MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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上品な通訳者?

2005年12月23日 | Weblog

論文書きが行き詰まっているので、ちょっと息抜き。
柴田元幸がこんなことを書いている。(「翻訳者は「作者代理」か「読者代理」か」)

「ゲイリー・フィスケットジョンという有名なアメリカ人の編集者がいて、…来日して講演したとき、ゲイリーはそこらへんのオッサンみたいにカジュアルな格好で、「僕はさぁ」みたいにしゃべっているのに、日本語の通訳の方が服装もフォーマル、実に折り目正しく「わたくしは……」という感じに訳されていて、どうもしっくりこないなあと思っていたら、ゲイリーが突然話をやめて、「どうも通訳が上品すぎて、僕の雑なトーンが伝わってないと思うんだよねぇ」というようなことを言ったわけです。そしたら通訳が少しも慌てず、「通訳が上品すぎるためにわたくしの雑なトーンが伝達されていないように思われます」といった感じに訳した。そのプロ根性には感心しましたが(笑)、ここでの問題はプロ根性ではなく、翻訳をする上でトーンを正しく伝えるのがいかに大事かということです。試験の英文和訳としては満点でも、トーンが違うと、全然ちがうものになる。」

長くなるのでこれぐらいにするが、柴田は通訳者を批判しているわけではなく(有能だったと言っている)、日本の翻訳でトーンが軽視されるのはなぜかを問題にしている。ただ、通訳の問題として考えれば、これは通訳者はつねに中立(立場だけでなく表現でも)であるべく努めるべきか、話者に感情移入すべきかという、おなじみのジレンマである。柴田の書いている範囲では通訳者の実際の話し方(レジスタ)がどんなものだったのかはよくわからない。ただ上品だったのか、丁寧すぎたのか、そのあたりが知りたいところだ。何でもかんでも「…なのでございます」調で通訳するのであれば、それは工夫が足りず、技術的に未熟ということになる。かといって、この講演の場で、アメリカのテレビ伝道師の通訳をする通訳者のように、トーンどころかプロソディまで話者に似せて、あまつさえ身振りまで真似るようなことをすればただのバカにしか見えないだろう。少なくとも聞いている方が恥ずかしくていてもたってもいられなくなるはずだ。ではどうすればいいのか。正解があるのかどうかはわからないが、僕ならほんの少しだけ、話者の話しぶりdictionを訳に取り入れ、レジスタを少しだけ動かすだろう。たぶんそれ以上のことはできない。皆さんはどう考えますか。(ずっと前、放送の通訳である男性通訳者が女性話者を訳すときに、女性の声色(こわいろ)を使って、隣にいて耐え難い思いをしたことがある。さすがにあとで局の人からやめてくれと言われていたが。でもこれはちょっと性質が違うか。)