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彦四郎の中国生活

中国滞在記

中央アジアのウズベキスタンの大学に勤める友人らと会う―「青の都」サマルカンドとシルクロード

2022-08-01 22:00:24 | 滞在記

 今年の6月下旬に、中央アジアの国の一つであるウズベキスタンの国立サマルカンド外国語大学で教員をしている友人の亀田さんから連絡があった。「今年の9月すぎから、国立サマルカンド外国語大学の教員として来ませんか」という内容だった。「大学側が1名の日本人教員の補充を考えていて、誰か推薦できる人を私に求めてきたので、寺坂さん、どうでしょうか」ということだった。「中央アジアのサマルカンドで大学の教員をしたいという気持ちは、とてもあるのだけれど、どうしよう」と考えてしまった。返答期間は1週間余り。

 今勤めている中国福建省の閩江大学との雇用契約は来学期もまだ続いているので、どうしようかな?と、しばらく考えてみることにした。いずれにしても一度、中国に行かなければいけないし‥。中国のアパートには、たくさんの荷物があり、大事なものも多い。その大事なものも含めて日本に送りたいものはアパートにいっぱいあるし‥。結局、今勤めている大学にこの1年間は継続して勤務することとし、7月上旬に「サマルカンドの大学の話は、今回は断念することになりました」と、その旨を亀田さんに伝えることとなった。また、1年後に、ウズベキスタンの大学からの話があれば、ぜひ赴任してみたいとは思っているが‥。

 (亀田さんと私とは、2013年に日本の「HRsDアジア財団[公益財団法人]」と中国の「中国国家専家局」との合同派遣で、中国の大学に赴任した同期。彼は、2013年以降、中国の東北三省(戦前は日本では満州と呼ばれた地方)の黒竜江省・吉林省・遼寧省の各省の大学での教員を経て、2019年より新彊ウイグル自治区の大学に赴任したが、2020年の1月に日本に一時帰国、コロナ問題が中国武漢で発生し中国に戻れなくなった。そして、2021年9月より中央アジアのウズベキスタンの大学に赴任し現在に至っている。)

  この7月12日にウズベキスタンから、大学の夏休みを利用して、日本に一時帰国し、大阪の自宅にて夏を過ごしていて、この8月下旬か9月になってからか、再びウズベキスタンに戻ることとなっている。その亀田さんと7月29日に京都市内で会うこととなった。午後4時、鴨川に架かる四条大橋近くの京都南座前で待ち合わせ、近くの老舗喫茶「フランソワ」で1時間余り、お互いの近況や、中国・ウズベキスタンなどのことについて話す。午後5時、再び京都南座前に行き、亀田さんの知り合いの今村さんと合流。今村さんは、40歳すぎの男性で、現在はウズベキスタンにて勤務していて、「もう7年になりますわ」とのことだった。今は、一時帰国中で、京都府八幡市に実家があり、私とは初対面。

 祇園石畳白川沿いの赤提灯居酒屋🏮「侘助(わびすけ)」などに行き、三人で飲食を共にしながら、4時間余り、いろいろと話などをした。今村さんは、京都大学を卒業後、名古屋大学の大学院博士課程まで進んだ学歴の人で、専門は、中央アジア・ロシア史学。現在は、名古屋大学ウズベキスタン事務所にて勤務している人だった。

 ウズベキスタンとは、どこにあり、どのような国なのか。私もまだ少しだけ、この国のことを知っているだけだ。二人などからこの国のことについて聞いたことや、調べたりして分かったことなどを記すと次のようになる。

 ―中央アジアにある国の一つ— 

 かってヨーロッパとアジアを交易で結んだシルクロードであった中央アジアの国々。文明の十字路とも呼ばれた中央アジアには、現在は、五つの国がある。(①キルギスタン、②タジギスタン、③カザフスタン、④ウズベキスタン、⑤トルクメスタン)   この五つの国名にはいずれも末尾に「スタン」という言葉があるが、ペルシャ語で「~が住む土地」という意味を表す。

 中央アジア周辺はかっての紀元前、現在のイランを中心とする広大なペルシャ帝国の一部だった。「カザフ人が住む土地」という意味で「カザフスタン」、「ウズベク人が住む土地」という意味で「ウズベクスタン」などとなる。この「スタン」が末尾につく国は、中央アジア以外では、南西アジアの「アフガニスタン」、「パキスタン」の2カ国がある。

 そして、ウズベキスタンは、南はアフガニスタン、東はキルギスタンやタジギスタン、南西や西はトルクメスン、そして北はカザフスタンと隣接している内陸国。中央アジアでは、最も人口が多く約3350万人。面積は約44万㎢と日本の1.2倍。(ちなみに中央アジアで最も面積の大きいカザフスタンの面積は約272万㎢と日本の7倍あまり。しかし、人口は約2000万人ほどだ。) 中央アジア五カ国の人口の半数がこのウズベキスタンに暮らす。シルクロードの中でも文明の十字路の中心地がこのウズベキスタンの都市だったのだろう。

 まあ、なかなか覚えにくい中央アジア五カ国の国名と位置だが、「北から西周りに、"加藤来た(カトウキタ)"」と語呂合わせをすると覚えやすいとか。

 特に「青の都」と、シルクロードの昔からその美しさを称えられるウズベキスタン国内の都市が、古都「サマルカンド」だ。(2001年に世界遺産、人口約40万人余り) 中国の西安からイタリアのローマに至るシルクロードに憧れをもつ人ならば、一度は行ってみたい都市がこのサマルカンド。そして、サマルカンドから西に250km余りのところにある古都「ブハラ」(1993年世界遺産、人口約30万人余り)。さらにそこから北西には、城壁に囲まれた城郭都市「ヒヴァ」(1990年世界遺産)などもある。

 サマルカンド・ブルーとしての町を象徴する建物の青いタイル。これは、中国の陶磁器とアフガニスタンでしか採掘できない青い色の鉱石であるラピスラズリを細かく砕いて顔料に、そしてサマルカンド周辺で採れる酸化コバルトなどを混ぜて作った釉薬(ゆうやく)として、サマルカンド・ブルーのタイルができた。東西文明が交わる象徴のような青なのだ。

 亀田さんは2021年9月より国立サマルカンド外国語大学に赴任しているわけだが、この大学はウズベクスタン国内の三大言語系大学の一つ。亀田さんや今村さんの話によれば、「ウズベキスタンはこの数年、かっての1990年代から2000年代の中国のような、日本語学習大ブーム」なのだという。そして、日本の大学への留学希望者も多いという。そして、中央アジアの国々の中では最も親日的な国家なのだという。国立サマルカンド外国語大学の学部学生2200人余りのうち、220人余りが日本語専攻の学生のようだ。(上記写真は、国立サマルカンド外国語大学と日本語専攻の学生たちなど)

 母国語はウズベキ語。小学校から英語とロシア語を学び、高校からは第三外国語として、約3割の生徒が日本語を選ぶと言う。中国による一帯一路政策の影響もあり、中国語を第三外国語として学ぶ高校生も増加してきているようだ。

 今村さんが赴任している名古屋大学ウズベキスタン事務所は、ウズベキスタンの首都であるタシケントにある。この都市は中央アジア最大の人口のある都市だ。(タシケントとサマルカンドは、新幹線で結ばれている。2018年からは、中央アジア諸国は、日本人が観光で訪れる場合のビザは免除となった。)

■ウズベキスタンのタシケント・サマルカンド・ブハラ・ヒヴァなどの都市は、いずれもオアシス都市。■日本に在住しているウズベキスタン人は約4000人余り。ウズベキスタンに在住している日本人は120~130人余りと少ない。韓国人や中国人は数千人がウズベキスタンに在住しているようだ。ウズベキスタンで最も人気があり盛んなスポーツはサッカー。

 今村さんが所属する名古屋大学ウズベキスタン事務所は、2010年頃に開設された。今村さんは今ここに勤務して7年目になるという。名古屋大学は「国際戦略」として、海外の数か国に事務所を開設している。(中国・アメリカ・ドイツ・モンゴル・ベトナム・カンボジア・ウズベキスタン)  名古屋大学への留学生は、現在、これらの海外事務所のある国々からの留学生が多い。(名古屋大学の学生数の10%にあたる約1600人が留学生。内訳は、中国約800人と半数を占める。ウズベキスタンからは35人の留学生が来日している。)

 さて、今村さんは、今年の9月からはウズベキスタン南部の都市にある大学の教員として、転勤することとなっている。中央アジア・ロシア史が専門なので、ロシア語を主に使って大学の講義に臨むようだ。(日本人の妻と、小学校入学前の子供さんがいるとも話していた。)

 文明の十字路であるウズベキスタンの人々の顔立ちもまた国際的だ。民族的には、最も多いのはウズベク族系が80%、あとはロシア民族系、アフガン族やカザフ族系統、タタール族系などとなっているが、イランやトルコ系などのペルシャ的な顔立ちの人もよくみられるという。また、朝鮮や中国、東南アジア系の人も。

 特に男性の顔立ちをみると、インドやイラン、トルコの人たちのように、顔や体毛、鬚(ひげ)などがあまり濃くなく、素朴な感じのアジア系の顔立ちも多いかと思われる。女性で眉と眉の間を墨でつなぐメイクをしている人もあるようだ。これは、眉は長ければ長いほど美人の条件となるという伝統的な美意識からきているようだが、最近ではこのようなメイクをしている人はあまり見かけなくなったとのこと。

 イスラム教(ムスリム)人口が95%の国だが、パキスタンやアフガニスタン、イランや中東のように戒律に厳しいところはあまりなく、酒やタバコもわりと自由な国でもある。男性も喫煙率は20%ほど、女性は3%ほど。女性は頭や顔を覆うブニカ/ニカブ/ビジャーブ(スカーフ)などをつける人はとても少ない。まあ、イスラム教徒の聖なるラマダンの月(今年は4月2日~5月2日だった)は、礼拝や食事制限、飲酒、喫煙制限、性生活の制限などをして信仰を高めることは国民的にはしているようだ。

 このように、イスラム教の戒律はとてもゆるやかな国だが、これは他の中央アジアのイスラム教徒も同じようだ。これはなぜかというと、長くソビエト連邦の支配下にあったためと考えられる。ソビエト(ロシア)は飲酒大国でもある。

■ウズベキスタン—紀元前にはペルシャ帝国やギリシャのアレキサンダー大王などの支配下にもあった。紀元後は、イランやトルコなどの王朝の支配下となるが、13世紀にタタール(モンゴル帝国)の支配下に入る。そのモンゴルの支配下を打ち破ったのが、ウズベキスタンの国民的英雄となっているティムール。サマルカンドを都として再建し、14世紀にティムール帝国を築く。1800年代になりロシア帝国に支配され、その後、ソビエト連邦の支配下に入る。1991年のソ連崩壊とともに、独立国となった。

■政治体制は、大統領制(5年に1度の国民の選挙で選出)。議会は上院と下院の二院制(国民による選挙)。一応の民主主義国家ではあるが、その民主主義には課題が大きいともされる。憲法上は大統領の任期は2期までだが、1991年に大統領となったカリモフ氏は3期目の大統領に就任、独裁的とも言われたが任期途中で死去した。現在は、ミルズィヤエフ大統領。政党としては、ウズベキスタン自由民主党の支持率が80%以上と、とても高いと言われる。

■ロシアは中央アジアのカザフスタン・キルギスタン・タジキスタン、そしてアルメニアやベラルーシと軍事同盟であるCSTO(集団安全保障条約機構)を結んでいるが、ウズベキスタンはそれには加入していない。中央アジアは、ロシア・中国の政治・経済・軍事的結びつきは強いが、日本の林外務相はこの4月下旬にウズベキスタン・カザフスタン・モンゴルの3カ国を訪問し、ロシアによるウクライナ侵略戦争での対ロシア政策について協議もしている。(※ウズベキスタンは、3月上旬の国連総会におけるロシア非難決議には賛成したが、4月上旬の国連総会における国連人権委員会ロシア除外決議には、反対している。)

 『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)下川裕治著が、2019年9月に出版された。下川氏は現在67歳。アジアの諸国をたくさん旅している旅ルポライター。2018年に、中央アジアの国々への日本人観光客ビザ免除になり、(中国も日本人観光客のビザは1980年代から免除されている)、中国から中央アジアの国々への旅行がとてもしやすくなったこともあり、「10万円で10日間シルクロードの旅」が可能になった。日本から西安へ、中国の西安から中央アジアの3カ国(キルギスタン・カザフスタン・ウズベキスタン)を陸路で巡る旅行記。写真もたくさん掲載されている。

■亀田さんの話によると、コロナについては、ウズベキスタンでは感染者はいるが、あまり社会的な話題にもならず、マスクをしている人もほとんどいない1年間だったとのこと。昨年9月にウズベキスタンに飛行機で入国した際も、隔離などは求められなかったとのことだった。

 

 

 

 

 


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