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多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

都外施設 豊かな首都、弱者冷遇

2014-02-04 16:21:56 | ダイバーシティ
(以下、apitalから転載)
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都外施設 豊かな首都、弱者冷遇
報われぬ国 負担増の先に
朝日新聞 (本紙記事より)
2014年2月 3日

雪に囲まれた知的障害者の施設。東京から遠く離れた北国で暮らす障害者がいる=1月27日、秋田県北秋田市

【西井泰之、松浦新】 元日の昼、東京都中野区に住む今村明美さん(76)は福島県白河市郊外の焼き肉店にいた。家族連れでにぎわう店内で、長男(49)が大好きな肉をつまみながら、夫の孝さん(79)とじゃんけんで遊んでいた。

山あいの障害者施設に30年

 「こんなお正月があとどれくらい続くんだろう」
 長男は小学生の時に校舎から転落し、左半身と脳に後遺症が残った。いまは福島県西郷村にある知的障害者の施設で軽作業をしながら暮らす。「都外施設」と呼ばれ、約80人の入居者のうち9割が東京都民だ。  月に一度の面会日には欠かさず施設を訪れる。これまで正月とお盆には長男が東京の自宅に帰ってきたが、今年は初めて帰省をあきらめ、代わりに夫婦で大みそかから福島を訪ねた。
 「息子も年をとって歩けなくなってきた。長男を支えてトイレなどに行かせるのは骨が折れるようになって」。帰り際、「寒いところで暮らすんだ」と思うと、涙があふれた。

 ■14県に40カ所


 障害者の都外施設は青森や長野、岐阜など14県に40カ所あり、東京都から約2500人が入る。土地の値段が高い都内では施設用地を確保しにくいため、1960年代後半から地方につくられるようになった。
 明美さんは、長男が養護学校を卒業する時に中野区から紹介された。「どうしてそんな遠いところにって……。でも、断ったらどこにも入れなかった」。父親の介護もあり、自宅では世話ができなかった。
 それから約30年がたつ。「勝ち組」の街で、弱者の声はかき消されてきた。
 心細いのは、遠く離れて暮らすだけでなく親も子も年をとっていくことだ。入居者で最高齢の人は80代になる。「元気なうちは会いに行けるのだけれど。私たちが死んだ後、山里で一人ずっと暮らすんだろうか」
 施設は古く、もともと高齢化にも対応していない。長男は10畳ほどに三つのベッドを置いた3人部屋にいる。狭いうえ、廊下などの壁の一部には東日本大震災でできた亀裂が残る。
 夜は職員が3人。国の基準を満たしているが、年齢も障害もさまざまな障害者を支えるには足りない。
 「入れただけ運がいい、と思うしかないのでしょうか」。12年9月に長男(23)が入居した主婦(56)には不満が募る。
 3年ほど都内の施設などを探したが、どこもいっぱい。福島で1人入れるというので申し込んだが、競争率は十数倍にもなった。
 「東京は日本で最も豊かな都市なのに。大きくなくていい、5、6人で住める施設でいいんです。せめて、子どもが親のそばや地域で生きていけるように」
 東京から約700キロ離れた秋田県北秋田市の山あいにも四つの都外施設がある。「阿仁かざはり苑」では18~75歳の約80人が暮らし、今年の正月は半数が帰省しなかった。親が亡くなったり高齢で世話できなかったりするからだ。
 地元の視線も厳しくなった。親が亡くなると、高齢の障害者らの医療費は地元自治体の負担になる。「負担が増える、将来どうするんだ、とお荷物になるかのように言われて」。施設の関係者は顔を曇らせた。

出所の高齢・障害者支援

2014-02-04 16:21:26 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
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出所の高齢・障害者支援


社会復帰へ 住まい探し、福祉の手配


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 刑務所を出ても帰る場のない障害者や高齢者の社会復帰をサポートする自治体の取り組みが広がっている。

 全ての都道府県で開設された地域生活定着支援センターがその拠点だが、課題も明らかになっている。

 「もう刑務所には戻りたくないです」

 千葉県内の福祉施設で暮らす60歳代の男性は話す。2年ほど前、20回目の服役を終えて刑務所を出所した。それまでは服役を終えても行き先はなく、所持金がなくなると、刑務所に戻ろうと無賃乗車をした。服役期間は計40年近くに上った。

 最初の服役は20歳代の初め。母親への傷害事件が理由だったが、後はすべてタクシーの無賃乗車だ。家族には頼れず、知的な障害も疑われた男性を手助けしたのは千葉県地域生活定着支援センターだった。

 出所の半年ほど前、刑務所から連絡を受けた保護観察所で、男性の家族は身元を引き受けられないことを確認。出身地である千葉県の同センターが入れる福祉施設を探すことになった。

 岸恵子センター長が刑務所で男性の意向を聞き、住民票のあった自治体に生活保護の支給を要請した。お陰で男性は出所直後から安定した生活を始められた。

 「家族や社会の支援がなく道を踏み外した受刑者は多い。刑務所に隔離するだけでは解決にならない」と岸さんは言う。

 同センターの支援でアパート暮らしをする女性(70)も、夫が病気で倒れた後、生活苦から万引きを繰り返し服役した。「出所後はホームレスだと覚悟していたけど、住まいまで探してもらえた。もう間違いは犯しません」と感謝する。

 法務省によると、刑務所から出る人は年間約3万人。そのうち、高齢や障害のため自立が困難な人は、2006年の調査で約1000人に上った。

 行き場のない出所者は、更生保護施設に最長6か月間滞在できるが、再就職が見込める若い人が優先される。高齢者や障害者で入れる人は少なく、当てもなく出所する人が多かった。

 身元引受人のない高齢出所者は再犯率が高い。07年の犯罪白書によると、65歳以上で刑期満了まで刑務所にいた人は7割が5年以内に再犯し、その4分の3は2年以内の再犯だった。

 こうした状況を受け、国は08年に犯罪対策の行動計画を策定。各都道府県に地域生活定着支援センターの設置を求め、49か所が開設された。各センターは、保護観察所の依頼を受けて出所前から面接を行い、釈放後の住まいを探し、生活保護や介護など福祉サービスの手配を行う。

 「再犯を重ねていた人が定着したなど、効果を上げているセンターもある」と厚生労働省の担当はいう。

就労など課題

 一方、課題もある。

 神奈川県のセンターでは3年間で定住を目指して支援した35人のうち、6人が再犯で収監され6人は失踪。9人は簡易宿泊所など一時的な居場所にいる。犯罪歴を持つ高齢者や障害者を受け入れる福祉施設が県内に少なく、仕事に就ける人もほとんどないからだ。

 生活保護だと1人年200万円の公費が必要だが、服役すると年300万円、裁判などでさらに500万円かかるとの試算もある。

 更生保護に詳しい藤本哲也・常磐大学教授は「これまで司法と福祉のはざまで放置されてきた人たちを支援する仕組みが全国に整備されたことは評価できる。今後は、一般の労働市場で働くことが難しい人を雇用する『社会的企業』などを増やしていくことも必要だろう」と話している。(針原陽子)

 地域生活定着支援センター 刑務所から出ても引受先のない高齢者や障害者に個別の支援計画を作り、住居や福祉サービスなどを手配し、再犯を防ぐ。

(2014年2月4日 読売新聞)

「発達障害」の同級生を理解する本 具体的な対処法を紹介

2014-01-29 09:40:22 | ダイバーシティ
(以下、産経新聞から転載)
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「発達障害」の同級生を理解する本 具体的な対処法を紹介
2014.1.29 08:26

 小学校のクラスにアスペルガー症候群やLD(学習障害)などの友達がいたら、どう接しますか? こうした子供たちの見え方や感じ方は他の人とどのように違うのか分かりやすく解説した『新しい発達と障害を考える本』(5~8巻)をミネルヴァ書房(京都市山科区)が刊行する。

 昨年出版の1~4巻に続く第2弾。1~4巻がクラスで起こる「困ったこと」を取り上げたのに対し、5~8巻は「なにがちがうの?」のサブタイトルで、自閉症▽アスペルガー症候群▽LD▽ADHD(注意欠陥・多動性障害)-の子が「何に困っているか」の代表的な例を挙げ、特徴的な見え方・感じ方について紹介している。

 5巻の「自閉症の子の見え方・感じ方」の主人公は小学1~5年生の9人。音の違いに敏感ななおみ君(4年生)、他の人が気にならない小さな音が気になるあきさん(5年生)ら同じ障害でも多様な違いが理解しやすい。

 自閉症の一種とされるが、知的な遅れがない「アスペルガー症候群」を取り上げた6巻は小学4~6年生の4人が主人公。4人は「人に気を使うのが苦手」「不安が強く、気遣いをし過ぎて失敗する」「不器用で体のコントロールが苦手」などそれぞれ異なる悩みを持っている。そうした子供たちへの具体的な対処法を紹介している。

 監修は、精神科医の内山登紀夫さん(よこはま発達クリニック院長)。AB判、56ページ、1890円。5、6巻は1月25日、7、8巻は2月下旬刊行予定。

戸籍に「父」明記=性別変更時―法務省通達

2014-01-27 10:52:10 | ダイバーシティ
(以下、ウォールストリートジャーナルから転載)
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2014年 1月 27日 10:03 JST 更新
戸籍に「父」明記=性別変更時―法務省通達


 法務省は27日、性同一性障害で女性から性別変更した男性の妻が第三者の精子提供で産んだ子について、従来は空欄だった戸籍の「父」の欄に夫の氏名を記載する訂正を行うよう通達を出した。昨年12月の最高裁決定を踏まえた措置。夫に生殖能力がなくても子との間に戸籍上の「父子関係」を認める内容だ。

 戸籍を訂正した場合、その記録が残ってしまうことから、通達には、申し出があれば記録を消すため戸籍の作り直しにも応じるよう明記した。既に養子縁組している場合は、戸籍から養子縁組事項を消去することも認める。 

[時事通信社]

精神障害 忘れないで「年金」

2014-01-23 15:31:58 | ダイバーシティ
(以下、東京新聞から転載)
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精神障害 忘れないで「年金」 (上)進まない手続き

2014年1月23日


 障害を負ったときのセーフティーネット「障害年金」。厚生労働省が昨年に発表した調査では、障害年金受給の可能性があるのに受給していない人は身体障害で0・4%。比較的理解の進む身体障害に比べ、精神障害は、非受給率が高いとされる。背景と最近の手続き事情を二回に分けて伝える。 (佐橋大)
 愛知県精神障害者家族会連合会(愛家連)や名古屋市精神障害者家族会連合会(名家連)の相談電話では、電話してきた人に、精神障害者保健福祉手帳と障害年金について聞くようにしている。本来、もらえる障害年金を受けずに、生活に困窮する人を何人も見てきたからだ。
 「『年金って何ですか』という反応が六~七割」と、相談電話を受ける名家連の堀場洋二会長は話す。障害年金自体が知られていないという。
 それ以外にも、年金受給を阻む要因はたくさんある。「症状が出てしばらくは、家族も精神疾患の症状に巻き込まれて大変。年金の手続きとか考える余裕もない人が多い」と愛家連の木全義治会長は話す。
 若い年代で突然、障害者になることも、受給を阻む壁だ。精神障害の原因の病気の代表例、統合失調症は、二十歳前後で発症しやすい。発症直後は激しい症状が出やすく、特に社会生活が難しくなる時期。受診もままならず、保険料の納付も後回しになりがち。未納の多さで支給要件=別項=を満たせなくなる人もいる。病気は親にも本人にも不測の事態。親元を離れた学生で未納が起きやすい。
 障害年金専門の社会保険労務士、中島由恵さん=愛知県豊橋市=によると「障害年金を申請すると、障害が周りに分かるから」と、手続きをためらう本人や家族もいる。誤解と病気への偏見が手続きの壁になっている。症状を本人が認めにくい病気の特性や「そのうち良くなる」という期待も、手続きを遅らせる。
 保険料の納付など、医療機関で把握しにくい情報が絡む年金は、精神障害福祉手帳に比べ、医療機関のソーシャルワーカーが注意喚起しにくく、当事者が気付きにくいという。
 申請の書類作りで挫折し、諦めるケースも精神障害では多いという。障害が原因で家族との関係が悪くなるなどして、本人一人で申請書を整える人が多い。病気の経過や、通院の状況などをまとめるが、「何を書くべきか分からないという人は多い」と中島さん。
 申立書に日常生活の状況ではなく周囲への恨みを書き連ねるなど、年金事務所の求める情報が欠けた書類を提出して却下されることも。そうしたケースでも、専門家の助言を受けたり、専門家に依頼したりして書類を整えて再申請すれば、受給に結び付く例もあると中島さんは指摘。「申請の却下で自信をなくし、再申請をためらう人も多いが、申請をめぐる環境も変わってきている。一度申請して棄却されても、あきらめないで」とも話す。(次回は30日)
 <障害年金支給の要件> 障害につながる病気で、初めて医者にかかった日が20歳より前か、20歳以降なら、初診日に年金制度に加入しており、初診日の属する月の前々月までの期間で(1)直近1年間の保険料の未納がない(2)保険料の納付期間と免除期間の合計が、被保険者期間の3分の2以上-のいずれかを、初診日前日の時点で満たすことが条件。その上で初診から1年6カ月の「障害認定日」以後、一定以上の障害が認められれば、請求に基づき年金が払われる。障害基礎年金1級は年額97万3100円、2級は77万8500円。初診日に厚生年金に入っていれば、障害厚生年金も受けられる。
 ◆精神障害者の障害年金などの相談先 愛家連の相談電話(月・木、前10~後3)=電052(265)9213、全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)相談室(月・水・金、前10~正午、後1~3)=電03(6907)9212

国連の障害者権利条約、日本が批准 発効5年でやっと

2014-01-23 15:31:31 | ダイバーシティ
(以下、朝日新聞から転載)
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国連の障害者権利条約、日本が批准 発効5年でやっと
2014年1月21日17時09分

米ニューヨークの国連本部で20日、日本政府の批准書をビジャルパンド国連条約課長(右)に手渡す吉川元偉・国連大使=春日芳晃撮影

 日本政府は20日、障害者の差別禁止や社会参加を促す国連の障害者権利条約を批准した。条約発効から5年余りでようやく日本の批准が実現した。2月19日から日本でも効力が生じる。

 吉川元偉・国連大使が20日、国連本部を訪れ、批准書を国連のビジャルパンド条約課長に手渡した。

 国連によると、日本の批准は世界141番目(欧州連合を含む)。中国や韓国などはすでに批准しており、吉川大使は「たいへん長い時間がかかってしまい、国際的に誇れることではないが、模範的な締約国となれるべく努力していきたい」と語った。

 同条約は2006年12月に国連総会で採択され、08年5月に発効。「障害に基づくあらゆる差別」の禁止や、障害者の権利・尊厳を守ることをうたう。締結国は障害者が公共施設を使いやすくするなど、さまざまな分野で対応を求められる。

 日本では昨年6月に障害者差別解消法を成立させるなど国内法を整備し、同12月、条約の承認案が国会で正式承認され、批准が実現することになった。(ニューヨーク=春日芳晃)

年のはじめに考える 障害を共に乗り越える

2014-01-23 15:31:02 | ダイバーシティ
(以下、東京新聞から転載)
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年のはじめに考える 障害を共に乗り越える

2014年1月3日


 東京パラリンピック・オリンピックは六年後。ことしは国連障害者権利条約が批准されます。健常者の「想像力」こそが障害者の突破力を高めるのです。
 昨年九月、日本中が歓喜に沸きました。ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会総会で、二〇二〇年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決まった瞬間です。
 東京招致の最終プレゼンテーションで、佐藤真海さん(31)のスピーチは内外の人々の胸を強く打ちました。そう、骨肉腫で右足を失った陸上競技の選手です。
◆持てる力の結晶
 「新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力」-。病や災害に襲われ、絶望のふちに沈んだ人々にとって、大きな救いとなる「スポーツの真の力」を説いたのでした。
 このトップアスリートを支えてきた縁の下の力持ち。そのひとつは間違いなく義足でしょう。
 佐藤さんの義足を作り、十年以上にわたり相談に乗っている義肢装具士の臼井二美男さん(58)に会いました。
 この道三十年の大ベテラン。鉄道弘済会義肢装具サポートセンター(東京・南千住)で、四百人を受け持っている。九割はスポーツ競技とは無縁の人々だそうです。
 手や足を失い、しおれ果てたような患者がやってくる。切実な望みに耳を傾けることから仕事は始まります。一緒になって人生を取り戻す。そんな気概に満ちあふれています。
 農作業は土や雨にまみれる。革靴での営業回りにこだわるサラリーマン。ミニスカートにあこがれる年ごろの女性。もちろん、スポーツに本格的に挑戦する人も。
 根っからの職人かたぎ。臼井さんはこう言います。
 「義肢は体に合うというだけじゃだめです。未来までサポートできるように想像力を働かせる。血が通うような義手、義足です」
◆障害から才能へ
 スムーズに跳んだり、走ったりできれば、再び自信がつく。新しい目標が生まれる。患者がそれを達成できたときの喜びは、そのまま臼井さんの喜びなのです。
 佐藤さんのスピーチには、こんな一節がありました。
 「そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」
 臼井さんは携帯電話に全患者を登録し、小まめにやりとりを続けています。絶えず一人一人の身になって考えている。どうやって障害を克服するかではなく、どうすれば互いの持てる力を最高の形に結実させられるかをです。
 東京・西新宿に目を転じます。
 従業員十人足らずの小さな印刷会社まるみ名刺プリントセンターを訪ねました。発達障害や精神疾患のある従業員が三人います。
 社長の三鴨みちこさん(45)が思いついた朝礼はユニークです。社長以下全員が必ずその日の気分と体調を報告するのだそうです。
 「病気や障害のない人も、体調が優れないときはあります。みんなが事前に伝え合っておけば、互いに気を配り合えるし、仕事の能率だって上がるでしょう」
 柔軟な発想はこれだけにとどまりません。障害を能力へと変えてしまう。例えば、文字の扱いが苦手な発達障害の女性(27)はデザインや色調、印刷の担当です。
 雑音に極めて敏感なので、ちょっとした異音で機械の不具合を察知する。きちょうめんさは、目を凝らさなければ気づかない印刷ミスや汚れを即座に発見する。
 以前まで高齢者施設に勤めていました。二つ以上の事柄を一度に指示されると混乱するのに、理解のない上司に怒られっぱなし。とうとううつ病を患い、辞めざるを得なかったと打ち明けてくれました。
 障害者権利条約の考え方をかみ砕いて言えば、「障害は個人ではなく、社会にある」です。障害者の言い分に耳を貸さずに築き上げられた今の社会の仕組みです。
 「まさか自分や家族は障害を負うまい」。健常者のそんな想像力の欠如こそが障害への無理解、無関心を招いている面がある。
 段差をなくす。点字で表示する。筆談に応じたり、ゆっくり話したり。健常者が障害を知って機転を利かせれば、障害者は優れた才能を開花させるはずです。
◆成熟社会の手本を
 歴史が異なるとはいえ、なぜいつまでもオリンピックとパラリンピックは別々に行われるのか。
 「男子の部」と「女子の部」と同様に「障害者の部」を設け、統合できれば二十一世紀にふさわしい。「平和の祭典」の意味合いもきっと深まるに違いありません。
 世界中から大観衆が来日したとき、障害を越えて支え合う成熟社会の見本を披露したいものです。

不安をコントロールするための闘いで私たちが学んだ大切なこと

2014-01-22 11:45:24 | ダイバーシティ
(以下、lifehacherから転載)
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不安をコントロールするための闘いで私たちが学んだ大切なこと
2014.01.21 20:00


アメリカ人の600万人がパニック障害を、4000万人が不安障害を抱えているといいます。つまり、あなたが不安障害と闘っていたとしても、それは決して孤独な闘いではありません。同じ悩みを抱えている人々がどのように不安をコントロールしているかを知ることで、多くの気付きが得られるはずです。

今回は、不安を抱える人々が自分の経験、病気との闘いから得た学びをご紹介します。


「多くの人が経験している」という現実を理解する

「不安をコントロールする中で得た最大の気付きは、不安を抱えているのは自分だけではないということです」米ミズーリ州セントルイスに住む主婦のマーガレット・コリンさんです。彼女は、自分と同じ苦しみを抱えているのは自分だけではなく、不安障害は「性別や社会的地位に関わらず、あらゆる人に起こりうるもの」であると悟ります。この気付きがきっかけで、彼女は自分を責めることを止め、外部に助けを求めるようになりました。

「不安障害を抱えているという理由で劣等感を感じなくなりました。なぜなら、この病気を抱えている人は他にも何百万人といるのですから。疎外感や孤独感を感じることはなくなりました」。今では、コリンさんは不安感が高まるときには、自分を責めるのではなく、同様に同じ苦しみを抱えている人達への共感を感じるようになったと言います。


自分自身の支援者になる

クリスティ・カムズさんは、心の病気に関する支援活動を行っている女性でMotherhood Unadornedというブログを書いています。彼女自身、幼い頃から現在に至るまで、不安障害と闘ってきました。「子どもの頃は、それが不安障害だとは分かりませんでした。ですが今振り返ると、頻繁に起こる胃痛や、突然飛行機が自分の寝室に墜落するのではないかといった、訳の分からない不安は、決して正常な反応ではなかったと思います」

何年も経て、彼女は自分自身の支援者になることの重要性を学びました。「医者だけを頼りにすることはしません。両面通行の道なのです」こう話す彼女は、不安障害は他の病気と同様に「幸せを感じる方法、最善の方法で病気をコントロールする方法を見つけること」が重要であると言います。


自分なりの対処方法を身につける

「継続的に瞑想することが、私にとって最良の方法です」と著述家のPriscilla Warnerさんは言います。 彼女は、子どもの頃にパニック障害を患っていたという若いチベット僧に瞑想の方法を学びました。「瞑想をするのにサポートが必要なときには、画像や瞑想用の音楽をダウンロードして使います」。特につらい時期の最中にあるときには、EMDRの心理療法(注:眼球運動を使った治療技法)を受けると言います。「セラピーがもっとも効果があると分かりました。トラウマになっている経験に対処するのにもっとも効果的な方法です」。彼女はまた、砂糖やカフェインの摂取を抑え、定期的に散歩をするようにしています。

Kathryn Tristanさんは、ワシントン大学医学部の研究者で、『Why Worry? Stop Coping and Start Living(和訳:なぜ悩むのか? 対処しようとするのを止めて、人生を生き始めよう)』の著者でもあります。彼女は長年、不安障害とパニック障害に苦しんでいました。彼女もまた、いくつかの対処方法を身につけています。その1つが深呼吸です。「呼吸をするときに、1分ほどかけて息をゆっくり深く胸に吸い込むイメージをします。そうすると、より深く呼吸ができますし、すぐにリラックスできます」過去に起きたことを思い悩んだり、将来に対して不安を感じるときには「今、この瞬間において正しいこと」に意識を集中するようにすると言います。


不安感に生活をコントロールされないようにする



臨床心理学者のEdmund J. Bourne博士は、深刻な強迫性障害を患っていました。約45年ものあいだ、強迫観念を抱えていたのです。「強迫観念を抱く対象は、常に移り変わりました。ある1つの対象に思考が慣れ始めると、また新しい対象が現れるのです」。つまり、彼の前には常に乗り越えるべき挑戦が立ちはだかっていました。しかし、彼はこの問題を乗り越える最善の方法は、強迫観念に人生をコントロールさせないことだと悟ります。

「ただ目の前の仕事に取り組み、自分の人生でやりたいと思う全てのことをやるようにしました。強迫性障害が、それを邪魔しようとする時でも。私はよく自分に言い聞かせていました。"そうか、今、強迫性障害が現れている。ただ仕事に集中して、障害はただの雑音だと思うようにしよう" と」


不安感をアウトプットする

Bourne博士は、不安障害についての本を書くことで、不安の対象をそらしました。ベストセラーとなった『The Anxiety & Phobia Workbook(和訳:不安症・恐怖症ワークブック)』をはじめ、彼は複数の本を書いて、彼自身に役立った数々の対処方法を紹介しました。その方法とは、たとえば、深呼吸、瞑想、祈ること、運動、ネガティブな考えを違う視点から捉え直すことなどです。

子どもの頃に強迫性障害であるという診断を受けたJustin Kloskyさんもまた、自身の不安感を仕事へと活かしました。彼は、専門家によって構成される組織を立ち上げ、『Organize & Create Discipline: An A-to-Z Guide to An Organized Existence(和訳:対処方法を整理して、身につけよう)』という本を執筆しました。「私たちは精神を自分の思うように使い、そのエネルギーを自分の望む場所に注ぐことのできる力を持っています。そうした力を不安をつくることに使うのではなく、前向きな変化を生み出すために使う方がずっと役に立ちます。私たちは皆、そうした力を持っているはずです」と彼は言います。


変化には時間がかかることを理解する


「不安感をコントロールする上で学んだもっとも大切なことは、変化をすぐに期待してはならないということです」こう語るのは、Panic About Anxietyというブログを執筆している大学講師のSummer Beretskyさんです。これは、ドライブスルーサービスやテキストメッセージのように、すぐに欲しいものが得られる現代社会においては、理解するのが難しいことかもしれません。しかし、現実に治療には時間がかかり、また大変な努力も必要です。「本当の変化はゆっくり起きるのです」と彼女は言います。


症状に波があることを受け入れる

Beretskyさんは、不安感に波があることに苦しんでいました。「1週間まったくパニックに襲われないこともあれば、翌週には数日連続して家から出られないこともありました」と話します。

こうした症状の波があるとき、こうした波は決して症状の悪化を意味しているわけではないと、自分に言い聞かせました。「最悪の状態が続いているときでも、決して症状が悪化しているというわけではありません。そんなときでも、前進しているのです。ほんの少しだけの前進だったとしても」


不安感を客観的に分析する



Tristanさんによれば「私たちの心は光のような速さで反応し、しばしば恐怖やネガティブな思考に基づいた考えがわき起こることもあります。しかし、それは何か問題や危険に直面したときに自らにその危険を知らせるための反応でもあるのです。起こるべくして起きている反応なのです」。

彼女は、こうした反応を受け入れ、自分の考えを客観的に分析するようにしました。「私はわき起こる考えを受け入れるか、拒否するか選択することができます。意識して、自分の考えを切り替えることができるのです」


自己療法を実践する



「最悪な不安感に襲われるときは、振り返ると質のよい睡眠が十分にとれていなかったことに気付きました」とComesさんは言います。彼女は睡眠を「最善の自己療法」であると言います。そのほか、彼女はタンパク質、野菜、果物をとることで不安感が大きく軽減することを発見しました。食事からグルテンと穀物類を減らすことも効果があることに気付きました。

ある特定の症状に対処するようにする

母親であり、ライター、幼稚園の教師でもある ニューヨークのブルックリン在住のスザンナ・ボートナーさんは、22歳のときに初めてパニック発作を経験しました。「それ以来、セラピスト、友人、家族から多くのサポートを得たおかげで、パニックや不安発作が生じるときに身体に出る症状を自覚できるようになり、そうした症状に対処する方法を学びました。突然深刻なパニックに襲われそうになったとき、初期に身体に出る症状です」

彼女は、恐怖をコントロールすることは難しいため、身体症状を解決するという方法をとったのです。たとえば、めまいを感じ始めたときには、横になり、何か別のことに集中するようにする。心拍数が高まってきたら、深呼吸をして、呼吸に集中する。手がしびれてきたら、指を伸ばして、感覚を取り戻すようにする、といったように。

こうしてテクニックによって、Bortnerさんの不安障害がすぐに軽減することはありませんでしたが、精神をなにかに集中させて、落ち着いた状態を取り戻すのに効果を発揮しました。「こうしたテクニックを使うことで、ある1つのことに意識を集中でき、頭がおかしくなるんじゃないか、死んでしまうのではないかといった恐怖に襲われることがなくなりました。自分ではコントロールの難しい、大脳の働きによるパニックの感情に左右されるのではなく、なにか1つの物理的なものに集中することによって、なす術が何もないと思われるようなときにも、なんとか自分を保つことができました」

多様な人材でイノベーションを 川村隆・日立製作所会長に聞く

2014-01-16 10:43:00 | ダイバーシティ
(以下、SankeiBIZから転載)
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【ニッポンの力】多様な人材でイノベーションを 川村隆・日立製作所会長に聞く
2014.1.12 12:02

 日本経済は、異次元の金融緩和を突破口に安倍晋三政権が取り組む「アベノミクス」でデフレ脱却の糸口をつかみ、成長軌道のスタートラインに立った。4月の消費税増税をはじめ、目まぐるしく変わる経営環境の中で、2014年の産業界に求められる「ニッポン力」とは何か。発電設備や鉄道など重電分野へのシフトで業績のV字回復を陣頭指揮し、グローバル経営への脱皮を進める日立製作所の川村隆会長に聞いた。

 --経営で一番大事なのは

 「イノベーション、すなわち革新だ。概念としては改革よりも、もっとすごい。技術の革新もあれば事業の革新もあり、プロセスの革新もある。世界中のサプライチェーン(供給網)マネジメントでも革新が要る。これまで中国やインドネシア、日本と世界各地にまたがっていた部品の製造場所を見直していくのも、イノベーションになる」

 --革新に不可欠なのは

 「人材だ。日本人の男性だけで今まで通りに答えを出して進めるのは限界があり、画期的なアイデアが出にくい。日本の組織の中で育った人だけでは足りないから、外国人や女性の力などを混ぜて多様性に富む革新を進めていく。そのためにいろいろな準備をしている」


 --具体的には

 「海外の人を採用して日本で勤務してもらうことができる人事制度をつくった。日立における職務能力の基準を世界中でそろえ、例えば『財務1級』の人は世界中どこの日立の事業所へいっても財務1級の資格で働ける制度だ。ただ、この制度の定着には時間を要する。そこで社内革新のモデルケースをつくろうと2年前に取締役会を変えた。14人の取締役のうち6人を社内から、社外からは8人と増やした。社内外を合わせて外国人が4人、女性も社外の2人がいる。取締役会の開催場所をインドのデリーや米ワシントンにしたのも革新の一環だ」

 --次の布石は

 「取締役会がうまく動き出してきたので、次は執行役会。米国の情報会社の社長や英国の鉄道会社の社長などをいま、執行役会のメンバーに入れつつある。日立の執行役は約31人。外国人が多数を占めるまではいかないだろうが、相当な革新ができると思う」

 --相当な革新とは

 「執行役の外国人の人数がどうこうという話ではなく、事業の中心部分を需要が一番多いところに移していくことで、グローバル化を進めていく。例えば鉄道部門は欧州での需要が今後多くなるので、英国に鉄道部門の本社か戦略的な部署を置く。また世界中に散らばっている部品工場もいくつかの戦略機能的な部門に分ける。エンジン関連はドイツ工場が担い、世界中に供給する方式を採るという考え方だ」

 --海外から募った人材は報酬設定が難しいのでは

 「国・地域ごとに給与のレベルが違うので非常に難しい。現状では、例えばインドの財務1級の人が日本に来る場合、日本では部長級の給料を払うのが原則となる。しかし任期が終わってインドに戻れば、またインドの給与水準に戻ることになる。また、家族を連れてくれば子供を日本の学校に入れなくてはならない。いま人事部門で詰めているが、細かい実務的な問題がたくさんありそうだ」

 --逆に海外の方が日本より報酬が高いケースもある

 「実際、米国の子会社の社長は本社の社長よりも給料が高い。現在はそうなっているが、それが本当に正しいかという問題もある。いずれ収(しゅう)斂(れん)していくだろうが、そうなるまでには相当の時間がかかると思う」

 --終身雇用や年功序列の賃金体系をどう考えているのか

 「終身雇用はある程度、安心感を与えるいいものだと思う。だが、年功序列はむしろ、やる気をそぐ。給料は全部パフォーマンスをベースに支払うというのが本当の姿だ。この仕事は誰が責任を持ち、その仕事内容に対してお金を払うというのが本来ではないか」


 --グローバル企業は語学力も欠かせない

 「英語を意思疎通の道具だと思って勉強すればいいのだが、日本人は普段の生活で必要がないため英語の勉強をしない。海外の会議でも黙っている。そういう人はただ聞いて帰ってくるだけだから、会議に出る価値がない。しゃべって自分の意思を示し、最終的に意思決定に参加しないことには会議に出る意味がない。日立の社内では、海外との接点が多い部署は英語のコミュニケーション能力を測るTOEICのテストで730点くらい、(社内で)上に上がっていく人は800点くらい要るぞ、と言っている」

 --女性の活用は

 「グループ会社には女性の役員が既にいる。そのうえで日立製作所でも2015年には女性の役員を置くと宣言している。女性が恵まれていないのは、ロールモデル(学習対象になる人材)が足りないことだ。モデルがいれば、あの人のようになろうとか、反面教師にしようとか、後に続く女性たちの参考になるだろう」

 --グローバル化のゴールは

 「取締役会の改革など形の上から進めているが、われわれは『世界で戦える会社』になることを目指している。世界のライバルは各社とも利益率が10%をはるかに超えており、そうならないと世界標準とはならない。ドイツのシーメンスなど欧米のグローバル企業に日立が追いつくのも、恐らく10年くらいはかかるだろう。3年ピッチで中期計画を進め、それを3回やらねばいけない。非常に苦しいところから始めて11年度、12年度と終わったところで、今はそれの2回目」

 --足元の業績は好調だが

 「今のような利益では、まだまだ低い。投資もして長期的な案件も取り込むことができるように、ちゃんと稼いでキャッシュを懐にある程度持っていないと、きちんと運営できるまでに年数がかかる大型案件が取り込めない。いまは売上高が9兆2000億円あっても、営業利益は5000億円くらいで、売上高営業利益率は5%台。これでは駄目だ。ものすごく社内をこれから引き締めないと、最終目標とする10%台には届かない」

 --最終目標に向け、まず達成すべき点は

 「経常利益は預金の利子やいろいろなものが混じっているが、営業利益は日々の働きの本当の集積となる。日立の営業利益の最高は1990年度の5064億円だった。この記録を2013年度に更新したい。また本当に国際競争力のある会社になるための足がかりもほしい」

 --さらなるリストラを視野に入れているのか

 「グループ会社はたくさんあるが、成長度合いがそれぞれ違う。本当に伸びるところを底上げし、そうでないところを落とすことを絶えずやらねばならない。もちろんハレーション(副作用)がすごいし、労働組合の説得も必要になる。それでもグローバルに成長するためにはこれが良い案だね、と納得してくれるまで説得するしかない」

 --昨年の政労使協議では今春闘での賃上げに前向きだった

 「経営者はちゃんと稼いで、社員の賃金を上げたいといつも思っている。今年度は利益の目標を達成できたら、頑張った分をみんなで分けたい。従業員には賃上げで、株主には配当で、部品を供給する側にも支払額を上げて報いるつもりだ。もちろん税金も払う。われわれの基本は『グッドシチズン&グッドタックスペイヤー』だと考えている」(聞き手・産経新聞経済本部編集委員 早坂礼子)

 川村 隆氏(かわむら・たかし) 東大工卒。1962年日立製作所入社。日立工場長を経て95年取締役、99年副社長。日立ソフトウェアエンジニアリング(現・日立ソリューションズ)、日立プラント建設(現・日立製作所)、日立マクセルの会長を歴任し、2009年日立製作所会長兼社長、11年4月から会長。10年5月から経団連副会長を務めている。74歳。北海道出身。

昨年12月の横浜マラソンで2連覇を達成した 金箱 浩史(かねばこひろふみ)さん

2014-01-16 10:42:31 | ダイバーシティ
(以下、神奈川タウンニュース新聞から転載)
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昨年12月の横浜マラソンで2連覇を達成した
金箱 浩史(かねばこひろふみ)さん
小菅ケ谷在住 23歳

掲載号:2014年1月16日号

刻む記録に心は躍る

 ○…昨年12月に開催された「第33回横浜マラソン」。山下公園から折り返し地点の海づり公園を経由して山下ふ頭を目指す10Kmのレースで約6千人が健脚を競う中、2年連続で1番にテープを切った。タイムは32分3秒。「優勝できたのは嬉しかったけど、昨年の自分より20秒くらい遅かったのがちょっと悔しい」

 ○…軽度の知的障害があり、「皆と同じペースで何かをするのは苦手。中学で野球に挑戦したけど、うまくいかなかった」と明かす。一方で、走ることは小学生のころから好きだった。「ちょっと太っていたから」と、当時は朝晩のジョギングが日課に。「長距離は、足が速くなくても良い成績が出せる」。中学校のマラソン大会で、終盤に友人たちがバテ始めた中、同じペースを守り次々と周囲を抜き去ったことが自信になり、練習へのモチベーションにつながった。時には夢中になるあまり、真夏の昼間にも関わらず、港南台から新横浜まで往復したことも。「当時は走った後のこととか、自分の体力も全然考えずにひたすら走ってた」

 ○…「ランナー」になったのは高校時代。市立日野中央高等特別支援学校で陸上部に入るとともに、知的障害者のランニングを支援する「横浜ウインズ」でも指導を受けるように。以来、県内や都内で5Kmから10Kmの大会に出場し、多くの入賞を果たしてきた。タイムにこだわり始めたのもその頃。12年には知的障害者の陸上競技大会で10000mの日本記録をマークした。「練習した分だけタイムが縮まるのが走る楽しみ。横浜マラソンでも自分の走りだけに集中して、周りはあまり見えてなかった」

 ○…普段は独身寮の洗濯物を取り扱う仕事に従事しながら、週2回自宅周辺を10Kmほど走るのがトレーニング。「大会での良い順位は嬉しい。でも今の目標は自己ベストの更新。もっと速いタイムを出したい」。明日の1秒を縮めるため、1歩1歩を積み重ねていく。