「中華門」を後にしたのが午後6時頃、夕闇が迫っていた。ここから歩いておそらく20分ほどのところに古街の「夫子庙(廟)」という場所があるので行ってみることにした。南京市民や観光客が多く集まる場所のようだ。どんな場所なんだろうか。大きなポプラ並木がずっと続く。途中の街角で、ギターと二胡の楽器を演奏している人がいた。一人は足に、もう一人は目に障害をもっているようだった。二胡の音色が哀愁を帯びていて聞き惚れた。1元を彼等に置いた。地図を見ながら「夫子廟」方面に向かうと、すごくたくさんの人が集まってきていた。ここが「夫子廟」地区なのだろうと思った。
国慶節期間ということもあるのだろう、なかなか動くこともできないくらいものすごい人の数だった。日本でいう「寺院や神社の門前町」のようにさまざまな店があり大賑わいだ。すし詰めの人波に圧されて少しずつ前に進む。
「夫子廟」の建物があった。「夫子」とは「孔子(こうし)」のことだった。ここ南京は古代から近世・近代までの各時代、中国の首都だった時代も長いので、ここの「夫子廟」と門前町は有名なんだろうか。(孔子廟は全国各地の都市や町にある。名前とおり解釈すれば孔子の墓所となるが、墓所というより「孔子を祀る」という感がある。昔は日本の「藩校」のような儒教・儒学などの学問所(昔の高校・大学)のような役割をしていたのが全国各地の中国の孔子廟だった。)大きな絵には、昔の南京の「夫子廟」地区の賑わいの様子が描かれた大きな古絵が置かれていた。
揚子江の支流の泰准河のさらに支流的な運河があり、何十隻もの「遊覧舟」が浮かんでいた。かなり長い運河を巡るようだ。この船に乗るためのチケットを買うために並んでいる人が4〜500人ほどいた。さらに、すでにチケットを買って舟に乗るのを待ってる列に並んでいる人が3〜400人ほどいた。合計800人ほどが舟待ちとなる。中国人の人たちは、このようなものすごい数の行列に忍耐強く並ぶということに慣れている民族のようだ。この運河の中国風夜景は美しかった。
門前町の何軒かの店に入ってみた。「南京老八味」「金陵五絶」などの南京のお菓子のセットや「南京桂花酒」が売られている。「桂花」とは金木犀(キンモクセイ)のことだ。ここ南京はこのキンモクセイの樹木が多いのかもしれない。以前に福建省三明市尤渓の学生の家に行った際に、おじいちゃんが自家製で造った桂花酒(白酒に金木犀の花をいれる)を1本くれたので飲んだことがある。金木犀の高貴な香りがする白酒(バイジュウ)だった。
ここを見学しているうちに、午後8時前になっていた。ちょうど「夫子廟」地区の地図があったので、もよりの地下鉄駅に行くための道順を確認する。地下鉄「山街駅」に向かう途中で、「瞻园(ジャンユエン)/太平天国歴史博物館」の門が見えた。1950年代に起きた「太平天国の乱」(1850年〜1864年)には興味を持っているので、時刻はおそくなり かなり疲れてもいたが入ることにした。
この乱の中心人物(指導者)となった洪秀全(こうしゅうぜん)は「客家(はつか)」。中国南部の広東で「自分はエホバの息子で、キリストの弟である」と称して布教活動を開始し、「地上に太平天国の世」を生み出すことをめざした。「清王朝」政治に不満をもつ多くの民衆を教団に組織し、1853年には20万人の兵を率いて南京を占領して都とし「天京」と名付けている。揚子江(長江)の中・下流域で清軍を破り、一時は中国全土の南部・中部一帯を勢力下におさめた。この時期、中国の揚子江中流域に多くいた「苗族(ミャオ族)」も大規模な反乱を起こしている。
このような状況下、欧米各国の軍隊が清王朝軍に協力することを決め、乱の鎮圧に加担。清王朝は曾国藩(そうこくはん)や李鴻章(りこうしょう)がそれぞれ組織した軍を率いて乱に対抗していった。およそ2000万人ともいわれる死亡者を出した太平天国の乱は11年間以上も続けられ、1564年に清軍は南京城を陥落させ乱を鎮圧した。
立派な中国風庭園と屋敷が広くつくられているこの「瞻园」は、当時の洪秀全が南京(天京)の私邸としていた場所であったとされる。
ホテルに戻るために地下鉄「山街駅」に着いたのは午後9時。地下鉄1号線に乗り、ホテルから最も近いと思われる「安徳門駅」に午後9時半ころに着いた。駅の構内に「寿司」が売られていたので買う。さあ、ここからホテルまではかなり遠いようだが、地図を見ても ホテルの方面に行く 道がよくわからない。バスの乗車駅などもまったく知識がない。ウロウロと駅の近くで、「こっちかな?、あっちかな?」としながらしばらくたった。バス停に2人づれのおばさんがいたので、地図を指さし、「このあたりに行きたいが、この道を行ったらいいですか?」と片言の中国語で言ってみた。
すると、おばさんの一人が、「ちょっと待て、あなたは日本人か?」と聞く。「そうです」と答えると、だれかに携帯電話をかけて話をし始めた。どういう展開なのかしばらく分からないでいると、おばさんに携帯電話を渡された。すると、流暢な日本語が聞こえてきた。なんでも このおばさんの妹とのこと。このおばさんの妹としばらく日本語で話しながらホテルまでの道のりのアドバスをもらった。
再び夜の歩道を歩き始めた。ホテルは丘陵地の上にあるので、だらだら長い坂道を歩くこと30分。見覚えのある場所に到着した。「ああ、この辺だ」とようやく安心感が広がった。近くに小さなスーパーがあったのでビールやジュースや缶コーヒーを買う。さらにしばらく行くと、ようやくようやくホテル「山水時尚酒店」のネオンが見えた。部屋に入りまずはすぐに食事をした。今日一日、昼も夜も食べていなかったので、寿司を食べビールを一気に飲み、人心地がついた。シャワーを浴びて汗を流した。時刻は午後10時半すぎになっていた。いろいろあった、けっこう大変な南京への旅の一日がようやくようやく終わった。
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