いまだかって経験したことのない猛暑が続く、日本列島が変わってきている
いまだかって経験したことのない猛暑が続いている。昨日の最高気温は岐阜県郡上市の39.8度。「郡上八幡踊り」を友人たちと楽しんだ思い出の地。
懐かしく郡上市の名前を聞いたが、40度近い暑さは、そんなロマンチックなことではない。まさに今、「暑さから命と暮らしを守る」すべが求められている。
岡山でも7月7日の七夕の日、我が家にも避難指示が発令された。その夜、友人の暑気払いを兼ねて飲む予定としていたが、キャンセルしておいてよかった。
そして、翌8日豪雨は少しだけ弱まり、9日から猛暑となり、以来一度も雨も降っていない。週間天気予報でも雨はなく、来週日曜日も34どの予報。畑のお野菜や中庭のお花は干からびている。
この猛暑は北海道も襲っている。以前家族で北海道に行った時には、クーラーなどないお店がたくさんあったことも思い出した。
この気温の変化の中で、北海道でもお米を生産し、山形などではサクランボではなく柑橘類へと作物を転換していると聞く。日本列島が変わってきている。
私はこの先そんなに長くはないが、私の孫たちにはステキな世の中を用意してあげたいと思いのだが、今はブルーな気持ち。
混み合う電車内でリュックサックや鞄を前に抱える「リュックマナー」
混み合う電車内でリュックサックや鞄を前に抱える「リュックマナー」。恥ずかしながら、このマナーを知らなかった。過日上京した際に、少なくなくリュックを前に抱えている人を見て、不思議に思ったりもしたものだ。
この「リックマナー」、「関東ではかなり浸透しているが、関西ではめったに見ない」という記事に接した。岡山では、まだリックを前に抱えるのを見たことがない。電車やバスに乗らないこともあってのことだとは思うが…。
ともあれ、他の人のことを思うマナーが暮らし全般、社会に全般に浸透すればいいなと思う。
中山聖子『その景色をさがして』、パートナーを亡くした私の思いと重なった
「年令を重ねると子どもに返る」と言われるが、最近私が読むのは漫画か児童書ばかり。最近読んだのは、中山聖子著『その景色をさがして』(PHP研究所刊)。母を亡くした中学生が主人公。母を亡くした心情が書かれていて、私の思いに重なった。
「ママが病気になるまでは溢れるほどあって、この先何十年も続くはずだと思っていた。普通の日々だ。それがどんなに幸せなものだったのかを、その時には気付きもしなかったけれど。
「ママが死んでしまったあの日から、私の心の中には、涙の水たまりのようなものができてしまった。それは、ほんのちょっとしたことがきっかけでゆらゆら揺れて、自分ではしずめられなくなってしまうのだ。」
「大切な人が死んでしまって、その人のことを思い出す時には、楽しい思い出と一緒に、どうしても後悔がつきまとうからな。もっとその人のためにしてあげられことがあったんじゃないかとか。もっとやさしくしてあげればよかったとか、もっともっとって、そういう気持ちになるのも、楽しいことを思い出すのも、どっちもつらいな。」
パートナーとの暮らしが途絶えるなんて、思いもしなかった。辛くて号泣した。そして、何一つパーナーのためにしなかったことを後悔してばかり。号泣こそしなくなったが、後悔ばかりの日々。
広島との三連戦三連敗、その負け方が何とも悪い、これで優勝は消えた
またも巨人は広島に負けた。昨日は6-0で勝っていたのに、ナント同点に追いつかれ、負けてしまった。巨人はヒット11本なのに、広島のヒットはタッタ6本。どうなん、っいう感じ。
これで、マツダドーム12連敗。この3連戦、その負け方が何とも悪い。第1戦は7点差を追いつき、その後岡本のホームランで勝ち越したのに逆転サヨナラ負け。第2戦は逆転したのに、エース菅野で逆転され敗戦。第3戦は既に書いた。
第1戦の逆転サヨナラ負けが全てと言えよう。そして、データ的にも昨日の負けで巨人の自力優勝の可能性は消えた。高橋監督の続投も消えた(かな)。
それでも巨人を応援するしかない。それがファンというもの。