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多文化共生とは永続的なココロの営み

言葉の壁に支援の手 津のブラジル人学校で日本語教育

2008-11-27 09:14:42 | 多文化共生
(以下、中日新聞【三重】から転載)
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言葉の壁に支援の手 津のブラジル人学校で日本語教育

2008年11月27日

 津市高茶屋のブラジル人学校「アポーヨ・ミエ」で、日本人ボランティアが子どもたちに日本語を教える授業が始まった。日本で生活するのに困らないよう言葉を身に付けてもらおうと、日本の小学五年までの二十三人全員を対象に取り組んでいる。 

 「送迎バスの中で日本語が飛び交うようになった。覚えた言葉を使ってみたいんでしょう」。学校の総務担当、大渕和幸さん(60)は顔をほころばせる。アポーヨでは、普段の授業はポルトガル語。家庭で使うのもポルトガル語。これまで日系人のスタッフが簡単な日本語を教える時間はあったが、読み書きが中心で言葉の上達には限界があった。

 三重大国際交流センターの福岡昌子准教授が中心になり、文化庁の支援が得られる日本語教育事業として二月までの学習計画を組んだ。福岡准教授が昨年度開いたボランティア日本語講師養成講座の修了生ら三人が授業を担当する。

 月、水、金曜日の午後に、レベルで分けた二クラスで一時間ずつ授業を行う。会話形式の練習を多く取り入れている。ボランティア教師の真澄冨子さんは「大人に教えるのと違って真っ白な状態の子どもたち。私たちも日々勉強です」。

 子どもを持つブラジル人従業員のため、津市の塗装会社が出資して二〇〇五年に開校したアポーヨには高等部がない。親が帰国しないまま子どもが大きくなった場合は日本の学校へ進学できるよう、小学六年以上の年齢になった子には地元の小中学校への編入を促している。学校を経営する中村博俊さん(48)は「子どもが日本の学校へ行けるステップになれば」と期待する。

 福岡准教授は「ブラジル人学校は外部とのつながりが少なく行政の支援も乏しい。しかし親の滞在が長期化する中、日本語教育の支援は必要だ」と強調している。

 (木下大資)

日本語を母語としない子ども達のための、日本の高校が誕生!

2008-11-27 09:14:02 | 多文化共生
(以下、PRTIMESから転載)
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日本語を母語としない子ども達のための、日本の高校が誕生!

近年、外国人労働者の流入と共に、日本語を母語としない子どもたちが急増しています。
しかし、日本国内では言葉と文化の壁により「学校」へ馴染めず社会に置き去りにされ、その受け皿体制が間に合わず、不就学問題が社会的な問題になってきています。

本来、バイリンガルとしての素敵なパートナーになる人物を、みすみす社会で潰してしまっている状況をつくってしまっているのです。

代々木高校では、日頃から在日本での日本語教育に力を入れてきた「船橋国際外語学院」と、日本語を母語としない子どもたちのための日本の学校「インタナショナルスクール船橋」を設立し、提携することとなりました。

保護者と共に来日したものの、日本語が不自由で生活にも馴染めない生徒のために、日本語教育と共に日本の高校生としての学習を行っていきます。
もちろん、母国の文化も大切にし、地球人としての「多様性を認めあう」国際人の育成を目指します。また、卒業後は日本の大学をはじめとした進学を前提とし、バイリンガル、マルチリンガルとしてのリーダーとして活躍してくれるものと考えています。

船橋にある日本語学校である「船橋国際外語学院」に隣接する専用のビルにおいて開校しますので、既に日本語を学習している母国が同じな『お兄さんやお姉さん』との交流はもちろん、保護者会や、さまざまな支援機関との連携により、生活面での不安も解消されるはずです。
受付相談も、日本語、英語、中国語、韓国語、ポルトガル語、ロシア語、イタリア語、インドネシア語、シンハリ語、ベンガル語、モンゴル語
などで受けることも出来ますのでお気軽にご連絡ください。

* 言語によっては受付時間が限られますので、事前にご確認ください。
* 留学を目指す日本人の生徒も受け入れていますのでご相談下さい。

インターナショナルスクール船橋
千葉県船橋市湊町2-1-6
電話:047-420-3727(みんな船橋)
FAX:047-420-3728
メール:info@e-isf.com   URL:http://www.e-isf.com
交通:JR・京成・東武野田線 船橋駅 徒歩10分

代々木高校
http://yoyogi.ed.jp/topics/view.php?binfo_id=70&ino=1

問い合わせ
info@yoyogi.ed.jp

現場で考える 定住日系ブラジル人、子の教育

2008-11-27 09:13:28 | 多文化共生
(以下、毎日新聞から転載)
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ニュースUP:現場で考える 定住日系ブラジル人、子の教育=大津支局・服部正法
 ◇可能性探る多文化保育

 90年の入管法改正で、日系外国人に「定住者」などの資格が与えられ、就労しやすくなってから、来年で20年目になる。ブラジルなど南米から来日した日系人は、かつての「デカセギ」から、定住の傾向にある。地域の構成員としての認知は広がったものの、言葉や教育制度の違いなどから、日系の子どもが能力を発揮できないことも多い。近畿で最もブラジル人が多い滋賀県の工場地帯を歩き、日系の子どもたちの現状と、その可能性を探る「多文化保育所」の試みを追った。

 ブラジル人の日本での教育は2パターンに大別できる。日本の幼稚園などから小中学校に進むか、ブラジル人託児所から私塾的な形態が多いブラジル人学校に通うかだ。

 ブラジル人学校は本国と同様の教育をしており、アイデンティティーをはぐくむのに適している。しかし、本国で親の仕事がなく滞日が長期になったり、定住する場合、言葉の壁で進学は難しくなる。日本の学校とブラジル人学校を交互に出入りしたり、帰国後に再来日するケースもある。親の多くは派遣労働者のため、景気の影響で1カ所にとどまれない場合も多い。

 滋賀県愛荘町長野のブラジル人学校「コレージオ・サンタナ」を今年1月にやめた4世の少女(17)は典型例だ。4歳で初来日し、7歳でブラジルに帰国。11歳に再来日した後も帰国と来日を繰り返した。最初に日本の幼稚園に入り、2回目の来日時でも日本の小学校に入ったが、言葉がよく分からないまま、先生にも友達にもなじめず、1年でブラジル人学校に転入した。しかし同校もやめ、今は家でパソコンやテレビに向かう。

 将来は「建築デザインの仕事がしたい」と語り、私が「日本の学校に行く気は?」と問うと、首を横に振った。親は近く帰国するといい、「帰ったら、もう戻らないと言うけど、ブラジルでうまくいかなきゃ、戻らないと仕方ない」と寂しそうに笑う。

 日本の中学に通っても高校進学のハードルは高いが、現実の厳しさに気付いていない親も多い。あるブラジル人中学生の親は「うちの子は日本語ができる。日本の教育を受けるチャンス」と訴えるが、子どもは私に「授業は全然、分からへん」。高校合格は難しいと感じた私は、両親を前に暗然たる思いになった。

 日常会話が話せても、学習する言語力を得るのは難しい。日系2世として子どもの状況を研究し、支援するリリアン・テルミ・ハタノ甲南女子大准教授は「赤ちゃんのころから日本にいても学力や語彙(ごい)が少ない。親が日本語ができず、家庭で親から学ぶサポートがないからだ」と指摘する。

  ◇  ◇  ◇

 「『肩』を洗って。次は『顔』を洗って。そうそう」。滋賀県近江八幡市千僧供町(せんぞくちょう)の多文化保育所「サポートハウス みんなのいえ」で、日本人保育士の声と仕草にブラジルの子どもたちが「キャッ、キャッ」と声を上げた。

 ブラジル人を支援してきた吉積尚子園長や常勤スタッフの鈴木祥子さん(45)らが昨夏、田園地帯の4階建て住宅の1階の2室を使い、保育所を始めた。今では1~5歳の幼児ら約20人が通い、日本人保育士1人、ブラジル人の保育スタッフ3人、給食スタッフが常勤する。

 子どもの多くはポルトガル語が母語で、朝夕に日本語で遊ぶほか、他の時間も鈴木さんら日本人スタッフが日本語で話し掛ける。無理強いはせず、普段の生活で日本語に慣れさせる方法だ。

 就学前のブラジル人の多くは、ブラジル人学校に併設された託児所やブラジル人による保育所で過ごす。しかし吉積園長は「完全にポルトガル語の世界で、日本人とかかわりがない。教育問題の根幹は就学前ではないか」と状況を分析する。そこで「より日本語に触れられる環境を」と多文化保育所を考案した。

 ブラジル人託児所からブラジル人学校に進むと、日本社会との関係が希薄になる。一方、日本の保育所や学校に適応するのも簡単ではない。ブラジル人保育スタッフのソライア・ヘベロ・サトウさん(33)は「子どもを家の中で、ただ遊ばせている場合が多く、集団生活に慣れず、言葉の問題で(日本の)小学校でトラブルになることもある」と憂慮する。「両方の文化を学べることは、とても良い。こういう場所を作るにはブラジル人、日本人双方の努力が必要だ」と話す。

 鈴木さんは「子どもたちの将来の選択の幅を広くする手伝いをしたい。日本、ブラジルのどちらか一つでなく、グラデーションのように」と言う。さらに、残業をこなす親にとって、定時の送迎を求められる日本の保育園は通わせにくいとも指摘。「ブラジル人社会の問題は、日本人と乖離(かいり)した話ではない。派遣労働とか、保育のあり方とか、日本社会が抱える問題を凝縮している」と強調する。

 しかし不況や金融危機でブラジル人の親の失職が目立ち、「みんなのいえ」に通う子どもは多い時の約半数になった。芽吹いた“希望”の行く末が気掛かりだ。

毎日新聞 2008年11月26日 大阪朝刊