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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

昭和天皇

2006-08-15 11:28:57 | 歴史
山口浩さんが大前研一氏が例の昭和天皇のメモについて語ってるのを紹介していたので読んだ。読んで,ちょっと「そこまでいうかなぁ」…とも思い,大前研一氏の文章その物を読んでみたら,若干ニュアンスが違って読めた…。うーん,こういうのはやっぱりちゃんと原本を読まないと…ってことか…。

ちなみにしょうもない突っ込みをすると大前氏が「論理思考で考察する」って書いてるけど,これって論理思考なのかなぁ…。論理の飛躍は無いけど,事実と推理が混ざってるという意味じゃ,全体を見たらあくまでも推理なんですけどね…。

話を戻って,わたしが引っ掛かったのは,天皇の戦争責任をあたかも現在の会社経営者の責任問題のように述べていること。確かにトップが責任を取る…っていうのはそうだとは思うけど,責任の取り方は時代やシステムで変わるはずで,現在の常識を当時に当てはめるのはちょっと違和感があります。もう一つの違和感は,「昭和天皇が東京裁判で免訴されたことを忘れいつの間にか自分も戦争の犠牲者だ、と考えA級戦犯から距離を置こうとした」ってこと。これはどうなんでしょう?。まぁこれは推理でしょうけど。
大前氏は現在の経営常識を基に,天皇が当時の部下の開戦を止められなかったことに疑問を投げ掛けてますが,わたしは止められなかったのだと思います。明治憲法下での天皇の権限は一意に定まっておらず,天皇機関説が出るくらいで,政府の中でもいろんな扱いを受けていたように思います。それに日本の皇室は鎌倉時代以降政治音痴になっており,どの様にその権限を使うか良くわかってなかったのではないでしょうか?。
ですから,わたしは昭和天皇が当時の開戦が意にそぐわないにしても,止める手段をわかってなかった…と思いますし,勝手にやられた戦争だった…と思っていたのではないかと思います。それでも責任者として責任を取るべきだ…というのはごもっともで,それゆえにマッカーサーに一度自分の首を差し出しに行ってるわけで,それによりわたしは天皇の責任者としての立場は一度示したと思います。
もちろん,天皇のクビの変わりにA級戦犯に責任を背負わせるっていうのが政治判断であるというのはそうだと思います。本来は昭和天皇に退位して頂いて,別の天皇を立てるという手もあったかも知れません。過去の日本の歴史を見ても,ありえることでした。
それと昭和天皇が今回のメモで一部の戦犯を批難しているのを大前氏は批難してますが,このメモはあくまでも内部メモであり,公式発言ではありません。ですから,「組織は機能しない」という言い方はいいすぎです。側近に語った本音を,組織論に持っていくのは問題のはき違えのようにも思います。
というわけまぁいろいろ引っ掛かるところはあるのですが,実は大前氏の結論自体には異論がありません:-)。公人の靖国参拝を止めるとか,日中国交回復の時の中国との約束を明らかにしないと,この問題は解決しないとか…。もっとも後者は中国自体も嫌がるかも知れませんけどね。

…と,ここまで書いた後に極東ブログを読みに行ったら明治憲法下の統帥権の話が書いてありました。なんかタイミングいいですね。というかこれ読んで書けば良かったのか…。

読んでみるとやはり直接天皇が口出しをするというより,国務大臣が輔弼とか,でも慣習的には軍の統帥部が輔弼していたとか…。ついでにあやふやな記憶で書くと,先週か先々週の日露戦争物語では山県か井上か…忘れましたが,どちらかが日清戦争時に,軍の独立先行…を許すような慣習をつくってしまったというような話もありました。
というわけで,やっぱり天皇が軍に対して力を発揮していたとは考えづらいと思います。もっとも,トップとしての責任はあるかとは思いますが。
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信長v.s.光秀

2006-05-09 14:24:49 | 歴史
古い話で恐縮ですが,ゴールデンウィーク寸前の「そのとき歴史が…」は,ときどきやってる歴史の選択シリーズ。二つの対立軸を示して視聴者に投票させるものです。今回は明知光秀と織田信長。いったい何の話だろう?と思ったら光秀を「室町幕府を再興し,混乱を避けながら安定した治世をめざす」信長を「伝統的な権威や秩序を否定,犠牲もいとわない手法で天下統一を目指し,急進的な改革を進める」ってことで,「安定」と「革新」の対立,分かりやすくいうと小泉批判ですな(笑)。あまりにアケスケでなんかおもしろかったですよ。
ちなみに今年の新入社員は保守指向とかいうアンケート結果も出ており,改革や起業独立にいい加減疲れてきた感じもします。信長を尊敬していた小泉氏,ここに来て,逆風か?,やっぱり本能時の変は起こるのか?…と。
まぁわたしは小泉さんはクラッシャーとしてはよくやっていて,後は誰から,そこから何かを作っていって欲しいと思ってるので,今のやり方はいいのだけど,そろそろ違う手法の人が出てきてもいいんじゃないか?…という気はしてます。
で,番組に戻ると,さすがに今までは信長は歴史の中で人気があるので,三回やった投票のうち最初の2回は信長の勝ち,最後は光秀の勝ちという,なんかやらせっぽい数字:-p。意見が大きく引っくり返るような説明は無かったような気がするのですが,信長が天皇になろうとしていた,とか光秀の思想は家康に引き継がれた…って辺りがその要因なんでしょうか?。
だとすると小泉氏が皇室典範問題で下手をすると,こけていたとか,小泉氏の改革の軟着陸をやってくれる人を実は内心求めているとか,そういう感じもしないでもないですが。まぁいずれにせよ今回のは光秀の認識を新たにする…というより,分かりやすい比喩だなぁ…って意味で,興味深かったです。
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オイルショックとトイレットペーパー

2006-03-31 17:28:05 | 歴史
昨夜NHKをつけてたらオイルショックの頃のトイレットペーパ騒ぎの話をやってました。この騒ぎの頃わたしは小学校に上がって間もなく…って感じだったのかな?…。一応おぼえてます。母親に連れられて「一人○個限定」のトイレットペーパーを買いに行きました。
ちなみに当時はトイレットペーパーじゃなくて「ちり紙」っていうのがあって,それも番組で出てきましたが,あれって最近売ってないのですか?…。ティッシュじゃなくてアレで十分な場合もあるんだけど…。ちり紙の前は本当に古紙でお尻を拭いていたそうです。へぇー…。
で,なぜオイルショックがトイレットペーパー不足になるのか,今考えても全く良くわからないのですが,番組中はデマだった…って感じでしたね。大阪で起ってそれが広まったと…。正直どういう風に広がってどういう風に収束したかは当時のこと良く思い出せないし,番組観ても良くわからなかった…って気がします。まぁお酒飲んで観てたので細いところ良くわかりませんが…。
でも当時の様子を聞いていろいろ興味深かったです。水洗式のトイレが普及し始めたばかりで,トイレで布おむつを洗って,誤って流してしまい団地全部のトイレが詰まったりしていたらしい…イヤぁーすごいなぁ…。まぁつまり水洗トイレとともにトイレットペーパーが急速に普及したってことらしいんですが,その辺の勘所がなかったので,紙不足で大変…って感じになったということでしょうか?。
というわけで,結局良くわかりませんでしたが,当時の様子を思い出して,そういえば結構今に比べれば貧しかったよなぁ…とか思ったりも。そして自分が生きていた時代が白黒映像で映されるのを観るのって,何か違和感あるよなぁ…と感じてみたり…。あそこに本当に自分はいたのか?…と…。
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廃藩置県と天皇

2006-03-08 11:27:53 | 歴史
先週の「その時歴史が…」は廃藩置県の顛末でした。昨今の市町村合併に合わせて…というか,今道州制の議論もされているので,それに合わせてきてるのでしょう。
廃藩置県は明治四年に行われたようですが,大政奉還よりも大変なことでした…ということです。良く考えたらその通りで,大政奉還は徳川幕府だけで何とかなるのが,廃藩置県は全国の大名をなんとかしないといけない。しかも薩長が牛耳ってる新政権もさすがの君主(大名)に逆らえない…ということで…。
結局のところはかなり強引にやったと。でも明治になって財政とかいろいろ破綻していた大名は意外にも対した反発をせず,最後まで怒っていたのは島津だけだった…という顛末でした。

ちょっと話を変えますが,ここしばらく例の皇室典範改正の話から天皇が日本で行ってきた役割を考えてました。
わたしが思うに「天皇」という機能が日本になかったら,おそらく明治維新と太平洋戦争の戦後…というのは,もっと混乱しただろうと思います。
思うに日本で権力委譲があった時に本気で天皇をなくそうかと悩んだのは源頼朝と織田信長の二人だけだったのではないでしょうか?。頼朝は悩む…というよりそのチャンスがあった…という表現が正しいかも知れませんが。そしてそれ以外の権力者は権力を得ても天皇を利用するとう選択をしてきたと思います。そして肝心の天皇も後醍醐天皇以降は,自分で政権を取ろうとはせず,ときの権力者と協力関係を保ってきたと思います。
まぁそれはいいとして,つまり江戸時代の末にはすっかり「中空な権威としての天皇」になっていた(まぁすでに室町時代にはそうなっていたとも言えますが)わけで,権威ではあるけど,統治はしない…という天皇の機能が,将軍がいなくなった後の(若僧がきりもりしていた)政府に権威を与え,混乱が起きなかったし,戦後も自分達がアメリカに支配されているということから目をそむけさせたのではないでしょうか?。ってことはGHQは将軍と一緒なわけですね:-p。
まぁ権威といっても一般の市民には関係なく,市民は単に年貢を取りに来た役人が変わったくらいの意識しかなく,その権威にしたがったのは当時の有力者…ってことになるのだと思います。
といういうことを考えると,天皇の権威というのは日本の権力者同士の争いという混乱を悪化させない安全装置として機能してると言えます。そういう意味じゃローマ教会もヨーロッパの安全装置というわけかも知れません。

…とうわけで,国民の総意とかいう話が出てますが,天皇を利用し機能させるのは実は権力者やその後の権力者だったりするわけで,そういう意味で言うと最近女系容認論がアンケートとかでは半数を越えてますが,「正直どうでも良い」と思ってる人の意見を聞いても仕方がないような気がしてます。というか反対している人の意見をもうちょっと聞かないと何とも言えない。次に権力を取った人が「女系天皇なんて天皇じゃない」とその時の天皇を否定して別の天皇を立てたり…っていうのが,起きたりしないためにも…。
まぁ,天皇の話は,あまり興味がない人が多いのかも知れませんが,やっぱり戦後と明治にほとんど混乱なく改革が進んだ日本って国は希有だと思います。
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戦争の語られ方

2005-08-06 08:19:58 | 歴史
会社を休んでTVとかをつけていると,朝のワイドショーも夜も戦争(もちろん太平洋戦争)の話をやってます。とくにやってるのが,原爆関連の記録…。
戦争が語り継がれていない…というけど,これだけやっていて語り継がれてないとしたら,今日やってるような番組が視聴率をとれないのか?…それともこれが戦争の記録であることを理解されてないのか?…,よくわかりません。ちなみに「ほたるの墓」もやってましたが,あれ観たことない人ってそんなに多いのだろうか?。あの作品を観たことあるだけで,戦争が国民に与える悲劇はそれなりに伝わると思いますが…。
今日はTVをあまり観ずに作業をしていたのですが,それでも…ってことで夜少し視聴しました。やっぱり原爆の話をやっていました。自分的には子供の頃からなんどもなんども観てきた話です。久しぶりに観たなぁ…という感じですが,再現シーンにCGが入っていたりして,時代の変化を感じます。わたしがみるとそういうのはあざとく感じますが,こっちの方が入って来る人もいるんだろうなぁ…とか。
ただその他に全体として自分が子供の頃に観たのとうける印象が変わっていることに気づきます。というのは原爆を落としたアメリカに対して観ている方が不快感を感じるような作りになっていることです。
わたしが子供の頃は原爆が落ちたことをアメリカに対して異議を唱えるような作りは,この手の番組はしてなかった気がします。あくまでも戦争の悲惨さを伝えるだけで,加害者がどこにいるのかは明確にされていなかった気がします。
ただ今夜の番組は明らかにアメリカが原爆を落とした事を強調してました。原爆を落としたスタッフを日本に呼んで原爆記念館を見せたり被爆者に会わせて話したり…とか結構過激なことするなぁ…と。
結局のところ原爆を落とした人は最後まで原爆を落としたことを悔やんではいませんでしたが。まぁわたしが考えてもそれを期待するのは難しいよな…という気はします。ただ「戦争中は国民全員がその戦争に荷担している」と明確にいってのけたのは結構驚きました。そうでも言わないと都市への爆撃を正当化できないのでしょうけど,当時はともかく今でもそういう認識なんでしょうか?。
ここ数日の番組に限らずここ数年の太平洋戦争の描き方を観てると,戦争中の連合軍の動きとか語られており,アメリカやソ連がそれぞれの思惑で原爆を落としたり参戦したりしたと語られてます。ここで中国の事情がほとんど語られないのは,語るといろいろ苦情が来るからだと思いますが,要は観てる日本人からすると日本人ばかりが悪かったわけではないし,戦争というのは相互の思惑で起きるものだ…という考えにだんだんなってます。
この考え自体はそんなに間違っていない…と私は思いますが,他の国(特にアメリカ)では敵国は悪いという前提で戦争をしかけているので,そんなに世界の常識ではないのでしょう。
外国からすると日本のそういう戦争の描き方は過去の戦争の責任を曖昧にするためにそういっている…という風に取ることもあるのかも知れませんが,でもそうであろうがなかろうが,わたしは戦争(というより政治)はそういうものだと思うし,そういう立場で現状の番組をみるとアメリカに結構なムカつきを感じるところ辺りが,わたしの子供の頃と明らかに戦争の描き方が変わっているように感じます。まぁアメリカにはっきりとそう思える分,アメリカとの関係はいいともいえますけど:-p。
一つだけ誤解がないように書きますが,わたしが戦争は相互に責任がある…と思うのは戦争の責任を曖昧にするということではなく,だからこそ「正しい戦争」というのはあり得ず,だから戦争は極力おこしてはいけないという意味になります。
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気合いと装備

2005-07-02 09:25:31 | 歴史
昨日は11時過ぎまで都内で飲んでいたので,帰りついたのは12時半過ぎ。録画していた「その時歴史が…」と観る。西南戦争の話。
わたしは熊本に長く住んでいたので,西南戦争の話は良く聞いていたし,戦場だった田原坂にも行ったことあるので,なかなか懐かしい話でした。でも,徴兵で集めた政府軍が実はあまり役に立たず,武士出身の警察官を使って切り込みをやらせ,それで薩摩軍に勝ったという話はしりませんでした。近代軍備もやっぱり気合いや覚悟には勝てないってことなのか?。これって今でもそうなんですかねぇ…。まぁ実際にテロとかは精神的にはかなり追い詰められてやっていて,軍がかなわない部分とかもありますしね…。
あと先週と今週西郷隆盛を取り上げたのは,やっぱり靖国に合祀されていない…ってことを,暗に問題提起してるんですかね?…と相変わらず深読みしたり…。
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ビンラディンという言霊

2004-12-28 15:52:21 | 歴史
ビンラディン氏、選挙いくな」というニュースでも良いんですが,とりあえず最近のビンラディン関連のニュースをみて思い出すのは足利十五代将軍義昭。
義昭はいろんな豪族や大名に手紙を書くだけで信長をかなり翻弄した人物です。まぁこの手のことは別に足利将軍に限った話ではなく,平安時代や鎌倉時代に上皇や御上が同じように武家や大臣に手紙を書くだけで,国を挙げての騒ぎに発展するというのが当時のよくあることでした。
これは言霊の信仰が強かったというのもあるんですが,とにかく当時は情報伝達手段が未発達だったため,ある人の発言の裏を取ったりとかいうことがほとんど出来なかったのでしょう。だから偉い人が号令を発すると,別にその人がすでに実質的な力がなくても,動いてしまう…と。まぁそれが力といえば力なんですが…,現状だともっといろいろ状況を把握してから,別にこの人に与しなくても大丈夫とわかればしなかったりしますよね…。
なので今当時の動きをみてると,どうして裏も取らずに行動起すかなぁ…とか滑稽に感じていたのですが,今のビンラディンの状況みてるとそっくりですね。
本人かどうかわからないし,本人だとしても本人がどういう状況にいるのか良くわからない…。だけど周りは大騒ぎというか…。
なかなかこういうのって無くならないのだなぁ…と思いました。思った以上に世界は言霊に支配されているようで…。
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教育

2004-12-03 11:16:40 | 歴史
創造論、進化論、教育-アメリカ学研究所さんのところでアメリカで進化論が教えられてないって話。
実はそれについては養老先生とかの著書で読んだことあるので知ってました。でもまぁあらためてリンクのところで歴史を読むと,「結局教育というのは国に都合が良いように刷り込みをするためのもの」なんだなぁ…とか思ってしまいます。
日本人は科学を信じてるから,そういうアメリカをおかしいと思うけど,科学だって無条件に教え込まれている分,我々もなにか洗脳されている可能性があります。ニューサイエンスとかは神の存在と科学がうまく両立するような説明をしようとしてますしね。
歴史,考古学,そして進化論は実証実験が出来ないので,本当の意味での科学か?…と問われると,ちょっと弱いところあるようにも思いますが…。
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ブラパッドがブラジャーを普及させた…って話

2004-10-21 12:21:19 | 歴史
「上げ底おっぱいが拓いたファウンデーション市場」という話によると戦後ブラパッドが出来るまで,日本人女性は胸元が貧相なことを理由に洋装するのにためらいがあったとのこと…。
この記事年代が全く書いてないのでいつの話なんだろう?…と思ってしまう。「パンツが見える。―羞恥心の現代史(ISBN:402259800X)」という本によると,戦後しばらくまではブラジャーどころかパンツすら日本人女性ははいておらず,その理由は和装に合わないから…ってことが一番のようでした。そうだとするとブラパッドの普及で洋装が増えたのであれば,結果的にブラパッドがパンツの普及にも影響を与えた…ってことになるんだけど,それって正しいのでしょうか?。普及した順番がわからないので,何とも言えません。
もっとも和装だからブラジャーやパンツをはかないのか,和装しか似合わないから洋装をしないのか?洋装が似合えば洋装を着るつもりなのか?…というのは問題が複雑…というか,あんまりシンプルに語れる問題じゃない気がしますけど…。

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