(以下、東京新聞から転載)
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年のはじめに考える 障害を共に乗り越える
2014年1月3日
東京パラリンピック・オリンピックは六年後。ことしは国連障害者権利条約が批准されます。健常者の「想像力」こそが障害者の突破力を高めるのです。
昨年九月、日本中が歓喜に沸きました。ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会総会で、二〇二〇年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決まった瞬間です。
東京招致の最終プレゼンテーションで、佐藤真海さん(31)のスピーチは内外の人々の胸を強く打ちました。そう、骨肉腫で右足を失った陸上競技の選手です。
◆持てる力の結晶
「新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力」-。病や災害に襲われ、絶望のふちに沈んだ人々にとって、大きな救いとなる「スポーツの真の力」を説いたのでした。
このトップアスリートを支えてきた縁の下の力持ち。そのひとつは間違いなく義足でしょう。
佐藤さんの義足を作り、十年以上にわたり相談に乗っている義肢装具士の臼井二美男さん(58)に会いました。
この道三十年の大ベテラン。鉄道弘済会義肢装具サポートセンター(東京・南千住)で、四百人を受け持っている。九割はスポーツ競技とは無縁の人々だそうです。
手や足を失い、しおれ果てたような患者がやってくる。切実な望みに耳を傾けることから仕事は始まります。一緒になって人生を取り戻す。そんな気概に満ちあふれています。
農作業は土や雨にまみれる。革靴での営業回りにこだわるサラリーマン。ミニスカートにあこがれる年ごろの女性。もちろん、スポーツに本格的に挑戦する人も。
根っからの職人かたぎ。臼井さんはこう言います。
「義肢は体に合うというだけじゃだめです。未来までサポートできるように想像力を働かせる。血が通うような義手、義足です」
◆障害から才能へ
スムーズに跳んだり、走ったりできれば、再び自信がつく。新しい目標が生まれる。患者がそれを達成できたときの喜びは、そのまま臼井さんの喜びなのです。
佐藤さんのスピーチには、こんな一節がありました。
「そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」
臼井さんは携帯電話に全患者を登録し、小まめにやりとりを続けています。絶えず一人一人の身になって考えている。どうやって障害を克服するかではなく、どうすれば互いの持てる力を最高の形に結実させられるかをです。
東京・西新宿に目を転じます。
従業員十人足らずの小さな印刷会社まるみ名刺プリントセンターを訪ねました。発達障害や精神疾患のある従業員が三人います。
社長の三鴨みちこさん(45)が思いついた朝礼はユニークです。社長以下全員が必ずその日の気分と体調を報告するのだそうです。
「病気や障害のない人も、体調が優れないときはあります。みんなが事前に伝え合っておけば、互いに気を配り合えるし、仕事の能率だって上がるでしょう」
柔軟な発想はこれだけにとどまりません。障害を能力へと変えてしまう。例えば、文字の扱いが苦手な発達障害の女性(27)はデザインや色調、印刷の担当です。
雑音に極めて敏感なので、ちょっとした異音で機械の不具合を察知する。きちょうめんさは、目を凝らさなければ気づかない印刷ミスや汚れを即座に発見する。
以前まで高齢者施設に勤めていました。二つ以上の事柄を一度に指示されると混乱するのに、理解のない上司に怒られっぱなし。とうとううつ病を患い、辞めざるを得なかったと打ち明けてくれました。
障害者権利条約の考え方をかみ砕いて言えば、「障害は個人ではなく、社会にある」です。障害者の言い分に耳を貸さずに築き上げられた今の社会の仕組みです。
「まさか自分や家族は障害を負うまい」。健常者のそんな想像力の欠如こそが障害への無理解、無関心を招いている面がある。
段差をなくす。点字で表示する。筆談に応じたり、ゆっくり話したり。健常者が障害を知って機転を利かせれば、障害者は優れた才能を開花させるはずです。
◆成熟社会の手本を
歴史が異なるとはいえ、なぜいつまでもオリンピックとパラリンピックは別々に行われるのか。
「男子の部」と「女子の部」と同様に「障害者の部」を設け、統合できれば二十一世紀にふさわしい。「平和の祭典」の意味合いもきっと深まるに違いありません。
世界中から大観衆が来日したとき、障害を越えて支え合う成熟社会の見本を披露したいものです。
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年のはじめに考える 障害を共に乗り越える
2014年1月3日
東京パラリンピック・オリンピックは六年後。ことしは国連障害者権利条約が批准されます。健常者の「想像力」こそが障害者の突破力を高めるのです。
昨年九月、日本中が歓喜に沸きました。ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会総会で、二〇二〇年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決まった瞬間です。
東京招致の最終プレゼンテーションで、佐藤真海さん(31)のスピーチは内外の人々の胸を強く打ちました。そう、骨肉腫で右足を失った陸上競技の選手です。
◆持てる力の結晶
「新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力」-。病や災害に襲われ、絶望のふちに沈んだ人々にとって、大きな救いとなる「スポーツの真の力」を説いたのでした。
このトップアスリートを支えてきた縁の下の力持ち。そのひとつは間違いなく義足でしょう。
佐藤さんの義足を作り、十年以上にわたり相談に乗っている義肢装具士の臼井二美男さん(58)に会いました。
この道三十年の大ベテラン。鉄道弘済会義肢装具サポートセンター(東京・南千住)で、四百人を受け持っている。九割はスポーツ競技とは無縁の人々だそうです。
手や足を失い、しおれ果てたような患者がやってくる。切実な望みに耳を傾けることから仕事は始まります。一緒になって人生を取り戻す。そんな気概に満ちあふれています。
農作業は土や雨にまみれる。革靴での営業回りにこだわるサラリーマン。ミニスカートにあこがれる年ごろの女性。もちろん、スポーツに本格的に挑戦する人も。
根っからの職人かたぎ。臼井さんはこう言います。
「義肢は体に合うというだけじゃだめです。未来までサポートできるように想像力を働かせる。血が通うような義手、義足です」
◆障害から才能へ
スムーズに跳んだり、走ったりできれば、再び自信がつく。新しい目標が生まれる。患者がそれを達成できたときの喜びは、そのまま臼井さんの喜びなのです。
佐藤さんのスピーチには、こんな一節がありました。
「そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」
臼井さんは携帯電話に全患者を登録し、小まめにやりとりを続けています。絶えず一人一人の身になって考えている。どうやって障害を克服するかではなく、どうすれば互いの持てる力を最高の形に結実させられるかをです。
東京・西新宿に目を転じます。
従業員十人足らずの小さな印刷会社まるみ名刺プリントセンターを訪ねました。発達障害や精神疾患のある従業員が三人います。
社長の三鴨みちこさん(45)が思いついた朝礼はユニークです。社長以下全員が必ずその日の気分と体調を報告するのだそうです。
「病気や障害のない人も、体調が優れないときはあります。みんなが事前に伝え合っておけば、互いに気を配り合えるし、仕事の能率だって上がるでしょう」
柔軟な発想はこれだけにとどまりません。障害を能力へと変えてしまう。例えば、文字の扱いが苦手な発達障害の女性(27)はデザインや色調、印刷の担当です。
雑音に極めて敏感なので、ちょっとした異音で機械の不具合を察知する。きちょうめんさは、目を凝らさなければ気づかない印刷ミスや汚れを即座に発見する。
以前まで高齢者施設に勤めていました。二つ以上の事柄を一度に指示されると混乱するのに、理解のない上司に怒られっぱなし。とうとううつ病を患い、辞めざるを得なかったと打ち明けてくれました。
障害者権利条約の考え方をかみ砕いて言えば、「障害は個人ではなく、社会にある」です。障害者の言い分に耳を貸さずに築き上げられた今の社会の仕組みです。
「まさか自分や家族は障害を負うまい」。健常者のそんな想像力の欠如こそが障害への無理解、無関心を招いている面がある。
段差をなくす。点字で表示する。筆談に応じたり、ゆっくり話したり。健常者が障害を知って機転を利かせれば、障害者は優れた才能を開花させるはずです。
◆成熟社会の手本を
歴史が異なるとはいえ、なぜいつまでもオリンピックとパラリンピックは別々に行われるのか。
「男子の部」と「女子の部」と同様に「障害者の部」を設け、統合できれば二十一世紀にふさわしい。「平和の祭典」の意味合いもきっと深まるに違いありません。
世界中から大観衆が来日したとき、障害を越えて支え合う成熟社会の見本を披露したいものです。
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