『消された漫画』を読みながら、「言論・出版の自由」について心を寄せた
昨日の「読書ルーム」で読んだのは、赤田祐一+ばるぼら『消された漫画』(鉄人社刊)。いろんな漫画が「消されている」漫画があることを知った。
この本には、「マンガと事件の周辺年表」が資料として掲載されている。こんなにあるんだというのが、正直な感想。
ところで、マンガは全くの門外漢であるが、文学の世界での「消された作品」は知らないではない。もっとも記憶にあるのは、1960年に雑誌「中央公論」に掲載されて。右翼少年が中央公論社の社長宅に侵入して社長夫人らを殺傷する「嶋中事件」が引き起こった、深沢七郎の「風流夢譚」。
この作品は発禁とはなっていないが、深沢七郎は単行本はもちろん全集にも入れていない。私の書棚には「風流夢譚」を収録した「海賊版」がある。この本の編集者は、あの奥崎健三さん。
そして、もう一つ単行本にも全集にも収録されていないのが、大江健三郎が1962年に雑誌「文学界」に掲載した「政治少年死す(セブンティーン第2部)」。
これまた右翼の抗議で単行本未収録となっている。この作品については、ガリ版刷りの海賊版を入手している。この作品を非公式に収録している鹿砦社のムック本「スキャンダル大戦争2」があるようだが、こちらは残念ながら入手していない。
とみあれ、『消された漫画』を読みながら、先の二つの文学作品のことなども考え、「言論・出版の自由」について心を寄せた。
麒麟食堂に久しぶりに行った、久しぶりなのでどうしてもオムライスとなる
食通ではないものの、お気に入りのお店はいくつかある。しかし、それがランチでも(ディナーなどはとうてい無理)そうそうは行けない。
そんなお店の一つ・「麒麟食堂」に久しぶりに行った。チーズたっぷりのチキンライスも食べたいと思うのだが、久しぶりなのでどうしてもオムライスとなる。
美味しいオムライスを楽しみながら、店内から道行く人たちをのんびりと眺めたりもした。私にとっての大切な時間。