彦四郎の中国生活

中国滞在記

福建省福州と沖縄の歴史と文化、政治・暮らしでも、人々の深いつながり—亜熱帯の二つの町の花々

2023-06-01 20:58:00 | 滞在記

 中国福建省福州市と日本の沖縄県那覇市は同じ緯度にあり、両市とも亜熱帯気候。そして、この二つの町は、歴史的にも文化的にも、そして政治的にも長く深いつながりがある。植物の植生も同じようなものも多い。例えば、ハイビスカス🌺やデェイゴ、ブーゲンビリアなどの花々が二つの町には咲いている。

 そして、福州市には歴史的な建築物として今も残る「琉球館」や「琉球人墓地」がある。また、私が以前に勤めていた福建師範大学と那覇市にある琉球大学は長年の協定校関係にあり、毎年、私の教え子たちも3年生になると5〜6名が1年間、交換留学生として琉球大学に留学していた。

 先日、いつものオートバイタクシーに乗車して、閩江大学の正門(南門)に到着した時、付近ですざましい爆竹の音が鳴り響き白い煙が立ち上った。その白煙の中を葬列の人々が歩いて来た。日本の葬儀に使われるものとほぼ同じの大きな花輪を持つ人たちも‥。7〜8名の音楽隊も続く。

 運搬車には花が乗せられ葬列の先頭を行く。葬列の人々は全員が腰に白い布を巻いている。亡くなった人の家族は頭に頭巾のようなものを被っている。

 そんな葬列のようすを見たあとに、正門から徒歩7〜8分ほどのところにある福万楼の、7階にある私の大学研究室の窓から正面の山を眺める。山の中腹にたくさん墓が見える。この墓の形は、沖縄の「亀甲墓(きっこうばか)」とほぼ同じ形をしている。沖縄の亀甲墓は、学説的にはこの福州の墓の形式が沖縄に伝わったものだった。今年の中国の「清明節(祝日)は4月5日だった。この日は墓参して先祖の霊に挨拶をする習わしの日。沖縄でも毎年4月上旬に「清明節」(※沖縄では「シーミー」と呼ばれる。)があり、墓参して、墓の前で親族が飲食をしたりする。

 福万楼の近くの大学構内の水辺に「龍船(ロンチュアン)」が二隻浮かべられていた。いわゆるドラゴンボートだ。沖縄ではこのドラゴンボートレースが毎年行われているが、これも福建省から沖縄に伝えられたものなのだろう。福建省だけでなく、中国全土で、毎年6月の端午節(たんごせつ)[祝日で、今年は6月22日]の日に、龍船レースや、パレードが行われ、人々は「粽(ちまき)」(※中国の粽はもち米で作ったおにぎりの中に、いろいろな具材が入っていて、そのおにぎりを竹の葉で包む。とても美味しい。各家庭で作る家も多く、「我が家の味」となっている。) 

   大学の水辺で浮かべられている龍船。端午節の日に、大学構内の水辺を掛け声と太鼓とともに水の上を走るのだろうか。

 5月下旬から、福万楼の玄関のそばにある「月桃(げっとう)」の花が開花し始めた。この月桃もまた亜熱帯地方の植物で、福州には沖縄でも花が咲く。沖縄では、もち米で作った菓子(もち菓子)を、この月桃の葉で包んだものが食べられている。(沖縄で「ムーチー」と呼ばれる餅菓子)

 福万楼の建物のそばに咲くオレンジ色の「山丹花(サンダンカ)」は、沖縄三大名花の一つで、これも亜熱帯の植物。福州市の市樹木となっているカジュマルは沖縄でも多い。中国では「榕樹」と書かれる。この樹木が、ものすごく暑い都市である福州の街路樹として最も多く植えられている。5月中旬からこのカジュマルは実をつけ始め、下旬に入ると、地上に実がたくさん落下し、歩道はカジュマルの実が踏みつぶされた黒っぽいものが広がっている。

 今日から6月に入った。福州市の天気予報では、今日の最高気温はついに40度となった。もう朝の6時ころから強い太陽の日差しが降り注ぐ。私もこの日から、半ズボンと度付きサングラスで大学に出勤することとなった。入道雲が少し枠きあがっていた。湿気がとても強く、汗が流れ落ちる、ちょっと耐え難い一日だったが、午後7時すぎに日が暮れた。アパートの2台の旧式エアコンを16度設定・超強にして扇風機もかけているが、4時間を経過しても、室温の気温計は30度。今夜も熱帯夜‥。

 あまりの暑さの日々なので、台風が福州方面に来ることを期待していたが、台湾近くの海域で、台風は沖縄、日本列島の方に針路を変えている。大学構内の夾竹桃(きょうちくとう)の花が満開となった。

■福州市は中国で最も暑い省都と言われ、暑さと湿気が猛烈なため「火釜(ひがま)」とも称される都市だ。街の中心を閩江(びんこう)という大河が流れ、東シナ海流れ込む。福州市は四方を山に囲まれた都市なので、熱がこもる。それに対して沖縄の那覇市は、周りを海に囲まれているため、夜になると海洋性の風が吹き、けっこう涼しくなる。

 

 


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