2月10日(日)の午後、立命館大学を訪れたのち、わりと近くにある北野天満宮の界隈に立ち寄りたくたくなった。この季節、梅で有名な北野天満宮なので、中国に戻る前にちょっと行ってみたくなったのだ。立命館大学前からバスで6~7分ほどで着く。今年の日本の冬は、京都地方でも寒波が断続的に長く続き寒い日が多い。例年ならここの梅は2~3分咲きになっているはずなのだが‥。
947年の平安時代中期に、菅原道真を祭神として創建された北野天満宮。全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社で、古くより「北野の天神さん」と親しまれている。特に学問の神様としての信仰が厚いため、多くの受験生たちも参拝に訪れる。毎月25日の「天神市」(縁日)には、境内にたくさんの露店が立ち並び、買いたくなるような骨董品も多い。
一の鳥居を見上げて境内に入る。祭神・道真の使いとしての牛の像を撫(な)でる母と幼子の姿も‥。
境内を進み梅園(苑)に向かう。でも梅はまだ蕾(つぼみ)のようだ。梅苑は1月25日〜3月16日の期間に開園しているが、今年は2月10日になってもまだまだ蕾。梅苑内には「北野盆梅展」をやっている建物があるので、その盆梅展(室内)に行けば開花している見事な盆梅が見られるのだろうが‥。入苑料金が1200円(梅苑・盆梅展・抹茶とお菓子)とけっこう高いので、今回は入苑しないことにした。(※例年は2月中旬が見ごろだが、おそらく今年の梅の見ごろは2月下旬になりそうだ。)
二箇所の山門をくぐり本殿に向かう。梅苑に入場しなくても境内には梅木が多いが今はまだ蕾。国宝の本殿や拝殿など4つの建物は国宝となっていて、安土・桃山文化を代表する神社建築は、二条城や西本願寺の唐門などと同様に、その絢爛豪華さがとても見ごたえがある。
本殿の建物の端には、京都・伏見や神戸・灘の有名酒造会社の酒樽がたくさん置かれている。私が大学卒業後の20代後半に一時期、酒造工(蔵人)として仕事をしていた剣菱酒造の酒樽もあった。この剣菱酒造(神戸の灘五郷)は、江戸期の忠臣蔵の討ち入りの際の映画やドラマでもよく映される剣と菱のデザインの酒樽。四十七士が討ち入り前に、この酒樽から一杯ずつ酒を飲み吉良邸に討ち入りをしていく。私の父も祖父も、この剣菱酒造の杜氏(とうじ)=工場長を長年務めていた。
境内に「長五郎餅」の店があった。古くからの長い歴史をもつ「北野名物」の餅らしい。2023年に刊行された『スピノザの診察室』(夏川草介著)[2024年本屋大賞ノミネート/約400万部が刊行されている。京都の町中の診療所の精神科医が主人公。] この書籍には、主人公が大好きな「長五郎餅」として文中に出てくるようだ。
北野天満宮に隣接している京都五花街の一つ「上七軒(かみしちけん)」の通り。京都五花街の中でも最も古くからある花街とされる。その上七軒の歌舞練場では、もうすぐ「北野をどり」(3月20日~4月2日)が、上七軒の舞妓や芸妓たちによって上演される。この「北野をどり」が閉幕する頃、桜の季節の祇園の花街では「都をどり」の開幕となる。
また、7月からはこの上七軒歌舞練場では庭に面した場所に「ビヤガーデン」が行われ、舞妓さんなどがお酌などをしてくれたりもする。
実は私は、京都の大学に入学して初めて下宿をしたのがここ上七軒の界隈だった。4月上旬に個人の小さな家(2階の一室を間借り。玄関などは下宿の大家さんと同じ。)に入ったのだが、連休明けの5月中旬から、大学の授業をほったらかして、1か月間ほど九州の水俣病問題の現地(熊本県水俣)に行った。下宿のおばさん(65歳くらいの)は、不良学生かヘルメットをかぶる新左翼活動学生と思ったらしく、九州から京都に戻ったら即座に、「あんたはん、この下宿を出て行っておくれやす」と告げられた。
実家からの仕送りはしない(学費も生活費も)という約束で大学生になっているので、住まいもなく金もなくなり、大学の空きクラブボックス(室)を見つけて、布団だけを下宿から運び、そこで1か月半ほど雨が続いた梅雨の季節に暮らした。急いでバイトを探し、祇園の八坂神社前の中華料理店で深夜勤務(午後10時~午前5時)、そこで賄(まかな)いを食べられたので食いつないだ。昼は大学の食堂や町中の食堂でライス(ごはん)だけを注文し、持参のふりかけをかけて食べていた一時期だった。そして、7月中旬の祇園祭の頃になり、バイトのお金もようやく入り、二畳間の下宿を間借りすることができた。
夏休みに入り、ひたすらいろいろなバイトに明け暮れて、後期の授業料(7万円)もなんとか稼いだ。[後期授業料納期期限に結局間に合わず、大学事務室に事情を話し、少し納期を待ってもらった。当時、「学生ローン」という名の、サラ金業者の店もあり、時々、この店からお金を借りたりして、学生生活をしのいでいた4年間だった。](※1年間の大学授業料は14万円だった。)
あれからもう50年余りが経った。あの追い出された間借りの家はどこだったのだろう‥。上七軒の界隈を20分間余りうろうろと歩いてみたが、その場所がもう思い出せなかった。まあ、そんな思いでもある北野天満宮界隈でもある。
■前回のブログで立命館大学のことを書いた。『立命館大学がすごい』という著書の表紙に書かれていたことの一つに、「2024年『THE』大学ランキング関西私大1位」というものもあった。この『THE』世界大学ランキングの「THE」とは、「Times Higher Education」。現在の世界の大学総合評価ランキングとしては最も権威のある機関となっている。
まあ、2024年の「国家公務員試験総合職試験合格者数」や『THE』の大学評価など、大学の評価としては立命館大学の評価の指針ともなるかと思う。それもそうだが、私が思うに、立命館大学が日本の700余りの大学の中で、学生・教職員が大学の運営や大学づくりに民主的に積極的に参加できる制度をもっているという、日本で最も民主的な大学であるということには誇りがもてる。(※近年、「自由」の学風として伝統的に名高かった京都大学などは、とても残念ながら、この民主的な「自由な学風」が急速になくなってきている。このため、「京大名物」の大学周囲のタテカン板なども撤去されてしまっている。)
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