長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日の夜はジャズ

2011-07-20 08:33:27 | Weblog
台風の影響で雨が降っていて、東京の朝も猛暑は
すこしやわらいでいる。庭においてある石の道祖神や、
風じいさんが晩年に石を刻んでつくった六地蔵も、雨にぬれて
涼しげだ。

今日の夜は国貞雅子と森下滋さんのジャズライブ。
ある企業の依頼により貸切。
普段だと朝一番、東京を抜け出し、山の中に逃げ込む
のが習慣になってきたけど、渋滞や万が一のことがあるといけないので
今日は、1日東京にいることにした。

金曜日が「大石学」のピアノライブ。
今月は、やまねさん、国貞、大石さん・・・同じ師を持つ三人のアーティスト
が天真庵でライブという不思議な縁をいただいた。みな下関出身。
10日にライブをやったnobieも、母親が下関出身。

ぼくにも「下関のおじさん」という、叔父がいた。ぼくの親父の兄。
延岡で生まれ、戦争から帰ってきて、家業の造園業をついだ。
小さいころ北九州から延岡に毎年のように遊びにいった。当時、
日豊本線で小倉から延岡までで5時間以上かかった。子どもには
その3倍くらい遠くに感じる時間だった。
晩年を下関で暮らし、「下関のおじさん」と呼ばれた叔父は
延岡では犬をたくさん飼っていた。みな「いわくいんねんつき」の
犬ばかりだった。

交通事故でビッコになってうずくまっていた「チビ」、
予想よりも大きくなり飼い主が飼育を放棄した「ジョン」、まっくろの
毛をした「カラス」。そういえばそんな環境の中に怪我して飛べなくなったカラスもかっていて、そのカラスは「ワンワン」と犬の鳴き方をまねしていた。
子どもに恵まれず、晩年は下関を終の棲みかにし、庭の手入れをしながら
酒や小鳥の世話をしながら、毎日酒を楽しんでいた。
10年くらい前におばさんが病気で旅立った。それから何日かして、うちの
親父が下関のおじさんに電話をしたら、通じなかった。不穏に思った親父が
すぐに関門海峡を渡って下関のおじさんの部屋へはいったら、おしさんは、
おばさんの後を追うに、心臓が停止し静かに仏さんになっていた。そのおじさんの
胸の上に、最後に飼っていた十姉妹のつがいが仲良く寄り添ってのっていたらしい。
まるで、下関のおじさん夫婦の分身みたいに。
ふたりのお葬式は、親父が喪主になって、下関の葬儀場でやった。

みんな裸で生まれてきて、何ももたずに死んでいくんやなあ、と思った。

昨日は書の会で、貞本さんが「白雲抱幽石」と揮毫した。
寒山詩で、よく茶会などに掛けれる禅語。
寒山拾得(かんざんじゅっとく)の寒山。蘇州夜曲に♪鐘が鳴ります 寒山寺・・
の寒山。岩山の洞窟に住んでいて、ぼろを纏い、詩をたしなんだ。
鳥や獣しかいない山の中で、白雲が岩山を包む幽玄な自然の一体感をよんだ詩。

世俗を超越した寒山や拾得の世界を禅や絵かきや芸術家たちは、目標にし、
絵や書や陶芸などの題材にしてきた。
「寒山が文殊菩薩の生まれかわりで、拾得が文殊菩薩の移り変わり
であると日本人は信じてきた。それも知らない日本人は日本人ではない」
と、ある先生が本に書いた。晩年は糖尿病になり、医者に酒を禁じられていたけど、
時間をみつけては、大塚「江戸一」にかよっていた。貞本さんも、毎日のように
江戸一で、飲んでいる。これも不思議な縁だ。「本来無一物」どんなに便利になって
いろいのな物がまわりにあっても無一物。それでいい。