たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

独我論

2007-06-13 14:17:14 | ココロ
finalventさんの日記を読んで,更にその先のたけくまメモを読んで….

独我論というか唯識論というか…,セカイは自分が認識しているセカイのみであるとか自分がどこかで見てる夢みたいな想いは,たぶん誰にでもあって,わたしも相当幼少の頃からありました.たけくまさんが,いくつかSFを挙げてますが,その作品を読んだ覚えはありませんが,同じようにSFや漫画を読んで似たような想いを馳せたことはあります.遠隔でロボットである自分を操縦している…とか思ったこともあったか。…というか「百億の昼と千億の夜」の愛読者だったわたしは,彼岸で見てる幻…の様にこの世を想っていたなぁ….わりとつい最近まで….

最近は,かなり変わって,はっきり書くと自分の死がリアルに感じられたときに,独我論からの呪縛から解き放たれた気がします.まぁ自分が死んでも世界は終わらない,世界は依然として存在すると.そうあってくれないと困るなぁ…って感じで(苦笑).だって「自分の外にも自分は存在するんだし」…っていう気分というか….
もちろん,かっての自分は,自分の外に自分が存在してるとかは考えなかったのですが,今は自分の外に一生懸命自分を移しているという段階な気がします.手っ取り早くいうと,家庭を持ったり,子供を作るというのは,そういう行為であるし,そういうのを無意識にみんながやってるのは,本能のようなものであるし社会システムはそういう風に作られた様にも思います.仕事で頑張るのもそういうものなのかもしれません.だから子供を自分の分身と実感しやすい女性より男性の方が仕事(社会的地位)という自分の分身を一生懸命作るのでしょう.ある意味家庭や子供より大切にするのも,そういう意味ではわかる気がします.

….

あぁ,でも思い出したけど…,自分が見える世界に存在する他者は,意外に全然わたしの思うように動かない…,っていうのはだいぶ前から思うようになっていたなぁ.その辺から独我論は薄れていたのかも知れない.でもそうであるのを認めたくないからかも知れないけど,意外に世の中の人はいい加減であるとか,期待できない…と思うことにより,まだ独我論を固持していた気はする.
自分の思うように世の中が存在していない…って思ったとき,案外人に対して腹を立てることはなくなったのだけど,それって自分の外にセカイがあるって思えるようになったことなのかも知れません.
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする