お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

JRウォーキング:1350年の歴史! 古代遺跡から(大野城)

2015年11月07日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はいつものJRのウォーキングに参加しました!



大野城駅発着の9㎞ 3時間のコースです。

駅を出て受付を済ませ・・・さ~行こう!

駅から南に向けて歩いていくと・・・新興住宅地の先に公園があります・・・公園を過ぎて池が見えてきました、県道31号線にほぼ隣接する三兼池公園の敷地内に「梅頭窯跡」が在りました。

中には説明員がいて、九州最大の須恵器の窯跡として有名な牛頸窯跡群(国指定史跡)に属し、6世紀後半~7世紀初頭につくられたもの。

斜面を利用した窯ならではの構造が要注目なほか、発掘調査では、窯跡での発見は極めて珍しい副葬品と思われる鉄刀や鉄鏃なども出土したことから、須恵器の窯がお墓として再利用された全国初の例と説明していました。

池の周りを歩いていくと住宅街に入りました・・・壁に鮮やかな鏝絵が見えてきました。

ここは個人がやっている鏝絵美術館でした。



家の中にも板に鏝絵を描いた作品が沢山展示されています・・・ここは何時でも自由に見学ができるようです。

鏝絵を付けている家は見なくなっている今(´ェ`)ン-・・趣味でするには((;゜д゜))ス、スゲェことです。


美術館を出て水城駅の東側に664年に唐と新羅の攻撃に備えて全長1.2kmに渡り築かれた、大宰府の防衛施設(水城)があります。

ここでも市の職員?が水城の説明をしてくれています・・・大宰府のある北部九州は日本中で一番中国や朝鮮に近く、原始時代から盛んな交流があり、進んだ文化はまずこの地方にはいってきた・・・こういう大切なところなので、大和朝廷は早くからこの地方を治め、外国との交際をした。


しかし663年、白村江の戦いで唐や新羅の連合軍に負けたことをきっかけに、敵の侵攻に備えるため、水城や大野城、基肄城を築いた。

敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、「大宰府」が誕生したと考えられている。このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要な所でしたが、現在は鉄道や高速道路などによって分断されています。

水城に沿って歩いていき剣道112号線を歩いていくと大野城市役所・まどかぴあに着くと沢山の人であふれています。

今日は大野城市産業展が開催されています・・・沢山の屋台が出ていてにぎわっています・・・この時期は各地で同じようなことが開催されています。

会場を後にして南に向けて歩き・・・大野城駅に着きました(´ー`)フッ・・・今日は暑くて少し疲れました。





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