森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

夏がおわる

2020-08-26 | 日記


 景色がどんどん秋らしくなってきました。
 そうですよね。来週はもう9月。
 森の9月は暑さもそこそこ、まだ寒くもなく過ごしやすい時節です。
 ただ、近年は9月の後半に長雨があります。気候は少しずつ変化していますね。
 
 こんないい季節なのに、なぜか9月の歌はあまりないようです。
 竹内まりやさんの「セプテンバー」と、RCサクセションの「9月になったのに」
 ぐらいしか思い浮かびません。
 清志郎さん死んじゃったけど、今生きてたらどんな歌をつくったでしょうか?
 残念ですね。

 洋楽ではなんといっても世界中を風靡したアース・ウインド&ファイアーの
 「セプテンバー」ですよね。なんと懐かしい。
 そうだ自分にも若い頃はあったのです。いきなりこれじゃないのです。
 その次に、シナトラはじめ多くの人々が歌うスタンダードナンバー「セプテン
 バーインザレイン」。
 サラボーンの「セプテンバーソング」も忘れられません。



 こんないい季節がくるのに、マスクやシールドなしでは街へゆけません。
 春にコロナが始まったときには、ウイルスだから夏になれば収まるだろうと、タカ
 をくくっていました。
 それがどうしてどうして、収まるどころか向こう一年は続くとのことです。
 この先、涼しくなって台風と例年の季節性インフルエンザ、それにコロナが重なっ
 たら日本列島三重苦、怖いことです。
 救いは今回のコロナで、子どもや若い人が重症化していないことです。
 スペイン風邪のときは若い人の死亡率が大変高かったそうです。
 なにしろ、世界中で五千万人(一億人とも)もの死者がでたそうです。当時の人口
 がどのくらいか分かりませんが、この百年で四倍になったと聞きますから、その死
 亡率はとんでもない数字です。
 それを考えれば、一年ぐらい待つのはどーってことありませんね。
 ただ、小さい子どもたちが、人生の中の二度とない貴重な時間を、コロナで費やすの
 はかわいそうです。



 初紅葉をみつけたら、急に淋しくなりました。
 紫陽花がまだ盛りだというのに、夏がおわります。


 
 
 

風祭

2020-08-18 | 日記


 お盆を過ぎたら急に空が高くなり、雲も夏雲ではなくなりました。
 トウモロコシが順調に育っています。
 このまま収穫まで無事に持ち込みたいものです。
 秋が近くなると心配なのは台風ですが、今年は今のところほとんど発生していません。
 しかし、例年9月には大きな台風がきて甚大な被害をもたらします。
 なんとか穏やかな9月でありますよう、祈るばかりです。



 内地では気の毒に40℃超えの酷暑の日が続いていて、熱中症の人が運ばれているよ
 うすが伝えられています。
 また、昨日はカリフォルニアで54℃にもなったそうです。
 いったい地球はどうなっているのでしょうか?
 ついに、暴れだしたのでしょうか?



 昔からある、雑節の二百十日、二百二十日は風の災害が多発していたことによるもの
 です。今年は八月三十一日と九月十一日にあたるそうです。
 かっては、各地で風を鎮めて五穀豊穣を祈る「風祭」が盛んにおこなわれていたと伝
 えられています。
 今ではほとんどなくなりましたが、伝承されて残っている貴重な祭りもあります。
 なかでも生駒の龍田神社の「風鎮大祭」は有名です。
 河内音頭のあとに、若者たちが手持ちで巨大な花火を噴き上げる風神花火奉納は
 圧巻です。
 夏の河内に、賑やかにも力強く荘厳な風物詩を展開します。
 
 一方、富山の「おわら風の盆」は宵闇のなかを、三味と二胡が導く「おわら節」を
 気高く唄い、深編笠で顔を見せない男女が小行列で踊り、幽玄な空間をつくりあげて
 進行する祭りです。
 あまり知られていない、この土地だけの小規模な祭りだったのですが、今では全国的
 に有名になっています。
 ちょうどあの頃、「おわら風の盆」が五木寛之さんの短編、「風の柩」の題材になった
 ことや、石川さゆりさんが歌ったことも影響しているのでしょう。



 北海道は幸いに自然災害の少ない地域ですが、今年の日照不足にはまいっています。
 楽しみにしていた夏のトマトもナスも、味がなくしかも驚くほど高値です。
 どんどん変化する自然環境、ここまできたらもはや人間の力ではどうにもできません。
 人間社会がこの変化にしなやかに同期していくしかないのでしょう。
 そしてそれができる国や地域が生き残るのでしょう。
 これからの子どもたちは、そんな柔軟な生き方の知恵を育んでくれるといいですね。
 そろそろ、各地で「風祭」を復活させましょう。


 
 
 
 
 
 

 

 
  


お盆のこと

2020-08-11 | 日記


 今年もお盆がやってきました。
 コロナのことで、帰省できない若者がたくさんいると、テレビでやっていました。
 せっかく、一年間帰省を楽しみに働いてきたのに、かわいそうです。

 お盆はもともと7月におこなわれていたのですが、農繁期と重なるために、多くの
 地方では新暦の8月にしました。ちなみに函館は7月です。
 
 一般的には、13日の夕刻に迎え火を焚いて供え物をして、故人の霊を招きます。
 3日間一緒に過ごして、16日に送り火を焚いてお帰りいただきます。
 京都の五山送りが有名ですよね。川などに精霊流しをする地方もあります。



 おもしろいのは、お供え物に加える「精霊馬」です。
 お盆の間、霊魂がこの世とあの世を行き来する乗り物として、キュウリやナスに折っ
 た割りばしを四本刺して、細いキュウリを馬に、太いナスを牛に見立ててお供えする
 ことです。
 
 来るときは馬に乗って早くきてほしい。
 帰るときは、いや帰らないでほしいが、せめて牛に乗ってゆっくりと帰ってください。
 との願いです。
 なんとも切ない想いが伝わります。



 そういえばその昔、まだメタボなんて言葉のないころ、「ひまんたい」のオジサンの
 ことを「お盆のナスのような人」などといいましたね。

 日本には縄文のころから、多くの招魂の祭礼が存在したといわれています。
 仏教が伝来してから火葬の弔いが広まったことで、霊魂に対する考え方はかなり変化
 したようですが、お盆にみるような古神道、仏教、道教が融合した祭礼は現代におい
 ても数多く継承されています。
 それは日本人が死者と向き合うときの、優しさや繊細さが失われていない証なので
 しょう。

 未だに太陽が顔をだしてくれません。どころか雨降りの日々です。
 またひとつ、何十年に一度の記録ができそうです。



 
 
 
 

 

トンボ

2020-08-04 | 日記


     いつ見ても 蜻蛉一つ 竹の先    正岡子規
 
 八月に入ったとたん、トンボが飛び交うようになりました。
 トンボはなぜか見通しのよい、尖ったものの先端にとまります。
 休んでいるのか、周囲を見渡しているのか分かりませんが、いつまでもじっとそこに
 留まっています。
 
 子どものころ、指を立てて頭の上に伸ばしていると、指先にとまってくれました。
 この時の指先に残った生命の感触は 今でも忘れることなく残っています。
 この森でも時々試してみるのですが、決してとまってくれません。
 なにが違うのでしょうか?
 トンボのほうが変わったとは考えにくいので、こちらになにか変化があるのでしょう。
 トンボはいち早くそれを察知していると、考えられるのです。
 それは何なのでしょうか。思い当たることは多々あるけれど。

 というのも、トンボは恐竜が生まれる前から今の形になって、それ以降ほとんど変化
 していないとのことなのです。
 「さては 子どもと年寄りを 見分けているな」とすっかりいじけてしまいました。
 
 

 トンボは人なつっこいから逃げませんし、人を刺すこともありません。肉食でハエや
 蚊や蛾も食べるから、益虫とされています。
 また田んぼの水性の害虫も食べてくれるから、稲作が始まってからはありがたい生き
 ものになりました。
 それは、遺跡から出土する銅鐸に鶴、亀、と並んでトンボが彫りこまれていることか
 らも分かります。
 またお盆の時期に現れることから、あの世の先祖の霊が形を変えて現世にやって来た
 と信じられて、信仰の対象となっている地方もあります。
 実際、赤とんぼなどは集団で海を渡ってくることもあるくらい、遠方から飛来するの
 で、いずこともなく大挙して現れて空を埋め尽くすトンボは、あの世から先祖の御霊を
 運んでくれる生きものと、信じられていたのでしょう。



     赤とんぼ 人をえらびて 妻の膝    山口青邨

 それにしても昔から、人を選ぶ能力には長けていたようです。がっかりした人も多い
 のでしょうね。

 八月に入ってから、オオハンゴンソウも咲き始めました。
 この花が咲くと、ふっと淋しさが走ります。 
 残り一か月しかない夏、トンボの寿命も一か月弱、ともに残り僅かな夏を生きましょう。