たろの日記ページ,gooブログ版

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どうせ死ぬなら何かする…のは本能?

2009-09-23 23:33:30 | ココロ
はてなの匿名日記に「問題は、何かして死ぬのか、何もせずに死ぬのかというこの1点だけなんだよ」というのが書いていて興味深く思いました。
元の話は「日雇い派遣雇用禁止は格差を助長するのになんでみんな賛成するの?」って話で,この話の是非自体はわたしは論じませんが,要は,対案がよかろうがわるかろうが,人は追い詰められたら新しい何かに飛びつく…という話になります。
これは格差問題だけではないでしょう。高齢化問題とか少子化問題とか医療問題だって,現状の制度が効果的ではなくなってきてるとか,温暖化問題だって何も手を打てない状態がずるずると来ているとか,はたまた政治とは関係なく石油が無くなったり,物価が上がったり下がったりしてるとか。そういう事象が一応客観的に存在し,それが将来の不安を喚起してる場合に,人々が,現状を手放し何かに飛びつかなくてはいられない…って話をしてるのだと思います。
実際最近日本では政権交代が起きましたが,上記の状態はほとんどの人がそうだと思っているようです。そこで新しい政党が政策を新しい政策を挙げれば,従来の政権が従来路線を掲げても,みんな新しい政策に飛びつくのだろうなと思います。それがどんな政策だって…。そうやって政権交代した国はたくさんありますし,中にはその後独裁や国際孤立をした国だってあります。新しい政策の良し悪しは,飛びつく人には関係ないのだろうなと思います。
つまりこれは本能に基づいた選挙戦略ってことになるんでしょう。
自分の経験でも,仕事で問題が起きているときにじっと待つのは結構辛いものがあります。つい何かをやってしまいそうです。上に「待て」と言われても辛かったりします。
実は一方で人は閉ざされた部屋で防災ベルがなっていても,「故障じゃない?」とのんびりと構えるようなこともあります。さて上に書いたように,いい手かどうか関係なく飛びつくほどじっとしていられないというのと,防災ベルが鳴って焼け死んでもじっと待っていた…というのは,どのように場合わけできるんでしょうね?。
コメント
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