たろの日記ページ,gooブログ版

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我々は「感覚」を通じて世界を観て聴いている。もちろんモーツアルトも…。

2006-09-03 07:04:01 | ココロ
なんか変なタイトルですが(^^;)…。以前わたしは「モーツアルトと科学者」という文章を書きました。これは当時「モーツアルトを聴くと◯◯が良くなる」という類いのうたい文句が出てきたことに対して,「なぜモーツアルトなのだろう?」という疑問から書いたものです。この文章にはすべてぶっちゃけて書いたわけではなく,若干ごまかしが入ってます。というのは,自分が書くことに100%自信があるわけではないから…というのもありますが,それ以上に「信じている場合は効く」という場合があるからで,それを無理やり信じなくして効かなくする必要はないとわたし自身が思うからです。極端なことをいうとだまされていても,いい効果が出るのであれば,だまされるのも一つの手であるからです。

ところが,その文章を書いてもう5年になりますが,モーツアルト信仰は一向に収まらず,さらに加熱している気がします。健康に良かったり,仕事の効率が上がったりするのは,まぁ「信じている」からってことでいいのですが,なんか水が良くなったりとかいう話を聞くとちょっとどうかと思います。

まぁそれでも信じたい人は信じておけばいい…というスタンスでしたが,一方でこういう信じている人達を糾弾する人達がいて,それも何か違うな…と思う気がしたので,一応「音屋」だし…ってことで,わたしの思うところを正直に書いてみよう,と思い,今回は書くことにしました。

モーツアルトの音楽がいろいろいい効果をもたらすのは,わたしが思うに一言でいうと「聞いている人の問題」だと思います。つまり上に書いた通り「信心」,それと無意識に音楽が人のココロに働きかけるものです。

「信心」の方はわかりやすくて,その人がその音楽を強く「良いものだ」と信じれば,人間は自分の心のみならず体すら良い方向に変化させる事が多々あります。良く(実証)科学至上主義の人が,反論するために他の反証データを持ち出したりしますが,ある人には実際に効くのですから意味がありません。

そして,もう一つわたしが思うのは,音楽自体がそもそも人に「良い効果」を与える場合がある…ということです。とはいえ,実はこれはモーツアルトの音楽に限った話ではないし,もしかすると音楽に限った話でもないかもしれません。さらに音に限った話でもないかも知れません。

…ややこしいので音楽に話を限ります。例えばモーツアルトの音楽をオフィスに流して仕事をしたらミスが減った…という事例が報告されてます。これは,ある程度聞き流せるような音楽…というかリズムやメロディの時間変化があるような音を流すこと自体で,人がリラックスするし,リズムに人間が乗ることで,動きにブレが減りミスが減る…という可能性があります。人間はジッとしているより,体をゆらゆら揺らす方が,実は無規則なブレは減ります。

じゃぁ,モーツアルトである必要はないのか?…というと,これがなかなか難しい問題です。わたしがモーツアルトの音楽がこの様に好まれこの様に使われてうまくいっているのは,少なくとも日本人,そして西洋音楽に慣れ親しんだ文化の人達にとって,モーツアルトの音楽というのは非常に「不快に思う人が少ない」音楽だから,なのではないか?という気がします。そう書くとあまりにも簡単な話のようですが,実はそうでもありません。上記のように仕事中に音楽を鳴らしてみんながリラックスをするというのは,ありがちですが,その中に,その音楽を嫌いな人がいたら成り立ちません。音楽の嗜好はその人の音楽文化への触れた歴史に依存するので,みんなが好きな音楽や逆にみんなが嫌いな音楽というのは実は結構見つけるのが大変なのです。そしてわたしが思うのは,少なくとも西洋音楽,つまり和音と単調長調という調声メロディ,三拍子や四拍子のリズムという音楽のもっともシンプルな基本形態をもっているのがモーツアルトの音楽であり,それゆえにそれを毛嫌する人が少ないのではないか?…という気がするのです。リンクした先のわたしの文章で「金字塔」と書いたのはそういう意味です。

こういう種明かし的な事を書くと「なんだ」と思うかも知れませんが,実際にこういうみんなの音楽性の根本に響くようなシンプルな音楽を作るのはとても大変です。そしてそれは,人のココロが勝手に反応している…ともいえますが,音楽がもっている力によって人のココロが反応し,そしてその人の世界が変わっているともいえます。ですから,それはその音楽の力なのです。

神秘主義の人は音楽にオカルトな力があると思い,逆に科学主義の人はそんなのはなく,人の勘違いだというかも知れません。しかしわたしは,そもそも人間は「ココロ」や「気分」に支配されている生き物で,ココロの状態が変われば体の状態,脳の状態,ヨクウツ等が変わるのは科学的には間違いないことです。そて脳の状態が変わっている以上,我々が観て聴いて「感じる」世界は変わりますが,逆に外部の刺激を「感じる」ことによりココロが変わるともいえます。ココロが人間の見え方に影響する以上,それを制御する道具として音楽を使うのは間違いではないと思います。そしてそれに現在の日本人(や西洋人)がもっとも適してるのがモーツアルトの音楽なんでしょう。みんなに聴くのであれば,モーツアルトの音楽は名曲で不思議な力をもっているといっても間違いではありません。もちろん個人個人にはもっと適した音楽があると思いますが。

人間はあくまでも「感覚」というフィルタを通してしか,物事を観たり聴いたりすることができず,そうである以上,そこで何を判断しても厳密に客観的とはいえません。こういうのは概念を重視する文系の人とか,物質データを重要視する理系の人とかには理解しにくいかも知れません(ここで文系理系と書いたのは皮肉です:-p)。でも,わたしはすべての現象は感覚に影響され認識している以上,概念(言語)や物質データだけでは説明できないという,ある意味世界は感覚の上に成り立っている「唯感覚論」を提唱したいと思います(笑)。

ですから,人は自分の感覚がどう世界を感じどう世界とつながっているのか,意識してみるのもいいのではないかと思います。モーツアルトを聴いているのも「感覚」です。

P.S.誤解の無いように書くと脳化とは違います。脳化はどちらかというと概念の増大の方に近いという気がします。
コメント
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