(以下、産経新聞から転載)
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第3部・地域とともに(1)国際化 留学生3000人の効果
2011.1.20 01:23
平成22年12月のクリスマスイブ。温泉地として名高い大分県別府市の海岸近くで開かれた花火イベントで、サンタクロースの衣装を身にまとった「ミス別府」の女性が、華やかにステージへと上がった。
翌年度のミス別府への応募を呼び掛ける告知。「私自身、すごく楽しい経験ができました。ぜひ一緒に別府をPRしましょう」。女性は優しく語りかけたが、言葉は少したどたどしい。彼女は、約60年の歴史を持つミス別府の中で、初めて選ばれた外国人だった。
ベトナム出身のトオン・ティップ・ニャット・チャン(23)。12年、別府市に開学した立命館アジア太平洋大学(APU)で経済学を学ぶ4年生だ。22年4月に委嘱され、1年近くさまざまな形で観光PRに携わってきた。
志望動機は「外国人の私なりの視点で、市民として協力したい」という“郷土愛”からだった。数日がかりで応募用紙にびっしりと思いを書き込み、書類選考と面接を経て競争率10倍の座を射止めた。「日本語はつたないが、彼女の一生懸命さが伝わったのだと思う」。ミス別府の事務局、市観光協会の梶原潤子(34)が振り返る。
□ □
各国から学生が集まるAPUができて約10年。別府は、外国人の若者であふれる国際都市に変貌した。同大学の学生6千人のうち、約半数を留学生が占める。
大分県の人口1万人あたりの外国人学生数(21年5月現在)は34・6人で、都道府県別で東京都(34・1人)を上回り全国トップ。翌年は東京都を0・3ポイント下回ったが、35・1人に伸びた。県内の外国人留学生の9割近くは別府市に集まっており、市人口(約12万人)の約3%を占める。
観光協会に勤める梶原ですら、以前は外国人の若者と親しく接する機会はなかった。だが、今では日常生活の中で外国人と出会わない日はほとんどない。
「留学生が生活に溶け込み、市民に違和感なく受け入れられている」と梶原。タクシー運転手の男性(56)は「当初は警戒心があったけど、そのうち普通になったね」と笑う。
外国人初のミス別府は、地元にとって予想以上の効果ももたらした。10社以上の新聞、テレビが取材に訪れ、国際放送の電波にも乗った。梶原は「ここまでの取材攻勢は初めてだったし、別府という名前の発信力は十分あった」と話す。
□ □
「別府の人たちは、本当に温かく私たちを受け入れてくれた」。初めての海外暮らしを経験したチャンにとっても、忘れられない思い出がたくさんできた。
まだ心細かった1年生の冬、薄手のコートを着て駅のベンチに座っていると、偶然隣り合わせた高齢の女性が声をかけ、冬用のコートを買ってくれた。道に迷い家まで送ってもらったことも1度や2度ではなく、街で励ましの言葉をかけられることもしばしばだ。
「私だけじゃなく、留学生はみんな地域の人たちの心遣いに触れた経験があるはず」。卒業後は東京の旅行会社に就職するが、「別府での4年間を生かし、ベトナムと日本の架け橋になりたい」と胸を弾ませる。
APUの10年あまりの歩みとともに、別府は地元住民と外国人学生が共生する全国的にも先駆的な街となった。「外国人ミス別府」の誕生は、さながら両者の融合の象徴といえる。
だが、ここに至る道のりは、決して平坦(へいたん)ではなかった。(敬称略)
◇
大学がさまざまな形で変革期を迎える中、地域密着の取り組みを進める動きも積極化している。全国の先進事例を探る。
【用語解説】立命館アジア太平洋大学(APU) 海外の学生たちが日本で学び、祖国に知識を還元する「真の国際大学」の創造を目的に、学校法人・立命館が平成12年4月、大分県別府市で開学。2つの学部に多くの外国人学生を受け入れ、アジア太平洋地域の経済や文化などの研究を通じて国際的リーダーの育成を目指している。22年11月現在の学生数は6040人で、うち47%の2837人が外国人。出身地は85カ国・地域にのぼる。
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第3部・地域とともに(1)国際化 留学生3000人の効果
2011.1.20 01:23
平成22年12月のクリスマスイブ。温泉地として名高い大分県別府市の海岸近くで開かれた花火イベントで、サンタクロースの衣装を身にまとった「ミス別府」の女性が、華やかにステージへと上がった。
翌年度のミス別府への応募を呼び掛ける告知。「私自身、すごく楽しい経験ができました。ぜひ一緒に別府をPRしましょう」。女性は優しく語りかけたが、言葉は少したどたどしい。彼女は、約60年の歴史を持つミス別府の中で、初めて選ばれた外国人だった。
ベトナム出身のトオン・ティップ・ニャット・チャン(23)。12年、別府市に開学した立命館アジア太平洋大学(APU)で経済学を学ぶ4年生だ。22年4月に委嘱され、1年近くさまざまな形で観光PRに携わってきた。
志望動機は「外国人の私なりの視点で、市民として協力したい」という“郷土愛”からだった。数日がかりで応募用紙にびっしりと思いを書き込み、書類選考と面接を経て競争率10倍の座を射止めた。「日本語はつたないが、彼女の一生懸命さが伝わったのだと思う」。ミス別府の事務局、市観光協会の梶原潤子(34)が振り返る。
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各国から学生が集まるAPUができて約10年。別府は、外国人の若者であふれる国際都市に変貌した。同大学の学生6千人のうち、約半数を留学生が占める。
大分県の人口1万人あたりの外国人学生数(21年5月現在)は34・6人で、都道府県別で東京都(34・1人)を上回り全国トップ。翌年は東京都を0・3ポイント下回ったが、35・1人に伸びた。県内の外国人留学生の9割近くは別府市に集まっており、市人口(約12万人)の約3%を占める。
観光協会に勤める梶原ですら、以前は外国人の若者と親しく接する機会はなかった。だが、今では日常生活の中で外国人と出会わない日はほとんどない。
「留学生が生活に溶け込み、市民に違和感なく受け入れられている」と梶原。タクシー運転手の男性(56)は「当初は警戒心があったけど、そのうち普通になったね」と笑う。
外国人初のミス別府は、地元にとって予想以上の効果ももたらした。10社以上の新聞、テレビが取材に訪れ、国際放送の電波にも乗った。梶原は「ここまでの取材攻勢は初めてだったし、別府という名前の発信力は十分あった」と話す。
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「別府の人たちは、本当に温かく私たちを受け入れてくれた」。初めての海外暮らしを経験したチャンにとっても、忘れられない思い出がたくさんできた。
まだ心細かった1年生の冬、薄手のコートを着て駅のベンチに座っていると、偶然隣り合わせた高齢の女性が声をかけ、冬用のコートを買ってくれた。道に迷い家まで送ってもらったことも1度や2度ではなく、街で励ましの言葉をかけられることもしばしばだ。
「私だけじゃなく、留学生はみんな地域の人たちの心遣いに触れた経験があるはず」。卒業後は東京の旅行会社に就職するが、「別府での4年間を生かし、ベトナムと日本の架け橋になりたい」と胸を弾ませる。
APUの10年あまりの歩みとともに、別府は地元住民と外国人学生が共生する全国的にも先駆的な街となった。「外国人ミス別府」の誕生は、さながら両者の融合の象徴といえる。
だが、ここに至る道のりは、決して平坦(へいたん)ではなかった。(敬称略)
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大学がさまざまな形で変革期を迎える中、地域密着の取り組みを進める動きも積極化している。全国の先進事例を探る。
【用語解説】立命館アジア太平洋大学(APU) 海外の学生たちが日本で学び、祖国に知識を還元する「真の国際大学」の創造を目的に、学校法人・立命館が平成12年4月、大分県別府市で開学。2つの学部に多くの外国人学生を受け入れ、アジア太平洋地域の経済や文化などの研究を通じて国際的リーダーの育成を目指している。22年11月現在の学生数は6040人で、うち47%の2837人が外国人。出身地は85カ国・地域にのぼる。
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