たろの日記ページ,gooブログ版

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良い音とは?

2006-10-27 13:31:34 | 音響
ミクシィにはいろんなコミュがあり,中にはオーディオマニアが集っているコミュがあります。失礼な書き方をすると,そこで語られているいい音への工夫…というのがおもしろい。

おもしろいけど,どうも自分はそういう工夫はしないかも…とか思ってしまいます。まぁ昔からオーディオマニアにはすごい人達がいて,生半可には入り込めない世界だったのですが,ミクシィは若い人が多いせいか従来のオーディオマニアとは違う,若い今風のマニアがいてちょっとおもしろいのです。まぁ簡単に書くとPCとか圧縮ファイルとかを使って音楽を聴く人達であり,その中で「いい音」を追求している人達がいるのです。バッサリ切ってしまうと「いい音で音楽聴きたかったら,PCなんか使わずに,ちゃんとしたオーディオでCDなりLPを聴けよ」と言いたくなるのですが,向うもそれはわかってるみたいで,あえてPCで圧縮ファイルでいい音を聴くための工夫…を追求している…みたいな感じでした。
実はこの気持ちもわからないでもなく,わたしもPCで音楽を鳴らすときに,どういうサウンドデバイスを使うかとか,アンプやスピーカをそれなりに考えます。でもどこかで「所詮圧縮だし…」って思っているのか,ある程度納得のラインを越えると,もうどうでもいい…という感じもして,あまりストイックにつめようと思いません。

そんな,「いい音」に対してドライなわたしですが,別にいい音に興味がないわけでもありません。ただ思うに,いい音というのは,当たり前なのですが万人に共通なわけではなく人によって違います。ただ,だからといって個人毎に違うわけでも,なんというか趣味とか立場によって違うという感じがするのです。すべてを挙げることはわたしには出来ないので,自分の属性みたいなものだけを
とりあえず挙げてみます。おそらく音に関する自分の属性には「音楽屋」,「オーディオマニア」そして「音響学者」という三つがあると思っています。そして,ややこしいというか,ある意味音響界の悲劇でもあるのですが,この三つの立場(属性)の「いい音」というのはかなり異なるのだと思います。

具体的に書かないとわかりにくいので書きます。まる最初に「音楽屋」の立場です。もっともわたしはプロの音楽屋ではないので,間違ったことも書くかも知れません。音楽屋とここで書いたのは,音楽を作るプロセスに携わってる人の事です。曲を書き,演奏し,SRで拡声し,録音し,加工し,最終的にだれかに伝える,これらがプロセスです。ですから,演奏家や作曲者だけが音楽屋ではなく,レコーディングエンジニアや,広げて考えると機材制作者も音楽屋です。それぞれ考え方には幅があると思うし,エンジニアやむしろ音響学者やオーディオマニアに近い…という考え方も出来るかも知れませんが,それでもわたしは音楽屋としてまとめた方がしっくり来るのではないか?…という気がします。それはなにかというと,音楽屋にとって「いい音」とは作品に込められた意図もしくは,意図をきちんと表現できるものだと思うからです。
従って音楽屋(言い換えればコンテンツ屋)にとってのいい音はノイズが少ないこととか定位が明確であるとか帯域が広いとか,そういう事では一意に決まりません。ノイズが多かったり帯域が狭いことが狙い通りであればいい音であるし,モノラルで再生することを前提に作ってる音楽だってあり得ます。もちろんCDとかに記録された音を忠実に再生する…という意味で,音楽屋とオーディオマニアが望むいい音が一致する場合もあるでしょう。しかし,CDは製作に於て小さいスピーカでならす場合のバランスも考慮されており,確かに高級オーディオで鳴せばそれなりにいい音かも知れませんが,それは例えば70点が90点になるような,付加的な価値なのではないか?…という気がします。

次に「オーディオマニア」の立場を想像してみます。想像としたのはわたし自身がそこまでオーディオマニアではないからです。しかしわたしも音楽や音に興味をもった中学生のころは電気屋のオーディオコーナーで高級スピーカの音を聞き入ったり,カタログを眺めてうっとりしていた…,そんな時代もありました(苦笑)。最初にオーディオマニアにはすごい人達がいる…と書きましたが,自宅のオーディオに何百万をかけ…というか自宅を改造までする人もいます。ケーブル一本に数百万…という方もいれば,自作でスピーカやいろいろな工夫パーツを創る人もいます。
ただ一方で,CDの縁をペンで縫ったりCDを冷蔵庫で冷やしたり…という事を真顔でやってしまうのもオーディオマニアです。最近ガラスのCDというものが発売されたようですが,ああいうのを買うのもオーディオマニアでしょう。ふとそういう試みを観てると,こういう人達は一体何を再生しようとしてるのだろう?…と思ってしまいます。もちろん記録された音を忠実に再生しようとしている…というのがオーディオマニアの主張でしょう。しかしCDはディジタルゆえに比較的簡単に記録された音を取り出せます。少なくともCDの規格を作った技術者はそう思ってます。LPの様に実際に記録されている音を再現性を持って取り出せない場合はわかります。というかそれゆえにLPの時代はレコードプレーヤに重りを乗せたり,様々なことをして工夫をしてました。しかし再現性がないので,どこまでやっても忠実に音を取り出せてるかどうか検証ができませんでした。しかしCDになってしかもディジタルデータを純粋に取り出せるようになった場合…CDに対するいろいろな工夫は本当に音に効いているのだろうか?…と思ったりします。もちろんジッタの問題とか電源の問題とかマニアの方はいろいろおっしゃいますし,それに対して証拠をもって反論するデータも持ってないし,そもそもそこまで否定するつもりもありません。ただそういうマニアの方の姿勢は記録されている音楽自体にはたいして興味がないのではないか?とも思いますし,また自然科学の研究者的な視点でもありません。

さて,そういう中で冒頭に述べたようにPCで音楽を再生して,その中でいい音が聴けるように工夫する人達が今はいるようです。こういう方達は従来の数百万のお金をかけているマニアとは求めている音質のレベルは違うように思います。でもある意味CDの様に,工夫をしてもほとんど思い込みくらいにしか音が変わらないものより,数万のボードを買ったり,圧縮ソフトを変えてみたり,そういう工夫ではっきりと音が変わるというという試行錯誤を楽しんでいる意味では,数十年前の自作スピーカや真空管アンプやラジオを作っているマニアと心情は似てるのではないでしょうか?。そういえば,わたしが7年前に書いた文章の中に以下のような記述がありました。「これら(シリコンオーディオ)は決して,高品質オーディオではない。むしろ品質的には CDやLPからですら後退している。<中略>実はこういうのは,かえってユーザの遊び心を刺激するのである。どういう方式を選ぶか?,どういうシステムを組むか?,使い方は?,良くわからないだけに,そこには工夫の余地を感じるのである。」…まさにいまそういうオーディオマニア層ができあがっているのだな…と思います。

最後にあげる「音響学者」。これはわたしの立場でもあるのですが,この人達がいういい音…というのがうまく説明できません(^^;)…。一言でいうと「客観的特性重視」なのですが,一般に問題にされるのは「帯域」だったり「歪み率」だったりというオーディオマニアとからするとかなり荒っぽいものです。また波形レベルでの評価もありますが,これは一致不一致というレベルであり,「特性」と呼べるようなものではありません。また一方で「主観評価的手法」で聴いて判断する…というのもありますが,音響技術者の場合,マニアではなく一般の人に訴求する必要があるため,誰にでもわかる違いを求めます。あっ,上に「荒っぽい」と書きましたが,逆に人間がわからないような小さな数値の差を問題にする場合もあります。ただその場合はマニアにもわからないような違いです。

さてこういう状況ですから音響学者とオーディオマニアは話が合いません(苦笑)。オーディオマニアが主張する「いい音への工夫」は音響学者には聴いてもわからないしデータとしても差がない…ものであることも多々あります。しかし逆に音響学者がいういい音はもっとひどい音をマシにする工夫だったりするのです。
というわけで,わたしはオーディオマニアのいい音への追求と音響学者の追求が全然別の方向を向いていてお互いに協力し合えないこの状況は…どこか不幸な気が…ずっとしてます。自分の中に両方の素養があるだけに,残念に思います。ついでになりますが,音楽屋については,オーディオや音響機器は道具なので,道具の改善がないと表現が滞る…って事はあまりありません。ただ新しい道具の発明が,新しい表現をつくる場合もあるので,決して無関係ではないのですが…。これも6年ほど前に書いた文章ですが日本の音響機器技術者は海外の技術者に比べクリエータ的な観点が弱いのではないか?という気がして,そこにもちょっとした不幸があるような気はしてます。まぁただ現状は音響学者や技術者が不用意に音楽屋に近づこうとして失敗(というか勘違い)している例も多いので,この辺の擦り合わせをどうすれば,前向きにいいことができるのか?…は今のところ自分には良くわかりません。

…とここまで,「音楽屋」「オーディオマニア」「音響学者」という三つの音にこだわりのある人を例に挙げて,それぞれのいい音の違いを述べてきました。これら三者以外にも音へのこだわりがある人達はいて,またそこでは求めるものが違うのかも
しれません。

というわけで,いい音…と単純化したタイトルで文章を書きましたが,要はこれだけの断絶があるという事です。ただ個人的には,この断絶をなんとか埋めて,そこで何か新しいことができないか?…という気が最近強くしてます。わたしは上に挙げた三つの要素を持っているわけで,一つの立場から他の立場を観る人とは違う考え方や動きができるはずです。そこで何ができるか?…考え,行動していければ,それが自分の価値になるのではないか?…とそうありたいと思います。
コメント
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