今年の夏休みの帰りは、国道3号線をゆっくり走り、関門トンネルを潜り、
しばらく山口も国道をゆっくり走り、鉄の街「光市」も初めていった。
「鉄の街の記憶」という名著があるけど、北九州は「八幡製鉄」ができ、鉄の
街としてさかえた。ぼくが生まれたところは「春の町」という名前で製鉄所の東門
の近くだった。起業祭という秋のお祭りは学校も休みになって、みんなで鉄の街の企業を祭った。
全盛期は100万都市だったけど、鉄が冷え込んで、今は100万未満になった。
黒崎という博多・小倉とならぶ駅の近くに小さな山がある。「城山」
その横に妙見山という死火山があり、そこにかつて製鉄所の社宅があり、
ぼくも3年生から6年までそこに住んで、城山小学校に通った。煤煙など公害がひどい場所で
ぼくらが卒業した後に廃校になった。ぼくはそののソフトボール部でピッチャーやった。
ピアニストの松岡さんのおばあちゃんは城山小学校の先生やった。昨年なくなられた。
ひさしぶりにいってみた。学校後地は公園になっていた。まわりはあいかわらず工場ばっかりで
よくこんなところに住んでいたなと思う。荒城の月のような感慨で、工場地帯で校歌を歌ってみた。
洞海湾という豊かな海が、鉄を運ぶ港になり魚が死に、風光明媚な城跡の屋敷街に工場があまたたって
人が住めなくなった街。多感な時代を過ごした場所だけに、いろいろなことを思う。