りてきた人に聞くと「公園になっていて桜の名所」と言う事でしたが・・・まだ咲いていないのでスルーすることにしました。



畑の中の道を椿の花を見、楽しみながら歩いていると「久留米つばき園」に着きました。

久留米つばき園は、約3ヘクタールの敷地に約500品種・2,000本のツバキ類、約200品種・500本のツツジなどが植栽されています。





椿の種類も沢山あり色とりどりで花弁も変化に富んでいて花付も多いいのがあります・・・小柄で沢山の花付の有るのは外国の木でした。





会場には舞台が設置されていて色々の模様しがあるようです・・・私が見たのは久留米ひょっとこ踊りでした・・・色々な面を付けひょうきんに踊っています・・・楽しい一時でした。



ラジオを聴きながら歩いていると今日はとてもPMが2.5多く飛んでいて黄砂を流れているようです・・・春霞ではなかったようです・・・マスクを持ってくるべきでした| 柱 |ヽ(-´ω`-。)反省

山に向かっていると「若宮八幡宮」がありました、五穀豊穣の御利益で知られるお宮で、仁平3年(1153年)に源為朝が現在の神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮(日本三大八幡宮のひとつ)を分霊し創建されたと伝えられています・・・此処も会談が高いのでスルーすることにしました。

途中コースの側に民家があり入れるようになっていたので覗いてみると大きな立派な椿の木があります、樹齢200年・300年の木が庭に植えられています・・・凄いですな!

コースの途中には立派な家が見受けられます・・・柿・植木??・・・農家でもこんなに儲かっているんですね~



街中に戻ってくると「久留米市世界のつばき館」がありました、椿の起源である原種椿をはじめ、世界の椿を収集展示してありましたが・・・この建物って本当に必要なのかな~??「久留米つばき園」と被っていない???





道の両側に椿が植えられている「つばきの小径」歩いて椿の花を楽しみながら行くと「久留米つばき園」に戻り、街中に向け歩いて行くと「山辺道文化館」がありました。

「山辺道文化館」には椿の鉢等が展示され、若宮八幡宮の神輿も展示されていました、この建物は大正3年(1914年)に完成され大規模な木造洋風2階建てで元は病院として使われていたようで、国の登録文化財になったようです。

「草野歴史資料館」に着きました・・・もう少しです・・・「草野歴史資料館」は明治43年7月、株式会社草野銀行本店として建てられていたもので、和洋折衷の均整のとれた様式で国の登録文化財です。

中では江戸時代から伝わる「久留米おきあげ」の企画展示がされていました、「久留米おきあげ」は色とりどりの布生地で作られた押絵人形で綺麗でしたが撮影禁止となっていました???もったいないです、もっと広く紹介したいもんです(・∀・)ウン!!

側には須佐能袁神社があり、建久八年(1197年)創建されたようです・・・堂々とそびえ立つ楼門には見事な彫刻がされていて、ドシリと存在感のある社が迎えてくれます・・・見事な彫刻が歴史を感じさせ『神社らしい神社』を醸し出しています・・・((;゜д゜))ス、スゲェ


やっと駅に帰ってきました・・・2日連続のウォーキングは疲れるけど景色と花々が気持ちを癒さしてくれました・・・PM2.5・黄砂は何とかならないかな~(´・∀・`)フー

JR九州ウォーキング:小京都「小城」天山酒造開き

2015年03月21日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりにJRウォーキングで小城に行くことにしました・・・今日のコースは10㎞・3.5時間のコースになっています。

佐賀駅で唐津線に乗り換える時、電車の前に沢山の人がきがあります??



駅員に聞くと今日から、大手ゲーム製作会社スクウェア・エニックスの人気ゲーム「サガ」シリーズと県のコラボレーション企画「ロマンシング佐賀2」のイベントとして、ゲームのキャラクターを描いたラッピング列車走るとの事で出発式が行われるようです・・・

キャラクター電車で小城駅に降り、コース沿いに暫く歩くと「桜城館」がありました、中に入ると玄関には小京都・小城のシンボルともいえる七百年近くの伝統を持つという須賀神社の行事で「祇園祭」で下町の曳山が展示してありました。

「桜城館」は平成11年に開館した複合文化施設「桜城館」で、1階が図書館、2階は「小城市立歴史資料館」と「中林梧竹記念館」により構成されています。

側には小城公園があり、小城藩初代藩主鍋島元茂から二代藩主直能によって作られた名庭園で「さくらの名所百選」にも認定されています。

公園には3,000本の桜が植えられていて蕾が大きく膨らんでいてもうすぐ咲くようですね!

暫く歩くと「五百羅漢祥光寺星巌寺」に着きました、此処は小城鍋島家歴代藩主の菩提寺です。

境内には五百羅漢が安置され、現在は200体余りが残っており、江戸時代中頃に三里・西川居住の石工平川徳兵衛一族によって造られたのではないかと伝えられています。

「山辺の道」を歩いていると4~8歳ぐらいの親子ずれがいて、一番小さな男の子が愚図っています・・・この後山道が続くのだけど大丈夫だろうか??


山道を歩いていると大きな広場や池があります、山道には杉の小枝が落ちていて歩くのには滑らないよう気を付けました。

山道を歩いて着いたのは「円通寺」です、山門を過ぎると・・・高い階段があります・・・諦めよう┐(´ー)┌ フッ


道沿いにある花畑を楽しみながら歩いていると川に出ました、川を上って行くと・・・河原には菜の花が咲き誇っています・・・その先には「天山酒造」が見えて来ました。



天山酒造の河原側には観光客が足を投げ出した休んでいます・・・飲食を楽しんでいるようです。

天山酒造に入って行くと樽酒の試飲があります・・・取り敢えず一杯楽しみました・・・甘くておいしいです。



天山酒造の中を見学をして・・・明治・大正時代の建物もあります・・・天山酒造のルーツは水車業で、小京都小城の祇園川の清流を利用し、水車業を営み、製粉・製麺業を文久元年(1861年)に開始し地元の造り酒屋からも酒米の精米を引き受けていました。

明治8年(1875年)、廃業される蔵元から酒造道具のみでなく酒蔵まで購入依頼を強く受けて、初代蔵元となる七田利三はやむなく町内の酒蔵を購入してしまい、この結果、「七田家は造り酒屋をも始めるらしい…」との風評が広まり、酒造業を始めることになったという話です。



天山酒造を出る時にもう一度樽酒の試飲をして、揚げはんぺん(3枚500円)を買い、河原沿いの「ホタルの郷」のベンチで楽しみました。

河原沿いには桜の木が植えられていて、もう花びらを付けた気もありました。


歩いていると「須賀神社」がありましたが階段が見上げるような高さで・・・とてもじゃないが今から登り切りません(´・∀・`)フー

駅に向けて帰っていると「村岡総本舗」があり、側に羊羹資料館がありました、中には砂糖菓子と羊羹の資料が展示されていました。

少し行くと「深川家住宅」があります、この建物は19世紀中頃(幕末期)に建てられ、小城に遺された町屋の代表格といえるものです。

かつての深川家は造り酒屋で、裏の土蔵で酒造りが行われ、通りに面した店頭で酒の販売が営まれていました。

深川家住宅は、平成22年に大規模な修復作業が完成し、往時の姿を取り戻し、小京都らしい二階建て町屋建築は、小城の貴重な文化遺産として再評価されています。

煙突がそびえる建物がありました、此処は「小柳酒造」で文化年間(約200年前)創業の老舗で、店舗のある母屋は創業時の建物である、麹室、酒母室、仕込庫等14件の建造物は国の登録有形文化財に指定されています。

此処では新酒を買い飲んでみました・・・甘くてとても美味しかったです・・・私は日本酒が苦手でしたが・・・

やっと小城駅が見えて来ました・・・電車が出た後で1時間待ちです┐(´ー)┌ フッまったくローカル線は・・・



JRウォーキング「佐嘉城下雛祭りと歴史散策」

2015年02月21日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日も先週に続いてJRウォーキングです・・・佐賀に住んで初めて佐賀市内を見学することにしました。

コースは佐賀駅をスタートし佐賀駅ー旧長崎街道ー副島ガラスー佐賀県立佐賀城本丸歴史館ー大隈記念館ー肥前通仙亭ー佐賀市歴史民俗館ー徴古館ー佐賀駅と12㎞4時間のコースとなっています。

駅で降りて受付を済まし・・・サア~歩くか(・∀・)ウン!!

駅前の村岡総本舗過ぎを右に曲がると長崎街道となっています、道の側溝には参勤交代の模様が見えます・・・(´ェ`)ン-・・マンホールには有明海にの魚ムツゴロウの模様が描かれています。



流石古く栄えた町には神社が沢山見えています、「佐嘉八幡宮」伊勢の神宮より御分霊を九州唯一のお社「伊勢神社」があります。

手作りの宙吹きガラス食器の伝統工芸の肥前ビードロのお店がありました、江戸末期から続く技術を受け継ぎ明治36年より佐賀市で100年以上、レトロなガラスの燗瓶や、素朴だけど味わいのあるコップ等の食器が展示されています。

途中にお菓子の「鶴屋」の前にはお茶の接待があり、ウォーキングの人達が休憩をしています。

欽明天皇25年(564年)に造立された與賀神社(与賀神社)を過ぎると、佐賀城のお堀が見えて来ました・・・お堀は思ってた以上に幅があります。

お堀にはお客を乗せた船が漕ぎ出されていました。

お城の石垣の脇を歩いていると「佐賀城本丸歴史館」の裏口?があり、中に入ると比較的新しい建物があります。

大手門の石垣にはハートマークの植物が見られました???



歴史観に入るとお雛様が飾られていています・・・市民が作成したものが飾られているようです。

大広間に来ると・・・市内の小中学生が作成された2000体のひな人形が展示されていました・・・個性あふれた作品です。

半分以上歩いたところで「大隅記念館」があり大隈重信旧宅があります・・・家の中に入らず一回り見学を済ませました。

それにしても佐賀市内にはクリークの名残か水路が沢山あり(・∀・)イイ!!雰囲気を出しています。

地場産品(鍋島緞通、佐賀錦、肥前名尾和紙、肥前びーどろ、諸富家具)の展示・販売している「肥前通仙亭」の付近では市民の俳句が風になびいています。

「旧古賀銀行」の建物の中ではお菓子の「まるぼうろ」が実演販売されていて周りには沢山のお菓子が売られていました。

長崎街道は「シュガーロード」と言われていて長崎のカステラで始まり小倉までの街道沿いには古くから砂糖を使用した菓子が造られています。

側の大正時代に建てられた「旧福田家」では佐賀錦をまとった豪華なひな人形が展示販売されていました・・・中では人形の撮影は禁止されていました・・・人と一緒に撮るのはOKと言う事です???どういうこと???

「旧福田家」の入口には花で造ったひな人形が展示されていました。

佐賀市は恵比寿象の数が日本一との事で今日も沢山の恵比寿象を見つけることが出来ました。

市民の広場「656広場」では屋台も出て賑やかにしています。

ゴールまで2㎞付近には「佐嘉神社」があります、鍋島藩が鋳造した大砲カノン砲で毎年カウントダウンをした後、新年が明ける0:00ちょうどに点火し計8発の祝砲が放たれるそうです。



商店街のアーケード街は多くの店が閉まっていて歩いている人が少ないです・・・店のショーウインドウにはそれぞれお雛様を飾り祭りを盛り上げようとしていますが・・・人通りが・・・・

やっと駅が見えて来ました・・・電車の中で一息(チューハイ)入れて帰ります。

JRウォーキング「城島酒蔵開き」

2015年02月14日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日は久しぶりのJRウォーキングに参加しました。

コースは荒木駅から4つの酒蔵を見学しての9㎞の時間コースです。

JR荒木駅を降り立つと、今日は天気が良いので沢山の人が参加するようです。

駅からすぐにシャトルバス乗り場には沢山の人が並んでいます・・・「第21回城島酒蔵びらき」には沢山の人出となるようです。

私はコースに従って歩いていると麦畑の中に出ました・・・ヒバリが青空高く鳴いています。

1時間近く歩いていると道の脇に小さな汽車が展示されていました、これは1966年に廃線になった大川鉄道を実際に走っていたドイツ製の4輪連結タンク機関車で「ポッポ汽車」と親しまれていたようです。

暫く歩いていると沢山の人が並んでいる建物が見えました・・・側に行くと「萬年亀酒造」でした・・・列は試飲のために並んでいるようです、私は時間が掛かりそうなのでパスすることにしました。

コースは右に曲がり筑後川の出ました、此処には「池亀酒造」がありました・・・屋台と試飲する場所が在ったので私は試飲することにしました。

最初はゼリーが入ったリキュールで美味しかったです・・・最後に飲んだお酒は強くでブランデーみたいでした。

池亀酒造から元の遊歩道(軌道跡)に戻り橋の袂まで歩くと右に入ると有薫酒造があります、道路の前にはもう菜の花が咲いています。

有薫酒造に入って行くと此処でも試飲の列が並んでいます・・・列の後ろの建物に入って行くと此処でも試飲と販売を行っていたので試飲させていただきました・・・何処でも試飲の量は一口もありません(´・∀・`)フー

遊歩道に戻り歩いて行くとゴールである花の露酒造に着きました、ゴールで受付を済ませて田んぼの方を見るとアオサギとシロサギがこちらを見ていました。

花の露には沢山の人が試飲と屋台の食事を楽しんでいます・・・青竹で燗をしたカッポ酒が良く売れています。

此処は工場の中も一部見学ができるようになっていたので少し見て回ることにしました。

花の露の長い白壁の脇を通り「城島町民の森」に来ると沢山の人出です・・・此処がメイン会場になっていました。

入口では500円出すと小さな猪口で6種類の試飲ができるようです。

広場には沢山の人が屋台で買った食事と酒を楽しんでいます・・・酔っ払いも沢山います。

広場の奥に行くと舞台があり、丁度酒造り唄が歌われていました・・・暫く聞き惚れていました。

引き返していると広場の脇に大きな獅子頭が展示されていました・・・「城島ふるさと夢まつり」の時に山車で引かれるようです・・・今年は見に来てみようかな~


JRウォーキング:大町たろめんと歴史探索

2014年11月08日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRのウォーキングに行くことにしました・・・生憎の曇り空┐(´ー)┌ フッ

今日のコースは距離12㎞、3時間半の予定です。

電車でけやき台~鳥栖~肥前山口~大町・・・肥前山口では40分の待ち合わせとなりAM11:00にやっと大町に着きました。

【大町】大町町は近世佐賀藩30万石、長崎街道に大町村として栄え、横辺田代官所がおかれていましたが、明治5年に廃止されました。明治43年大町鉱山が開口され、昭和4年に杵島炭鉱が設立され、各地から労働者が集まり、昭和16年には人口24,000人の最盛期を迎えました。昭和11年に大町村から大町町になりました。昭和44年に杵島炭鉱が閉山され、これにより人口が流出し現在に至っています。

駅前から34号線の奥の道を東に歩き大町小中一貫校を過ぎて・・・(´ェ`)ン-・・左手に「横辺田代代官所跡」の看板があります(。´・д・)エッ地図を見直すと「土井家住宅」の見逃したようです。

この道には幾つかのレンガで出来た建物があり・・・今は物置などに使われています・・・古い建物も見受けられました。

仕方ないので引き返していると大きな家がありました、此処が「土井家住宅」のようです、今までのコースでは幟や案内人が居たのですがこのコースでは準備されていないようです・・・この家の中に入っていいのかな~・・・解らないので外から見ることにしました。


【土井家住宅】当初は造り酒屋であったといわれているが、明治の始めに土井家が所有し、農家として使用した。平瓦と丸瓦を交互に葺いていく『本瓦葺』という現代ではあまり使われない手法が見られる点でも興味深い建築である。街道沿い一杯の間口と、広い土間といった、町屋風と農家風の造りをあわせ持つ構造が貴重であるとして昭和49年に国の重要文化財に指定されている。

それから小中一貫校に戻り、コースから外れるのですが学校の脇を登り、学校のすぐ北側にある「藤六の観音」を見つけました、小さな祠で側には老木の桜の木があります。

【藤六の観音】難産で亡くなった黄金姫を悼んだ里人がおまつりした観音様だと伝えられ、「藤六の観音」と呼ばれて多くの信仰を集めています。

藤六の観音を過ぎると上り坂になってきました・・・雨も降ってきました、携帯の傘を差し、ふうふう言いながら坂道を歩いて行くと、やっと「ボタ山わんぱく公園」に着きました。

【ボタ山わんぱく公園】大町町の中心部に位置し、豊かな自然環境に囲まれたボタ山を、健康維持増進、地域のコミュニティ活動の場としてたくさんの方に利用していただけるよう整備した公園。

公園から見下ろすと大町の町が一望できますが霞んでいて良く見えませんザンネンです!

公園の駐車場の前の広場では車が並んでいてガレージセール(フリーマッケト)が行われていますが、あいにくの天気でお客さんも少なくもうしまわれています。

公園からは下り坂になっていてダラダラ降りていくと途中に煉瓦の建物があります、「大町煉瓦館」のようです。

【大町煉瓦館】佐賀県の杵島炭鉱は明治42年に操業開始。この煉瓦の変電所跡は、大町町に残る唯一の杵島炭鉱関連の建造物ということ。閉山後は個人が倉庫として使用していたそうですが、現在は「杵島炭鉱変電所跡活用推進会」という市民団体が保存・活用に取り組んでいます。

中に入ると写真が飾られていてコンサートやワークショップ、写真コンテストなどのイベントも催されており“まちおこし”に上手に活用されているようです。

バス釣りをしている浦田自然公園を過ぎると平坦な道になり、長崎街道を歩いて行くとゴールの「やすらぎパーク」に着き、テントでゴールのゴム印を押してもらいました。


 
此処で「たろめん」を食べられる場所を聞くと駅の横にある蒸気機関車を展示されている横の食堂で食べれると言う事なので駅に向かいました。

「たろめん」は麺はうどんで牛骨と生姜を利かしたスープでキャベツ等野菜の多い・・・うどんとちゃんぽんを合わせて様なものです・・・エビがアクセントになっています・・・私はこの麺は好きになりました。

今日は雨の中のウォーキングで12㎞と長い距離でしたが2時間半で完歩できました・・・駅前にはコンビニが無く楽しみなビールが飲めません。+゜(pωq)゜+。ザンネン でした。

JRウォーキング 鳥栖長崎街道

2014年10月19日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日も天気が良いので出かけることにしました・・・恒例?のJRのウォーキングです。

コースは新鳥栖駅~轟木白子神社~秋葉神社~八坂神社~田代代官所跡~うちの畑~新鳥栖駅の11㎞ 3.5hのコースとなります。
 
今日はこのコースで「長崎街道まつり」が開催されています、これは毎年行われている鍋島藩轟木宿と対馬藩田代宿の2つの宿場間で開催されています。
 
江戸時代の衣装を身に包んだ人が案内しています。
 

 
途中の神社では舞台で出し物が有ったり、所々にお茶のサービスもあります。
 

 
天気が良いので気持ちよくウォーキングを楽しんでいたのですが・・・日頃車で通る時は気にかけていなかったのですが歩いていると江戸時代の古民家が意外とある物です。
 

 コースの最後の方にはJA佐賀の産直販売所・レストランもありました・・・私は初めて知ることが出来ました。
  
ウォーキングの最後の方では疲れて空を見上げると縦横に幾つものヒコーキ雲??が見えました・・・こんなこともあるんですね???
  


ゴールとなる新鳥栖駅に着くころは足が疲れ切っていました・・・新幹線の写真でも撮ろうと思っていたのです缶ビールを買って早々に電車で帰ってきてしまいました。