森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

沼尻

2016-07-30 | 日記


 道南は内地に近いせいか、北海道といってもそれらしい風景は少ないのです。
 内陸に入っていくと、だんだん雄大な景色が見られるようになります。
 沼尻もそんな所です。

 ここで一日汗して働く人々は、仕事が終わって家に戻ったら、今はどこのテレ
ビでもやっている、お笑い芸人が集まって騒ぐだけの、面白くもなんともない番
組や、いかにも見え透いた嘘っぽいドラマを見るのだろうか。
 妙なことを考えてしまいました。



 大金をかけて贅を尽くして造った駅はあります。例えば東京駅や京都駅は誰も
が目を見張りますが、風情のある駅舎といったらここには敵わないでしょう。
 開拓の歴史と生活感がと詰まっています。



 今の世間の流れに迎合できないのは、このオッチャン自身に問題があるのか、
 北海道の大自然のせいなのか、よく考えてみよう。
                            動(yurugi)


 

大森浜

2016-07-25 | 日記


 久しぶりに、子供の頃暮らした大森浜を尋ねました。
 しかし、残念ながら昔を懐かしむどころか、町の変貌ぶりにただ驚くばかりでした。
 
 かってこの海岸線には、漁師の家がぎっしりと建ち並び、砂浜は磯舟でいっぱいでした。
 男はイカや昆布を獲り、女は割いたイカを吊るしたり、砂浜狭しと昆布を広げて干す。年
寄りは干しあがったイカを、自分の手足を上手に使って伸ばしてスルメに仕上げる。
 夏は毎日のように地引網があったから、引き始まると子供たちはちいさな入れ物を持って
急いで駆けていきます。引き上げる網から銀色の魚が飛び跳ねて落ちるので、それを拾うの
です。カモメに取られる前に。時には「これも 持ってけ~」と漁師のオジサンは大きい魚
投げてくれたものです。

 浜は活気に溢れ、男も女も子供も老人も希望に満ちていました。



 今は、漁師らしき家一軒も、磯舟の1艘も全見当たりません。使われていない船具や網が
放置されているだけ。代わって立派なコンクリートの建物が並んでいて、昔の名残りは全く
ありません。あの大森浜は潰れたのです。

 建物の前を通りかかったオジサンに、少し立ち話をさせてもらいました。
「この大きな建物は何ですか?」
「カルチャーだよ 女が集まってカルチャーやってんのさ それと年寄りのカラオケだよ」
と話す真っ黒に日焼けした笑顔に、一瞬大森浜を感じました。



 気のせいか、いや子供の記憶だから正確ではないのですが、砂浜は半分程に短くなってい
るようです。ドンブカの海は昔から泳げなかったのですが、みんな平気で入っていました。
確かに何度か危ないめに遭いました。可哀そうに流された子もいたのです。



 波打ち際をかなり長い時間かけて歩きました。
 そうそう、いつもこんなドンヨリした空でした。独特の波形と波音、カモメ、黒っぽい砂。
「なんだ 結局何も変わっていないじゃないか」と分かった時から急に落ち着きました。



 夏草や つわものどもが 夢の跡
 夏来ても ただひとつ葉の 一葉かな

 芭蕉がよく似合う おおもりはま よし、また来よう。
                                  動(yurugi) 
 



  




スイレン

2016-07-20 | 日記
  

 真っ白なスイレンが見られるのも、夏の楽しみのひとつです。

 ところがこのスイレン、意外と人気がないのです。同じ水辺の白い花では、春先の水芭蕉
があります。こちらの方には大勢の中高年が訪れるのですが、夏のスイレンには、ほとんど
来ません。
 一方、日本人の好きな印象派絵画というと、これまた意外にゴッホやピカソやではなく、
モネのスイレンなのだそうです。先日のテレビでやっていました。
 
 古代エジプトでは、神聖なる花と崇められていて、神殿の石柱などによく彫り込まれてい
ます。ギリシャ神話では清純なる水の妖精です。仏教でも清浄の象徴として絶えず現れます。
 こんなふうに洋の東西を問わず、ハスやスイレンにはその花言葉のように「信仰」「清純」
の香りが漂っています。このあたりが「絵はいいけど実物の花は どうも ちょと」となる
のでしょうね。



 スイレンは「睡蓮」、睡眠するのです。
 日が落ちると花びらを閉じて眠ります。日が出ると起きて開きます。
 一つの蕾はこれを三回だけ繰り返します。つまり三日間咲いたらそれで終わり、その後は
もう咲きません。
 どうして三回なのだろう? 二回や四回ではいけないのだろうか? そして誰とかわした
約束なのだろう? 
 ただ、一つの花は三回で終わっても、次々と蕾が出てくるから、一夏中咲いていることに
は違いはないのです。



 人が愛でることもなく、ひっそりと咲くスイレン、昼はめいっぱい体を広げて太陽の光を
浴び、夜は暗闇の湖面で静かに眠り、明け方に「いっかいめ にかいめ さんかいめ」と数
えるのでしょう。その声を聞いた妖精や生きものたちが「やっぱり夏は賑やかでいいね」と
喜んでいるようです。


                               動(yurugi)

夏の光

2016-07-14 | 日記


 夏の光が、暖かく優しく降りそそぎます。
 もう、日中はシャツ一枚で過ごせるようになりました。



 森の夏は、うっそうと茂った樹々の葉が光を遮るから、一年で一番暗い季節です。
 鳥たちの大合唱も、声だけは響き渡るけど、姿は見えません。

 逆に葉の落ちる冬は明るく、陽光はさんさんと降り注ぎ、森の隅々まで行き届きます。



 残り一か月半しかない夏だから、流れゆく時間がなによりも貴重に感じます。


                                 動(yurugi)

2016-07-08 | 日記


 石の採取はだいじな仕事だから、石を求めてしょっちゅう海、山、川、へ出かけます。

 それとは別に、旅にでるとその地の石を一個持ち帰ります。
 洗い流して、乾いたら机の上に並べておきます。
 使い道はいろいろ、ペーパーウエイトにしたり、本の開きを押さえたり。それよりも、ぎ
ゅっと握ると行った先の風景や、出会った人々との思い出が鮮やかに甦ってきて、何度でも
旅を楽しめるのです。

 外に落ちてる石は皆同じように見えても、こうして土を落として並べるとかなり違ってい
るものです。どこで拾った石なのか見間違うことはありません。
 最近は増え過ぎてすっかり机を占領してしまいました。古い物から順に空き箱に移動させ
ています。

 何千年も風雨にさらされて、それでも平気で空を向いて過ごしてきたしぶとい石、決して
人間が作ることのできない地球の一部たる石、そんなものがごく身近にあって、共に生活し
ているとは、なんとも不思議な感覚です。



 じいさんが死んだら真っ先に捨てられるのもこの石です。
 石はその瞬間からただの石ころになって、また何千年も太陽を浴びて、笑って過ごすので
しょう。

 そんなことを考えながら、角張った石をニギニギして、ボケ防止エクササイズをしている
夏の日です。


                               動(yurugi)