森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

秋の楽しみ

2021-09-26 | 日記


 今年は、秋分の日から今日まで4連休の会社もあったようです。
 コロナで仕事が少ないせいなのかもしれません。
 湖畔では、9月最後の日曜日を楽しむ人々の姿が見うけられました。
 今のところ、気にかけていた台風も来ていませんので、このまま穏やかな日が
 続いてほしいものです。


 
 森では去年より早く紅葉が始まりました。
 暖かい日が長く続いたあとに、急に冷え込んだせいと思われます。
 毎年のことですが、紅葉を見始めるこの時季になると、楽しさと淋しさの入り
 混じった複雑な気分になります。
 なにしろ、今年も残すところ僅か3カ月になってしまったのですから。

   「日の暮れの 背中淋しき 紅葉哉」  小林一茶
   「ちる紅葉 ちらぬ紅葉は まだ青く」 正岡子規

 この方たちも、たぶん同じような気持ちだったのでしょう。



 森町は、なんといってもカボチャの産地として全国的に有名です。
 なかでも駒ケ岳周辺の農家で作られるカボチャは、度重なる駒ケ岳の噴火に
 よる火山灰が堆積した良好な土壌の産物です。
 水はけのよい土質は、まるで栗のようなホクホクカボチャを生み出してくれ
 ます。もちろん生産者の努力あってのものですが。
 だれもがこれを食べたら「いままでのカボチャはなんだったの?」という
 状態になります。
 生産数が少ないこともあって、東京や大阪では、とんでもない高値で売られ
 ていることも知っています。
 ことしも駒ケ岳のカボチャが食べられるのだ、と思ったら「やっぱり秋は
 いいな~」とコロコロちゃんになってしまいました。
 人は単純です。

 毎年狙っている栗の木で、今年はリスくんに先んじてに収穫してきました。
 今夏はキイチゴが不作でガッカリしていましたが、この栗のおかげで秋の
 夜長を楽しめます。




 
 

 
  

お彼岸

2021-09-19 | 日記


 昨日までは、雨が降ったり止んだりのぐずついたお天気が続いていました
 が、今日は久々の秋晴れです。
 
 夏の間咲き誇っていた、ハンゴンソウやアワダチソウのなかまたちも、
 さすがに元気をなくして終わりつつあります。
 森はもうすっかり、秋の花に変わりました。



 早いもので、明日は彼岸入りです。
 子どものころはお彼岸といえば、お墓参りよりも何よりも反射的に「おはぎ」
 が想い浮かびました。
 母親の作るものは、とにかくでっかい「おはぎ」だったのをおぼえています。
 今のお店で売っているものの2倍はあったでしょうか。
 いやいや、小さいころだから、大きく感じたのかもしれません。
 とにかく、春秋年2回のお彼岸は「おはぎ」が食べられるがゆえに楽しみで
 した。
 
 ちなみに、いい歳になってから「ぼたもち」と「おはぎ」が同じものである
 ことを知りました。
 下町では春の彼岸は牡丹の咲くころだから「ぼたもち」で、秋の彼岸は萩の
 季節なので「おはぎ」と使い分けていました。



 彼岸やお盆の行事は大変古く、それこそ聖徳太子の時代から行われている
 仏事なのですが、実は日本独自のものでインドや中国仏教にはありません。
 日本古来の土俗的な太陽信仰や祖霊信仰を起源とする「古神道」と渡来した
 「仏教」が習合したものです。

 東大寺を訪れると、境内に手向山八幡の神社が鎮座しています。
 このことから、1300年程前に神仏混淆が始まったと考えられています。
 そしてそれは150年前まで続き「神仏」が日本人の生活のリズムを形成して
 きました。
 お彼岸やお盆は、その時代に根付いた宗教性を継承する行事なのでしょう。
  
 しかし、今年もコロナで遠方のお墓参りはできません。
 「おはぎ」だけはしっかりいただきますが。


 
 

 

 
  

 
 
 

縄文栗

2021-09-12 | 日記


 9月も中旬になり、めっきり秋らしい風景になってきました。
 トンボがずいぶん少なくなって、蝶や甲虫類、蛾や蜂などサナギからかえった
 虫たちが元気に飛び交っています。
 飛ぶ昆虫を追うのも秋の愉しみのひとつです。



 落葉が始まっています。
 ドングリも落ちだしました。
 小屋や車の屋根に、絶え間なくパチンパチンと弾ける音をたてています。
 これから暫くの間は、ドングリさんの奏でる音楽とお付き合いです。



 今では、落ちてる栗を見つけることはめったにありません。
 かつて栗の木はどこにでもありました。
 しかし、栗の木は堅く重く腐りにくいうえに、よく燃えるから、土木工事や鉄道
 の枕木、さらに炭の材料としてどんどん使われていきました。
 栗の実も海外から大きくて甘いものが安価に入ってきて、とてもたちうちできな
 くなりました。
 近年まで、森町の海岸を望む丘陵地帯には、20kmにも渡る栗の大密林がありま
 したが、ここも同じ理由で絶滅しました。
 
 ところが最近、この地域に高速道路を通す工事を始めたところ、古代の遺跡が
 ザラザラと現れたのです。
 その数なんと52遺跡にものぼり、そのほとんどが縄文遺跡です。
 発掘された遺構や遺物の調査から、8000年前の縄文早期から近現代に至る
 までの、途絶えることのない人々の生活の痕跡が確認されました。
 
 すでに三内丸山では、縄文人が栗栽培をおこなっていたことが、遺物調査から
 証明されていて、北の縄文人は栗を主食にしていたものと考えられています。
 となると、ごく近い対岸の森町栗密林も縄文人たちが数千年に渡って、こつこつ
 と植樹して育ててきたものかもしれません。
 なんとありがたいことでしょう。
 
 森町では、たまたま堀っただけでこれほど多数の遺跡が現れるのですから、この
 先まだまだ多くの貴重な古代遺跡が眠っていると考えています。
 いずれは森町界隈は、世界に名だたる大縄文エリアになっていく可能性だって
 あります。
 こりゃ~縄文人に感謝するしかありません。

 現在、栗の木は町の公園に百数十本残されているだけです。
 しかし縄文から続く元祖縄文栗(正確にはわからないけど)を大切に増やして
 遺跡と整合させていけば、だれもが縄文人の精神性を感じられて、特に子ども
 たちは伝統の誇りを持ってゆったりと育っていくように思います。
 
 栗だけに、甘い考えかな。

 森の朝晩はグッと冷え込むようになりました。
 オオハンゴンソウはじめ野の花たちは、まだまだ元気にがんばっています。




 
 
 
 
 
 

ニシンの海

2021-09-04 | 日記

 
 このところよいお天気が続いていますが、9月に入ってからというもの
 グッと気温が下がり、朝晩は小さなストーブを使っています。
 もう、すっかり秋なのです。

 仕事で日本海へいきました。
 日本海へは、100km離れていて2時間で到着します。
 この上ノ国の海岸も、かってはニシン漁で大賑わいしていました。
 近くには松前町や江差町があり、北海道では一番古くから栄えた
 地域です。
 室町時代から始まった和人によるニシン漁は、江戸から明治期がピーク
 でした。
 そのころに造られた「鰊御殿」は、今でも保存されて残っているものが
 あり、当時の栄華を偲ばせてくれます。
 


 毎年、春3月のどんよりした「ニシン曇り」の日に、海の色が変わるほ
 どのニシンの大群がおしよせてきたのです。
 しかし、ニシンは70年ほど前から急激に減少して、やがてぱったりと
 こなくなってしまいました。
 その後は「あれからニシンは どこへいったやら~🎵」の状態で今に
 至っています。
 数百年も続いた生業を失った漁業者は、たいへんな打撃だったことでし
 ょう。
 東京では「北海道にニシンが戻ったら すぐにでも帰りたい」という人
 に何度も会いました。
 北海道はシャケのイメージが強いのですが、古い人はやはりニシンに
 生活があったのです。

 ところが、このところ嬉しい話が伝わっています。
 石狩湾を中心に、再びニシンが獲れだしたというのです。
 しかも、じりじりと水揚げ量が増えています。
 3年前には江差の海で、小規模ながらニシンが産卵のために海面が白濁す
 る「群来」が確認されました。いや~、たいへんなことです。
 
 この先はどうなるかわかりませんが、70年も待ったのですから、急がず
 に大切に資源復活をさせてほしいです。
 ニシンは回遊範囲が狭いらしく、湾内に生息する群が多いときくので、
 もしかしたら「夢よ、もう一度」が実現するかもしれません。
 ニシンに明るい希望を託しましょう。

 「今は もう秋 誰もいない海
  たった一つの 夢が破れても
  私は忘れない 砂に約束したから~🎵」
 
 亡くなった山口洋子さんの詩「誰もいない海」ですが、もしニシンがきた
 ら砂に約束した夢も戻りそうです。