森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

ポニーとロバ

2020-06-28 | 日記


 ポニーに出会ったのはずいぶん久しぶりです。
 
 たまに観光地で、子どもたちを乗せた車を曳いているのを見かけますが、農家の
 一員として労働をともにしているのは、今どき大変珍しいです。
 なんとも言えない穏やかで豊かな気持ちになりました。

 以前はポニーやロバはよく見かけました。
 ポニーは大きな眼、そしてロバは長い耳が可愛らしいかったのをよく覚えています。
 この子たちの役割は、小さな荷車に農具や収穫物をいっぱい乗せて運ぶことです。
 時には人も乗せてとなり村までいきます。
 とにかく一家の運送業務をすべて担っていました。



 そんな貴重な家族がいなくなったのは、あの白い軽トラの出現です。
 軽トラなら、ぐずらない、病気しない、食べ物いらない、場所とらない、いいこと
 ずくめです。
 国も一台の軽トラから各種の税金をとれるから、ホクホク顔でお奨めしたのでしょう。
 もちろんカーメーカーは大喜びです。
 そんなわけで、あの子たちにかわって農業には軽トラが必携となり、農家といえば
 白い軽トラがイメージされるようにまでなりました。
 
 ヨーロッパの農家では、今でもかなりの数のポニーやロバが家族の一員として暮ら
 しているそうです。
 なにしろ可愛いし、カッコイイですよね。
 税金は払わないけれどね。



 ロバといえばフランス映画の名作、ロベール・ブレッソン監督の『バルタザールど
 こへ行く』を想い出します。
 今ではロバを主人公にした映画なんて「マジ マジ うそみた~い」なのでしょうが
 ロバ(バルタザール)を取り巻く人間たちの生き方、狡猾さを描いた作品で、映画を
 学ぶ人には必見のものです。

 そういえば、ヨーロッパの映画はぜんぜんきませんね。
 映画館にかかるのは、ハリウッド制作のものばかりです。かといって、フランスや
 ドイツで映画を作っていないわけではありません。
 ヨーロッパ映画は表現を、アメリカ映画は娯楽をと、ハッキリ制作コンセプトを分け
 ています。
 我々がなにも考えずに、理屈抜きで楽しめるハリウッド映画を選ぶようになったのは、
 たぶん生活が豊かになったからでしょう。
 でも、たまにはテレビででも現代のヨーロッパ作品を観たいものです。

 
 もう、ず~っと雨です。
 雨は嫌いではないけれど、こんなに続くとさすがに気分は暗くなります。
 せめて三日に一度ぐらいは陽が射してくれるといいなぁ、などと勝手なことを考えて
 しまいます。
 これも農業者のため、植物のため、と諦めて無理に明るくしています。


 
 



駒ケ岳伝説

2020-06-21 | 日記


 今はもう語り継ぐ人もいなくなりましたが、古い者には七月が近づくと想い浮かぶ
 お話があります。

 五百年前といえば、室町時代が終盤に入ったころです。
 道南の松前の大館(現、字神明)に砦をもつ豪族、相原周防守季胤(すえたね)は
 城中に疫病が蔓延し、また海難も多発して困り果てていました。
 すると、ひとりの老占者が現れて「これは海神の怒りなのじゃ 矢越の岬に人身御
 供をせよ さもなければ災難は収まるまい」と告げたのです。
 これを信じた季胤は、なんとアイヌ娘二十人をとらえて矢越岬沖(現、白神岬)へ
 連行し、残酷にも生贄として海中へ突き落としたのです。
 
 

 もちろんアイヌたちは黙ってはいませんでした。
 一斉蜂起して大館の砦を十重二十重にとり囲み、激しく攻撃したのです。
 形勢不利を悟った季胤は、かろうじて二人の姫とともに大沼まで逃げ延びました。
 しかし、せまる追撃に二人の姫は湖水に身を投げてしまいました。
 湖島まで追いつめられた季胤は「もはやこれまで」と最後に愛馬の鞍を外してそび
 える駒ケ岳に向かって放しました。
 そして自身も姫たちのあとを追って入水して果てたのです。
 それは永正十年(1513)七月三日のことでした。
 
 それからというもの、毎年七月三日には物悲しい駒のいななきが駒ケ岳山麓から周
 辺のコタンに聞こえてくるようになりました。



 室町の後期は十年も続いた応仁の乱が終わったとはいえ、人々は疲弊し人心は荒み
 さらに天候不順による飢饉が襲いかかり、疫病が蔓延して、日本中で一揆が多発し
 た時代です。そして戦国時代の動乱へ突入していきます。
 西洋ではアメリカ大陸が発見されて大航海時代を迎え、各国の植民地競争と激しい
 搾取、奴隷売買の幕開けです。
 
 五百年たった今はどうでしょう。
 地球規模の気象異常、コロナの蔓延、政治腐敗、人種差別、飢餓、なくならない戦
 争。
 あの時と同じですね。
 人は変わらない、いや変われないのかもしれません。


 



 
 
 
 

 

 

ミツバチさん

2020-06-14 | 日記


 夏至も近づき急に暑くなってきました。
 日中は20℃を超えることも、珍しくはありません。

 沼には大きな魚がウヨウヨ、鮒か鯉か分かりませんがゆったりと泳いで、観るもの
 をおおらかな気持ちにさせてくれます。



 今頃咲くこの花は、アヤメかショウブかカキツバタか分かりませんでしたが、今年
 は意を決して図鑑で調べました。
 どうやら「ヒオウギアヤメ」というのが正しいようです。外の花びらに虎斑模様が
 あるのが特徴とのことでした。
 
 またひとつ利口になって、どうしましょう。



 ミツバチたちにとって、今が一番の稼ぎ時です。
 陽のあるうちは激しく動き回って花粉を採取して、溜まると日に十回以上も巣へ運
 びます。花たちにとっても受粉してくれる大事なお客様ですから、まさに相互扶助
 の関係といえます。
 しかし人間は、ミツバチが頑張って溜めたハチミツがいっぱいになった時、ゴソッ
 と持っていきます。
 ミツバチは「あっ! ない」と思うのでしょうか。
 あるいはなにも感じなくて、ただ本能でまた採取にいくのでしょうか。

 生物や社会の進化は生存競争や闘争によるものだとダーウインさんはいいました。
 いやいや、進化は自発的に助け合う、つまり相互扶助によるものだとクロポトキン
 さんはいいました。
 私にはどちらが正しいか分かりません。
 
 ただミツバチは世界中で急速に減少していて、危機的な状態になっている国もある
 と聞きます。
 原因は病原体、害虫、農薬、ストレスだそうで、特にストレスは温暖化や自然破壊
 ではないかとのこと。そしてこれはハチミツだけではなく農作物に多大な悪影響を
 与えています。
 
 人間はミツバチから搾取するだけでなく、住みよい環境を造ってあげなければ、つ
 まり相互扶助の関係にならなければ、いずれ絶滅するでしょう。

 「オッチャン心配いらね~よ 今やハチミツ味なんかいくらでも人工的に作れるの
 さ 農作物だってドローンでやればいいだけのこと 考え過ぎは身体に毒だよ~」
 という人もいるでしょう。
 でもせめてミツバチ供養塔ぐらいは建てましょうよ。ハチだけにバチが当たりそう。


 
 そういえば、その昔「いずれアヤメか カキツバタ」っていいましたよね。
 今も意味はよく分からないけれど、現状はどうなっているのでしょう。

 日中は暑くても朝晩はグッと冷え込むことがあります。
 まだまだ小さなストーブは離せません。
 でも、一年で一番良い季節を満喫しています。
 


  


夏草

2020-06-06 | 日記


 湖面は初夏の光で溢れています。
 
 本州では南の方から次々と梅雨に入っています。
 梅雨のない北海道は今が一番過ごしやすい時節です。
 日中、陽が射してもやっと20℃に届く気温で湿度も低く、早歩きしても少し汗ば
 むぐらいの爽やかな日々です。



 昨日のニユースで、去年日本の人口が50万人減少したと聞きました。
 この10年間毎年減り続けているから、減ることには慣れてはいたけれど50万人
 にはギクッとしました。
 50万人といえば宇都宮や松山です。この街がひとつポコッと消えたと思うと怖く
 なりました。
 さらに数年後にはいよいよ本格的な減少段階に入ります。予想通りとはいえ年間
 100万人づつ減っていくのですから、今日本にある12の100万都市が毎年ひ
 とつづつ消滅する感じです。分かり切っているつもりでもショックです。

 明治維新のころの人口は3000万人ほどだったそうです。
 その後140年間増え続け、2010年のピークには4倍にもなっています。
 しかしその直後から減りだし、今後100年間減り続けて再び維新のころに戻るそ
 うです。その250年間の人口グラフは、左右対称のきれいな富士山を表していま
 す。
 でも、さまざまな努力をすれば6000万人ほどで下げ止まるという学者さんもい
 ます。そうなればいいですね。
 明治以来、日本の為政者の夢見た国家像とはちょっと違ってきたけれど、もともと
 日本は高い文化をもっているのだから、ヨーロッパ諸国と同じような落ち着いた良
 い国になると思います。少なくとも今のように「追いつけ 追い越せ」と慌しく生
 きることはなくなるでしょう。



 しかし、今の小さい子やこれから生まれる子たちは、ひたすら国が縮小していく最
 中で一生を終えることになります。
 各種施設や商店がなくなり、交通も廃止され、ドカンといた年寄りはどんどん死ん
 でいく、そんな淋しさの中でどんな精神性を育んでいくのでしょうか。
 
 いやいや、それだからこそ、厳しい環境だからこそ、より賢く育つのかもしれませ
 ん。我々のように若いころバブルに浮かれて、そのままボーッと老いたものは生き
 ていけないのでしょうね。
 次の時代を心配するより、自分の足元を見つめたほうがよさそうです。



     夏草や 兵どもが 夢の跡     芭蕉
 
 みんな知ってる、芭蕉さんが奥の細道で平泉を訪れたときの句です。
 「兵(つわもの)」とは、もちろん義経や藤原のことですよね。
 人の夢は脆く儚い、しかし夏草は毎年現れてなんて強いのでしょう。と対比して謳
 ったのだと、勝手に解釈しています。