(以下、Bloomberg.co.jpから転載)
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家に帰りたい、精神障害者7万人の現実-かさむ医療費、進まぬ退院
9月14日(ブルームバーグ):閉鎖病棟の廊下の片隅に60歳代の女性が膝を抱えてうずくまるように腰を下ろしている。横には目いっぱい膨らんだ茶色のかばん。迎えが来たから家に帰るとつぶやき続けている。
女性は、群馬県高崎市の医療法人山崎会「サンピエール病院」に20年以上前から統合失調症で入院している患者だ。誰かが迎えに来ると信じて何度も荷物をまとめているが、引き取る家族もいない。一生ここにいることになるだろうと理事長と院長を兼務する山崎学氏は言う。
医学的には治療の必要があまりないものの、引き取り手がいないなどの事情で社会生活を営めず、入院生活を続ける「社会的入院」患者が精神科病院の病床を埋めている。日本の精神障害者の入院比率は先進国で最も高く、政府も退院を促すよう手を打ってきたが、一向に進まないのが現状だ。
世界最大の公的債務を抱える日本は、世界一のスピードで高齢化が進んでおり、年間約34.8兆円にのぼる医療費の伸びの抑制は野田佳彦政権にとっても重要課題の一つ。政府は2004年から、退院可能な精神障害者7万人の入院解消の目標を掲げている。年間1.8兆円に上る精神科医療費のうち入院費が74パーセントを占めている。
横浜市で横浜カメリアホスピタルを経営する宮田雄吾院長は、「政府は医療費の削減しか考えていない」と指摘し、「7万人が病院からすぐ出るということは、そのうちの何万人かを浮浪者にする覚悟がないと駄目」と話す。
前進わずか
政府は約半世紀にわたり精神障害者を隔離する政策をとって来た。サンピエール病院の山崎氏ら精神科医は、政策を逆行させるのは現実的ではないという。患者に生存する親類縁者がいないケースや、社会生活が困難な場合が多く、身内に精神障害者を不名誉だと考える風潮も背景にあると、医師らは指摘する。
厚労省が、10年計画で精神障害者の入院患者の解消計画を打ち出したのが04年。09年10月行われた最新の調査によると、この間に実際に解消できたのは6806床にとどまり、なお34万8121床が残っている。政府は解消に弾みをつけるため、今年度、全国25病院をモデル事業として選び、3-5年間で最低10%の病床を削減し、退院した患者に対する地域社会の世話を支援するチームを結成するよう求めている。
マッキンゼー・アンド・カンパニーのパートナー、ルードヴィヒ・カンツラ氏は、精神障害者の入院者削減の政府目標が達成できれば、年間約1000億円が節約できるとみる。
米国の収容施設
経済協力開発機構(OECD)によると、日本の65歳以上の人口は1990年には総人口の12%だったが、2025年には3人に1人まで増加する見通し。OECDの09年12月の報告書によると、日本では病床の約3分の2を高齢者が占有。また年間医療費34.8兆円のうち精神障害者の医療費は5.2%を占めている。
米国や西欧では、1960年代に精神障害者の収容施設を閉鎖し、地域で受け入れる動きが始まった。しかし、日本では全国1076の精神科病院で病床利用率が9割という状態が続いている。OECDのデータによると、日本の1000人当たりの精神科病床数は米国の約13.5倍、英国の4.5倍となっている。
アイオワ大学の脳科学者、精神科医で、2000年に米国国家科学賞を受けたナンシー・アンドリーセン氏は、「日本では精神疾患を不名誉だと考える傾向が明らかに強いことに疑いはない」と指摘。「精神障害を持つ家族がいると、目に入らないようにし、とりわけ気持ちの上でも遠ざけてしまう傾向がある」と話す。
襲われた大使
日本では、1950年代から患者は社会から切り離されてきた。政府が精神科の患者を自宅に閉じ込めるいわゆる「私的監置」を禁止したことが契機だ。入院しやすくするため、補助金を導入、病院の医療スタッフ配置条件も緩和した。
また、1964年に当時の駐日米大使、エドウィン・ライシャワー氏が、統合失調症の患者に東京の大使館で襲われて社会問題化した後、患者の施設収容の必要性が求める声が強まり、政策を後押しした。
松沢病院の岡崎氏は、「社会的入院で、入院する必要がないのにしている人がいる」と指摘。「宿泊施設がない、家庭に帰れない、両親がいなくて兄弟には扶養義務がない、仕事が得られない」といった事情で入院を継続せざるを得ない人たちが多いという。
09年の厚労省調査によると、全国で30万人以上の精神障害者の医療費は月平均約40万円。患者の年齢や家族の支払い能力に応じて、個人の支払いは全額の3割、もしくはそれ以下になる。
認知症患者
厚生労働省精神・障害保健課の本後健課長補佐は、これまでの努力にもかかわらず、「結果として病床数はほとんど減っていない」という。課題として、患者の訪問支援や、増加している認知症への対応を挙げ、「政策に落とし込む作業をしている」という。
厚労省の調査によると、08年の精神科病院での認知症患者の割合は17%で、10年前の11%から大幅に増加した。松沢病院の岡崎氏は、背景として認知症の治療施設が不足していることを挙げ、精神障害の症状がある場合には、内科など他の治療病棟が受け入れないのが現状だという。
サンピエール病院には、患者がエレベーターホールに入らないよう通路にスライドドアが設置されている。山崎院長はドアを開錠しながら、患者の半数は高齢者で多くが認知症を患っていると話した。病室は2人-4人部屋で、各ベッドはピンクのカーテンと木製のキャビネットで仕切られて、患者が脱出しないよう、窓は15センチほどしか開かないようになっている。
屋上庭園
患者は屋上に出れば、外気に触れることができる。高さ約3メートルの金網が張り巡らされた空間に、ハーブや花を植えた庭園が整備されている。
OECDの報告書によると、日本の精神科病院の約9割は医師が病院を経営し、患者を退院させるインセンティブはほとんど働いていない。報告書は、高齢者に対する政府補助金が、「病院を事実上の老人ホームに転換させるという意図せざる効果を生んでいる」と指摘、「患者を病院にとどめることが、容易に収入を確保する道になっている」と分析する。
政府資料によると、精神障害者の平均入院日数は米国では1週間余り、英国では11週間程度なのに対し、日本では307日間に及んでいる。
日本でも可能
マッキンゼーのカンツラ氏は「日本でも他国と同じように精神障害者の治療の仕組みをつくることはできるはずだ」といい、それは「政府が病院側にほとんど選択肢がないような計画を打ち出せるかどうかにかかっている」と述べた。
国内の民間精神科病院の88%が会員となっている日本精神科病院協会は、12年度内に政府の保証のもと病院の一部を居住施設に転換する提案をする予定。
同協会の会長を務めるサンピエール病院の山崎氏は、06年に約35億円かけて現在の522床の新病院に建て替えた。「国が50年かけて隔離収容型の政策をやってきて今36万床ある。変えるのであれば国がある程度責任を持ってやるべきだ」と主張している。
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家に帰りたい、精神障害者7万人の現実-かさむ医療費、進まぬ退院
9月14日(ブルームバーグ):閉鎖病棟の廊下の片隅に60歳代の女性が膝を抱えてうずくまるように腰を下ろしている。横には目いっぱい膨らんだ茶色のかばん。迎えが来たから家に帰るとつぶやき続けている。
女性は、群馬県高崎市の医療法人山崎会「サンピエール病院」に20年以上前から統合失調症で入院している患者だ。誰かが迎えに来ると信じて何度も荷物をまとめているが、引き取る家族もいない。一生ここにいることになるだろうと理事長と院長を兼務する山崎学氏は言う。
医学的には治療の必要があまりないものの、引き取り手がいないなどの事情で社会生活を営めず、入院生活を続ける「社会的入院」患者が精神科病院の病床を埋めている。日本の精神障害者の入院比率は先進国で最も高く、政府も退院を促すよう手を打ってきたが、一向に進まないのが現状だ。
世界最大の公的債務を抱える日本は、世界一のスピードで高齢化が進んでおり、年間約34.8兆円にのぼる医療費の伸びの抑制は野田佳彦政権にとっても重要課題の一つ。政府は2004年から、退院可能な精神障害者7万人の入院解消の目標を掲げている。年間1.8兆円に上る精神科医療費のうち入院費が74パーセントを占めている。
横浜市で横浜カメリアホスピタルを経営する宮田雄吾院長は、「政府は医療費の削減しか考えていない」と指摘し、「7万人が病院からすぐ出るということは、そのうちの何万人かを浮浪者にする覚悟がないと駄目」と話す。
前進わずか
政府は約半世紀にわたり精神障害者を隔離する政策をとって来た。サンピエール病院の山崎氏ら精神科医は、政策を逆行させるのは現実的ではないという。患者に生存する親類縁者がいないケースや、社会生活が困難な場合が多く、身内に精神障害者を不名誉だと考える風潮も背景にあると、医師らは指摘する。
厚労省が、10年計画で精神障害者の入院患者の解消計画を打ち出したのが04年。09年10月行われた最新の調査によると、この間に実際に解消できたのは6806床にとどまり、なお34万8121床が残っている。政府は解消に弾みをつけるため、今年度、全国25病院をモデル事業として選び、3-5年間で最低10%の病床を削減し、退院した患者に対する地域社会の世話を支援するチームを結成するよう求めている。
マッキンゼー・アンド・カンパニーのパートナー、ルードヴィヒ・カンツラ氏は、精神障害者の入院者削減の政府目標が達成できれば、年間約1000億円が節約できるとみる。
米国の収容施設
経済協力開発機構(OECD)によると、日本の65歳以上の人口は1990年には総人口の12%だったが、2025年には3人に1人まで増加する見通し。OECDの09年12月の報告書によると、日本では病床の約3分の2を高齢者が占有。また年間医療費34.8兆円のうち精神障害者の医療費は5.2%を占めている。
米国や西欧では、1960年代に精神障害者の収容施設を閉鎖し、地域で受け入れる動きが始まった。しかし、日本では全国1076の精神科病院で病床利用率が9割という状態が続いている。OECDのデータによると、日本の1000人当たりの精神科病床数は米国の約13.5倍、英国の4.5倍となっている。
アイオワ大学の脳科学者、精神科医で、2000年に米国国家科学賞を受けたナンシー・アンドリーセン氏は、「日本では精神疾患を不名誉だと考える傾向が明らかに強いことに疑いはない」と指摘。「精神障害を持つ家族がいると、目に入らないようにし、とりわけ気持ちの上でも遠ざけてしまう傾向がある」と話す。
襲われた大使
日本では、1950年代から患者は社会から切り離されてきた。政府が精神科の患者を自宅に閉じ込めるいわゆる「私的監置」を禁止したことが契機だ。入院しやすくするため、補助金を導入、病院の医療スタッフ配置条件も緩和した。
また、1964年に当時の駐日米大使、エドウィン・ライシャワー氏が、統合失調症の患者に東京の大使館で襲われて社会問題化した後、患者の施設収容の必要性が求める声が強まり、政策を後押しした。
松沢病院の岡崎氏は、「社会的入院で、入院する必要がないのにしている人がいる」と指摘。「宿泊施設がない、家庭に帰れない、両親がいなくて兄弟には扶養義務がない、仕事が得られない」といった事情で入院を継続せざるを得ない人たちが多いという。
09年の厚労省調査によると、全国で30万人以上の精神障害者の医療費は月平均約40万円。患者の年齢や家族の支払い能力に応じて、個人の支払いは全額の3割、もしくはそれ以下になる。
認知症患者
厚生労働省精神・障害保健課の本後健課長補佐は、これまでの努力にもかかわらず、「結果として病床数はほとんど減っていない」という。課題として、患者の訪問支援や、増加している認知症への対応を挙げ、「政策に落とし込む作業をしている」という。
厚労省の調査によると、08年の精神科病院での認知症患者の割合は17%で、10年前の11%から大幅に増加した。松沢病院の岡崎氏は、背景として認知症の治療施設が不足していることを挙げ、精神障害の症状がある場合には、内科など他の治療病棟が受け入れないのが現状だという。
サンピエール病院には、患者がエレベーターホールに入らないよう通路にスライドドアが設置されている。山崎院長はドアを開錠しながら、患者の半数は高齢者で多くが認知症を患っていると話した。病室は2人-4人部屋で、各ベッドはピンクのカーテンと木製のキャビネットで仕切られて、患者が脱出しないよう、窓は15センチほどしか開かないようになっている。
屋上庭園
患者は屋上に出れば、外気に触れることができる。高さ約3メートルの金網が張り巡らされた空間に、ハーブや花を植えた庭園が整備されている。
OECDの報告書によると、日本の精神科病院の約9割は医師が病院を経営し、患者を退院させるインセンティブはほとんど働いていない。報告書は、高齢者に対する政府補助金が、「病院を事実上の老人ホームに転換させるという意図せざる効果を生んでいる」と指摘、「患者を病院にとどめることが、容易に収入を確保する道になっている」と分析する。
政府資料によると、精神障害者の平均入院日数は米国では1週間余り、英国では11週間程度なのに対し、日本では307日間に及んでいる。
日本でも可能
マッキンゼーのカンツラ氏は「日本でも他国と同じように精神障害者の治療の仕組みをつくることはできるはずだ」といい、それは「政府が病院側にほとんど選択肢がないような計画を打ち出せるかどうかにかかっている」と述べた。
国内の民間精神科病院の88%が会員となっている日本精神科病院協会は、12年度内に政府の保証のもと病院の一部を居住施設に転換する提案をする予定。
同協会の会長を務めるサンピエール病院の山崎氏は、06年に約35億円かけて現在の522床の新病院に建て替えた。「国が50年かけて隔離収容型の政策をやってきて今36万床ある。変えるのであれば国がある程度責任を持ってやるべきだ」と主張している。