長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

そば打ち前にすること

2012-07-08 08:11:31 | Weblog
「そば前」というのがある。蕎麦がでる前に、一杯やること。
居酒屋が今みたいに幅をきかせる前は、そばやがお酒を楽しむ場所だった。
だから蕎麦屋には、そば味噌、卵焼き、いたわさなど、左党にはたまらない
酒肴があったり、いい酒をおいていた。「そば前」も「左党」も、絶滅危惧語
になりつつあるが・・・
左党、左利きともいう。大工さんは、金鎚を右手に持ち、左手でのみを持つ。
その「のみ」と「飲み」をかけたもの。

今日も蕎麦を打つ前、つまり「そば打ち前」に、毎日欠かさないことをやった。
毎日、あきないことを仕事にする。あたりまえだけど、大事なことだと思う。
お店の前の掃き掃除、めだかの餌やり(冬はなし)、自彊術体操、座禅・・・
それから煎茶を入れ、気合いが乗ってきてから、蕎麦を打つ。
今年から、もうひとつ、やることが増えた。ネコのえさやり。
音楽家のやまね家に拾われた「♪音符」というネコと、絶対に遺伝子が同じ「休符」というネコ
が、天真庵のオープンエアーなところに、きはじめた。冬の寒い日に、つかまえて、常連の
動物病院の先生のところにいって去勢手術をしてもらった。それから、少し小さめのさばとらの「チビ」
とふたり(二匹)で、毛布のひいてある場所で寝るようになった。最近は休符が遠慮したのか、「チビ」
だけが、お泊りの日が多い。ときどき、三食昼寝付きの情報が伝達され、外野ののら猫が、素泊まり
することもある。宿を譲ったり、えさを残したり、する姿を見て、「おれがおれが」の人間たちより、
持続可能な「シェアー」な生活をしていると痛感した。飼いネコではないので、狩猟の本能も残って
いて、ときどきネズミを捕まえたり、ごみの日にやってくるカラスをねらったりしている。
そんな姿を見ていたら、この地球のいう星は、生きとし生けるもの、ねずみやカラスや魚や虫やイヌネコ
まで、みんな共通の命(魂)を共有しているんだな、ということがよく理解できる。

昨日は、福島の人で、家にも帰れなくなった女性が、わざわざ上京して天真庵に珈琲を飲みにきてくれた。
復興はいっこうに進んでいないし、人災だといわれた原発がまた動きだしたりする理不尽な世の中だけど、
その女性があまりにも元気で、運命を「受け入れている」姿に感動した。
夕方には、名古屋からわざわざきて、「卒啄珈琲塾にきたい」とかいわれた。
論語ではないけど、「友の遠くからきたりあり、またうれしからずや」だ。
何をどうやって伝えていこうか・・・暗中模索だけど、元気な同志たちが、反対に導いて
くれているみたいだ。共育、ともに育つ。卒啄、つついあう。なんだかいい感じになってきた。