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2011-06-05 21:13:31 | 多文化共生
以下は、大量のワーキングプアを生んだのと、まったく同じ構造に起因する。



(以下、BLOGSから転載)
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本当は恐ろしい日本的雇用慣行
2011年06月04日12時55分

 東日本大震災後は、牛丼チェーンなどから外国人アルバイトの姿が激減したと言われた。この現象について、「外国人はドライで冷たい。仲間にはなれない」という反応もあったが、それは違うと思う。
 
 もっとも、外資系金融機関などで、外国人上司が、続々と職場を見捨てて帰国していったというケースは、最悪である。高い報酬をもらっていながら、現地人(日本人)の部下にすべてを押しつけて、自分のことだけを考えて帰ってしまう。これは、モラル以前に報酬に見合う職務を果たしていないわけだから、許されない。また、そういう行動を許している本国にも、問題があると言える。
 
 そうやって帰国していった外国人上司は、福島第1原発事故の影響が局地的なものだと理解すると、2~3週間して日本に戻ってきた。しかし、日本人部下は「見捨てられた」と感じ、両者の関係はギクシャクしているところもあるという。当然の結果である。
 
 一方、飲食店で働く外国人アルバイトが帰国するのは、ごくごく自然なことだ。たかだか時給600円とか700円で、職場に忠誠を誓い、生命を賭ける必要性はどこにも存在しない。どうしても引き留めたければ、「何カ月後に正社員に登用する」とか「原発事故が収束するまでは時給を何倍にアップする」とか、きちんと文書で示すのがスジだろう。
 
 ところが日本的雇用慣行では、そういった合理的な交渉が成立しない。「わが社はアットホームな雰囲気です」と書いている求人広告は、いわゆる「ブラック企業」を見分けるポイントになるという冗談もあるように、「家族」を擬制して雇用条件をうやむやにしがちだ。それでも正社員なら、サービス残業に耐え、あるいは震災後の緊張に耐えても、長期的な関係において報われると(幻想かもしれないが)信じられる。アルバイトには、そのような「幻想」すらないのだから、「お時給」の範囲を超えて雇用条件が変化すれば、辞めていくのが当然だ。
 
 同じことは、リーマンショック後に問題になった「派遣切り」についても言える。派遣切りがあれだけ問題になったのも、日本的雇用慣行の意識が、雇用者・被雇用者の両方に残存していたからだ。
 
 実態としては、非正規雇用は長期的な関係がまったくない雇用形態であり、いつでもクビを切られるつもりで、被雇用者は働かなければならない。その代わり、雇用条件に納得がいかなくなったり、他により良い雇用先が見つかれば、さっさと辞めても誰にも責められるものではない。そういう「自由」が非正規雇用にはある。逆に、雇用者の側も、そのつもりで被雇用者を使うべきであり、派遣契約にない業務をやらせたり、契約外の時間に働かせたりしてはならない。
 
 しかし実際には、被雇用者には「このままずっとここで働けるんじゃないか」という幻想を抱く人も少なくなかったと思われる。雇用者の側も、そうした被雇用者の心理につけ込んで、「がんばってるなあ。正社員になってもらいたいぐらいだよ」と口先だけでアメをちらつかせたり、「ウチは家族みたいなもんだから、忙しい時期はみんなで乗り切ろう」と契約外の仕事をさせたりしたケースもある。意図的に「家族」という擬制を利用した雇用者もいるだろうし、ひょっとしたら本気で「家族」だと思っていた人は、現場監督レベルであれば、たくさんいたかもしれない。

 その結果、いざ不況で派遣社員を解雇するという段になって、被雇用者は「こんなはずじゃなかったのに! 裏切られた!」という気持ちになった。本気で「家族」だと思っていた管理職も、それまでの「アットホームな雰囲気」から一変して、淡々と「派遣切り」を進める。こうした感情のこじれと、準備のなさが、「派遣切り」という問題を起こした。

 もし、雇用者・被雇用者の両方に日本的雇用慣行という意識がなく、合理的な関係が成り立っていれば、あそこまで問題はこじれなかっただろう。雇用者はクビ切りを前提に貯金をしていただろうし、あるいは、クビ切り時を想定して「お時給」のアップを要求したり、住み込みの場合は寮を退去する際の補償を折り込んでいたはずである。雇用者の側も、「家族」という擬制に甘えて被雇用者を不当に働かせるようなことはしなかっただろう。
 
 言い換えると、日本的雇用慣行が中途半端に残存しているために、非正規雇用は余計な負担を強いられていると言える。派遣切り騒動後には、「ウチは従業員を決して切り捨てません」と美辞麗句を述べる経営者が増えたが、そういうできもしないことを言う経営者こそ、不況になると非正規雇用をかえって苦しめるのである。(この辺の問題点と解決策は拙著『雇用大崩壊』 にも詳しく書いた)
 
 私は雇用の流動化に賛成の立場だが、それは合理的な「自由」が、労働者の効用を高めると考えるからだ。財界の一部には、雇用を流動化しておきながら、「家族」という擬制を使って、会社への忠誠心だけは残そうとしている人もいるようだが、そんな財界に都合のいい展開は決して許されないし、ありえない。日本人だろうが外国人だろうが、合理的な「自由」を求める労働者に対して、経営者もまた合理的に応答することが求められている。

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