goo blog サービス終了のお知らせ 

多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

専業主婦を養える男性は、3.5%しかいない。男性不況という現実

2014-01-07 09:16:30 | ダイバーシティ
(以下、アメーバニュースから転載)
===========================================
専業主婦を養える男性は、3.5%しかいない。男性不況という現実『ホワイト企業』

2014年01月06日 11時00分
提供:エキサイトレビュー


『ホワイトハウス企業 女性が本当に安心して働ける会社』(経済産業省監修/文藝春秋) 一人一人の社員を大切にしてくれる会社、ホワイト企業を紹介し応援する本。
“商談の席で、相手側は半分は女性なのに、日本側はズラッと黒いスーツの中高年男性ばかりだった、というような海外経験のある方が日本に戻ってきて本社のトップになって、一気にダイバーシティを進めた、という話はよく聞きます。”
「ダイバーシティ」というのは、「多様な働き方」を指す言葉だ。
経済産業省は、2012年度から「ダイバーシティ経営企業100選」という事業を始めた。
それに関連して出版されたのが『ホワイト企業 女性が本当に安心して働ける会社』(経済産業省 監修)だ。
お役所仕事っぽいダサい装丁で読む気をなくしちゃうのだが、読むと中身は良かった。

いきなり飛び出してくるのは「男性不況」という言葉だ。
“今まで男性の雇用者が多かった業種、建設業、製造業等において、労働者が減ってきています。こうした業種は、雇用の受け皿としての成長が、もうあまり見込めないからです。その一方、少子高齢化の中で、女性の雇用者の多い医療・福祉といったサービス産業が伸びています。産業構造の変化を見ても、女性労働力に対するニーズが伸びているということが言えます”
さらには、“専業主婦を養える男性は、3.5%”しかいないというデータが示される。
ここまで読むと、男としては意気消沈という感じだが、そうではない。
男が排除されて女が歓迎されるといった単純な話ではないのだ。
産業構造、会社、家庭の変化によって、いままでの男性中心企業では通用しない。
ビジネス上の戦略としても、多様な働き方を切り開いていく必要がある。

ぼくがショックだったのは、第五章「ホワイト企業に就職する方法」に書いてあったホワイト企業を選ぶときにチェックすべきポイントだ。
こうある。
“平均勤続年数(男女格差)
実労働時間、または残業時間
有給取得率(日本全体では50%ぐらいが平均です)
女性の管理職比率(日本全体では約10%、大企業の課長以上、となると6~7%です)
女性の役員比率(日本全体では1~2%です)”
ううむ。
女性の管理職比率約10%、女性の役員比率1~2%。
なんて少ないのか。
日本の会社が、いかに男性偏重型組織であるか。

もうひとつ驚いたのは、「総合職」と「一般職」があったが「総合職」に一本化する企業が増えてきたという記述だ。
まだ、そんなことやってんのか。
「増えてきた」ということは、まだ「総合職」「一般職」とかやってる会社があるっていうことだろう。
えええー、いま、2014年っすよ。
平成っすよ。
ごめんなさい。会社っていうものが、そんなにも古臭いところだってことに無知すぎました。

本書は、その古びた体質が変わってきているという実例、ダイバーシティ企業として工夫をこらしている会社の実例がたくさん登場していて、勇気づけられる。
「育休や時短の制度を整えて、育児中の女性が働きやすいように特別に配慮すること」では、ない。働き方の柔軟性を高めることで生産性を向上するベクトルを持つ。
サントリーホールディングスは、“2010年から全社員を対象にテレワークを導入。時間や場所を選ばずに、社内システムにアクセスして仕事をすることができるようになりました。子どもが風邪のときや、営業先が事務所から遠いときにも、上司の許可を得て在宅勤務を活用できるとのことです。”
そして、こういった取り組みは、「女性にやさしい」だけではなく、誰にとってもやさしい。ビジネス上の戦略にもなる。
日本マイクロソフトは、モバイルワーク環境が整っていたおかげで、震災の直後、社長が全社員向けに在宅勤務を呼びかけたところ、“業務上ほとんど支障は生じなかったそうです”。
育児中の女性を特別に時短するのではなく、働き方全体を見直す例も登場する。
資生堂は、“本社オフィスでは午後8時には電源を落として、男性社員、女性社員に関係なく事前に申請していない残業ができないように”なっている。

本書の後半は、「ダイバーシティ経営企業100選」から代表的なところとして、以下の25社の実例が載っている。
資生堂
サントリーホールディングス
日産自動車
りそな銀行
NTTデータ
東芝
第一生命保険
グリーンライフ産業
重松建設
六花亭
マイスター
金子製作所
三州製菓
花王
キリンホールディングス
サトーホールディングス
日立製作所
富士電機
リコー
TOTO
NECソフト
モーハウス
天彦産業
きものブレイン
サポート行政書士法人

『ホワイト企業 女性が本当に安心して働ける会社』(経済産業省 監修)を読んで、しみじみと実感するのは、「女性のため」の何かではなく、「個性豊かである自分たちそれぞれのため」の取り組みだということだ。
帯に「就活生、働く女性、必読!」とあるが間違いだ。男性も必読である。
(米光一成)

発達障害ある子の母「喜びはたくさん」体験語る/横須賀

2013-12-24 11:40:23 | ダイバーシティ
発達障害ある子の母「喜びはたくさん」体験語る/横須賀

2013年12月12日

 発達障害のある4人の子どもの母親で自閉症スペクトラム支援士の堀内祐子さんの講演会が11日、横須賀市日の出町で開かれた。障害者週間にちなんだ市の催しで、テーマは「発達障害の子とハッピーに暮らすヒント」。苦悩の中で子どもの成長に触れ幸せを感じた実体験などをもとに、「不安に押しつぶされそうになるが、諦めなかったら大丈夫。絶対に先は明るい」と訴えた。

 中学3年のときにアスペルガー症候群と診断された長女(25)をはじめ、3人の子が同症候群。特徴である強いこだわりを外すため、「どうしたらいいか日夜考えていた」という中、代わりとなりうる別の選択肢を示し、自ら選ばせることが有用と気付いた。「自分で選ぶことで腑に落ち、気持ちが切り替わる。そうすると、基本的に自閉症圏の子は約束を律義に守ろうとする」と説明した。

 同症候群に注意欠陥多動性障害(ADHD)と学習障害(LD)も組み合わさっている長男(22)は小学生のとき、堀内さんの言うことを一切聞かなかった。その一方で夫の言うことは聞いていたため、夫の話し方を分析。声を低めにし、話の始まりと終わりを明確にして簡潔に話すよう変えたところ、「話を聞いてくれるようになった」という。

 本当につらいとき、「一寸先は闇でも、百里先は明るいです」と次男に励まされ、元気が出た。「発達障害があっても子どもはちゃんと成長していく。不登校のときに学校へ行けたら泣くほどうれしいし、自信を持ったところを見るとすごくうれしい。子どもが元気に働く姿を見ることができ、喜びを感じている。喜びはたくさん転がっている」と訴えた。

 相談所、スクールカウンセラー、友人などに助けられ、夫に支えてもらったという堀内さん。「周りには助けてくれる人がたくさんいる。助けを借り、明るく、希望を持って頑張って」と呼び掛けた。

国連障害者権利条約、日本ようやく批准へ 国内法令整う

2013-12-04 09:34:41 | ダイバーシティ
(以下、朝日新聞から転載)
==========================================
国連障害者権利条約、日本ようやく批准へ 国内法令整う
2013年12月4日03時01分

 障害者の差別禁止や社会参加を促す国連の障害者権利条約の承認案が3日、参院外交防衛委員会で全会一致で可決された。4日の参院本会議で可決され、国会で正式に承認される見通しとなった。条約発効から5年余りでようやく日本の批准が実現する。

 条約は2006年12月に国連総会で採択され、08年5月に発効した。「障害に基づくあらゆる差別」の禁止や、障害者の権利・尊厳を守ることをうたう。締結国は、公共施設を使いやすくするなど、さまざまな分野で対応を求められる。主要8カ国(G8)のうち日米以外の国や中国、韓国など、計137カ国と欧州連合が締結済みだ。

 日本政府は早期締結をめざしたが、障害者団体が「国内対策を充実させた上で批准すべきだ」と要望。政府は12年に障害者総合支援法を、今年6月には障害者差別解消法を成立させるなど、批准に向けて国内法令を整備してきた。

 障害者関係団体でつくる日本障害フォーラムの藤井克徳・幹事会議長は「批准は日本の障害者施策の夜明けになる。条約を活用し、取り組みをさらに充実させていくことが大事だ」と話している。

鳥取で初の条例 広めたい「手話は言語」

2013-12-02 12:19:05 | ダイバーシティ
(以下、東京新聞から転載)
============================================
鳥取で初の条例 広めたい「手話は言語」

2013年12月2日


 手話を独自の言語と認め、その普及を促す初の条例を鳥取県がつくった。周りの無理解で、肩身の狭い思いに悩む人は今も多い。これをきっかけに、手話の“市民権”が、どんどん広まるといい。
 きっと勇気づけられたことだろう。国内で約三十万人といわれる聴覚言語障害の人たちだ。
 「この条例が先駆けとなって全国に広がってくれれば…」
 鳥取県議会が十月に「手話言語条例」を可決したとき、全日本ろうあ連盟の幹部らはそう期待した。
 北海道の石狩市が早速、先週開会した十二月議会で同様の条例案を上程したのは、広がりを加速させる動きとして歓迎したい。
 「法廷で聴覚障害者が傍聴するとき、手話通訳者の位置を制限する裁判長がいる」。これは、さいたま市で最近報告された一種の差別ともいえる事例の一つだ。
 彼らが、はなから企業に採用を拒まれたり、日ごろ好奇の目にさらされる例は少なくない。災害時に避難指示が的確に伝わらず命にかかわることも。障害や手話への偏見、無理解からくるものだ。
 鳥取県条例は、これを正そうとしている。手話を「独自の言語体系をもつ文化的所産」と定めた。県と市町村に手話が使いやすい環境づくりを義務づけ、県民向け講座や小中学校での手話教育に取り組む。事業者には聴覚障害者が働きやすい環境整備を求めた。
 障害者に手を差し伸べる県民運動を四年前から始めた鳥取県。もともと条例制定の先端を行く土壌があった。「県民の理解に、より大きな役割を果たす」と、手話に詳しい筑波技術大学の大杉豊准教授(言語学)は条例を評価する。
 日本の手話には方言がある。世界に目を移すと、音声言語と同じく各国手話があり、その数は百三十を超え共通の国際手話もある。明らかに言語そのものである。
 オーストリアやウガンダなどは憲法に、チェコやハンガリーなどは個別法に、手話を言語と定める国も多い。日本では、二〇一一年に改正障害者基本法に「言語(手話を含む)」との表現が盛り込まれたが、まだ不十分だ。
 条例化の動きは東海や関東にもあり各地に波及しそうだが、本来は国による法の制定が望ましい。
 手話を「文化的所産」である言語に定めるとは、同じ社会に生きる「私たちの文化」として共有するということだ。点字の問題なども含め、彼らが尊厳を持って暮らせる社会にしたい。

障害者といじめ問題

2013-12-02 12:17:43 | ダイバーシティ
(以下、朝日新聞から転載)
============================================
障害者といじめ問題

エッセイ
立石芳樹 (たていし・よしき)
2013年12月 2日

 本格的に寒い季節となりました。皆さん、体調はいかがでしょうか。今年は強い寒気が日本列島に舞い降り、いちだんと厳しい冬になるという予報なので、健康には充分気をつけていきましょう。

 先々週のコラムで、進路選びでの注意点について書きました。さんざん悩んだ末にようやく進路を決め、無事、希望通りの学校に入学できたとしても、そこがすべてのゴールというわけではありませんよね。学校生活はつねに、予想もつかないトラブルととなり合わせです。

 その中でも特に親御さんの頭を悩ませる大きな問題が……「いじめ」です。

 文科省発表のデータによると、小中学校でのいじめ発生件数は近年増加傾向にあり、今や、いじめのないクラスはない、とまで言われています。障害の有無にかかわらず、多くの子どもがいじめに苦しんでいるという現状は、この20年あまりの間で変わっていないようです。

(障害者はいじめの対象になるか)

 これが、今回のメインテーマです。もっと正確な表現で言えば、(障害者であるという理由だけで、いじめの標的にされる可能性があるか)というかたちになるでしょうか。

 この問いにイエス、つまり、障害の有無がいじめに遭うリスクを左右するとこたえる人は、障害者は弱い存在だ、というのをその根拠としています。障害を持っているといじめによる暴力をはねかえす力が弱まるのだから、結果として継続的なターゲットにされてしまう。また、いじめる側も障害という弱さにつけこんで、さらなる悪質な暴力をはたらくのではないか……。

 これに対する反論としては、「いじめ無差別説」というものがあります。現代のいじめはほぼ無差別に行われており、障害のない子もターゲットにされているのだから、障害があるというだけではいじめの理由にならない。

 どちらの意見にもそれなりの根拠と正当性があるように思えますが、僕の実感としては、「いじめ無差別説」のほうが現状に近いような気がします。年齢的に、昔のいじめについてあまり深く語ることはできませんが、今のいじめの構造を見ていると、どうも、その本質自体が少しずつ変わっているように見えるのです。

 いじめの原因として一般的に思いつくのは、(○○ができない)とか、(××がまわりよりも下手)というような、いわゆる具体的な理由ですが、現実には、はっきりとした理由のないいじめも多く、それがこの問題の根深さを物語っています。

 いじめられる側はもちろん、いじめる側でさえも、(なぜいじめるのか)がわからない。いじめの問題をいつまでも、のび太君とジャイアンのような牧歌的な関係によってとらえていると、事の本質を見失ってしまいます。

 僕自身、小学校から高校まで地域の普通学校に通っていましたが、一度もいじめらしいいじめに遭ったことはありません。どのクラスでも年度の早い段階からわりとスムーズにとけこむことができましたし、それぞれの年代で心の許せる友人もいたので、少なくとも人間関係でのトラブルに巻き込まれることはありませんでした。

 けれど、同じ時期に普通学校に進学したリハビリセンター時代の知り合いに聞くと、中学時代はしょっちゅう、歩く時に使うクラッチ(松葉杖のようなもの)を隠されたり、ノートをゴミ箱に捨てられたりと、クラスメイトからのしつこいいじめに遭っていたようです。

 他の知り合いからも同じようないじめの体験談を聞くこともあり、そうした話を耳にするにつれ、いつしか、(僕はたまたま運がよかったのかな)と思うようになりました。

 いじめ問題は、進路選びにも影響します。普通学校だといじめのリスクが高いだろうから、安全に思える特別支援学校を選ぶ。けれど、本当にそれで良いのでしょうか?

 確かに、支援学校は生徒の人数も少なく、先生の目も行き届きやすいので、いじめが起こるリスクは低いと言えるでしょう。ただし、それは決して、(支援学校にはいじめがまったくない)ということを意味するものではありません。先生方がどんなに努力なさったとしても、人間と人間が同じ空間で過ごすかぎり、いじめのリスクはつねに生じるものです。

 (いじめがないだろうから)という消極的な理由だけで支援学校を選ぶことに、僕は反対です。

 いじめに近い言葉として、からかい、というのがあります。いじめとからかいの違いは何かと聞かれると、僕もすぐにはこたえが出せないのですが、直感的なイメージとして、からかいのほうがいじめよりも軽く、親しみやすい印象があります。

 いじめと、からかい。このふたつの線引きは、意外に難しいんですよね。片方は単にからかっているつもりでも、受け取る側はいじめとして、深刻に考えてしまう。あるいは、はじめのうちは軽いからかいだったのが、だんだんに本格的ないじめに発展してしまう。どちらのケースでも、当人同士で最後まで解決するのは限界があるので、どこかのタイミングで親や教師の介入が必要となるでしょう。

 誤解を恐れずに言えば、障害者をからかいたくなる気持ち自体は、僕も理解できるんですよね。特に、小学校低学年のうちは物事をまっすぐにとらえる時期ですから、同じクラスに自分と違った格好の友達がいれば、何だろうと興味を持つのが自然です。

 僕は障害の特性上、極端に緊張したり興奮したりするとよだれが垂れてしまいます。今はある程度自分の力でコントロールできるようになったのですが、小学校ぐらいまではその傾向が特にひどくて、教科書もよくよだれで濡らしてしまうほどでした。

 ある日の休憩時間。僕のよだれが今まさに机の一点に落ちようとしたその時、近くで見ていた友達がすかさず言ったのです。

「あっ、よだれ爆弾だ!」

 これも、大人の基準をあてはめれば、いじめの範囲に入るのかもしれません。けれど、その時の僕は、いじめられたという感覚はまったくありませんでした。むしろ、話題の中心になれたことですごくうれしい気分になったのを覚えています。

 もしもこれが、

(よだれが垂れてて気持ち悪い)

 などと言われたら、さすがの僕も傷ついたかもしれませんが、何しろ(よだれ爆弾)ですからね。こんなユーモラスな表現は、小学生にしかできません。ちょっとした一言によって、笑いのあるコミュニケーションが成立する。人間関係の楽しさというのは、その部分にあるのではないでしょうか。

 いじめとからかいの違い。最後に僕なりのこたえを出すとすれば、一方的か双方向か、ということだと思っています。いじめは、相手の気持ちや反応に関係なく行われる一方的なものですが、からかいは本来、双方向的なものです。(よだれ爆弾)というフレーズに心から笑うことができた時点で、僕とそのクラスメイトとのコミュニケーションは成立しているのです。

 個々の関係性を一切考慮することなく、(いじめもからかいもすべて悪いことだ)という建前を教師の側が押しつけてしまうと、健全なかたちでのコミュニケーションも阻害してしまい、かえって本人を孤立させてしまうことにつながりかねません。ただ、最初は軽いからかいから始まったものがだんだんに深刻ないじめへと発展するケースは考えられるので、大人の目による適切なチェックはもちろん必要ですけれど。

 教育現場からいじめをなくそうと努力することは、もちろん大切です。けれどその一方で、障害の有無に関係なくいじめへの免疫というか、(万一いじめに遭ったらこういうプロセスで対処をする)というマニュアルを事前に持っておくことも、自衛策としては必要なのではないでしょうか。

 悲しいことですが、現代において、学校でいじめに遭うというのはもはや、特別な現象ではなくなっています。それは、障害があろうとなかろうと関係ないことです。皮肉なことに、いじめ問題では、障害児も健常児も(平等)なのです。

昼定時制導入を検討 不登校、発達障害に対応

2013-11-25 11:35:49 | ダイバーシティ
(以下、佐賀新聞から転載)
==========================================
昼定時制導入を検討 不登校、発達障害に対応

 佐賀県教育委員会は、県内初となる昼間定時制高校の導入について検討を始めた。仕事を終えた夕方に登校する生徒が多い夜間定時制と異なり、高校進学に悩む不登校経験者や発達障害の生徒などの入学を見込む。老朽化が進む佐賀北通信制校舎(佐賀市)の移転検討に伴って浮上した案で、実現すれば県内唯一の定時・通信併設校となる。
 県立高再編整備推進室によると、定時制は1日の授業数4時間の原則4年制。昼間定時制は昼すぎに登校し、夕方に下校する。夜間とは異なり、不登校やいじめ、発達障害などで学校生活になじめなかった子どもが高校進学する際の選択肢として想定する。
 昼間定時制導入案は、校舎の老朽化が進む佐賀北通信制校舎の移転の検討過程で浮上。県教委は2002年、高校再編計画の中で牛津と高志館の統合方針を示し、鳥栖、佐賀商の定時制と佐賀北通信制の3校を定時・通信併設校として牛津跡に開設する計画だった。統合校は昼夜2部制とする構想だったが、その後、地元の強い要望もあり、牛津が当面、単独校として存続することが決定。定通併設校の計画は事実上、立ち消えとなっていた。
 佐賀北全日制校舎は現在、改修工事中だが、通信制校舎は工事の対象外となっている。「敷地の広さなどから、現地建て替えは難しい」(同推進室)状況で、移転する場合は建設地の選定が課題になる。県教委は今月、高校再編の新たな素案を提示しており、再編後の跡地活用も視野に入れる。
 県内の夜間6校はいずれも定員割れしているが、同推進室は「昼間定時制は、夜間と異なる事情の生徒が想定されるため、一定の入学希望者は見込まれる」とする。
 佐賀北高通信制校舎は1967年に落成。77年には鉄骨平屋建て171平方メートルが隣接して造られた。全日制佐賀北高の敷地内にあり、木造2階建て、延べ床面積538平方メートル。本年度の登録生徒は1408人で、履修を申し込んでいる活動生徒は615人となっている。
2013年11月21日更新

自分が「発達障害」だなんて認めたくなかったけど

2013-11-22 09:37:17 | ダイバーシティ
(以下、BLOGOSから転載)
======================================
2013年11月22日 07:30

自分が「発達障害」だなんて認めたくなかったけど

「問題児」というレッテルを貼られ、いじめられた自身の経験を、赤裸々に描いた『ニトロちゃん』。「〈発達障害〉がよくわかるコミックエッセイ」として、じわじわと注目が集まっている。今回は『ニトロちゃん』文庫化を記念して、作者の沖田×華氏にインタビューを行った。(聞き手・構成/山本菜々子)

「このまま飛び降りて死んでやる」
―― 『ニトロちゃん』文庫化、おめでとうございます。

ありがとうございます。こんなに反響をいただく本になるとは私も思っていませんでした。

―― 『ニトロちゃん』は沖田さんの実体験を基に、いじめを受けるなどの過酷な学校生活を描かれています。なぜこのようなテーマを選んだのでしょうか。

もともとは、いわゆる「エロ雑誌」に、自分の風俗嬢だった体験を描いていました。そこからどんどん仕事が入るようになってきて、『こんなアホでも幸せになりたい』(ぶんか社)というコミックエッセイ本を出したんです。ずっとアホな話を描いているんですが、最後の方を少し泣けるような話にしたら「すごくいい」と言って下さる方が沢山いて、光文社の方から「悲しい話を描いてみませんか」という声がかかりました。

そこで、テーマが「いじめ」になったのですが、正直気は進まなくて。こんなもの描いても引かれるだけじゃないかと感じたんです。私はアスペルガーなので、いじめられた記憶が、スライドショーのような感じで、昨日あったかのように思い出せるんです。だから、描いている時も、あんまり直視したくなかったですね。

―― よく描かれる「いじめ」は、クラスメートのものが多いと思いますが、この本では先生のいじめについて描かれていますね。

子供の「いじめ」って、移り気なんですよ。ある程度の時期が過ぎたらターゲットが変わることが多い。自分がいじめられっ子だったら、次はいじめっ子になっていたりする。私はある意味、軽い部分があると感じていました。

でも、教師のいじめは違います。まず、証拠を全く残さない。「教育的」とされている体罰もあるので、境目があいまいで、個人的な感情で何時間も攻撃することが可能です。私の場合は、勉強ができないことや宿題をやってこないことで怒られて、注意されてもボーっとしているので、次第に殴られたりするようになってきました。

教室という空間の中では、先生は神のような存在です。殴ったり、叱ったりするのに根拠はいりません。外側からみたら非常識だったりすることも、教室の中ではあいまいになってしまいます。

昔は「弱いからいじめられる」「いじめられる原因があるからいけない」と言われていました。だから、「強くなろう」とは思うんだけど、何の基準で「強い」のかわからない。言い返したらもっといじめられるし、本気でやり返したら怒られるし、どうしたらいいんだろうって。

―― 衝撃的だったのは、中学一年生の時に当時の担任の先生に、部屋に閉じ込められて「頭の検査」と言われ身体を触られていた場面です。こんな性的な虐待が許されるのかと、怒りを覚えました。

「変なことをされた」と同級生にも言えないし、もんもんとしていました。当時は、勉強ができないし、そんな私が大人に何を言ってもわかってくれないという思いがあったんです。学校で先生にひどいことをされても、家では普通に過ごしたいから、親に言うこともできませんでした。不登校になるとか、仮病で休むことも頭になくて、毎日「風邪ひかないかなぁ」と思っていましたね。インフルエンザの子によりそったり(笑)。

保健室も不良の溜まり場だし、私みたいに勉強が出来ないけどまじめな子の居場所ってなかなかないんですよ。ああ、もう、死にたいって思って。でも、飛び降りようにも、田舎だから2階以上の建物はないし、海は漁師がすぐ助けてしまいそうで。困ったなぁって。

ある日、その先生にぼこぼこに殴られたことがあって、「このまま飛び降りて死んでやる」と衝動的に思ったんです。目撃者もいっぱいいたし、先生が悪いってわかってくれるんじゃないかって。

あの時の私にとって、飛び降り自殺することは最大のパフォーマンスだったんですよね。でも、ニュースで飛び降り自殺をした生徒の報道を見ても、もみ消されたりうやむやになって終わっています。学校で死んだところで何も変わらないのかもしれないし、ここは社会と遮断されている場所なのかもしれないと感じました。

当時の私は、学校には期限があるから「あと何年か頑張ったら解放されるんだ」と自分に言い聞かせていましたね。

―― 先生に対して許せないという思いはありますか。

私にひどいことをしたはずなのに、今では校長先生になったり、教育委員会で出世しているような人もいて、悔しいですね。

先生に執拗に怒られたり暴力を振るわれたりしたので、未だに、後遺症のようなものがあるんです。「場面緘黙症」といって密室に二人っきりになると「怒られる」「叩かれる」という思いがよぎってしまい、喋れなくなってしまいます。

大人になっても治らずに、怒られて喋れなくなっているのを「逆ギレしている」と思われてしまって。仕事の人間関係に支障をきたしたりしました。普段よく喋っているので、喋れなくなっていることをわかってもらえないんですよね。

それくらい、私にとっては辛かったはずなのに、当時の同級生と話をした時に、「あの先生良い人だったよね」という話も出てきたりするんです。私からしたら暴力を振るわれたひどい先生のはずなのに、同級生は私がいじめられたことさえも全く覚えていない。記憶に残らないような些細なことだったのか、とびっくりしました。この違いはなんなんだろうと。もしかしたら、大したことは無かったのかなって、時々気持ちがゆらぐことがあります。



―― 『ニトロちゃん』では語りの文がすごく優しくて、大人の沖田さんが「ニトロちゃん」に話しかけているような感じがしました。

うーん。そこはあまり意識していないですね。わかりやすく伝わるようにと意識はしました。今、昔の自分と会っても、「よしよし、辛いね」と優しくできるかわからないですね(笑)。でも、大人になって楽しいことは沢山あるよ、とは言ってあげたいです。

―― 実際に学校に行くことが楽になったのはいつごろですか。

中学2年の時ですね。すごく良い先生が担任になったんです。ダメな先生とケンカをしてくれる熱血な先生でした「虫ケラ以下だった私にも、先生は優しく接してくれる」と、感じました。他の先生からは「変な子」だと思われていたので、認められている感じがしたんです。先生にはすごく懐くようになりました。

高校などでもそうだったんですが、先生が大好きになると、性的なことをしたくなるんです。今思えば、中1の時に性的な虐待を先生にされ続けていたから、どこか、「認められるためには自分の性的なものを差し出さなければ」と感じていたのかもしれません。根深いところで影響があるのかもしれません。

―― 学校生活で、こういった配慮があれば過ごしやすかったと感じるものはありますか。

場面緘黙症になって固まっていた時に、いろいろと言われてさらに混乱していたので、別の空間で一呼吸おければよかったです。保健室のような場所でお話ができるまで待ってもらって、お互いの意思疎通ができる状態にして欲しかった。理想は、本があって、大人はいてもいいけど、教師じゃない人がいて、児童館のように自由に出入りできるような場所ですね。

それと、成績以外の評価基準で、「あなたのこういうところが良いから、頑張りましょう」と言って欲しかったです。それは、草むしりでも掃除でも、なんでもいいんですよ。もし勉強以外の所で認められていたら、もっと明るく学校にいけたのかなと思います。

障害のせいじゃない
―― 読者の方から反響はありましたか。

「私も同じ経験をしました」という声がけっこうあってびっくりしました。中には、私よりもひどいいじめを受けた方もいて。大人になっても覚えているということは、嫌な記憶なんですよね。こんな暗い本は誰も手にとらないと思っていたので、沢山の方に読んでもらえたことに驚きました。

―― この本では「みんなとは違う、発達障害の私」と、副題がついていて、沖田さんが学習障害、アスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の3つの発達障害であることに触れています。

小学校3、4年生の時に「学習障害」という診断をもらいました。その当時は「学習障害」といっても、発表されたばかりで、あんまり浸透していなかったんです。「学習障害」=「勉強ができない」という認識でした。

勉強ができないだけなのかと思っていたら、大人になってわかったのですがADHDもアスペルガーもあったんです。授業中は大人しくしているんですが、休み時間になったら時間の感覚がわからなくなって、戻ってこないとか。衝動的なところがあって、「問題児」だったようですね。先生は内心「おかしいなぁ」と思いながらも、どうにか私を皆と一緒にしないといけないから、厳しく怒ったり殴るようになっていきました。

この本では発達障害について描いているんですが、実は、自分を「発達障害」だと認めることがすごく嫌だったんです。

―― どうして嫌だったんですか。

弟が二人いるんですが、一番下の弟も同じ障害で、それがすごく嫌だった。弟とは似ているところが多くて、声も好き嫌いも一緒、発達障害どうしだからか考えていることも一緒で、相手の思っていることがわかってしまう。そこに嫌悪感がありました。

弟は私よりもひどいいじめをうけて、5年生の時に不登校になりました。同級生の子が弟の足に石を落とし、骨折させたのに、先生も笑って見ていたということがあって……。母親が激怒して「こんな学校には行かせない」と学校に乗りこみました。

その時、不登校になった弟を見て「休んでもいいんだ」と私はすごく衝撃を受けたんです。そして、弟が憎たらしくなりました。いじめを受けたのがわかった時、弟は親が助けてくれましたが、私は助けてもらえなかった。だから怒りが湧いてきたんです。

弟が嫌いだったこともあって、「私は病気じゃない」とずっと思っていたんですよね。こんな変な奴と一緒なわけがない。頑張って学校に行って、社会に出たらこいつよりも幸せになってやるんだと思いました。そうやって頑張って来たんですが、やっぱりうまくいかない部分がありました。

―― どんなところがうまくいかなかったんですか。

一番はじめに看護師の仕事についたのですが、アイコンタクトができないんですよ。アイコンタクトは看護師にとってすごく大事で、患者さんに悟られないように、目線で会話するようなことがよくあります。それがまったくできなくて、目があったら「なんですか」という顔をしてしまうんですよね。患者さんにバレバレです(笑)。でも、みんなは目を合わせただけで、会話が出来るんですよ。なんで、みんなわかるんだろうって。不思議でしたね。

それと、指示がわからないこともありました。「あれをしてください」と言われても具体的に言ってくれないとわからないし、「沖田さん」と名前を呼ばれないと、私に言っているのかもわからない。だから、指示を無視していると思われてしまったり。基本的だとされていることができないんです。同業者とはウマが合いませんでしたね。

―― 発達障害を認めるきっかけはなんだったんでしょうか。

東京に来て、ネットをやりはじめた時に、発達障害のコミュニティを見つました。私の症状と一致していると思って、「私だけじゃないのかも」と気付きました。今までは私と弟しかいないと思ってたから驚きましたね。

でも、自分が頑固だったから、認めるのに時間がかかって。看護師の仕事をしていたので、国家試験も受かって仕事も好きだし、病気の人を支える立場だったし、健康だし、「障害者」という見た目でもない。これで、「障害」というのは変じゃないかと。

うまく行かないのは障害のせいじゃないってずっと言い聞かせてきたんです。そう信じたかった。認めるのが本当にこわかったんです。でも、どこかで「全ての謎が解けた」という思いもありました。今までは血液型がB型だから大雑把なんだと思っていたんですよね。

ある日、発達障害コミュニティのオフ会に行った時に少し印象が変わったんですよ。発達障害にもいろんな形があって、お互いにわかり合えることはなくても、一緒にカラオケに行ったりするのがすごく新鮮で。まぁ、会話にならないことの方が多いんですが、とても楽しかったんです。障害だからってビクビクしなくてもいいんだ、変なことを言って相手の怪訝そうな顔を見て悩まなくてもいいんだと思うようになりました。

私はずっと、一生懸命仕事をやることが認められるとだと思っていました。「頭が悪いんだから体はいっぱい動かさなきゃ」と考えていたんです。自分の価値を示すために、お金をためることに執着していた時期もありました。常に仕事をしていないと落ち着かなかったんです。働き過ぎて身体を壊すこともありました。疲れて動けなくなったら「私はなんの価値もない人間だ」って思ってしまうんです。

でも、頑張らなくても、認めてくれる人が周りにも増えてきて、身体を壊すまで働く必要はないのかもしれないと、少しずつ思うようになっています。一方で、「障害だからできません」とは、言わないでおこうと思ったんです。幅がせばまってしまう気がするんですよね。

『ニトロちゃん』で障害について描くことになった時、周りの人からの印象が変わったらどうしようとドキドキしていました。いままでは「エロ雑誌」に下ネタを描くような人だと思われているはずなのに、「障害」という単語を出したことで引いてしまわないかと心配でした。でも、大きな反響をいただいて驚いています。この本は自分の一番隠したかった部分を出したので、そういう意味ではすごく思い入れのある本です。

多くの「ニトロちゃん」に
―― 沖田さんが漫画を描くきっかけはなんだったのでしょうか。

たまたま、恋人が漫画家だったんです。なんとなく描いた絵を見せたら、「絵が面白いから、売れるかもしれない。漫画を描いてみたら」と言われたんです。

―― それまで、漫画などを描かれていたんですか。

描いたことも、描こうと思ったこともありませんでした。だから、そんなことを言われてかなりびっくりしましたね。はじめは「4コマ」からはじめてみたんですが、描いてみるとストーリーになっていたんです。「何も教わっていないのに、ここまで描けるのは素質がある」と言われ、どんどん描いていくことになりました。

―― 漫画のような話ですね。

そうですよね。でも、はじめは絵が全然うまくならなくて。4コマ漫画を描いていても、同じ人が描けないんですよ。1コマ目から出ていた人が、どんどんやせていって別人になる時もありました(笑)。

本では修正したのですが、ニトロちゃんも、描く時は少し右下がりの顔になってしまうんですよ。未だになかなかうまくならないですね。

今は漫画家なので、対人関係のトラブルが極端に減って精神的には安定しています。でも、今日のようなインタビューの時に人を不愉快にさせないスキルが欲しいから、積極的に女子会をやって、女どうしの受け答えを観察して、「こういう時は相槌を打っておけばいいんだ、あんまり突っ込んだ話をしてはいけないんだって」勉強しています(笑)。私は何事もストレートに言い過ぎて、友達がいなくなってしまいがちなんです。

これからは、どんどん幸せになっていきたいと思っています。発達障害を抱えている人は、二次障害としてうつ病や、過食症・拒食症などになってしまいやすい。自分はダメだと思ってしまって、考え方が後ろ向きになりがちです。

「発達障害だから」「病気になってしまったから」「いじめられたから」、という理由で自分はこれからも不幸だと考えるのは違うんじゃないかと感じていて、私は過去が悲惨な人も幸せになっていいと思うんです。

―― 最後に、読者のみなさんに一言お願いします。

世の中には、頑張らないといけないと思っても、頑張れない人が沢山います。そんな「ニトロちゃん」は私だけじゃありません。特に子どもの時は、うまく自分のことを喋れない子が多いと思うんです。そんな時は、『ニトロちゃん』を親や先生に渡してみて、「私はこういう子どもかもしれない」と伝えてもらえたらいいですね。周りの大人も、この本を読んでその気持ちを受け止めて欲しいと思います。そんな橋渡しが出来る本になればいいですね。


ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私 (知恵の森文庫)
著者/訳者:沖田×華
出版社:光文社( 2013-09-10 )
定価:¥ 600
Amazon価格:¥ 600
文庫 ( 160 ページ )
ISBN-10 : 4334786332
ISBN-13 : 9784334786335


沖田×華(おきた・ばっか)
漫画家
1979年生まれ 富山県出身。看護士、風俗等、様々な職業を経て漫画家に転身。自身の経験や発達障害をネタに他誌でも連載中。

性同一性障害への学校対応、文科省が初の調査へ

2013-11-22 09:36:46 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
======================================
性同一性障害への学校対応、文科省が初の調査へ

 文部科学省は21日、体と心の性が一致しない性同一性障害のある児童生徒への学校の対応に関する調査を初めて実施することを決めた。

 今年度中にも、全国の公立小中高校などを対象に実施する。

 調査の実施や対応の充実などを求めて同省を訪れた団体「gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会」に回答した。

 各都道府県教委などを通じ、児童生徒からの相談の状況や学校側の対応について調査する。調査結果は、専門家などと検証し、性同一性障害の正しい知識や対応する際の注意点などをまとめた資料を作成。学校の受け入れ態勢や相談しやすい環境づくりに役立てる。

 同会は「性同一性障害の子は、制服の着用やトイレ、修学旅行など様々な局面で苦悩し、不登校になったりいじめを受けたりすることも多い」と指摘している。

痩せなきゃ愛されない―摂食障害の現実

2013-11-19 09:50:46 | ダイバーシティ
(以下、WOMAN Onlineから転載)
================================================
痩せなきゃ愛されない―摂食障害の現実
2013年11月19日

第12回 母との関係から心のバランスを崩した「真里」の変革STORY

マイミクなどと共有するサービス「mixiチェック」に登録するブックマークを共有するソーシャルブックマークの「はてなブックマーク」に登録するツイッターに投稿するシェア
 こんにちは! 食欲が止まらないりょうっぺです! 年柄年中食べてるので、もはや「秋だから……」という言い訳も通用せず。丸くなるのは人間だけにしたいと思っております。

 さて今回は、バレエとボディメンテナンスの指導をされている真里さん(31歳・既婚)のSTORY。今や優しい旦那さまと暮らしながら、好きなお仕事で独立している真里さんですが、20歳のころから過食と絶食を繰り返す摂食障害に陥り、つらい日々を送ってきました。

 摂食障害の奥にある感情とどう向き合い、克服していったのか? 山あり谷ありのSTORYをご覧ください!

●舞台の前後に急激な減量と過食。ついにうつ状態に

真里:7歳からバレエを習い始めたんですが、将来はダンサーになりたい! と思うほど、バレエが大好きになりまして。大学に入学した後も、東京のバレエ団に入って、毎日必死に練習してました。

 それが半年ぐらい経ったころでしょうか。

 過食と絶食を繰り返すようになっちゃったんです。

りょ:いわゆる摂食障害というものかしら。具体的にどんな食生活だったのかな?

真里:バレエの舞台の2週間前ぐらいから食べるのを控えて、飲み物だけにするんです。固形物をとると太るような気がして。食べたとしても一日におにぎり一個ぐらいでした。

 そして本番が終わると同時に一気に食べまくるんです。ご飯やパン、コンビニで買ったお菓子を次から次へと口に入れて、常に何かは食べている状態。いくら食べても満腹にならなくて。

 で、あとからなんで食べちゃったんだろう? って後悔して、その後吐いたり、下剤を飲んで出したり。私、病的でしたね。

りょ:それはかなりつらかったね……。身体も相当悲鳴を上げていたのでは?

真里:そうなんです。でも、1年ぐらいはその状態で頑張ってました。母がバレエをしている私を誇らしく思っていたから、なんとなくサボりにくくて。

 親には「バレエの練習に行ってから帰るね」と嘘をついて、夜中まで近所をうろうろ徘徊してから帰宅してました。

 そんな毎日を何カ月か続けていたら、ある朝ベッドから起き上がれなくなって。カーテンを開けるのもおっくうで、部屋に引きこもるようになってしまったんです。

 いわゆる「うつ」状態でした。

りょ:そっか……。大好きなバレエだったのに、うつ状態になるほど自分を苦しめる存在になってしまったのだね。

真里:はい。小さいころは純粋に好きだったんですけどねぇ。バレエにも大学にも行けなくなってしまったので、これはもう限界だと感じて、バレエ団を辞めました。

 実は摂食障害のことは母にずっと黙ってたんですけど、辞めるときに打ち明けたんです。そしたらショックを受けてて、母も病気のことを色々調べてくれたりしたんですけどね。

 バレエ団を辞めたら、少しずつ摂食障害も収まり、うつ状態からも脱出して、外に出られるようになったんです。それからだいぶ元気になって普通の大学生活に戻ることができました。

●アメリカでのダンス留学で心身ともに解放! しかし帰国後は……

真里:それから就職活動が始まって、とりあえずリクルートスーツを着て面接に行ったりしたんですけど、「ぜんぜん私らしくない!」と気づいて。「私、やっぱり踊りたい!」って体がうずうずしちゃって、就職するのを辞めて、アメリカにダンス留学することにしたんです。

りょ:な、なんと! 真里ちゃん、うつ脱出の一年後に海外留学とは、あまりに急激な変化では?

真里:めまぐるしい変化ですよね。でも、海外での勉強はホント楽しくて! タップとかジャズとか、初めてバレエ以外の踊りに触れられて刺激になったし、あちらはみんな身体が大きいから、体型もそんなに気にせずにいられて解放感があったんです。自分が自分でいられる感覚が心地よかった。

りょ:心も身体も解き放たれて、思い切って海外に出るのもいいもんなんだね。

真里:ホントいい経験でした。それから日本に帰国して、大きな劇団やテーマパークのダンサーのオーディションを受けてたんですけど、なぜか最終で全部落ちちゃって。

 それからは子どもたちにバレエを教える仕事をしながら、月1回イベントで踊る、“舞台生活”が始まりました。

りょ:またバレエを再開したんだね! やっぱり大好きなバレエからは離れられないってことか。その後は順調だったのかな?

真里:それが、舞台活動をするようになったら、また摂食障害が始まっちゃったんです……。

 舞台の前になると痩せるために絶食して、終わるとまた過食に走る。

 前とひとつ違うのは、ドヨンとした「うつ状態」にはならなかったことでしょうか。その代り、いつも妙にハイテンションで張り切ってました。

 でも、身体は限界だったんです。これ以上続けたら死んじゃうと思って、舞台活動を断念しました。

りょ:摂食障害は根本的に治ってなかったということかな?

真里:そうなんです。当時はそんな自分を本気で変えようと躍起になっていて、いろんな自己啓発本を読んだり、セミナーに通ったりもしました。セミナーでは、「なりたい自分になる!」をテーマに、自分の憧れの人の写真に自分の顔写真を貼って毎日眺める、なんていうのもやったんですけどね。

 「なりたい自分」と「今の自分」のギャップを感じて、かえって自分へのダメ出しが激しくなってしまいました。

 その後、セミナーで出会った人から、健康食品を売るネットワークビジネスに誘われまして。

 ダンサーだけじゃ食べていけないし、これで稼げるようになったら好きなこともできるなと思ってビジネスを始めることにしたんです。親には内緒で……。

●母に「ありのままの私」を認めてほしかった

真里:ところが、ノルマを達成したいがために自分でも商品を購入するようになり、どんどん在庫を抱えるようになっちゃったんです。当時、ひとり暮らしを始めたところだったので、部屋の中は商品でいっぱいに埋め尽くされ。

 ついには借金まで抱えるようになって、家賃も光熱費も払えず、いよいよ夜の世界に足を踏み入れることに……。

りょ:真里ちゃん、似合わないわー夜の世界。

真里:ですよね(笑)? クラブのママにも「真里ちゃんはこのお仕事はあんまり合わないみたいねぇ」と優しく諭されまして、5日間でクビになりました。

りょ:ごめん、笑っちゃいけないよね、真剣な悩みなのに(笑いこらえる)。

真里:いえいえ、笑ってくださいよー。そうそう、実はそのときも摂食障害になっちゃいまして。どうも借金を抱えた辺りから、またその症状が出始めたんです……。

 その後、ネットワークビジネスに誘った友達が「どうも私の様子がおかしい」と気づいて、私の親に連絡しちゃったんです。地元の友達だったので、うちの家の電話番号を知ってて。

 母と父から「その仕事はすぐに辞めて、早く家に帰ってきなさい!」と猛烈に怒られました。

りょ:ある意味、そこで救われたのかもしれないね。親に電話するなんて、その友達、勇気あるわ!

真里:今思えばありがたいです。私自身、相当のめりこんでいたので直接「辞めなよ」って言われても、聴く耳持たなかったと思うんですよねぇ。

 それからネットワークの仕事を辞めようとしたところ、たまたまある面白いものを見つけまして。「ストレスの根本原因を身体に聴いて解消する」というセラピーで、もしこれで摂食障害の原因がわかるなら? と受けてみることにしたんです。

りょ:いろんなセラピーがあるんだね。身体に聴いてわかるんだ……。

真里:そうですね。身体には自分が忘れているような出来事も記憶として残ってるみたいで、筋肉の反応を見ながら、そのストレスが生まれた原因を探っていくんです。

 それによると、どうやら「母との関係」に原因があることがわかったんです。

りょ:なるほど~。お母さんがバレエで活躍している真里ちゃんを誇らしく思っていたり、摂食障害のこともずっと言えなくて黙っていたり。お母さんとの関係に何かありそうだと感じてたよ。

真里:やっぱりそうですか……。実は、母は昔から、世間体や見栄えを大事にする人でした。

 特に体型の乱れが気になるみたいで、私がちょっとでも太ると、「あなた、最近太ったんじゃない?」「舞台あるのに大丈夫なの?」と、毎回お小言を言うんです。

 その代わり、痩せると「あなた、この前の舞台はほっそり痩せてて綺麗だったわよ!」って感じで褒めてくれるんですよね。

 私も小さいころは体型がスラっとしてて、地元のバレエ教室では目立って活躍してたんですけど、東京のバレエ団に入ったら、みんなレベルが高いからなかなかいい配役をもらえなくて……。

 体型も年代的にふっくらする時期だったから、みるみるうちに私の体型が変わっていくことも、母としては許せなかったみたいです。

 あるとき、母に「あなた、こんなに太ってみっともないから、この帽子かぶっていきなさい!」って、外出時に顔が隠れる大きな帽子を渡されたんです。おそらく近所の人に、「この太った子が我が子だ」と知られたくなかったんでしょうね。

りょ:お母さん、そりゃないよー。きっとはたから見たらぜんぜん太ってないだろうに。これは勝手な理想だけど、どんな我が子でも愛してあげてほしいなぁ。

真里:そうですよねぇ。母自身も細いのに自分の体型に厳しくて、母の心も相当窮屈だったのかなと思います。

 母は子どもに対して母なりの愛情を届けていたつもりのようですが、私が望むような愛情のカタチをもらうことはできませんでした。

 私はもっとありのままの私を認めてほしかった。

 認めてもらえない悲しみが、私を過食と絶食に走らせてしまったのかもしれません。

●自分で自分を愛するようになったら、心から愛せる人が現れた

真里:母からの愛情を受け取れてなかったんだってことがわかって、だいぶ気持ち的に楽になりましたね。これからは、「自分で自分を愛していこう」と心に固く誓いました。

 親にもらった大事な身体だから、粗末にしちゃいけないって。

 今までは、「こんなに太い太ももなんて嫌い」!って思ってましたけど、「いつも元気に歩いてくれる足なんだから、大切にしてあげよう」って思うことにしたんです。それから自分の身体のパーツ一つひとつに「ありがとう」って声をかけてあげたり。

りょ:身体に感謝するってことかぁ。身体もそれを聞いて喜ぶだろうね!

 ところで、お母さんには自分が抱えてきた思いを伝えたのかな?

真里:母に対しては、自分が苦しんできたことをまだ話せてはいません。

 でも、私の中で母からの言葉の受け取り方が変わりました。

 母から「また太ったわねぇ」と言われたときは、「そんなこと言わないでよ!」とか「そう言われるとつらいから、それ以上言わないで!」って言い返せるようになったんです。

 今までは母の言うことを真に受けていたので、反撃するようになったら、精神的にも強くなって。

 摂食障害に陥る不安とかも一切なくなりました。

りょ:その病気は根っこから克服できたんだね! それとお母さん自身の心も解放できたらいいなぁ。

真里:そうですよね。母自身ももっと楽になれたらいいんですが。

 いや~実は母との関係を見つめ直したころから、私の中で大切な人ができたんです♡

 高校時代の同級生なんですけど、同窓会でバッタリ再会して、それからずっと友達関係だったのが、ある日突然意識するようになって。

りょ:友達がある日恋愛対象に変わるなんてミラクル☆ なんで見方が変わったの?

真里:究極を言うと、私が本来の自分になったから、彼の素晴らしさに気づけたんじゃないかと。

 彼は、私が調子が良くても悪くても変わることなく、ずっと見守ってくれていました。

 以前はそれを気にも留めていなかったのですが、自分の心を見つめて、母への感情をクリアした辺りから、“彼の変わらぬ優しさ”に気づけたんです。心の曇りが晴れたから? なんて。

りょ:永遠の愛は、ずっと近くにあったのだね。灯台下暗しとはこのことだ!

真里:はい! 付き合い始めてすぐにプロポーズされまして、無事結婚することができました。

 もうあれから摂食障害の症状は一切ありません。二度と陥らない自分になれたと思います。

変わりたいあなたへ……言葉のプレゼント☆



何度も繰り返すパターンの根っこに
「親子関係」が潜んでいるかもしれない


*   *   *   *   *   *   *

 真里さんは結婚後、バレエのエッセンスを活かした、心と体を整えるボディワークを開発し、講師として生き生きと働いています。

 人に隠したいような苦しい闇の部分は、実はその人を光り輝かせるために欠かせないもの。真里さんのお話を聴いて強く感じたのであります。

聴覚障害者の権利保護

2013-11-19 09:50:14 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
================================================
聴覚障害者の権利保護


「手話は言語」認知 法で



 手話を正式な「言語」と位置づける手話言語条例を鳥取県が10月、全国で初めて制定したのに続き、北海道石狩市も12月議会に提案する。

 手話に対する無理解は日常の様々な場面で見られ、「国でも手話言語法を」とする聴覚障害者らの願いにどう応えるべきか。

 鳥取県は元々、障害者が困っている時に手助けを行う県民運動を展開、「福祉先進県」を掲げる。条例は1月、大学時代に手話通訳を経験した平井伸治知事に全日本ろうあ連盟の聴覚障害者らが陳情したのを機にトップダウンで進んだ。

 条例の柱は〈1〉手話は「独自の言語体系を有する文化的所産」と意義づける〈2〉県と市町村は手話を使いやすい環境を整備する責務を持つ〈3〉聴覚障害児が通う学校は学習機会の提供に努める〈4〉聴覚障害者が働きやすくする事業者の取り組みに県は支援する――など。県は知事に意見を述べる施策推進協議会を設け、小中学校で手話教育に乗り出す。

 「世の中の先を行く条例」とする平井知事は8日の全国知事会議で手話言語法も提案。安倍首相は「せっかくのご提案。考えて参りたい」と手話を交えて答えた。条例制定を検討する自治体も数か所出てきて、波及効果が見える。

 条例の前文には、相手の唇の動きから言葉を読み取る口話法がかつて世界的に支持され、戦前に国内のろう学校で手話が締め出された歴史も記された。口話法の妨げになるとの長年の偏見から、ろう学校で手話で教えられる教師は少なく、聴覚障害者で手話を使う人は2割程度とされる。公的資格の手話通訳士も手話を使う障害者17人に1人の3000余人しかいない。

 ろうあ連盟は全国調査で手話を巡る「差別事例」1214件を把握している。▽完全看護の病院なのに手話を看護師がわからず、家族が泊まりの付き添いを求められた▽ろう者夫婦とわかったら、不動産屋に物件を1件も紹介されなかった▽警察に突然、家宅捜査された時、頼んでも手話通訳をつけてくれなかった――などだ。特に東日本大震災では、避難の呼びかけや防災無線が聞こえず、逃げ遅れた聴覚障害者が少なくなかった。避難した人も携帯電話の不通で孤立した。

 「緊急時には命にかかわる。手話を『言語』と認められない限り、聴覚障害児が学ぶ場も広がらない」。ろうあ連盟の西滝憲彦理事は手話言語法を求める理由を話す。連盟は21条の独自の法案を策定。22日、東京で平井知事や田岡克介石狩市長、国会議員らの参加でパネルディスカッションを行い、理解を広げる。

 手話を法的に言語と認めるのは国際的には突飛ではない。2006年に国連で採択された障害者権利条約で、障害者に保障するコミュニケーションとしての言語に手話を含めた。多言語国家を中心に憲法で言語と認知したり、手話言語法を制定したりする国が増加。1995年に憲法を改正したフィンランドは無料・時間無制限で手話通訳を利用できる権利を定めている。

 今国会中に障害者権利条約批准を目指す政府は、11年に改正した障害者基本法で「全て障害者は可能な限り、言語(手話を含む)その他の意思疎通のための手段の選択の機会が確保される」と定めた。だが、具体的な施策はこれからだ。

 内閣府や厚生労働省、文部科学省は、条例を「先進的な取り組み」と評価しつつ、手話言語法には「施策を一歩一歩積み上げるのが先」とする。「手話通訳者を備えられない企業が法の制約を恐れ、聴覚障害者の雇用を控えれば元も子もない」との見方もする。

 一足飛びに手話言語法といかずとも手をこまぬいてはいられない。手話だけでなく、点字や通信機器など障害者の情報アクセスを確保するには何をすべきか。障害者の声に耳を傾けるのが条約の理念にかなう。

(2013年11月19日 読売新聞)