多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

都外施設 豊かな首都、弱者冷遇

2014-02-04 16:21:56 | ダイバーシティ
(以下、apitalから転載)
========================================
都外施設 豊かな首都、弱者冷遇
報われぬ国 負担増の先に
朝日新聞 (本紙記事より)
2014年2月 3日

雪に囲まれた知的障害者の施設。東京から遠く離れた北国で暮らす障害者がいる=1月27日、秋田県北秋田市

【西井泰之、松浦新】 元日の昼、東京都中野区に住む今村明美さん(76)は福島県白河市郊外の焼き肉店にいた。家族連れでにぎわう店内で、長男(49)が大好きな肉をつまみながら、夫の孝さん(79)とじゃんけんで遊んでいた。

山あいの障害者施設に30年

 「こんなお正月があとどれくらい続くんだろう」
 長男は小学生の時に校舎から転落し、左半身と脳に後遺症が残った。いまは福島県西郷村にある知的障害者の施設で軽作業をしながら暮らす。「都外施設」と呼ばれ、約80人の入居者のうち9割が東京都民だ。  月に一度の面会日には欠かさず施設を訪れる。これまで正月とお盆には長男が東京の自宅に帰ってきたが、今年は初めて帰省をあきらめ、代わりに夫婦で大みそかから福島を訪ねた。
 「息子も年をとって歩けなくなってきた。長男を支えてトイレなどに行かせるのは骨が折れるようになって」。帰り際、「寒いところで暮らすんだ」と思うと、涙があふれた。

 ■14県に40カ所


 障害者の都外施設は青森や長野、岐阜など14県に40カ所あり、東京都から約2500人が入る。土地の値段が高い都内では施設用地を確保しにくいため、1960年代後半から地方につくられるようになった。
 明美さんは、長男が養護学校を卒業する時に中野区から紹介された。「どうしてそんな遠いところにって……。でも、断ったらどこにも入れなかった」。父親の介護もあり、自宅では世話ができなかった。
 それから約30年がたつ。「勝ち組」の街で、弱者の声はかき消されてきた。
 心細いのは、遠く離れて暮らすだけでなく親も子も年をとっていくことだ。入居者で最高齢の人は80代になる。「元気なうちは会いに行けるのだけれど。私たちが死んだ後、山里で一人ずっと暮らすんだろうか」
 施設は古く、もともと高齢化にも対応していない。長男は10畳ほどに三つのベッドを置いた3人部屋にいる。狭いうえ、廊下などの壁の一部には東日本大震災でできた亀裂が残る。
 夜は職員が3人。国の基準を満たしているが、年齢も障害もさまざまな障害者を支えるには足りない。
 「入れただけ運がいい、と思うしかないのでしょうか」。12年9月に長男(23)が入居した主婦(56)には不満が募る。
 3年ほど都内の施設などを探したが、どこもいっぱい。福島で1人入れるというので申し込んだが、競争率は十数倍にもなった。
 「東京は日本で最も豊かな都市なのに。大きくなくていい、5、6人で住める施設でいいんです。せめて、子どもが親のそばや地域で生きていけるように」
 東京から約700キロ離れた秋田県北秋田市の山あいにも四つの都外施設がある。「阿仁かざはり苑」では18~75歳の約80人が暮らし、今年の正月は半数が帰省しなかった。親が亡くなったり高齢で世話できなかったりするからだ。
 地元の視線も厳しくなった。親が亡くなると、高齢の障害者らの医療費は地元自治体の負担になる。「負担が増える、将来どうするんだ、とお荷物になるかのように言われて」。施設の関係者は顔を曇らせた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿