国道162号線をひた走り、京都・福井の県境の「堀越峠」を越えて、名田庄村から小浜市へ。海が見える。そこに「小浜城(雲浜城)」がある。妻が行ったことがないようだったので、立ち寄る。現在では、「本丸」の部分だけが残っているが、この城は 戦国時代末期に造られ始めた「要害」の平城だった。
海と河川とを取り入れた要害の海岸・河川城で、この城を初めに造ったのは京極高次(きょうごくたかつぐ)だった。室町時代からの名門・京極家の「お家再興」をなしとげた人物だが、その人生は かなりの苦難に満ちていた武将でもあった。NHK大河ドラマ「江(ごう)」で、滅亡した浅井家の浅井三姉妹の次女・「お初」と結婚し、後にこの城を造り住むこととなる。当時、京極高次を演じたのが 今 最もセクシーな男優といわれている「斎藤工」だった。長女の「お茶茶(後の淀君)」を宮沢りえ、「お初」を氷川あさみ、三女の「江」を上野樹里がそれぞれ演じていた。
この小浜市一帯は、戦国時代に「若狭・武田氏」が勢力をもち、街の背後にある「後瀬山城」というかなり大きな山城と麓の館群を本拠地としていた。京極高次は関ヶ原の戦いの際に、東軍(徳川)側につき 滋賀の大津城に籠って西軍を防いだ軍功により、若狭の地を与えられた。当初は後瀬山城を本拠地としたが、後にこの「小浜・雲浜城」を造営した。大津城は今はもうないが、当時 琵琶湖の水を取り入れた水城で、2万の西軍の大軍にも落城しなかった。この大津城の体験が、小浜・雲浜城の「城の縄張り(設計)」にも生かされているように思える。
リアス式海岸が続く若狭湾。この湾の中の「小浜湾」のに面して「エンゼルライン」という山に登る道路がある。現在は無料。この小浜周辺の海岸線には、たくさんの「筏(いかだ)」が浮かんでいる。牡蠣(かき)の養殖筏だ。厳冬の12月〜1月の時期には、とても大ぶりで美味しい牡蠣が出荷される。エンゼルラインを初めて走る。山頂近くからは、小浜市街や小浜城、後瀬山城の山が見える。また、常神半島、敦賀半島、越前岬、丹後半島など、若狭湾一帯の絶景が見渡せた。
エンゼルラインの山を元来た道を下って、海岸線に再び出る。初めて通る美しい海岸線だ。「鳥辺島」という名前の小さな島が浮かんでいた。夕日の景色の看板があった。島の横に沈む夕日はさぞかし美しいようだ。「三方五湖」と日本海の若狭湾が一望できる「レインボーライン」を初めて行ってみた。通行料金は1000円あまり。
途中に、「沖の石」という岩礁のいわれが書かれた大きな看板があった。「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし」という、讃岐姫の和歌(小倉百人一首)にいわれの岩礁のようだ。讃岐姫は、平安時代末期の人で、父は源頼政。平家政権末期に、以仁王(もちひとおう)を担いで平氏打倒の兵をあげ 失敗して非業の死を遂げた武将だ。避難先の若狭の地で父の死を知り、讃岐姫もこの地で自らの命を絶った。その悲しみがあふれた和歌ともいえる。
三方五湖は、「水月湖」「三方湖」「菅湖」「久々子湖」「日向湖」の大小五つの湖からなっている。梅丈岳(400m)の山頂展望場からは、五つの湖と日本海が360度展望できる絶景であった。
万葉集にも詠まれていて、「若狭なる 三方の海の 濱きよみ い住き還らひ 見れど飽かぬかも」(詠み人しらず)という和歌もあるようだ。
13日のこの日の午後2時過ぎに、敦賀市内にある「日本海市場」にて、サザエや甘えびなどを買い、さらに武生市(越前市)のスーパーマーケットで、刺身などを大量に買い込み、故郷・南越前町の海岸沿いの実家に午後4時に到着。寺にすぐに行き「先祖」を家に迎えに行った。
◆北陸新幹線が現在「石川県金沢市」まで開通しているが、今後、金沢―福井—敦賀―小浜―京都と延伸される予定が決定し、工事が始まっている。開通したら この若狭湾や小浜城などにも 全国からの ここを訪れる人が 増加するだろうな。
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