goo blog サービス終了のお知らせ 

たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

薄めて広げるのか,集めて濃くするのか

2011-12-18 22:50:24 | 時事
杉並の小学校のシートから強い放射線が出たので燃やすことにしたというニュース。ぱっと聞いて,「えぇー?」って思いました。他の廃棄物と混ぜたら希釈されるから燃やせるという理屈。総量は変わらないのですが…。

とはいえ,どちらがいいのか?というのは難しい問題です。今問題となってる放射性のセシウムは半減期が数十年なので多分100年オーダで考えないと減りません。通常の汚染物質はちょっとの間置いておけば分解して他のものに変わったりしますが,放射性物質は総量は減らない…という意味で,多分これまで出た汚染物質とは根本的に扱いが異るはずです。汚染物質の処理の仕方としては薄めて害を無くす…という方法と,集めてどこかに隔離する…という方法があると思いますが,この場合どちらがいいのでしょう?。

個人的には集めてどこかに隔離するしかないのではないか?…という気がしますが,どうも世の中的に広げて薄める方向に行っているような気がします。いま,除染が問題となってますが,土を入れ替えるのはともかく,水で流す…というのは,その場からはなくなりますが,流れたものはどこにいくのでしょう?。先日クロ現で,池に集まっている…と問題になってました。

集めて隔離できないのは,おそらく隔離する場所が確保できないからです。東北の学校のグランドから除去された土の行き場がない…という話がありましたし,がれきなどのゴミを受け入れれるのを住民が拒否するというのもありました。日本は使われてない土地が殆んどないので,ゴミの廃棄場の近くにも人がいたり,山の中だと地下水とかに染みるんじゃないか?とかいう危惧もあって,なかなか捨てる(保管)場所が見つからないんでしょう。

とはいえ,このままほっておくわけいきません。雨が降れば移動したりしますし,除染も本格的に始まりそうです。下水に流れたら海に出ていきますし,それも問題ですが,それどころか住宅地のどこかの水溜まりに濃縮される可能性もあります。先日,福島原発の汚染水を海に流しましたが,これもちょっと…と思いました。

福島の人にはとても悪いのですが,結局のところ福島原発の近くや敷地内に集めて保管するとかしかないんじゃないか?…,という気がします。焼却で濃縮されるという話も聞きましたが,逆に言うと,それで放射性物質集めることもできるわけです。そのまま埋めると雨に流れたりするから,コンクリートなどで固めて,水が入ってこないような施設を作り,そこに数百年のオーダーで保管するんでしょうか。原発の近辺は今後かなりの時間人が住めないのではないでしょうか?。であれば,そこに集めるしかないんじゃないかなぁ。各都道府県に貯蔵庫を作るという考え方もあるかとは思いますが,状況からすると,原発の周辺が一番いいように思います。その場合は,その土地を国や東電が買い上げて…とかになるのかな。今はまだ安定してないから,そういう施設を作ったりは出来ないでしょうし,どこに作るかは,いろんな意見があるとは思いますが。

…等と思いますが,広げて薄めればいい…というのが良いというのなら,どういう理屈でそうなるのか?…誰か教えて欲しいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

危険な選択は時代で変わる

2011-12-04 13:49:00 | 時事
先週インフルエンザの予防接種を受けました。子供が出来てインフルエンザの予防接種を受けるようになったので今年で三年連続。でもそれ以前はおそらく大学に入って以来受けていなかった気がします。高校の時受けたかどうかも良く覚えてません。ただ小学校の頃に何かの予防注射を受けた記憶があります。ただ病院じゃなくて学校で受けたような,そんな記憶があります。インフルエンザだったかどうかは謎。

その時の記憶で,一本の注射で何人かまとめて注射を受けてました。そう集団接種です。今でこそ注射針を使いまわすなんてご法度で,予防注射だろうが,病気の治療だろうが,採血だろうが,使った針は医者ですら素手では触らずに捨ててます。あの大量の針はどう処理されるんだろう?。溶かして金属かなにかにするんでしょうか?。

話がそれました。今は注射針経由の感染を恐れますが,当時はそういう認識はありませんでした。多くの人はそういう認識はなく,おそらく多くの子供たちに予防注射をすることを優先して,針も使いまわしたのでしょう。もちろん専門家の中には針で病気が感染するという可能性を疑っていた人もいるでしょうが,あまり定説になってなかったのかもしれないし,それより感染症の方がまだまだ恐ろしかったのかもしれません。そういえば戦後間もなく子供に散布されたDDTも,いまは人体に使うには危険と言われてますが,当時は,危険性を認知してなかったし,それよりダニやしらみによる病気の感染を抑えるのは効果があったのだろうと思われます。

今考えたらトンでもない…と思われるような処置が以前されたいたというのは,その危険性がわかってなかった場合,または,その危険性よりももっと危険なことがあって,それを抑えるために優先した…ということがあるように思います。いまだともっと有効な手立てがあっても,当時わかってなかったという場合もあります。私は小学校に入るくらいのとき,当時は昭和40年代,扁桃腺の手術を受けましたが血が止まらず200ccの輸血を受けました。そのせいで,献血が出来なくなってます。その後の検査でB型もC型も肝炎ウィルスは持ってないことはわかってるんですが。…で,5年前に膵臓を取り出すような手術をしたから,また輸血をしたかというとしませんでした。今は自分が出した血をまた集めてたぶん精製かなにかして,体に戻す方法があるそうです。人工血液もある程度使えます。手術前の説明でも,それらを優先し,駄目な場合だけ輸血をすると聞いてました。輸血のリスクの考えるようになったということでしょう。ただそれでも輸血をしないと助からない場合は,輸血をします。だから今でも献血では血が足りないと言ってます。

そのうち,ガンになったら内臓を取り出すなんてなんて乱暴なことをやっていたんだ…とかいわれるようになるかもしれません。

つまり何が安全で何が危険かは時代で認識が変わります。また危険なことも,それより危険なことを防ぐために使用されることもあります。それはある意味仕方がないと思います。それを後になって,あの時危険なことをした…というのは,すこし無理があるように思います。いや,むしろ私は絶対安全なことなんってそうそうないのでは?という気もしてます。より危険が少ないことを選んでるだけなので,それは状況で変わるものではないでしょうか?。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成功と富はリンクしない

2011-07-20 17:47:24 | 時事
一昨日の朝は女子サッカーワールドカップを観てました。もう駄目だろう…ってところから何回も追いつき最後は勝った試合はとても感動的でした。

ところで,日本中に感動の嵐が吹きまくる中,彼女らの待遇が実は結構苦しいとか,普段の年収や就業状況も厳しい,みたいな話が急に聞こえてきました。わたしも最初そうだよな…とは思ったのですが,いろいろと考えてみると,これは彼女らの年収とかが苦しいのがおかしい…と思うのであれば,それを何とかするのは,そう思った我々じゃないか?という気がしてきました。だから誰かのせいとか,誰か(例えば行政とか協会とか)がなんとかすべきという話はおかしいなという気がしています。

確かに彼女らは世界レベルで頂点に立ち,日本中を感動させました。でも世界レベルのスポーツ選手で,その競技だけで食べられない人っていうのは結構いると思います。オリンピックでメダルを取るような選手でもそれだけで食べられている人ってむしろ少ないのではないでしょうか。射撃とかアーチェリーとかもそうじゃありませんでしたっけ?。

有名なスポーツ選手とかいうと,野球とかサッカーとかゴルフとかテニスとかF1とか相撲とか…そういうのを思い出し,頂点にいる人がすごい額の収入を得てる印象を持つのかもしれませんが,おそらくそういう競技の方が少ないのだと思います。会社のクラブチームでノンプロでやってるならまだ良くて,完全に自前でやっている人も多いでしょう。女子サッカーの待遇が変だというのであれば,それらの選手の待遇もおかしいということになります。

そう思うと,むしろ選手のレベルと収入はリンクしないものだと思う方が自然で一部のプロスポーツだけが異常なのかもしれません。同じような話はスポーツだけじゃなくて,音楽だってジャンルによっては成功者は大金を手に入れますが,そうではないジャンルもあります。まぁ芸能は人気があるっていうのは基本的に興行として成功してることですから,そういう人は少ないのかもしれませんが。

わたしはなんにつけても自分を感動させる人たちが裕福でないのがおかしいと思うのであれば,その感動を受けた自分が,その人たちになにか投資をするのが第一だと思います。スポーツなら競技を観にいく,芸術なら観にいったり作品を買う等。そして次にそれを周りに広めたり,更に支援する仕組みを作るなど。もちろん支援など一人ではなかなか出来ませんが,そもその個々のファンがいないと,仕組の必要性も起きません。自分の場合は音楽や漫画が好きですから,なるべくCDや本を買うようにしてます。一部のミュージシャンはライブも観にいきます。ネットで紹介することもあります。

それから,少し視点が変わりますが,選手の待遇というのは,その時の収入だけでは語れません。おそらく今回の選手らも年収とかがどれだけ上がるかはわかりませんが,長期的には後輩となる選手の指導をしたり,うまく行けば講演をしたり本を書いたりと,いろいろと道は開けるでしょう。今回の業績で一生遊んで暮らせるわけではないでしょうが,ある程度地道に稼いで行く道筋はついたのかもしれません。

スポーツにしても音楽にしても今は多様化して,国民的スポーツや音楽っていうのがなくなってきてます。ですから成功者が富を得ることは難しいのかもしれません。ですが,それは一部のジャンルだけが富を得てるわけではないということもいえます。頂点を目指す人からするとさびしいことかも知れませんが,多様化によりそれぞれに日が当たり尊敬を集められるということは,ある意味ではいいのかもしれません。そしてファンのほうも尊敬をし,それが気持ちだけではない形で支援できればと思います。やり方はなにがベストかはわかりませんが,多くの成功者がそれなりに尊厳を保ち暮らしていけるようになっていけばいいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やらせを問題にするのは本質の議論を避けるため?

2011-07-09 13:19:28 | 時事
九電の「意見依頼」がえらく大騒動になっているけど,わたし自身はこれがメディアで騒ぎになる前に紙屋研究所のブログで知っていたので,TVになったときにあまりショックを受けませんでした。というか,紙屋さんのところで読んだときにもさほど腹は立たず,ただちょっと呆れた…話だったので,正直ここまで世間が騒ぐとは思ってなかったというか。

実際に新聞に出た依頼文全文を読んでも,そこまで腹は立たない…というか,うーん,これくらいの話はあるんじゃないかな?という気がします。この依頼文で問題なのは,新聞中でも「※」がついているし,紙屋さんも引用してるけど「発電再開容認の一国民の立場から」と書いている点でしょう。これがなかったら,単に「大事な機会だから意見を述べましょう」と言ってるに過ぎず,つまり「選挙に行きましょう」と同じレベルです。

国政選挙に限らず,他の事でも,自分の所属団体から,投票しましょうとか,アンケートに回答しましょうと依頼されることは多々あります。だいたいそういう依頼の中には「都合のいいことを書いてね」という本心が透けて見えるのですが,無記名だったりする場合は,逆の意見を書いてもダメとは一言も書いてないので,別に書いてもいいだよな…という風に取ることができるので問題はないのでしょう。実際今回の依頼についても,無記名で投書が出来るんであれば,または非公開なのであれば,依頼された方もどっちを書いても良かったわけで,そこまで問題なのかな?という気がしないでもありません。

さて,この件,どこが問題なのか?…。今朝NHKのラジオでは「利害関係者が意見をいうのが良くない」と誰かが言ってました。でも利害関係者とか言うなら,地元の住民も利害関係者でしょう。地元の住民が寄り合いで「反対意見をみんなで投書しよう」と息巻いたら,問題なのでしょうか?。だいたい,こういうのって第三者じゃなくて当事者が一番意見を述べるべきじゃなないでしょうか?。いや原発の場合は,近隣町村すべて当事者だし利害関係者だとは思います。

「やらせ」と書いてますが,この意見集約,行政がやってるわけで,行政と九電がグルでないのであれば「やらせ」というのにはあたりません。単に「組織票」というんじゃないかな?と思います。

まぁいずれにせよ,わたし的には程度が低いニュースというか,いつもそうですが,原発の是非よりも,こういうゴシップネタの方が社長のクビとか,原理力行政に影響を与えるというこの風潮はなんとかならないのでしょうか?。本質の問題がどうであろうが,手続きが問題だからNGと言ってるようにしか見えません。敢えてこういう話にして,原発の是非の議論を避け,九電だけの問題にしてしまっているように思うのは気のせいでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

財源よりも,そのお金は誰に行くのか?が気になる

2011-06-26 22:23:53 | 時事
震災恐慌がやってくるという話を読んでいて思うこと。というか,地震後しばらくしてからずっと思っていることです。例によって経済は良くわからないので,素朴な疑問ってことで書きます。

リンク先の話で,復興の財源の話が重要だと書かれてます。実際,今メディア経由で見る政治も復興の財源を増税でするかとか,国債にするかとかそういう話が盛んです。確かにお金を投入しないといけないわけですから,それがどこから出てくるか?ということは重要でしょう。

でももうひとつわたしは気になってます。それは仮にお金を投入できたとして,そのお金を使うのは誰で,お金を払う先はどこか?ということです。もちろん被災者に対して生活や再建のために使ってもらうことも多いでしょう。でも国や地方行政が,復興のために工事をしたり,新たな防災設備を作ったりっていうのもあるでしょう。問題はそういう発注がどこに行くか?ということ。また,いま震災で東北にあった工場や会社が閉鎖されていて,その場合,それに対して使われていたお金がどこに行っているか?というのが気になるのです。

判りやすくいうと,財源の問題よりも,お金が国外にどんどん流れて行ってないか?,その結果国内の産業が縮小し,失業者が増えていくことが問題ではないか?という気がします。実際に日本の隣国では,今回の震災で特需が発生してると聞きます。工業製品もそうですし,食料品もそうみたいです。また福島の原発の対策でいろんな設備を作ってますが,それもフランス製だったりアメリカ製だったりします。

確かに,いま東北の生産力が落ちたり,農業が出来ない地域が発生したりしてますから,その分をどこかから補わないといけないでしょう。でも,それはなるべく国内から調達するように,法的な制限をかけることは出来ないのでしょうか?。もちろん平常時にそういうことをやると貿易上の取り決めの問題があることはわかります。でも,今は日本は平常時ではありません。期間を切って,市場を閉ざしすことは出来ないのでしょうか?。もちろん,そうなると,実際日本の市場では足りないものがたくさん出てくるでしょう。また価格が上がるものもあるかもしれません。でも平常時じゃないのですから。

震災をきっかけとしてこれまで国内で作っていた産業がますます海外に移っていったら,結果的に日本の雇用が減り,そして市場が縮小するように思います。逆にこれを気に内需を増やせば,税金や国債を投入しても,それは総生産の拡大という形でいくらかは返ってくるかもしれません。わたしは今回震災が起きた時に,これで儲ける人も結構出てくるだろうなぁ…と思いました。でも実際は,それがほとんど海外の企業で,日本の企業ではほとんど聞きません。それが問題じゃないか?と思うのですが,あまりそういう意見が出てこないのはなぜなんでしょう?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事故の原因をミスにするのは良くない

2011-06-14 06:06:53 | 時事
NHKスペシャル「事故はなぜ深刻化したのか」 を観ました。震災の後福島第一原発がベントをするまで,水素爆破するまでの流れを関係者の証言を元に構成してしてました。実際にインタビューに答えていた関係者は海江田大臣,東電の常務,斑目原子力安全委員長だっけ?,あと誰だっけ?よくテレビで見る人,副官房だっけ?若い人。

基本的には東電,政府,原子力安全委員会あたりの対応がまずくて事故が悪化したというつくりになってました。特に菅首相は本人の直接のインタビューが無い形で証言が再現されていて,それが素人がヒステリックに怒鳴り散らしている様に見えてずいぶん意図的だなと感じました。まぁあれを意思決定と見る人がいるのかもしれないけど。大臣や常務や委員長のインタビューもずいぶん当事者なのにノンキなもんだな…という風に取れる雰囲気で,本人たちになんていってしゃべってもらったんだろうとか思いました;-p。

という風に,普通はこの番組を見たら関係者,特に上層部に怒りを感じるんじゃないかな?と感じました。特に緊急事態宣言が遅れたりとか,電源の手配をしたら,電源じゃ回復しなかったとか,水素爆発を想定して無かったとか,態度だけじゃなくて,事実としてミスが多く見受けられました。

でも,私は一方でこれを見て,上層部がミスをしなかったとしたら,今回の事故は防げたんだろうか?とも思いました。例えば緊急事態宣言が現場の要望から30分でされるところを2時間かかったのも,じゃぁ30分でされていたら,今回のような事態にならなかったんだろうか?。電源をつなげば原発は安定化すると東電の常務が判断ミスをしたと語ってましたが,じゃぁ最初からそれ以外の状況を想定していたら,対策はあったんだろうか?とか。水素爆発を想定していたら,もっと早期にベントしたり,爆発を防いだり出来たんだろうか?…と。

なんとなく思ったのは,電源をつないでもだめだったというのは,地震か津波で既に冷却系が壊れていたわけで,その後の対応のまずさより,地震や津波への想定の方が出来てなかったことで,今回のことは避けられなかったのかもしれないということです。そういえば,ずっと今回の事故の原因は電源が落ちたことといわれてましたが,実際は違っていたのですね。電源をつないでも復活しなかったのをみて現場が「終わった…」と思ったらしいですが,本当にそこで終わったのかもしれません。

とはいってもベント時の風向きの問題や,避難周知の問題とか,確かに改善のしようのあったミスも多くあったのですが,事故自体が避けられたのかというと,どうだったんだろうなぁ…と思いました。

今回の事故の原因を分析することは重要ですが,誰かのミスや対処の悪さに押し込めてしまうのは,わたしはあまり賛成しません。誰かのミスや対処の悪さが無かったら事故は起きなかったという結論が出来ると,結局ちゃんとやれば事故は起きない…という話になるからです。わたしはむしろ1000年に一度の(*異論はあるでしょうが)災害に対処が避けられなく,それがコストや想定として可能なのか?とかの方の議論にもっていったほうが,今後の原子力との付き合い方を考える上で重要だと思うので,あまり現在の関係者ばかりを責めるという今回の番組のつくりには疑問を感じたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電気のゴミ

2011-06-01 23:23:36 | 時事
電気というのはクリーンなエネルギー。

でもクリーンなのは電気そのものであり,電気を作り出しているものがクリーンとは限らない。

電気を使っていると,その電気が何によって作られたかは,使っている人には分かりにくい。自分が使う電気をつくるときにどういう「ゴミ」が出来ているか,使う人は分からない。

そういう意味では,電気というのは,くさいものに蓋をするというか,見たくないものを見ないようにするエネルギーだと言える。

電気自体を否定しないけど,結構罪だよね…とは思う。



幼少の頃,もう記憶もうっすらとしか残ってないけど,自宅のお風呂は石炭で焚いていた。お風呂の外には沢山の石炭が置いてあった。灰も出ていた。その灰をどうやって処分していたかは5才にも満たなかった自分は知らない。でも親は業者に引き取ってもらうとかやっていたのだと思う。その後ガスになった。ガスは灰は出ないけど,二酸化炭素と無駄な熱が出てることくらいは分かる。でも,室外なので使う方はあまり意識しない。ちょっとだけ見たくないものを見ないという意味では,罪な気はする。

更に私が産まれる前は,七輪とかカマドで料理をしている時代があった。一応わたしの記憶にもうっすらと自宅に七輪があった記憶がある。使ってるのを見た覚えはないけど。あと祖母の家に火鉢があったりした。土間とはいえこういうものを室内で使うと,灰は出るし熱は放出されるし,エネルギーを使うにはゴミが出ることを意識する。



電気はいつでもスイッチを入れればすぐに使えて,無駄な熱も出にくい。もちろん個々の家で火を焚いて料理をするより,電気やガスで料理をする方が,使用するエネルギーや排出する二酸化炭素も少ないというのも良く分かる。

だけど,それよりエネルギーを使うことによってゴミが出ることを意識しないという意味で便利なエネルギーという側面もあるのだろう。わたしは発電所を見学したことがないが,見学をしたら「こんなに燃えカスがでて大変なんです」とか説明するんだろうか?しないだろうなぁ。

世の中には電気をつくる段階で出たゴミが沢山あって,それがどうしようもない状態になっているけど,それを使ってる人はどうもピンと来ないという実状もある気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本式が通用しない

2011-05-31 23:25:01 | 時事
なんとなく原発の事故というものを観てると,日本人的な使い捨て文化とか,御祓いとか水に流すとか,そういう考え方がまるで通用しない事例じゃないか?という気がしてます。

うまく説明できないのだけど,日本は自然が豊かなので,ある程度人の手によって自然がダメージを受けても,使い物にならない土地というのは存在しないというか,つまり森を切り開いたら砂漠になった,みたいなところは無いのだけど,今回は人が住めなくなっている地域が広範囲に発生した,こういう事例は日本の歴史上これまでなかった経験じゃないか…という気がします。

だからなんとなく日本人は現状のこういう場合の対処にどうしていいかよくわかってない。復興が短期的には難しいということがどういうことなのか,私も良くわからない,そういう気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電気行政

2011-05-09 22:04:39 | 時事
最近のネット経由でニュースを観ていて思うこと。

東電のあり方についていろいろ言われている様ですが,

  • 倒産&国有化
  • リストラ,送発電分離

は逆の方向性のような気がするんですが,どうでしょう。特に後者は地域独占見直しとかまで踏み込めるんですが,他の地域への影響などは無いんでしょうか?。電気も許認可事業だろうから,東電地域だけ特別な体制ってわけにはいかないんじゃないという気がします?。あくまでも法律の技術論だけど。

それから倒産国有化は今の株主と経営陣に責任を負わせて,だけど組織としてはそのまま国が運営すれば,末端で働いている人や消費者は今と同じ利便性を保持できるけど,リストラや送発電分離は結果的に消費者に大きな影響を及ぼします。通信が地域分離や競争を導入した時に,安くはなったけど,電話料金を払う会社が増えたり,マイラインとかそういうので,ややこしくなりました。あの時はそれでも安くなる…っていうユーザメリットがあったけど,今回は東電がぼろぼろの状態でそうなるのだから,煩雑になりつつ安くもならない…っていう状況になるような気もします。

リストラとか分割とか東電に「罰」を与えてる感覚かもしれないけど,会社をユーザは選べない状況で,インフラ企業をぐだぐだにするのは,結局ユーザの利便性に返ってくると思います。あと民間会社のまま存続するっていうのは,株主的には国有化よりはましってことにもなります。

もうひとつの観点は脱原発がどっちの方が進みやすいか?ってことだけど,これはどっちもどっちのケースが考えられます。脱原発の方がコスト的に有利だったら,競争を持ち込んだほうがすすむけど,逆だったら,結局行政主導でやらないと,研究開発費とか捻出できない気がします。

世論は様々だから方向性っていうのは無いのでしょうが,それでも時期によってあっちに揺れたりこっちに揺れたりしてます。どういう社会を作りたいか?っていうのを考えず,その時の雰囲気でもりあがってる気がしますが,メディアや業界人は,結構自分たちの利権や商機をしっかり考えていたりするので,あまり真に受けないほうがいいんではないでしょうか。自分がどういう社会にしたいと思っていて,そのためにはどういう電気行政がいいか?ということを考えるべきかな?と思ってます。

私の場合は優先順位で書くと(1)今の福島原発の事故をとにかく収めること(2)事故で不利益を被った人の補償を行い,出来る限りの復帰を目指すこと(3)長期的には原発をやめること(4)首都圏をはじめ全国的に安定的に電気を供給すること,かなと思ってます。現状優先順位が高いのは(1)と(2)でしょう。たぶん(3)と(4)は逆順の人もいるでしょうから,これについては時間をかけないと決まらないのかなという気がします。

で,今の世論にはわれを忘れて(1)すら後回しになってる意見もあるようでそういう考えはどうかな?という気がしてます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間軸が重要

2011-04-27 12:26:38 | 時事
最近なにかから放射能が検出されると「検出された」と大騒ぎをする記事や文やブログが名に入り鬱陶しい。…という気分を前回書いたのですが,騒ぐ割りに肝心なことが書かれてなくて,判断できない…というのが更に鬱陶しく感じます。

素朴な疑問ですが,水にせよ野菜にせよ放射能(放射性物質が正しいけど)が検出されるのは,検出された事自体よりも,「強さ」と「期間」が問題では無いのでしょうか?微量でしたら通常時でもある場合もあるわけだし,ある程度強くても一日だけなのか,何日間も出続ける(摂取され続ける)かが問題なのだと思います。体内(母乳)から出たとなると確かにショッキングですが,飲む方からすると,微量でかつ数日で出なくなれば,他のリスクに埋もれる程度になるように思います。もちろん出たときから気をつけろ…というのは分かりますが,出なくなった…ってところまでフォローしてくれなかった困ります。

そういう意味で言うと,今回福島の原発の立ち入り禁止区域の指定も,ずっと出続けたからなったのかも知れません。まぁでも,多分放出量自体は,先月の方が遥かにピークで,危険度はゆっくりではあるけど,減ってはいるんだろうなぁ…とは思います。この辺複雑で,やっぱり一般的には理解しがたいんだろうなぁ。長期的に退避をさせるのであれば,仮設住宅とか用意しないとダメのような気がするけど…。

もう一つ。被曝するとガンになる…と大騒ぎするのも,やっぱりピンと来ないのが,いつなるか?…って話。5年後になるのか20年後になるのか40年後になるのか…。あと幼児がなるのと壮年や老人がなるのはやっぱり重みが違う。壮年や老人なんって20年後とかいうと何もしなくてもガンになるか別の病気で死ぬリスクの方が高くなる場合も多いんじゃないか?…とか思います。5年後になる…とか言われると深刻だけど。

ガンは怖い病気だとは思うけど,日本人の3人に1人がガンになるのだから,ガンになりたくないとかガンが怖いとか,騒いでいてもしょうがないのだと思います。幾つの時になるのか?どういうガンになるのかが重要だと,ガンになったわたしは思いますよ。

上に書いたその二つをはっきり言わずにただ怖いと騒ぐのは,ただ不安をばらまいているようにしか,わたしには見えません。というか,不安をばら撒いて,どうしたらいいか?を語らないのはひどいんじゃないか?という気もします。怖がらせておいて,後は自分で考えてね,じゃぁ…。

ちなみに今は原発に反対しても,放射能の流出が止まるわけじゃありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする