クリスティーナはアサバスカンインディアンのクォーター。といっても、薄手のダウンジャケットにニットのキャップをかぶっているから、見た目は典型的な20代の白人女性。
雪道のドライビング・テクニックは抜群で、リトルツリーの芳香剤が香るダッジ製5.2リッターV8エンジンのオートマチック・トランスミッションのバンを手動で巧みにシフトチェンジし、回転合わせまでして運転している。なんでも、スノードライビングのレッスンで優秀な成績を収めたらしい。
除雪車ですらスリップしてコースアウトする新雪・深雪の道を、ドリフトしながらもコントロールを失わずに夕暮れのチナ温泉までぼくたちを運んでくれた。
この旅で一目でいいから会いたいと思ってた北米インディアンには、結局会えなかった。無理もない。今の日本の北海道でアイヌの人々の暮らしを探すようなものだ。
たった数十年前の暮らしぶりだが、星野道夫が見た最後の痕跡ともいえる景色を見ることはかなわなくなっているのだろう。失われる文明とはそういうものなのだ。
それでも、アラスカに生きる人たちの心の中に、そのかすかな気配を感じることができる。つまり、かつてインディアンが信仰していたスピリチャルなものは、我々、モンゴロイドのDNAに刻み込まれたかすかな歴史に似通うものがあるように思える。
ベーリンジア平原を渡り、モンゴロイドが北方アジアからアラスカにたどり着いてから約2万年が過ぎた。そしてこの100年間に、アラスカ北極圏には2種類の新しい人間がやってきて住み着いた。ひとつには最後のアラスカ・フロンティアで一攫千金の夢を求める欧州の人々。もうひとつはこの土地にすでにあった生活様式・価値観を身につけ、引き継いでいこうとする人たちだ。
そうした人たちは、良いか悪いかは別にして、石油を軸としたアメリカ経済の巨大な資源開発の渦の中の巻き込まれていった。
もうとっくに日が暮れて、雪が時折舞い落ちる山道を運転していて、クリスティーナの顔が曇ったのは2回目のスタックの時だった。
膝ぐらいまでの深雪の吹き溜まりの急坂の登り。ロッジまであと数十メートルの所だった。チェーンを巻きさえすればわけなく登れる。そしてミッションを終えた彼女は無事に帰れる。
ところが彼女は、我々を車から降ろし歩いてロッジまで行けという。自分はレスキューを呼ぶから大丈夫とのこと。
・・・いや、そういう問題じゃなくて、大晦日の夜更け、GPSでさえ現在位置がよくわからない山の中に彼女を一人残しては行けない。。
自然の厳しさには立ち向かわずに、うまく対処する。それが冬の厳寒のアラスカを生き抜くすべなのかもしれない。チェーンを巻いて雪の中から脱出したところで、ドリフトして谷底に転落するリスクもある。彼女の心配はそれだった。
・・・I hate snow.
雪道を巧みに運転する彼女が最後に言った言葉。
新年はバリで料理の修業をしたパートナー、ジムとともに、フィリピーナのいとこと迎えるらしい。彼女が良い年を迎えることを祈りつつ、ぼくらはロッジまでの最後の数十メートルを徒歩で登って行った。
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