彦四郎の中国生活

中国滞在記

合歓(ねむ)の木の花が、帰省の道中(京都・滋賀・福井)に咲き誇る季節—雲丹(ウニ)のこと

2023-07-08 09:54:27 | 滞在記

 7月3日(月)の午後から4日(火)にかけて、久しぶりに福井県南越前町の実家に帰省をした。京都市・滋賀県湖西道路・福井県の道中、合歓木(ネムノキ)の花がいたるところに咲き誇っていた。滋賀県北西部のマキノ町のメタセコイヤ並木は濃い緑に包まれていた。そして、合歓木の可愛い看板も立てられている。このマキノあたりもネムノキがけっこう多い地区だ。周囲の水田の稲の背丈はまだ低いが、この7月・8月の真夏の季節に、ぐんぐんと成長していくのだろう。

 夕刻の7時前、故郷の日本海に夕日が‥。7時20分頃には夕日が水平線に沈むのだろうが、この季節に夕日が沈む方角は、ちょうど、ロシアのウラジオストック方面になる。(2008年の夏にロシアのウラジオストクに行き、そこから日本の福井県の方角を眺めたことがあった。)

 この7月3日に、日本海に沈む夕日を眺めた福井県南越前町河野地区の八幡崎。ここから歩いて10分ほどの山の中腹に、私の母校・河野中学校があった。在学していた1965年~68年当時、各学年3クラスで、全校生徒は約400人ほどだった。毎年の7月上旬、全校雲丹(ウニ)獲り大会がこの八幡崎の浜で行われた。男子生徒は海に潜り、ウニを獲り、女子生徒は浜でウニを割って、実を獲りだした。そして、それを売り、学校の資金にするという行事だった。

 雲丹(ウニ)のことを、私の故郷の越前海岸では、「ガンジ」と言った。食用にされるウニには、主に2種類ある。一つは、現在では寿司のネタとして使われている「ムラサキウニ」。このウニは黒っぽい紫色をしていて、長い針をもつ。私の地方では「オニガンジ」と呼ばれていた。実は大きく割って獲りやすい。だが、味はわりと薄く美味しくないとされ、私の地方では当時、食用ともされず、このムラサキウニを獲る人もいなかった。そして、もう一つの種類が「バフンウニ」。このウニは小ぶりで、割って、臓物を取り除き、中の実を獲るのがとても大変だった。全校のウニ獲り大会でも、獲るのはこのバフンウニ。

 このバフンウニの実は濃厚でとても美味しい。そして、この越前海岸の地方では、塩又は酒を混ぜたものを練りつぶしてウニの保存食(塩ウニ)が作られた。これは、「越前雲丹」として販売もされ高値で取引きがされた。肥後(熊本県)の「カラスミ」(ボラなどの魚の卵巣)、三河(愛知県)の「くちこと」(ナマコの卵巣)とともに、日本三大珍味の一つとされた。春から秋にかけて漁師をしていた私の父も、サザエやアワビなどとともに、このバフンウニを獲ってもいたので、家族でこのバフンウニの実を浜で獲りだす仕事をよくやってもいた。ちなみに、食用で食べるウニの部分は、ウニの卵巣である。

■雲丹(ウニ)の消費量は、世界の7割が日本で消費されている。

 京都市内ではアジサイはもうほとんど花が色あせているが、北国、北陸の福井県南越前町のアジサイは、花の盛りを少し過ぎたころで、7月上旬でもまだ美しい。

 南越前町の合歓の花。私が小学生の頃は、この花が開花すると海で泳げる目安とされていた。海水温もこの花が開花する頃(6月中旬頃)には温まってきているからだろう。だから、6月中旬頃から毎日のように海に行き(学校の放課後など)、小学校の高学年になると、サザエなどを素潜りで獲り始めていた記憶がある。(「合歓の花-海泳ぎ開始・素潜り-サザエ」と記憶が連なる)

  合歓(ねむ)の木の原産地は、日本、朝鮮半島、中国などの主に温帯地域。中東のイランやアフガニスタンなどの温帯地域でも自生しているとされる。日本では、本州・四国・九州、そして西南諸島の種子島や屋久島などの温帯地区に自生しする。花は化粧用の刷毛(はけ)のような形をしたピンク色。開花時期は6月中旬から7月中旬にかけて。この花が咲くと、海で泳げるとされ、私もこの花が咲くのを子供の時には心待ちにしていた。

 中国語では、「合欢树(ホーファンシュー)」と書かれるが、これを日本語の漢字名にすると「合歓木」と表記される。中国においては、ネムノキが夫婦円満の象徴とされることからこの名が付けられた。一日の中で葉が開閉したり、上下に動いたりすることを植物の就眠運動というが、ネムノキは、夜になると葉が閉じて眠る。このさまが、夫婦がいっしょに眠るようすから「合歓(ホーファン)」の漢字が使われたのだろう。そして、中国漢方医学では、このネムノキの花は、精神安定剤や不眠解消の効果があるとして漢方薬としても使われている。

 日本では古代から和歌にも詠まれ、近世になり俳句でも詠まれる花でもあった。

〇昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ 

                          「万葉集」紀女郎(きのいらつめ)

〇合歓咲く 七つ下りの 茶菓子売り   小林一茶

〇象潟(きさかた)や 西に西施(せいし)が ねぶの花  「奥の細道」松尾芭蕉 ※西施とは、中国の春秋時代の傾国の美女の名前。楊貴妃や西施など、中国四大美女の一人を、この花にたとえている。「合歓」は夏の季語。

■合歓木の花言葉は、「胸のときめき」「夢想」「歓喜」など。

 福井県南越前町から京都市に戻る帰路、滋賀県朽木町を経由して安曇川沿いに車で走る。清流の安曇川には、鮎釣りの人々が多くみられた。胡桃(くるみ)も実が大きくなり始めていた。

 京都市内に着き、柳並木のある白川に足を入れて、少し疲れている体を休める。帰省の道中、コンビニで氷を買い、水を少し入れて、氷水を作り、腰を冷却し続けて、坐骨神経痛の治療をしながらの長距離運転となった。

 


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