森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

夏のおわり

2016-08-28 | 日記


 ひたすらに降り続いた雨が止んで、昨日今日と久々の晴です。
 湖に朝焼けが出ました。気温はぐっと下がって朝は十度ちょっとしかありません。もう何
か着ないと過ごせなくなりました。
 この小屋は標高二百メートルほどの山麓にあるので、平地より常に三~四度低いのです。
一夏で三十度を超える日は二~三日しかありません。ちなみに今年は一度もありませんでし
た。

 まだまだ日本中で猛暑が続いています。地球の温暖化が進んでいるから、この先もどんど
ん暑くなってそんなに遠くないうちに日本中がアラブの国々のような気温になるのかなあ、
と思っていたら、先日ネットである偉い先生が、温暖化などはしていないとおっしゃるので
す。この暑さは都市に人口が集中することによるヒートアイランド現象なのだと、長いスパ
ンで見たら地球はむしろ寒冷化の周期に入っているとのこと、それは太陽の黒点の観測から
も証明できるのだそうです。
 なにかホッとした気持ちにもなったのですが、ただこの森の自然の中で暮らしていると身
近な動植物に急激な変化が起きていることは確かです。この数年特に顕著なのです。
 たぶん温暖化も寒冷周期も両方きていて、もう先の予測のつかない訳の分からない状態に
なっているのかも知れません。ですから気象庁の天気予報も一週間程度のことならかなり正
確分かりますが、長期予報となるとほとんど当たりません、いくら衛星やスパコンを駆使し
てもダメみたいです。
 
 ひとりひとりが工夫して少しでも温暖化を遅らせること、それに変化するお天気に順応す
ること、この二つなのでしょうね。









 淋しい夏の終わりに野の花たちから元気を貰います。
 
 さあ今週は九月に入ります。収穫の秋そして食欲の秋です。南海上では大きな台風がウロ
ウロしていて、こっちへ来るかも知れません。それが通り過ぎたら抜けるような秋空を期待
しています。


                                 動(yurugi)







 

 
 

晩夏

2016-08-22 | 日記


 夏の終わりはいつも長雨です。
 今年もその季節がやってきました。
 夏が終わる寂しさは誰でもどこの地でも同じなのですが、この森のように急激に変化する
と、寂しさを超えて怖い感じさえしてきます。
 今は植物は落ち着いて動きがありません。止まっているいるのではなく、次の季節の準備
をしています。
 それとは対照的に、元気に動き回っているのが虫たちです。





 今年の夏もいくつかの収穫がありました。
 毎年この時期の楽しみだった秘密のキイチゴが、なんと根こそぎ掘られて持ち去られてし
まいガッカリしていたのです。
 ところが数日前別な所で、それはもう熟れて落ちそうな真っ赤なキイチゴを見つけたので
す。嬉しくなってつい我を忘れて二~三十個ほおばったでしょうか、もっとないかと探した
のですが、そこだけでした。
 すると「よし、夏は来年もくるのだから」と急に元気が出てきたのです。
 人は単純なものです。食にはかないません。



 残り一週間の夏、とうとう三十度を超える、夏らしい夏は一日もないままに終わりそうで
す。
 一雨毎に涼しさを増す、晩夏の森です。
                                動(yurugi)
 

蓴菜沼2

2016-08-17 | 日記


 図書館で今度はイザベラバードさんの伝記を探してみました。しかし残念ながらそれはあ
りませんでした。司書の人に尋ねると「もしかしたら 予算で買えるかも知れませんので申
し込んでください」とのことだったので、差し出された用紙に記入して待つことにしました。

 仕事が忙しくなって忘れかけていた頃、そう一か月半程たった時に嬉しい連絡をいただき
ました。「希望の本が入りましたので いつでもどうぞ」でした。

 「イザベラバード 旅に生きた英国婦人」によるとバードさんは1831年(天保2)イ
ギリス、ヨークシャーの牧師の家庭のふたり姉妹の長女として生まれています。
 
 若い頃から背中や腰の痛みに悩まされ、医者も手に負えなかったようです。そんな娘にあ
る時お父さんが南方への旅行を勧めたのです。なんとそれが大成功、旅行中は痛みが治まる
というのです。これをきっつかけに一気に旅にはまっていったようです。
 もともと好奇心旺盛で文才のあった人だから、行く先々の様子を詳細に書き込んだ手紙を
妹に送り続けていました。これが協力者を得て出版され、国内で大きな反響があったそうで
す。
 こんなプロセスをへて世界中を旅して行った人でした。著書も好評で売れ続け経済的にも
良かったようです。面白いことに本国では文筆はほとんどやらずに、もっぱら聖職者の娘ら
しく女性の地位向上や貧困者の救済など草の根の活動をかなり熱心にやっています。
 印象としては地味な人です。今時のように人前に出て脚光を浴びたり喝采を受けたり、そ
んな考えは一切なかったようです。



 あの時代のイギリスといえば、アヘンを使って中国を植民地化し、日本の若者に資金と軍
艦まで与えて革命を起こさせていたのですから、旅行家探検家にはどうしてもそんな国の意
向が働きます。あるいは特定の宗教による布教活動の場合もあります。

 しかし今回二冊の本を読み終えて感じたことは、バードさんは何事にもとらわれず自由に
好奇心のおもむくままに旅をして、見たもの感じたことを自分の感性のままに書き綴ってい
く、ただそれがワクワク楽しくてしかたがない。そして本が売れれば次の旅行の資金が捻出
できる、背中も腰も痛くない。こんなピュアでシンプルな生き方だったように思うのです。

 晩年ご主人と妹を亡くした時期は相当大変だったようです。物静かで優しくむしろか弱いと
さえ見えるその姿からは想像もつかないスケールの大きな73年間の人生でした。



 バードさんと通訳(通詞)の伊藤さんがこの蓴菜沼で宿泊したのは開拓使が使っていた宮崎
旅館だそうです。今はありません。
 この湖岸であの時と同じ風景を、チョコンと見えるギザギザの駒ケ岳の山頂を眺めていると
138年の歳月を一気にタイムスリップして、すぐ近くにお二人が居るような気がしてくるか
不思議です。

 八月も半ばを過ぎて少し寂しげな晩夏の風になってきました。相変わらず真っ白なスイレン
は上を向いて静かに開いています。
                                  動(yurugi)

                                
 

蓴菜沼

2016-08-16 | 日記

 
 イザベラバードさんのことは何も知りませんでした。
 春先に蓴菜沼を訪れた時、ふと新しい小さな看板に気が付きました。それによると187
8年(明冶11)8月17日、イギリス人の女性旅行家イザベラバードさんがこの沼を訪れ
たとのことでした。
 わざわざ看板を作るほどだから、きっと有名な人なのでしょう。

 早速、町の図書館で探して見ると、ありましたありました。学術書の中にバードさんの日
本に関する著書、「日本奥地紀行・全三巻」が並んでいたので、直ぐに借り受けてきました。
 
 そこには138年前の、明治維新からいくらもたっていない、しかも一年前には、西郷さ
んの西南の役があったばかりの、落ち着かない巷の様子がリアルに表現されていました。
 船で横浜に着いて関東、関西、日光、東北、を旅しています。そしてその三巻目が北海道
の旅になっていました。

 行程は函館から七飯、森を通って平取まで約一か月で往復しています。もちろん鉄道のな
い時代ですから、馬か徒歩しかありません。バードさんの場合は本国から自分専用の鞍を持
ち込んで函館で馬を手配しています。それと通訳の伊藤さんを同じく函館で雇っています。
 
 この旅はかなり難儀だったようです。北上する道はあったとはいえ、内地のように参勤交
代のなかったこの地ですから、立派な街道などなかったのです。時には草を分けて進んだり
ちゃんとした橋が架かってなかったり、旅館を探すのもずいぶん苦労しています。

 しかしこの間の風景の美しさには驚嘆して、そのことを何度も何度も書き綴っています。
 またアイヌの人々に和人にはない魅力を感じたようで、の家に泊まり込み、日常生活
を共にし、儀式も体験しています。特に私がビックリしたのは、アイヌの人々の中に義経信
仰がしっかり根付いていたことです。これは単なる流言飛語と教わっていたので、本当に驚
きました。このことから、旅行というより民俗的な関心の高い人なのだと、だんだん分かっ
てきました。
 
 この蓴菜沼では「・・水面には蓴菜のなめらかで柔らかな大きな葉が浮かんでいる、また
木々の生い茂る山々のその上には、駒ケ岳火山のほとんど何もおおわれずにギザギザに尖っ
た山頂が、夕陽を浴びて赤く輝いている」と繊細に表現しています。

 歴史書と違って勝者の記録ではなく紀行文だから、風景の描写や町の様子、民衆の生活が
事細かに書かれていてアッという間に楽しく読み終えました。

 しかし読み進む途中で「バードさんにとってこの旅の目的は何だったのでしょう? そし
てその膨大な費用はどのように調達したのでしょう? 四十七歳といえば昔は結構な年齢の
筈、その女性がこれ程の旅を思い立った動機は何だったのでしょうか?」といつものように
妙な考えにとらわれていきました。


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トラピスト修道院

2016-08-07 | 日記


 一仕事終えて、この修道院へやってきました。
 キリスト者ではないのに、子供の頃から縁があって、折にふれよく来るのです。一度中へ
入れてもらったことがあります。中といっても建物の中ではなく、周りの修道士たちの労働
エリアです。それは想像を超える広大なものでした。なにしろ、この山全部がそうなんです
から。外に出さないことを約束に写真も撮らせてもらいました。このすばらしい記録は大切
な宝物です。



 修道院というと多くの人は世捨て人の行く所、などと思っています。しかしそれは間違い
です。本当はその逆でもっと勉強したい人が「清貧 貞潔 従順」の三誓願を立てて共住す
る場所なのです。
 昔は仏教もそうでした。学問をしたいけれどできない貧乏な民は、僧侶になるしか道はな
かったのです。



 ここで一生終える人たちは、同じ場所にいても決して狭い知識や経験で生きているのでは
ありません。「祈り、働く」ことで、その他の多くのことを生み出しています。
 学ぶことで、思考は建物の壁や窓を抜けて自由に動き回っているようです。



 裏山の中腹に「ルルドの像」があります。ここまで登る道端には見事なユリが自生してい
て、それはそれは美しい景色の連続です。







 いつも変わらぬこの像にお会いするとホッとして、自然に手をあわせています。



 函館山がうす曇りの空にポッカリ浮かんでいました。



 人はそれぞれ死ぬまでの限られた手持ち時間を、何にどのように使えばいいのか、そんな
ことを考える楽しい時間でした。
 さあ、疲れもすっ飛んだから、また働くのだ。        
                                動(yurugi)