Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会創立者の伝記 12.3.6.NOTA EXPLICATIVA PRAEVIA

2008年08月29日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

‘NOTA EXPLICATIVA PRAEVIA’(予備解説的注釈)

 1964年 9月 15日、第三総会開会の時、スタッファ(Staffa) 大司教は 70人の教父たちを代表して発言する許可を求めた。彼の要請は拒否された。チェトゥスはあきらめて、「教会に関して」という概要の中の司教団体主義に関する章に、何種類か修正案を提案することにした。

 9月 21日から 29日まで本文は一句節ずつ表決に付した。結果的には 572票の条件付き賛成(placet juxta modum)、つまり何らかの修正を加えたうえでのという条件付きの‘賛成’があった。

 神学委員会は修正案(modi)を検討し始めた。しかしこの事が完結される前に、チェトゥスは自分たちの出した修正案(modi)は、排除され、他方であまり重要ではない修正案だけが残されてたことを知った。

 スタッファ大司教はこれを自分の耳で聞かず、パウロ六世に手紙を書いた。それは、司教団体主義の命題という「極端な形式」の利益のためにローマ・カトリック系神学を沈黙させようとする手続上の邪悪を告発する書簡だった。この書簡の内容は、チェトゥスの中でもっとも活動的であった教父たちの 12人の手にも渡され、その内の一人がルフェーブル大司教だった。この書簡を渡された教父たちは、各自にそれぞれ他の十二名の公会議教父たちの署名を取り付けることを要請された。

 「スタッファ作戦(Operation Staffa)」と呼ばれたこの行動は、パウロ六世がこの書簡を手続上の規則違反に対する調査を命じて、神学委員会に伝達したので効果的であった。

 そうこうしている間、第三総会開会の前日、活動的なララオナ枢機卿のおかげで、35人の枢機卿と 5人の総長--彼らの中にルフェーブル大司教がいた--が動員され、彼らはパウロ六世に 10月 18日付で ‘非公開メモ’を送ってモンティーニ教皇が後援する新奇な教えに関する彼らの「憂慮」を表明した。

「その概要は、教会の姿を変えています。何故なら、
--- 君主制である教会が、司教制となり司教団体制になっているから、しかも司教団体制度は、天主から与えられた制度として、そして司教聖別を受けることによって成立することになっているから、
--- [教皇] 首位権は、傷つけられその内容を虚ろなものとされている、・・・ただ首位権の役割は位階制度を一致させ分裂しないように維持するためにあるだけとされているから、
--- 叙階による位階秩序とは区別されたものとしての裁治権の位階秩序は、揺り動かされ破壊されているからです。」


 署名人たちは、次に「静かな討論を難しくし、真の自由を妨げ拘束する、圧力団体や大胆な神学顧問、印刷物の配布」を告発し、公会議のために考察するための休憩時間と、「新しい教理を充分に熟考する期間」を要請した。

 パウロ六世は、自分が個人的に攻撃を受けていると感じ、ララオナ枢機卿に、辛辣な皮肉で一杯の自筆の手紙を書いて返事を返し、枢機卿に次のことを注文した。

「そのような大多数の司教たちに反対する、また公会議の成功にも不利な態度が(もしもその態度が本当で証明された理由を失っていたとしたら)、どれほど有害な結果の原因になるかを考えてみよ」

 パウロ六世は概要の多義性が持つ危険性を見ようとしなかった。しかしそれは、公会議後にこの文章はそのように理解されるだろうと概要の極端な解釈を、或る一自由主義の教父が書面で提出するという間違いをやらかすまでだった。

 自分が欺瞞され騙されたと見て取った教皇はうなだれ、涙を流した。そこでオッタヴィアーニ枢機卿にその本文の中の幾つかの表現を正確に記述するように求め、本文をどのように解釈しなければならないかを示す「予備解説的注釈」作らせた。

 1964年 11月 14日、予備解説的注釈 (Nota explicativa praevia) が教父たちに提示された。自由主義教父たちはそれをしんらつに批判した。

 自由主義者たちが「暗黒の一週間 (Black Week)」と呼ぶ週の初日の 11月 16日に行われた告知の中、公会議事務総長であるペリクレ・フェリチ (Pericle Felici) 大司教は、論争を終息させるために、司教団体に関する概要の教理は「上述した注釈の意味及び主旨によって」解釈されなければならないと言った。

 チェトゥスの活動は、ローマ教皇の首位権を致命的な危険から救った。その注釈は、公会議文献--穏健な自由主義命題を載せている--の解釈を、ルフェーブル大司教が受け入れることができる製限された意味に固定させた。この注釈は『教会憲章』の一部をなすものとなった。この注釈がなければ多義的な文献にすぎないという、内属的な弱点を見せている『教会憲章』の。

==========================


第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

II. 革命が始まる

III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

1964年11月16日第二バチカン公会議第123回総会において公会議事務総長がなした告知

2008年08月29日 | 第二バチカン公会議
告知

1964年11月16日第123回総会において公会議事務総長がなしたもの

「投票を受ける、『教会についてDe Ecclesia』の草案において示されている教義の神学的資格は何であるかと求められた。
この質問に付いて、教義委員会は次のように答えた。
「論を待つまでもなく、公会議の文章は公知の一般的な規則によって解釈されなければならない。

教義委員会は1964年3月6日の宣言を参照するようにと求める。以下がその文章である。

「公会議の慣習と本公会議の司牧的目的を鑑みて、この聖なる会議自身が明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきもの(tenenda)として定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義する。

聖なる教会会議が教会の最高教職による教理として、述べる他の事柄は、すべての、そして各のキリスト信者はそれを教会会議自身の方針に従って(juxta mentem)受け入れ(excipere)、受領し(amplecti)なければならない。この教会会議の方針は取り扱われている題材と表現方法から神学的解釈の法則に従って知ることができる。

 『教会について』の草案第3章に出された修正意見に、あらかじめつけられた次の解説的注釈が、最高権威によって教父たちに伝えられた 。第3章に書かれている教えはこの注釈の意向と意味にしたがって 説明され理解されなければならない。



予備解説的注釈

委員会は諸修正意見(modi)の審査に先立ち、以下の一般的所見を述べることに定めた。

1. 団体(Collegium)は厳密に法的意味において理解されるのではない。すなわち、その団長に自分の権力を付与する(demandarent)平等な人々の集団ではなく、団体の構成と権威とが啓示から導き出されるべき永続的集団(coetus stabilis)を意味する。従って修正意見12に対する回答の中で、12使徒について、主は彼らを「団体すなわち永続的集団の形に」制定された、と明確に言われている。(修正意見53C)をも参照。同じ理由から司教たちの団体についても職位(Ordo)または団(Corpus)と言う用語が区別無しに用いられている。一方ではペトロと他の使徒たち、他方ではローマ教皇と司教たち、と言う二者間における平行的類似は、使徒たちの例外的権能が彼らの後継者に伝えられたことを含まないこと、また団体のかしらと団体との平等を意味するものでもないことは明らかであり、第1の関係(ペトロ―使徒たち)と第2の関係(教皇―司教たち)の間における比例を含むものである。従って委員会は22条の中で、同じ理由(eadem ratione)ではなく、似たようなの理由(pari ratione)でと書くことを定めた。(修正意見57参照。)

2. 人は司教聖別の力、および司教団体のかしらならびにその構成員との位階的交わりによって司教団体の構成員となる。(22条1節の終わり参照。)聖別において聖なる任務(munera)への実体的(ontologica)参与が与えられることは、典礼伝承をも含めた伝承から確実に証明される。故意に任務(munera)という言葉が用いられ、権能(potestates)と言われていない。それは、後者は実際に行使しうる権能(potestas expedita ad actum)の意味にも解されうるからである。このような実際に行使できる権能を持つためには、位階的権威による法典的すなわち法的限定が必要とされる。権能のこのような限定は特別な職務の授与または管轄を受ける人々を指定することによって行われることができ、最高権威によって承認された規則に従って与えられる。このような追加された規則は、ことの本質から(ex natura rei)要求されるものであって、それは多くの主体がキリストの御意志によって位階的に協力しながら実行すべき任務に関することだからである。教会の生命の中でこの「交わり」は法の中で法制化される前に、時代の状況に応じて実施されたことは明白である。

 従って教会のかしらならびに構成員との位階的交わりが必要であるとはっきり言われる。交わりは古代教会において(今日でもとりわけ東方においてそうであるように)大きな栄誉が与えられている概念である。それは漠然としたある感情(affectus)ではなく、法的形式を要求すると共に愛によって生かされている組織的な実在として理解される。そこで委員会はほとんど満場一致の同意をもって「位階的交わりにおいて」と書くべきであると決めた。(修正意見40および24番において法的任命について言われていることをも参照)



3. 司教団体はかしら無しにはありえないが、その団体は「全教会の上に最高完全な権能を有する主体でもあるsubiectum quoque supremae et plenae potestatis in universam Ecclesiam exsistere」と言われる。これを承認することは必要であって、それはローマ教皇の権威の充満について疑いが起こらないようにするためである。事実、司教団体は常に必然的にそのかしらと共に理解されるものであって、かしらは司教団体の中においてキリストの代理者および不変的教会の牧者としての自分の任務を保持している。言いかえれば、区別はローマ教皇と司教たちの集合体との間にではなく、単独のローマ教皇と司教たちと共にあるローマ教皇との間にある。ローマ教皇は司教団体のかしらであるから、一人彼のみが、司教にとってはまったく権限外のある種の行為をすることができる。例えば司教団体を召集し指導すること、行動の規則を承認すること、など。修正意見81参照。ローマ教皇には群れ全体についての配慮が委任されているのであって、この配慮を実行に移すにあたり、いかなる方法によるのが適当であるか、個人的方法によるか団体的方法によるかを、教会の時代の移行によって異なる必要に応じて決定することはローマ教皇の判断に属するのである。ローマ教皇は団体的行使を規制し、推し進め、認可するに際して、教会の善を考慮して、自己の判断に従って行動する。

4. ローマ教皇は教会の最高牧者として、その任務自身から要請されるように自らの権能をあらゆる時に欲するままに行使することができる。司教団は常に存在するとはいえ、それだからと言って常に厳密な意味で団体的に行動するものではない。このことは教会の伝承から証明される通りである。言いかえれば、常に「完全な行使の中にin actu pleno」あるのではなく、むしろ厳密な意味で団体的に行動するのは間隔を置いてでしかなく、かしらが同意するときだけでしかない(nonnisi consentiente Capite)。「かしらが同意するとき」と言われるのは、あたかもあるよそ者に依存すると解されないようにするためである。「同意するconsentiens」という字句はこれに反して、かしらと団体構成員との間の交わりを考えさせ、かしらの固有の権限に基づく行為の必要性を含むものである。このことは22条2節に明らかに肯定されており、同条の終わりに説明されている。「だけでしかないnonnisi」という消極的な言い方は、全ての場合を包括する。従って最高権威によって承認された規則が常に守られなければならないことは明白である。修正意見84参照。

これら全てのことにおいて、司教たちとそのかしらとの結合(conjunctio)について言われているのであって、決してローマ教皇から独立した司教の行動についてではないことは明らかである。後者の場合、かしらの行動が欠如しているので司教は団体として行動することができない。このことは「団体」の概念から明らかな通りである。ローマ教皇と全ての司教とのこの位階的交わりは伝承においてたしかに不動のものである。

注意事項。法典的、法的観点(aspectu canonico-iuridico)と区別すべき秘蹟的・実体的任務(munus sacramentale-ontologicum)は、位階的交わり無しには実行できない。しかしながら委員会は神学者の議論に任されている合法性と有効性の問題について、特に分かれている東方の諸教会において実際の行使されており、またその解釈について種々の説がある権能の問題については、介入すべきではないと判断した。

+ペリクレス・フェリチ

サモサタ名義大司教
聖なる第バチカン公会議事務総長

EX ACTIS SS. OECUMENICI CONCILII VATICANI II


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】