めんごチャペの猫の目日記

日々の思い・風・山行き・・・気まぐれに・・・

今年の母の日/2024年5月12日

2024年05月07日 15時18分23秒 | 家族

2024年5月6日(月)

ピンポ~ン チャイムが鳴る 

玄関ドアを開けると大きな箱が届いている

今年も母の日に寄せて ぴょ子ちゃんがお花を贈ってくれた 

そ~ッと箱を開けると ピンク色の可愛い八重のアジサイが入っている

チャペの大好きな花アジサイ 種類も色も沢山あって

どれもこれも欲しくなる 不思議な花アジサイ

 

チャペは昨年 母の日に深紅の薔薇のブリザードフラワーを母に贈った

母は慢性間質性肺炎を患っており 

父が亡くなった後の八か月間は

24時間看護付きの施設で暮らしていた

24時間酸素吸入の機械を装着しているので

 停電やその他の事故が起こると とても苦しむことになる 

母の事を思っての選択だったけど 母は自宅で過ごしたがった 

施設側の新型コロナに過剰なまでの面会拒否対策も有って 

家族に会う事もままならない寂しい日々を過ごしていた

(県外からの面会人は 月1回15分程度をヴェランダから

ガラス超しに面会する

 

母は施設の職員さんにお願いし チャペに電話をかけて貰い

受話器の向こうで 綺麗な花が届いて嬉しいと

泣きながら 何度も ありがとう ありがとうねと喜んでくれた 

それから僅か二か月後に 父の待つ天国に旅立たった

チャペにはもう 母の日に花を贈る人はいない 

だけど・・・ 毎年チャペの好きな花を贈ってくれる愛娘がいる 

にゃ~にゃ~と鳴いて 甘えて抱っこをせがむ愛猫がいる 

 

 

母の日の起源として有力とされているのが「アメリカ発祥説」です

その話は1860年代の南北戦争時代までさかのぼります

当時南軍と北軍が駐屯するウェストヴァージニア州は

ケガ人や病人が絶えない状態でした

そこで立ち上がったのがアン・ジャービスさんというひとりの女性です

彼女は「Mothers Day Work Club(マザーズデー・ワーク・クラブ)」

というボランティア団体を結成し 敵味方関係なく負傷兵のケアに尽力

やがて1905年5月にこの世を去ります

彼女の死から2年経過した5月の第2日曜日

遺された娘アンナ・ジャービスさんが亡き母の追悼集会を開催

この出来事が「5月の第2日曜に母親に感謝の気持ちを伝える」風習として

世に広がったと考えられています   

 

日本で母の日のイベントがおこなわれるようになったのは

明治時代の終わりから大正時代にかけてと言われています

その後1931年に皇太后の誕生日である3月6日が「母の日」とされ

一般にも少しずつ広まっていきました

1937年には 日本の大手お菓子メーカーが母の日の大々的なイベントを開催

これがメディアで大きく取り上げられ 

「母の日」という存在が全国に知れ渡るようになります

第二次世界大戦後にアメリカの文化が流入すると

母の日が3月6日から5月の第2日曜日に移動

日本の記念日として制定され、国民に認知されていきました

      bigより

 

《知っていましたか

岸田首相が2024年4月アメリカに国賓として招かれ

4月11日に共和党マイク・ジョンソン氏と会談し約束してきたこと・・・

アメリカはウクライナに9兆円を融資し

ウクライナが債務不履行になった場合は 日本が肩代わりすると約束

すでに2170億円もあげちゃいました~

世界銀行 ウクライナは破産警告

巨額支援9兆円は・・・ 

日本国民に一言も説明していない

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