(以下、毎日新聞【千葉】から転載)
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大震災・安心の行方:災害時要援護者 情報源少ない外国人 /千葉
◇悩む言葉の壁、帰国求める母国家族 避難訓練参加で日常交流
8月28日、首都直下型地震を想定した千葉市主催の大規模な防災訓練が同市緑区で開かれた。大震災で避難・誘導などが問題になった外国人社会からも、9人が参加した。
鄭云紅(ていうんこう)さん(58)もその一人。あの日は四街道市内のアパート2階にいた。「怖い」。本能的な恐怖が全身を包む。2カ月前まで住んでいた中国では、地震の揺れを感じることさえ珍しい。頼りの息子夫婦は仕事に出たまま。何も持たず、家を飛び出した。
近所の人から情報を得ようと、身ぶり手ぶりを繰り返すが通じない。孤立し、情報もなく、余震が続くなか、家に戻らず、車の中で眠れぬ夜を過ごした。
訓練後、鄭さんは「地震の時は近くの小学校に行けばいいんだとようやくわかりました」と話した。その小学校に「避難所」という看板が取り付けられたのは震災の後だった。
◇ ◇ ◇
千葉県には11万5000人余の外国人が住み、人口の約1・86%を占める。鄭さんのように、日本語でのコミュニケーションが苦手で、地震の知識が乏しく、避難訓練の未経験者も少なくない。
震災後も外国人社会の不安はなかなか一掃されず、特に原発事故関係の正確な情報が伝わりにくい状態が、不安に拍車をかけた。市国際交流協会には「放射線について、テレビで危ないという様子はなんとなくわかるが、水や食べ物は大丈夫なのか」などと不安を訴える声が電話やメールで寄せられた。仕事や勉強をやめ、帰国を急ぐ人も増えた。特に放射能汚染について、センセーショナルに伝える海外報道が少なくなく、身内を気遣う母国の親族から強い帰国要請を受けるケースが目立った。「母国と日本の情報が異なり、何を信じていいかわからない」という声もあった。
◇ ◇ ◇
同協会に勤める日系米国人の中西スタニス慧理果(えりか)さん(24)も例外ではなかった。「今日本にいる必要はないじゃない」と、家族に何度も国際電話で迫られたが日に日に帰国が難しくなる事情があった。
中西さんの仕事は協会のブログなどを通じた、市内の外国人向けの情報発信。デマへの注意喚起、計画停電、放射線による飲料水の汚染情報などを、ボランティアの協力も得て、簡単な日本語や英語・中国語などに翻訳し、アクセス数は通常の20倍以上となったこともあった。自身のフェイスブックも用い、日本のテレビや新聞が報じている情報を寝る間も惜しみ翻訳した。
一定の役割を果たしたが、想定外だったのは、反響が市内にとどまらなかったことだ。「海の水の方は大丈夫か」「最新情報を流し続けて」といった情報確認から、親族を心配する家族からの問い合わせが遠く海外からも舞い込んだ。メールの返信に「あなた以外に情報源がない」との言葉もあった。「信頼できる情報がちっとも届いていない」--外国人居住者の情報不足に不安と恐怖が募った。
市民や友達に向けた情報が、いつの間にか、世界中に散在する人たちから頼られていた。「自分にしかできない、という使命感が突き動かしていたかもしれません」。中西さんはそう振り返る。
◇ ◇ ◇
災害時に優先的に守られるべき高齢者や障害者などを「災害時要援護者」と呼ぶ。外国人も例外ではない。
新たな対応を模索する市国際交流課は、市のホームページへの自動翻訳ソフトの導入検討を始めた。緊急情報の伝達方法も改善を目指しているが、多言語による防災無線については「いまでも分かりづらいと指摘されているのに、外国語まで加えたら、混乱させかねない」と難しい対応も迫られる。
こうしたなかで市は、外国人に対する避難訓練への参加呼びかけや、防災知識の啓発活動などの取り組みを強化した。日常的な日本人と外国人社会の交流を深めることで、万一の災害対応もスムーズに進める狙いがある。8月の訓練に参加した鄭さんも「今後は自分からも地域に溶け込み、万一の時は一緒に乗り越えたい」と話す。
同協会の増岡忠事務局長補佐は「結局、地域に住むさまざまな人たちの普段からの交流が不可欠。顔見知りになれば、いざという時にもお互いに助けあえる」と話していた。【味澤由妃】
毎日新聞 2011年9月13日 地方版
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大震災・安心の行方:災害時要援護者 情報源少ない外国人 /千葉
◇悩む言葉の壁、帰国求める母国家族 避難訓練参加で日常交流
8月28日、首都直下型地震を想定した千葉市主催の大規模な防災訓練が同市緑区で開かれた。大震災で避難・誘導などが問題になった外国人社会からも、9人が参加した。
鄭云紅(ていうんこう)さん(58)もその一人。あの日は四街道市内のアパート2階にいた。「怖い」。本能的な恐怖が全身を包む。2カ月前まで住んでいた中国では、地震の揺れを感じることさえ珍しい。頼りの息子夫婦は仕事に出たまま。何も持たず、家を飛び出した。
近所の人から情報を得ようと、身ぶり手ぶりを繰り返すが通じない。孤立し、情報もなく、余震が続くなか、家に戻らず、車の中で眠れぬ夜を過ごした。
訓練後、鄭さんは「地震の時は近くの小学校に行けばいいんだとようやくわかりました」と話した。その小学校に「避難所」という看板が取り付けられたのは震災の後だった。
◇ ◇ ◇
千葉県には11万5000人余の外国人が住み、人口の約1・86%を占める。鄭さんのように、日本語でのコミュニケーションが苦手で、地震の知識が乏しく、避難訓練の未経験者も少なくない。
震災後も外国人社会の不安はなかなか一掃されず、特に原発事故関係の正確な情報が伝わりにくい状態が、不安に拍車をかけた。市国際交流協会には「放射線について、テレビで危ないという様子はなんとなくわかるが、水や食べ物は大丈夫なのか」などと不安を訴える声が電話やメールで寄せられた。仕事や勉強をやめ、帰国を急ぐ人も増えた。特に放射能汚染について、センセーショナルに伝える海外報道が少なくなく、身内を気遣う母国の親族から強い帰国要請を受けるケースが目立った。「母国と日本の情報が異なり、何を信じていいかわからない」という声もあった。
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同協会に勤める日系米国人の中西スタニス慧理果(えりか)さん(24)も例外ではなかった。「今日本にいる必要はないじゃない」と、家族に何度も国際電話で迫られたが日に日に帰国が難しくなる事情があった。
中西さんの仕事は協会のブログなどを通じた、市内の外国人向けの情報発信。デマへの注意喚起、計画停電、放射線による飲料水の汚染情報などを、ボランティアの協力も得て、簡単な日本語や英語・中国語などに翻訳し、アクセス数は通常の20倍以上となったこともあった。自身のフェイスブックも用い、日本のテレビや新聞が報じている情報を寝る間も惜しみ翻訳した。
一定の役割を果たしたが、想定外だったのは、反響が市内にとどまらなかったことだ。「海の水の方は大丈夫か」「最新情報を流し続けて」といった情報確認から、親族を心配する家族からの問い合わせが遠く海外からも舞い込んだ。メールの返信に「あなた以外に情報源がない」との言葉もあった。「信頼できる情報がちっとも届いていない」--外国人居住者の情報不足に不安と恐怖が募った。
市民や友達に向けた情報が、いつの間にか、世界中に散在する人たちから頼られていた。「自分にしかできない、という使命感が突き動かしていたかもしれません」。中西さんはそう振り返る。
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災害時に優先的に守られるべき高齢者や障害者などを「災害時要援護者」と呼ぶ。外国人も例外ではない。
新たな対応を模索する市国際交流課は、市のホームページへの自動翻訳ソフトの導入検討を始めた。緊急情報の伝達方法も改善を目指しているが、多言語による防災無線については「いまでも分かりづらいと指摘されているのに、外国語まで加えたら、混乱させかねない」と難しい対応も迫られる。
こうしたなかで市は、外国人に対する避難訓練への参加呼びかけや、防災知識の啓発活動などの取り組みを強化した。日常的な日本人と外国人社会の交流を深めることで、万一の災害対応もスムーズに進める狙いがある。8月の訓練に参加した鄭さんも「今後は自分からも地域に溶け込み、万一の時は一緒に乗り越えたい」と話す。
同協会の増岡忠事務局長補佐は「結局、地域に住むさまざまな人たちの普段からの交流が不可欠。顔見知りになれば、いざという時にもお互いに助けあえる」と話していた。【味澤由妃】
毎日新聞 2011年9月13日 地方版