今、ラジオで「オリンピックファンハーレ」の特集みたいなものが流れている。
さきほど、東京オリンピックの懐かしいファンファーレが流れた。
この世に生を受けたばかりだった家人は、まったく記憶にないらしい。
「アベベをしらんの?」というと、「うん」という。あうんとは、次元の違う会話。
ぼくは、小学校に入ったばかりで、中央町にあった「まるぶつデパート」の家電売り場で
見た。見た記憶よりも、ファンファーレに圧倒されて、子供ながらに「希望」みたいな
ものが体中にひろがっていったのを、昨日のことのように覚えている。
まるぶつデパートには、そのころどこのデパート(といっても、北九州には、井筒屋デパートと
まるぶつデパートしかなかった)でもそうなように、最上階に大食堂があって、そこのホットケーキ
の味が忘れなれないし。その後の人生で、それに見合うようなものと出会っていない。
中央町というのは、八幡製鉄所の本事務所(今でいう、本社)があった場所で、「鉄の町」
の中心地だった。1902年にできた製鉄所を祝う企業祭というのが11月にあって、学校も
休んで、賑わっていた。まるで田んぼの真ん中に温泉がわいたり、うらぶれた下町に男根みたいな
タワーがたったような感じだったのだと思う。洞海湾という海は、魚影豊かな小さな漁村だったのだから。
そんな華やかなデパートがある通りを二筋ほど上がる(方向音痴なので、東西南北があっきりしない)
ところに、「喫茶ジロウ」という喫茶店があった。誰といったかは記憶にないが、そこのウインナー珈琲
を飲んだのが、珈琲の初体験。きれいな女店主が、白い指で雪白均窯変のカップに大小の角砂糖を入れ、そこに
琥珀色の液体を注ぎ、冷蔵庫からボールをだして、スプーンでホイップクリームを上手に浮かべる。その
一連の所作の美しさといったら、この世に生れて10年くらいしかたっていなかったけど、別世界だったような
気がする。
あ、いけない。まだ準備ができていない。お店にいかねば・・・
今日は、こっそりウインナー珈琲でもつくってみよう。
やはり、ウインナーは、粗挽きがいい。なんて書くと、ビールの
つまみのほうを想像する世代の人もあまたいるかも。
「アベベ」も「ボボブラジル」も、遠くなったけど、あのあこがれの「レスカ」も
「なんですか?」という質問も多い今日このごろ。
さきほど、東京オリンピックの懐かしいファンファーレが流れた。
この世に生を受けたばかりだった家人は、まったく記憶にないらしい。
「アベベをしらんの?」というと、「うん」という。あうんとは、次元の違う会話。
ぼくは、小学校に入ったばかりで、中央町にあった「まるぶつデパート」の家電売り場で
見た。見た記憶よりも、ファンファーレに圧倒されて、子供ながらに「希望」みたいな
ものが体中にひろがっていったのを、昨日のことのように覚えている。
まるぶつデパートには、そのころどこのデパート(といっても、北九州には、井筒屋デパートと
まるぶつデパートしかなかった)でもそうなように、最上階に大食堂があって、そこのホットケーキ
の味が忘れなれないし。その後の人生で、それに見合うようなものと出会っていない。
中央町というのは、八幡製鉄所の本事務所(今でいう、本社)があった場所で、「鉄の町」
の中心地だった。1902年にできた製鉄所を祝う企業祭というのが11月にあって、学校も
休んで、賑わっていた。まるで田んぼの真ん中に温泉がわいたり、うらぶれた下町に男根みたいな
タワーがたったような感じだったのだと思う。洞海湾という海は、魚影豊かな小さな漁村だったのだから。
そんな華やかなデパートがある通りを二筋ほど上がる(方向音痴なので、東西南北があっきりしない)
ところに、「喫茶ジロウ」という喫茶店があった。誰といったかは記憶にないが、そこのウインナー珈琲
を飲んだのが、珈琲の初体験。きれいな女店主が、白い指で雪白均窯変のカップに大小の角砂糖を入れ、そこに
琥珀色の液体を注ぎ、冷蔵庫からボールをだして、スプーンでホイップクリームを上手に浮かべる。その
一連の所作の美しさといったら、この世に生れて10年くらいしかたっていなかったけど、別世界だったような
気がする。
あ、いけない。まだ準備ができていない。お店にいかねば・・・
今日は、こっそりウインナー珈琲でもつくってみよう。
やはり、ウインナーは、粗挽きがいい。なんて書くと、ビールの
つまみのほうを想像する世代の人もあまたいるかも。
「アベベ」も「ボボブラジル」も、遠くなったけど、あのあこがれの「レスカ」も
「なんですか?」という質問も多い今日このごろ。