Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会の司教様たちへの【質問】今後二十年にどんなことが起こると思いますか?

2008年08月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

 アンジェルス誌による聖ピオ十世会の司教様たちへのインタビューをご紹介します。

【質問】今後二十年にどんなことが起こると思いますか?

フェレー司教:全ては天主の御手の内にあります。状況はおそらくより悪くなるでしょう。しかしどの程度まで悪くなるかを予測することはほとんど不可能です。政治的にも、経済的にも、私たちは極めて劇的な状況にまでおかれることになるかも知れません。しかし、天主は悪からも膳を引き出すことが出来るほど力のある方です。天主は主です。天主は御摂理です。ですからどんなことが起ころうと、私たちは天主に希望し、そして天主が私たちを委託し給うた聖母マリア様に信頼し、聖母マリア様の助言に従おうとしています。

BF : Eh bien, c’est dans les mains de Dieu. La situation deviendra probablement pire, mais il est presque impossible de prévoir jusqu’à quel point. Nous pourrions finir par être dans une situation très dramatique, aussi bien en politique qu’en économie. Néanmoins, Dieu est assez puissant pour tirer du bien du mal. Il est le maître, Il est la divine Providence. Ainsi, quoi qu’il advienne, nous devons nous accrocher à espérer en Lui et en la Mère à laquelle Il nous a confiés et dont il nous presse de suivre les conseils.

ティシエ・ド・マルレ司教ヨーロッパでは、フランス、イギリス、ドイツ、ベルギー、オランダでイスラム共和国が。アメリカ合衆国では銀行倒産と市民戦争が。ローマではユダヤの宗教によって組織されたカトリックからの背教が。私たちにおいては、英雄的徳が、キリスト教的な英雄的徳が。聖ピオ十世会では、もしもそれが必要であるならば、新しい司教たちの聖別が。私はもう年をとりました。ローマでは、新しい教皇様が? もしもまた更に悪い教皇であるのなら必要はありません。もしも、ペトルス・ロマーヌス【世の終わりに来るといわれている偉大で聖なる教皇様】であるなら、はい、そのような教皇様が必要です。これは私の希望です。

TdM : En Europe, des républiques islamiques en France, en Grande-Bretagne, en Allemagne, en Belgique et aux Pays-Bas. Aux Etats-Unis, la banqueroute et la guerre civile. À Rome, l’apostasie organisée avec la religion juive. En nous, de l’héroïsme, de l’héroïsme chrétien. Dans la Fraternité, le sacre de nouveaux évêques, si ça s’avère nécessaire. Je me fais vieux. À Rome, un nouveau pape ? Vraiment, s’il doit être pis encore, il n’y en a pas besoin. S’il doit être un Petrus Romanus, alors là, oui. C’est mon espérance.

ウィリアムソン司教:今後二十年に、人々の道徳との頽廃が人々を互いに引き裂く --- 第三次世界大戦もそのカードの中に入っています--- 或いは、私たちの主が想像を絶するような天罰を下さし給うかもしれません --- 或いはこの二つが同時に起こるまで、地に落ち続け、さらには加速すると思います。状況は今のようにこのまま長く続くことは出来ません。現実が振り子のように戻ってくるでしょう。ファチマの聖母マリア様が三人の子供達にお望みになっていたように、私たちは全て、罪人の回心のために祈らなければならないと思います。何故なら、数百万、数千万の罪人たちが永遠の破滅の直ぐ縁に立っているからです。イエズス・キリストよ、私たちを憐れみ給え!

RW : Dans les vingt prochaines années, je vois la continuation et même l’accélération de la dégénérescence des hommes et de la morale jusqu’à ce qu’ils se déchirent les uns les autres – une troisième guerre mondiale est absolument dans les cartes – ou bien tout aussi probablement, le Seigneur interviendra par un châtiment inimaginable. Ou bien les deux. Les choses ne peuvent pas continuer plus longtemps comme elles vont à présent. La réalité va revenir comme un balancier. Je pense que nous devons tous prier spécialement pour la conversion des pécheurs comme le demandait Notre Dame de Fatima aux trois enfants, parce que sûrement des millions et des millions [de pécheurs] sont à deux doigts de la damnation éternelle. Jésus-Christ, ayez pitié de nous !

 主よ、我らを憐れみ給え!
 主よ、聖伝のミサを早く全世界に回復せしめ給え!
 主よ、御国の来たらんことを!
 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!


【おまけ:参考資料】 先日、主要国転落予感の「未来予想図」 という記事の切り抜きをメールで友人から戴きました。この記事によると、こうあります。

====引用開始====

2050年にG8のうちヨーロッパと日本がどうなるか、考えたい。

ヨーロッパは少子・高齢化による労働力不足を補うために、大量のイス
ラム移民を受け入れた。イスラム移民は、フランスは主としてアルジェ
リア、イギリスはパキスタン、ドイツはトルコ、オランダは旧蘭印だっ
たインドネシアからきた。

ヨーロッパの白人社会において家族の力と信仰心が衰え、男女ともに快
楽を求めて自己本位になったために、出生率が低下したのに対して、イ
スラム住民は貧しく、享楽的な文化に染まっていないので、出生率が高
い。

そのために、ヨーロッパでは今世紀末を待たずに、イスラム住民が人口
の半数を超すことが予想されている。すでにユーロとアラビアを足して、
「ユーラビア」という新語が登場している。

イスラム住民が占める比率は、フランスが10%、オランダが6%、ドイ
ツが5%、イギリスが3%である。不法移民を加えれば、さらに高くな
る。出生率はそれぞれ1・8%、1・7%、1・39%だが、統計にイスラム住民
も含まれているので、白人はもっと低い。

2050年にはイスラム住民が、ヨーロッパの人口の3分の1を上回ること
になる。イスラム諸国の出生率は高い。ヨーロッパの現在の平均年齢は
37歳だが、アラブ諸国は若く20歳だ。

2050年にヨーロッパの白人社会は、平均年齢が52歳を超えると予測され
る。

このままゆくと、今世紀末前にイギリスは北(ノース)パキスタン、フラ
ンスは新(ヌーボ)アルジェリア、ドイツは新(ノイエ)トルコ、イタリー
は新(ヌオボ)アルバニア、ベルギーはベルギスタンと改名されようと囁
かれている。やがて白人とイスラム住民のあいだで、内戦が戦われるか
もしれない。

2050年にイスラム住民がフランス全土で暴動を起したが、内戦の前哨戦
だったともいわれる。いずれにせよ、古いヨーロッパを楽しもうと観光
旅行に出かけるのなら、パリのノートルダム寺院がイスラム寺院になる
かもしれないから、今のうちだ。

====引用終了====


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【関連記事】

アルザスの聖オディリアの山(Mont Sainte Odile)に巡礼

2008年08月19日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 アルザス地方の守護の聖人である聖オディリアで有名な、聖オディリアの山(Mont Sainte Odile)の写真をご紹介します。
【日本語資料:聖オディール


Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山
聖オディリアの山から見下ろす

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山
手前にあるのは日時計 元々はヌブール(Neubourg)のカルトゥジオ会の大修道院にあった18世紀のものでしたが、1935年に聖オディリアの山に移されました。作者は不明のようです。
参考資料:Le cadran solaire du Mont Saint-Odile donne l’heure pout tous les points du monde.
 Cadan solaire 或いは Cadran solaire - Mont Sainte Odile

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

北東の下には日本時間(Hora Japonese)があります。上はアンティオキア、真ん中はインドです。

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山
聖オディリアの聖堂

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山
山の下にある、今は廃墟となってしまった「山下修道院」(ニーダーミュンスター l'abbaye de Niedersmunster)の跡

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山
下から上の修道院を仰ぐ

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山

Mont Sainte Odile 聖オディリアの山


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アルザスのミュロフ(Mullerhof)にある聖伝のドミニコ会修道院(分院)にて

2008年08月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?

 アルザスのミュロフ(Mullerhof)にある聖伝のドミニコ会修道院(分院)をご紹介します。(続き)


THE DOMINICAN TEACHING SISTERS OF THE HOLY NAME OF JESUS AND OF THE IMMACULATE HEART OF MARY

THE DOMINICAN TEACHING SISTERS OF THE HOLY NAME OF JESUS AND OF THE IMMACULATE HEART OF MARY

THE DOMINICAN TEACHING SISTERS OF THE HOLY NAME OF JESUS AND OF THE IMMACULATE HEART OF MARY

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【関連記事】


聖伝のドミニコ会修道院(フランス・ブリニョール)の写真をご紹介します

2008年08月18日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?

 アルザスのミュロフ(Mullerhof)にある聖伝のドミニコ会修道院(分院)をご紹介します。

THE DOMINICAN TEACHING SISTERS OF THE HOLY NAME OF JESUS AND OF THE IMMACULATE HEART OF MARY

THE DOMINICAN TEACHING SISTERS OF THE HOLY NAME OF JESUS AND OF THE IMMACULATE HEART OF MARY

THE DOMINICAN TEACHING SISTERS OF THE HOLY NAME OF JESUS AND OF THE IMMACULATE HEART OF MARY


 サン・プレ(ブリニョール Brignoles)の聖伝のドミニコ会修道院の母院をご紹介します。

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ベレーグの修道院長マテオ神父様(向かって左)と聖ピオ十世会司祭

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庭園

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シスターたちは手をスカプラリオの下に入れて行列します。

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儀式が終わって記念写真

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ジャン・ドミニコ神父様

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フィリピン人のシスター・マリ・デ・ヴィクトワール

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墓地にて、創立者と亡くなった修道者達に感謝の祈りを捧げる

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儀式が終わって庭園で昼食を皆とTHE DOMINICAN TEACHING SISTERS OF THE HOLY NAME OF JESUS AND OF THE IMMACULATE HEART OF MARY

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この聖ピオ十世会神父様の妹もドミニコ会修道院に入会しました。12人兄弟だそうです。

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食後の散歩

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小さな聖堂でグレゴリオ聖歌の晩課を歌う


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【関連記事】


聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.3.4.様々な効果的キャンペーン

2008年08月16日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

様々な効果的キャンペーン

 1963年と 1964年に組織された火曜日の夕方の講演会は、その内容が文章化されて発行されたが、チェトゥスの固有の戦略と作戦を遠くから用意した前準備にすぎなかった。1963年 10月 30日付けのシリ枢機卿宛てに発送された書簡の計画によれば、シガウド司教が初めに構想した作戦は、司教会議の中でも枢機卿の議長団 (Cardinal Chairmen) に焦点を当てるものだった。彼らは 一週間に一回ずつ会って、当時に司教たちに送られる投票のために必要な勧告と指針の覚え書きを作ることを要請されることになっていた。しかし多数派は既に 1962年には、そのような「司教評議会連合」との接触に成功をしていたのだった。シガウド司教は、少数派のために同じことを試みるのが幻想にすぎないということをすぐに理解した。

 そうして遂に採択された戦略は、多数派が支持する概要において、少なくとも実質的な満場一致があることを阻むために、ベルト神父【l'abbé Berto, 第三会期におけるチェトゥスの秘書】が言った表現を使えば「ローマ系の教父を連合する」ことだった。ベルト神父は、ローマ系の立場の論説に、教父たちの四分の一を味方に付けることができるという予想を現実的だと考えていた。

 しかし、この目標はようやく二度達成されたにすぎなかった。すなわち、1964年 2月にマリアの汚れなき聖心に世界を奉献するという嘆願書 (510人の署名) と、1965年の共産主義の排斥を要求する嘆願書 (454人の署名) として達成されたのだった。他にも一度、1964年 12月にチェトゥスは、修正条項に関する 600冊のパンフレットを配布し、 574票の条件付き賛成 (placet juxta modum) を得ることに成功した。

 チェトゥスの「やり方」は、討論中の問題の法律的な側面及び公会議の運営における手続が合法的であるか否かに大きな注意を傾けることで特徴付けられていた。このために、チェトゥスはいつも公会議の規則を頻繁に言及し、手続上の行動を厳格に適応させて、革新者たちの進度を邪魔する或いは遅らせるという意向を持っていた。

 しかしチェトゥスの本質的な事業は、回覧状や、概要に関する論評、更には、できる限り明白な修正案--公会議用語のラテン語で modi と呼ばれていた--を、しかもこれに修正の動機--ラテン語で ratio modi -- を付け加えて、「ほとんど連続された流れ」を作り出すことにあった。これの目的は、曖昧な用語、句節、段落を、或いは教父たちの考察に付された概要の中の意図的に省略された事柄を訂正し、入れ替え、補足するためであった。その時、教父たちは、条件付き賛成 (placet juxta modum) を投票するように招かれていた。

 他方で、チェトゥスの中核の会員は、頻繁に公会議の会場で公開演説をして健全な哲学、啓示された教理の真実性あるいは神学者たちの共通の教えに関する原則を説明した。ルフェーブル大司教は特に最近の教皇たちの教えを思い起す事に関して、他の追随を許さなかった。彼は次のようにチェトゥス活動の効率性と限界とを証言した。

「それでも、私たちは公会議の引き起こす損害を制限し、不正確な、或いは正道を逸れている或る主張に変更を加え、正統性から外れるような命題や、曖昧な表現に修正を加え、或る文章を付け加えることに成功しました。
 しかしながら、私たちは大部分の概要に染みついていた自由主義及び近代主義の精神を、公会議から取り除いて浄めることには成功することができなかった、と認めなければなりません。彼らの草案者は、まさに専門家であったし、教父たちはそのような精神に染まっていたのです。
 ところで、一体どうしろというのでしょうか、草案がその全体において、間違った精神で起草されているとき、この精神をそこから追い出して浄めることは事実上不可能なことです。この文章にカトリック精神を与えるためには、最初から新しく書き直さなければならないでしょう。
 私たちができたことは、私たちが提案した修正案 (modi) によって、概要の中に、意味を明確にさせる言葉を差し込ませることでした。そしてこれは誰にでもよく分かることです。信教の自由に関する最初の草案の概要と、第五番目の草案の概要とを見比べてみれば分かります。何故五番目の草案というかというと、何故なら、この草案は五回拒否されたにも関わらず、五回討論に付せられるために戻ってきたからです。それでも、最初の草案を汚染していた主観主義(subjectivisme)を弱めることに成功したことが見て取れます。
 『現代世界憲章』(Gaudium et Spes) も同じです。私たちの要求を受けて付け加えられた段落が分かります。これらの段落は、古い服に付けられた布きれのように、くっついているかのようです。。これは全体に良くマッチしていないのです。最初の草稿の時にあった論理がもはや無いのです。自由主義の断言を緩和させ或いは相殺するために付けられた付け足しは、あたかも異物のようにそこにくっついて残っているのです。」

 私たちはここでチェトゥスがした闘いの歴史をそのとおりすべて列挙するつもりはない。私たちは、ルフェーブル大司教がその個人的な行動で関与したものだけ提示するつもりである。

 チェトゥスの教父たちは、公会議会場で何よりもまず個人の資格に発言したことに注意しなければならない。そしてもしもチェトゥスという団体の名前で発言する時でさえ、彼らは自分のスタイルを守り、自分の固有の見解を表明していた。

 ルフェーブル大司教はコンガール(Congar) 神父がフランスの教父たちにした講話会に参加して大きい衝撃を受けた。何故ならコンガール神父が教父たちにあれこれ仕事を割り当てる乱暴なやり方を目の当たりにしたからだ。

「X 司教、あなたはこの論題に関して話なさい。あなた、Y 司教、あなたはこの問題に関する討議に発言しなさい。心配することはない。私たちが文章を準備するから、あなたはそれを読めばよいのです。」

 チェトゥスの代弁人たちは決してその神学者たちの使い走りにならなかった。ベルト神父はルフェーブル大司教への協力の仕事の本質と限界に対して次のように話したことがある。


「私は、天主の御前にて言うのだけれども、ルフェーブル大司教の神学者になるという極めて偉大な、この身にそぐわない光栄を得た。
 私は秘密を守るという誓いを立てたために、彼のもとでした仕事を言うことが出来ないが、しかし、ルフェーブル大司教は神学者である、自分の神学者(私)よりもずっとすぐれた神学者である、と断言しても、決して秘密を漏らすことにはならないだろう。願わくは、全ての公会議の教父たちがルフェーブル大司教程の神学知識を持っていたなら(どれほど良かっただろうか)!
 ルフェーブル大司教は、完璧に確かできめ細やかな神学的習性 (habitus) を持っておられた。
大司教の聖座に対する極めて大きな忠孝の愛はこれに本性の類似性(connaturalité)を加え、このおかげで、推論する神学の習性が活動を始める前からすでに、直観的に何が教会の巌の特性に調和し何が調和しないのかを区別することができるようにしていた。
 教父たちの中には、例えば聖ペトロ大聖堂まで乗ってきた自動車の中でようやく神学顧問(peritus)の手から、自分が公会議の議場(aula)でなすべき発言の既に出来上がった読むだけのテキストを受け取って、あたかも自分の意見であるかのように公にホラを吹くもの【ボルドーのマズィエ大司教のこと】もいたが、ルフェーブル大司教はこのような教父とは全く似てもにつかなかった。どんな覚え書きも、メモも、下書きも、ルフェーブル大司教自身が見直し、校正し、再考し、時には全く個人的な一所懸命の働きで最初から手を入れて自分で書き直しをしないままで、ルフェーブル大司教に渡したことは一度もなかった。私は、彼と「一緒に仕事をした(collaborer 協働した)」のではなかった。私は個人神学者としての資格に従って、ルフェーブル大司教は、そしてローマ教皇とともに、公会議の教父つまり信仰の審判者及び教師としての彼の名誉と尊厳とに従って、もしもこんな言葉があるのなら、私は本当に彼の「下で仕事をした(sublaborer 下働した)」と言いたい。」


 ルフェーブル大司教自身、自分が考えたこともないこと、或いは自分が直接に再考察しなかったような考えのための単なる脇役俳優、或いは名義を貸すだけの存在であるということは絶対に受け入れなかった。

 チェトゥス会員としての彼の活動は、三つの闘い、すなわち司教団体主義に反対する闘い、共産主義を排斥するという要求、そして信教の自由に反対する熾烈な闘いに集中した。だからといって、彼が聖母マリアの光栄とキリスト者の婚姻の完全性とのためにも闘うことが邪魔されたわけではなかった。

【質問】聖女マリア・マグダレナの祝日の晩課の"Pater superni luminis"の意味

2008年08月14日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
 聖女マリア・マグダレナの祝日の晩課の"Pater superni luminis"の意味をぜひ教えていただきたいのです。どうぞどうぞどうぞよろしくお願い致します。


【答え】
 ご質問をありがとうございました。7月22日の晩課の讃歌(Hymnus)の意味は次の通りです。(トマス小野田圭志神父の試訳)

Pater superni luminis,
Cum Magdalenam respicis,
Flammas amoris excitas,
Geluque solvis pectoris.

最高の光の聖父よ、
御身はマグダレナを御覧になり給うとき、
愛の炎をかき立て給い、
胸の氷を溶かし給う。

Amore currit saucia
Pedes beatos ungere,
Lavare fletu, tergere
Comis et ore lambere.

彼女は愛に傷ついて走り寄り、
至福の御足に油を塗り、
涙で洗い、拭き、
優しくそして口で接吻する。

Astare non timet cruci,
Sepulcro inhaeret anxia,
Truces nec horret milites:
Pellit timorem caritas.

十字架に恐れず立ち留まり、
墓に不安の内に入り、
獰猛な兵士たちを恐れない。
愛は恐れを投げ飛ばす。

O vera, Christe, caritas,
Tu nostra purga crimina,
Tu corda reple gratia,
Tu redde caeli praemia.

おお、キリストよ、真の愛徳よ、
御身は私たちの罪科を浄め給え、
心を聖寵で満たし給え、
天の報いを与え給え。

Patri, simulque Filio,
Tibique, Sancte Spiritus,
Sicut fuit, sit iugiter
Saeclum per omne gloria.
Amen.

聖父と、同時に聖子と、
そして聖霊よ、御身に、
かつてあったように、いつも、
代々とこしえに栄光あれかし。
アメン

---------


聖女マグダレナのマリアを歌う

 2002年だったでしょうか、聖なる悔悛女マグダレナのマリアの祝日に当たり、ソウルの聖堂の御聖櫃の前で歌を作りました。聖務日課からインスピレーションを受けています。

+++


聖女マグダレナのマリアを歌う

トマス小野田圭志


愛の火を マリアにつけし 
眼差しよ
罪の氷は 溶け流れたり。

幸いな御身の愛に 
傷ついて
御元に走り、泣き崩れたり。

痛悔の 涙で洗う 
主の御足
髪で拭き取り、口づけ捧ぐ。

止めなく あふれる涙
主の御もと 
罪を憎みて 嗚咽止まらず。

主を捨てて 罪にて得たる 
ナルドの油
瓶を砕きて 主に塗油したり。

「彼女(か)の罪は 許されたるぞ 
その多く、
多くを愛し たるがためなり。」

ドラクマ貨 失いたるが 
見いだされ
王の宝庫に 戻されたるぞ。

宝石は 汚れを落とし 
磨かれて
光り輝く 見違える程。

聖心は 一途の愛を 
知り給う
主、彼女(かれ)を愛し 彼女(かれ)、主を愛す。

涙もて 御足を洗い、
拭き取るは 
長き黒髪、口づけしつつ。

「おおマルタ、必要なのは 
ただ一つ。
何に心を 騒がせるのか。」

「かのマリア 最善なるを 
選びけり
御教えを聞き 愛することを。」

マグダラの マリアの流す 
涙もて
我らの罪をも 清め給えよ。

エワの子を 世の嵐より
守り抜き、
救いの港に 辿らせ給え。

悔悛したる マリアをば 
天高く、
呼び上げ給う天主の聖子(おんこ)

我らとて 罪忌み憎む 
心もて
悔い改めの 恵み願わん。

罪人に 赦しを与え 
様々な 
恵みを下す 一なる天主。

アーメン

*******


 インターネットって、書いている人の顔の表情とかその他のことが分かりませんから、意思の疎通がかえって難しいものだなと思います。便利ですけれど、相手をよりよくより善意に理解しようという態度が必要ですね。これは、自分に言い聞かせているひとり言です。

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【関連記事】


聖ピオ十世会創立者の伝記 12.3.3.高位聖職者の後援、自由な組職、貧弱な資金

2008年08月13日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

高位聖職者の後援、自由な組職、貧弱な資金

 第二会期が終わる頃の1963年 12月 6日、ルフェーブル大司教は教皇パウロ六世と謁見した。教皇は、彼に数名の教父たちの提案について自分の考えを説明し、ルフェーブル大司教を大いに満足させた。その提案というのは、多岐にわたる発言を共同提案としてまとめること、つまり「少数派」と言われていた人々の意見を体系的に提示するというものだった。

 パウロ六世は第二会期の閉会演説でこの考えを仄めかした。このような、最高位の期待していなかった支持を受けると、ルフェーブル大司教はもはやためらわなかった。ソレムでの会合の後、1964年 2月 8日、伝統的な考えの教父たちを一つのグループで組織するという自分の計画をペリクレ・フェリチ (Pericle Felici) 大司教に知らせた。

 1964年 8月 5日付けの最初の書簡は、シガウド司教とデ・カストロ・マイエル司教とルフェーブル大司教とが署名し、更にはカバン (Caban)、シルバ (Silva)、ラッキオ (Lacchio) 及びコルデイロ (Cordeiro) 司教たちの署名が加えられて、教会の聖伝を固守する多くの教父たちの団体作りを告げ知らせた。最小限 70人になるということを前提に、彼らの一人が全体を代表して代弁することが出来るために、同じ論点を表明することを望む教父たちがグループを作ることを許容する新しい規則が公会議規則に付け加えられたことを説明して、この最初の手紙は、このような動きの正当性を立証した。

 公会議の第三会期が始まる時、1964年 10月 2日付けの公文書によって、この団体の誕生が発表され、公会議教父たちに配付された。シガウド司教の署名で、文書は高位聖職者の後援の元でグループが結成されたことを告知した。後援者には、サントス (Santos) 枢機卿 (マニラ)、シリ枢機卿 (ジェノバ)、ルッフィーニ枢機卿 (パレルモ)、ブラウン(ローマ教皇庁) 及びララオナ枢機卿 (ローマ教皇庁)らがいた。

 チェトゥスの活動を後援するにおいて、サントスは無活動であったが、ララオナは、10月 6日の最終文書でその名前は消えるのだが、すべての枢機卿たちの中で一番緊密で、一番有能だった。パウロ六世はそのことでララオナを叱責するだろう。

 他の枢機卿たちは、チェトゥスの中でというよりもその周辺で団体を支持するだろう。何故なら、ローマの枢機卿職のために、もっと深く関与することができないと考えていたからだ。

 1964年 11月になってからようやく、団体は教父たちの国際グループ (Coetus Internationalis Patrum)という最終名称を選んだ。

 だから第一会期の極めて初期から活動して来た進歩派の団体に比べて、この教父たちの団体は一歩遅れて構成されたのだった。遂に、光の子らの単純さは、革新者たちのずっと前から計画されていた作戦に対応したのだった。

 チェトゥスの潜在的支持者たちは、アウグスティノ会 (Augustinian) 本部で開かれる集まりに招かれた。そこでは連続講演が用意されていた。10月 13日、ルッフィーニ枢機卿は概要 13番に関して、10月 27日にはフランシスコ会 (O.F.M) のエルメネジルド・リオ (Ermenegildo Lio) 神父が婚姻に関して、11月 3日、フラニッチ (Franic) 司教は「共産主義と教会」について話した。11月 10日にはカラロ (Carraro) 司教は司祭職の制定に関する講演をした。等々。ただルッフィーニ枢機卿だけは、公会議の主要テーマの一つについて論じた。

 これら会合は、チェトゥスの精神を少しずつ広めるのに成功したが、具体的な行動を組職化することを目的とはしていなかった。行動は団体の中心部のメンバーのものとして留まった。中核は 3人の設立者及びカルリ司教で成り立ったおり、これにカナダのシャールブルック (Sherbrooke) の大司教であるカバナ大司教、そしてラ・ロシェルの司教であるモリロ司教(Mgr Morilleau)が合流した。彼らの回りに、住所録に登録された合計250名の高位聖職者達が集っていた。この名簿録は、公会議の間、始終作成され、追加され、変更された。

 チェトゥスとは、このように、一つの星雲に似ていた。言い換えると、その境界線がハッキリと定められていない網状の組職で、公会議の内部において、あらゆる異端審問や叱責をものともしなかった。いかなる教父にもいかなる正式会員資格が要求されなかった。一人一人の会員の個人的な繋がりが大きい役目をした。なかでも極めて目立ったのは、カルリ司教のイタリア人の友人関係で構成されたサークルや、以前にサンタ・キアラの卒業生たちの繋がり (ルフェーブル大司教を取り囲む三人の司教とフランスの大修道院長)、ヴェルブ誌とラ・パンセ・カトリック誌とを通じて出来上がった関係、そしてシガウド司教のポルトガル語圏の友人たちだった。

 チェトゥスはカルリ司教を通してラテラノ大学 (Lateran University) を使うことが出来た。ラテラノ大学の二人の教授、すなわちモンシニョール・ピオランティ (Piolanti) とモンシニョール・ラタンジ (Lattanzi) は闘いに合流した。シリ枢機卿を通じて、チェトゥスは 公会議の調停委員会 (Council's Co-ordinating Commission) に影響力を及ぼすと同時に、ルッフィーニ枢機卿は公会議議長団に対する彼らの常設の接触点だった。

 チェトゥスの財政的収入は、全てのマスメディアを自由に使うことが出来た「ヨーロッパ同盟 l'Alliance europeenne」を前にして、笑わせるほど極度に貧弱だった。ヨーロッパ同盟は、特に第三会期が終わる頃、400万枚以上の広告紙を配布したことを自認した程万能の IDOC を自分のものとしていた。

 ルフェーブル大司教はこう言う。「私たちの側では、私たち保守的な司教たちは、この(ヨーロッパ同盟の)影響を中和させようと努めました。それは自分の秘書課職員を私たちが自由に使うことが出来るように計らってくれたララオナ枢機卿のお陰で、私たちには、タイプ・ライターと輪転機そして三、四人のお手伝いがいたのです。」

 1963年 11月、大司教は既に輪転機を購入していたが、チェトゥスはオフセット印刷機も手に入れた。ララオナ枢機卿は、自分の秘書を二人、すなわち聖クラレチアン宣教会会員 (Claretian)であるドン・ヘスース・トレス・ジョレンテ (Don Jesus Torres Llorente) とドン・ルイス (Don Ruiz) を「貸してくれた」。機械は、チェトゥスの文書を夜通し印刷していた。早朝になると、幾名かのフランス人青年たちとカトリシスモ誌の若いブラジル人たちが、ルフェーブル大司教のプジョー(Peugot) 403に乗ってローマをくまなく駆けめぐっていた。そうして、彼らは、投票に関する勧告をチェトゥス名簿に掲載されている教父たちの郵便受けに配布して回った。

 他方で、第一会期以後、神言会 (S.V.D.) 所属のラルフ・ヴィルトゲン (Ralph Wiltgen) 神父は自分の報道機関である神言会ニュース・サービス(Divine Word News Service)の紙面をまずデ・カストロ・マイエル司教、ルフェーブル大司教との、続いては、チェトゥスの他の会員たちとのインタビューに喜んで割いてくれた、それによってローマ系の立場を大きく広報することができた。

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

II. 革命が始まる

III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)


フランス

2008年08月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、

 古いニースの中心にある聖ピオ十世会の教会にいながら、聖会の長女であるフランスの今について、多くを伺いました。

 人口6200万のうち、移民により、推定で600万から1000万人がイスラム教徒であるとのことです。

 最近のイスラムの未成年による暴動も、イスラム社会から指示を受けてなされたもののようです。フランスの警察の抵抗がどんなものかを試すためだったようです。逮捕した未成年を政府はどう罰するというのでしょうか。暴動は、イスラム指導層からの未成年への指示で終焉したに過ぎないようです。

 フランスのサッカー・チームでも分かるように、多くのイスラム国家からの移民で成り立っています。警察も軍隊も同じです。問題は、移民ではなく、宗教です。

 もしも、イスラムのクーデターがあったら、フランスはどうやって鎮圧するのでしょうか。

 フランスには10万人の聖伝のカトリック信徒がいるそうです。洗礼を受けているカトリック信徒は、約4000万人だそうですが、実際に新しいミサに与る信徒は、100万人いるかいないかのようです。早く聖伝のミサ聖祭に戻らないと、フランスはこのままイスラムの国になってしまうでしょう。何故なら、新しいミサは、どの宗教でもいい、どの宗教でも救われる、と教えると同時に、カトリックの過去とその聖伝とに対する軽蔑と拒否とを教えているからです。

 ナンスネー神父様によると、今から20年前、30年前には、フランス人はまだ、共通の運命、共通のフランスという国を信じていた、しかし、今ではそれが失われたしまった、とのことです。

 今から30年前には、たとえ聖伝を支持しないとしても、フランス人はカトリック教会と宗教に関心を寄せていたけれど、今では、無関心になってしまった。

 フランスを誰が守るのでしょうか? 男が、敵と武器を持って戦うのは、妻や子供の尊厳を守るため、家族と故郷のためです。男が命をかけて立ち上がるのは、か弱い女性と子供たちが犯されないためです。ナンスネー神父様は言葉を続けます。しかし、海岸で、その他で、慎みのない、不貞の女性たちと不良たちのために、どんな男が命を捨てだろうか、と。

天主の御母聖マリアよ、フランスを守りたまえ!

聖母マリアよ、フランスに、より多くの聖伝のミサ聖祭を与えたまえ!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

感謝・感謝・感謝

2008年08月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 昨日は、聖伝のドミニコ会修道女の着衣式と初誓願式のミサ聖祭に与ってまいりました。

 94名の聖伝のシスターたちの姿は、壮観でした。中でも、誓願を立てた一人のシスターは、13人兄弟の一人で、そのうち二人が、聖ピオ十世会の司祭です。一人のシスターはメキシコ人で、7名の姉妹と両親とがメキシコから来ていました。フィリピン人のシスターは、今回は、一人ぼっちではありませんでした。

 愛する兄弟の皆様のお祈りに、心から感謝いたします。

 主日のミサ聖祭は、ニースの教会で執行しました。天主様と主任司祭のナンスネー神父様に感謝します。

 天主様の許しとお恵みで、後ほど、写真などを御紹介いたしたいと思います。天主様の祝福が豊かにありますように!

ニースにて、トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

しゃくりとインターネット

2008年08月02日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 現代は、インターネットという便利な道具が私たちに与えられています。このことを天主様に感謝します。

 今回、韓国に到着し、少し疲れていたのでしょうか、暑くて寝苦しかったのでしょうか、一日中しゃくりが出た時がありました。ミサ聖祭の時が一番つらく思いました。水を飲んでも、お昼を食べても、夕食を食べても、夜、寝台に横になってでも、しゃくりは出続けました。

 そこで仕方なく、携帯のインターネットで、「しゃくりを止めるには」と打ってみると、しゃくりは横隔膜の痙攣だから、息を深く吸ってしばらく呼吸を止めるとよい、というようなことが書いてありました。そこで、その通りすると、あれほどしぶとかったしゃくりがピタリと止まってしまいました!

 つい最近、私もiPod nanoを購入しました。移動の時に、あまりに疲れてしまい、ぐったりして、本も読めなくなるからです。15年前には、全然そうではなかったことですが、年齢のせいでしょう。ユナイテッドのベテラン乗務員さんもそう言っていました。

 さて、このiPod ですが、よくフリーズしてしまいます。あんまり簡単にフリーズするので、どうしたら良いのか、インターネットで「iPod フリーズしたら」と探してみると、真ん中の丸いボタンと上のメニューの部分とを同時にずっと長押しすると、良いことが分かりました。試してみると、その通り、上手く行きます。インターネット、便利な時代になりました。

 しかし、インターネットには光と陰の部分があります。

 ソウルに最近来てくれたニコラ君(仮名)は、日本のリトル・ペブルの信奉者の異常な行動のことについて、私に尋ねてきました。インターネットを見たそうです。残念ながら、このことで、韓国の方々において、日本が笑い者になっているようです。

 ニコラ君には、インターネットには書いてない情報を与えました。「司祭」と称する杉浦君は、20年以上前に、東京の教会が幾度か会ったことがあること、筋肉が萎縮する重い不治の病気を患っていること、かわいそうに病気がどうやら脳を犯しているように思えること、などです。

 インターネットは便利ですが、必要でもありますが、全てではないし、それがそのまま現実世界でもないことを、私たちは思い出さなければなりません。

 英単語と英文法を覚え、英語を話すことが出来る、だから、アメリカ人と意思疎通が100%上手くいく訳ではありません。

 このことは、英語に限らず、フランス語でも韓国語でもそうです。メンタリティーの違いや、人によって、敏感でセンシブルな主題があります。話しても、通じないこともあります。日本人には慣れないと、ユーモアの通じないこともあります。同じ日本人でも、人はいろいろ方々がおられます。分かりあえるためには、笑顔の相手を見て、食事でもしながら、相手の言葉にじっと耳を傾けて、相手を全力で理解しようとして、相づちを打ちつつ、その方を理解しようとしなければなりません。

 インターネットでは、そんな人間らしい弱さが消えてしまうのです。コンピュータは、私たちを王にし、神であるかのような錯覚を与えます。何故なら、エンター・キーを押せば、何でも機械は実行するからです。嫌なことがあれば、デリート・キーを押せば良いのですから。匿名で、意見を述べ、買い物をし、地球の裏のことでもあっという間に知ることが出来るからです。

 時には、ほんのちょっとした言い回し・表現が、主題とは無関係の書いた人の意図してもいなかったことが、しかもインターネットでは頻繁にそちらの方が、大問題であるかのように取り上げられたりします。

 中には、長年の付き合いと信頼関係を築いた後でのみ、ようやく言うことを許さるような指摘や、アドバイスもあります。

 私にとって、このブログをご覧になってくださる愛する兄弟の皆様は大切な方々です。更には、聖ピオ十世会のミサ聖祭に与る愛する兄弟は、更にもっといとおしい存在です。人間の持つ不完全さを担いながらも、聖ピオ十世会の聖伝のミサ聖祭に連なり集う兄弟たちを、私は、ありのまま、今あるまま、受け止めています。そのあるがままの彼らを大切に思っています。

 聖伝のミサ聖祭に来て祈っている愛する兄弟たちが、善意をもって書いているコメントは、私にとって、大切なものです。

 ある方々は、私の愛する兄弟たちが書いたことで、誤解を受けるかもしれません。しかし、仕方がありません。私たちは、そうなのですから。彼らの不足や不完全さは、彼らの牧者である私がもっと聖なるものであったなら、もっと良くなっていたことでしょう。

 私たちは、イエズス・キリストに希望を置きます。私たちの主の恵みに希望します。私たちの主の秘蹟の力を信じます。ロザリオの祈りの力に期待します。私たちを養い給う良き牧者イエズス・キリストに希望します。


 インターネットでの指摘・アドバイスでは、それがいくら善意からのものであったとしても、イエズス・キリストの聖寵によらずば、人を聖とし、より良くすることはないでしょう。

 カトリックの聖伝に対して、聖ピオ十世会に対して、ありとあらゆる中傷と非難と嘲りと侮辱と軽蔑が許されていて、それに飽かされた私たちがちょっとコメントをすると、態度が悪いと指摘のコメントをされるのです。はい、善意からの御指摘・アドバイスだとは理解します。分かります。しかし、それは、あまりにも、人間というものを知らな過ぎるやり方です。

 愛する兄弟になされる御指摘・アドバイスは、最終的には、私にも向けられます。私は15年の司祭生活の間に、あまりにも多くのことを見てきました。不平・不満は、聞き飽きる程聞きました。あれが悪い、これが悪い、それが邪魔だ、これが不便だ、ああするべきだ、これはこうあるべきだ、自分の思い通りにしなければミサに来てあげないよ、ああするよ、こうするよ、と。もちろん、善意からです。

 そんな時には、私はこう言うしかないのです。私たちは、善意を尽くして出来る限りのことをしています、私たちのありのままがこうです。後は、ご自由になさってください。私たちの不足については、天主様の憐れみによりすがります、と。文句があった人は、去っていかれました。

 だから、しゃくりを止めた時のことを思い出して、私たちはしばらく息を止めて、天主様に、聖母マリア様に、お祈りを捧げるのが良いと思いました。そこで、しばらくコメントの受付をお休みいたします。

 今まで、愛する兄弟の皆様のたくさんのコメントを心から感謝しております。全てのコメントを感謝しています。ピンピンコロリさんにも、もちろん感謝しています。

今日は、フィリピン修道女の終生誓願の日です。愛する兄弟の皆様のお休みをお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

ニースにて、トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】