映画「国宝」の監督・李相日(51歳)は、1974年に新潟県で生まれた在日朝鮮人三世の人だ。父は新潟朝鮮初中級学校(小中学校)[北朝鮮系学校]の教師をしていた。4歳の時に、一家で横浜に移り住み、横浜の朝鮮初中級学校、高級学校(高校)に通った。卒業後、神奈川大学経済学部に進学、この大学を卒業後は日本映画大学に進んでいる。
2006年に映画「フラガール」を作り大ヒットさせた。そして、吉田修一原作の作品を映画化した作品(2010年には「悪人」、2016年には「怒り」など)を次々と発表した。私はこれらの原作を文庫本ですでに読んでいたが、映画もなかなか素晴らしかった。2022年には映画「流浪の月」を発表もしている。でもなぜ?この映画化は不可能だろうと言われた吉田修一原作の『国宝』を撮ろうと李相日は思ったのだろうか‥?『悪人』や『怒り』は、殺人などの事件性もあるので映画やドラマ化もしやすいのだが、この『国宝』はあまり事件性というものはない小説でもあったのだが‥。
映画「国宝」を見終わって、あの吉沢亮が演じる喜久雄が、女形(おやま)の着物の下着を身に着け、化粧した顔で夜に彷徨う(さまよう)場面を思い出す。あの場面はどこかで以前、何かの映画で見たことがあるなあ‥と。
家に帰って、ネットで陳凱歌(チェン・ガイコー)監督(中国西安出身の72歳)の映画「さらばわが愛 覇王別姫(はおうべっき)」を調べてみたら、やはりこの映画の主人公の一場面と、吉沢亮演じる喜久雄の表情や化粧がとてもよく似ているものだった。また、この映画の主人公たち二人も、京劇という世界でライバルとして競い合ったというストーリー性も「国宝」とよく似ている部分でもあった。おそらく、李相日監督も、この「覇王別姫」をいつの時代かに観ていて、影響をうけて今回の「国宝」を制作したのではないだろうか‥とも思ってみた。
そして数日前に、ネット記事で「『国宝』の背景に、『さらば わが愛 覇王別姫』 李相日監督が上海国際映画祭で明かす」と題された記事(6月19日配信)が掲載されているのを見つけた。その記事には、上海国際映画祭での映画「国宝」の上映終了後に、鳴りやまない拍手喝采の中に舞台挨拶に登壇した李監督は、「今回、上海で上映できることは僕にとって特別な想いがあります。『国宝』の映画制作にあたり、学生時代にチェン・カイコ―監督の『さらばわが愛 覇王別姫』(1993年)を観た衝撃から、いつかこんな映画を撮ってみたいという想いを持っていた。それが歌舞伎をテーマに映画を撮ってみたいという思いにつながっていました」と制作秘話を語っていた。
中国の張芸謀(チャン・イーモー)監督ほど日本では知られていないが、陳凱歌(チェン・ガイコー)監督も中国を代表する監督の一人だ。2000年代に入り日本の立命館大学映像学部の客員教授を務めていた時期もあり、立命館大学構内で彼の講演を聞き、その後に映画「花の生涯 梅蘭芳」を観たこともあった。
1993年に中国・香港・台湾の合作映画として制作された「さらばわが愛 覇王別姫」。日中戦争や文化大革命などを時代背景として、時代に翻弄される京劇役者の小楼や蝶広(二人は小さい頃より京劇の練習を積むライバルでもあり,支え合う親友でもあった)の目を通して近代中国の50年間を描いている。
陳監督の最近の作は、2018年に発表された日中合作映画「空海—美しき王妃の謎」。原作は日本の作家・夢枕獏。
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