森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

暗い雨の日

2023-05-28 | 日記


 相変わらず、ぐずついたお天気が続いていますが、昨日はいっとき
 雲が割れて懐かしい青空が覗かれました。
 今日はまた、早朝から雨降りの暗い々一日です。
 それじゃなくても、すでに小屋の回りは木々の葉がうっそうと茂り、
 陽が入りにくくなっているのですから、終日照明が欠かせません。
 今節、電気料金も上がっているで、たいへんです。

 ツツジ類が今を盛りと咲きほこっています。
 近くにあるのは、このレンゲツツジです。
 毎年元気に、大ぶりの赤や黄の派手な花をつけますので、これが咲くと
 野原が急に賑やかになります。
 
 ところがこの花には強い毒性があります。
 ですから、人間はもちろん馬や牛やコンチャンもたべません。
 その昔、子供がこの花の甘い蜜を吸って、危険な状態になったことが
 知られています。
 また大人でも、ミツバチがこの花から採取して作った蜂蜜を食べて
 中毒症状を起こしたこともあります。
 プロの養蜂家ならこのことはよく知っているので、レンゲツツジの自生
 しているところは避けるようにしています。
 最近は道南でも趣味で養蜂やっている人がけっこういます。
 通販でも初歩の養蜂キットなどが売られていますから。
 この方々から蜂蜜を頂くときは、毒見が必要ですね。
 たいへん申し訳ないですが。



 雨が続いているといっても、気温は暑くも寒くもなくちょうど良いので
 よく眠れる季節です。
 毎朝、いちばんに聞くのはラジオから流れるニュースです。
 しかし、ほぼ毎日最初の報道は、殺人、強盗、特殊詐欺、事故、です。
 明るいものは、大谷君の一勝かホームランです。
 どうしてこんなふうになってしまったのかわかりませんが、10年前
 に米のシンクタンクが「日本は近い将来犯罪大国になる」と発表していた
 のを想い出しました。
 どこからこの予測を導き出したのかわかりませんが、当たっているなと
 感心しました。
 
 ところが、国の統計では犯罪数は2002年をピークに減り続け、2021年
 には86万件とピーク時の1/4になってるというのです。
 2002年といえば「オレオレ詐欺」の始まったころです。
 当時は珍しかったので「騙されるほうがおかしい」などという風潮があった
 ほどです。
 今は名称は特殊詐欺になりましたが、全国日常茶飯事に起きていますし、
 親子殺人、近親者殺人も毎度のことです。
 もう感覚が麻痺してしまいそうです。
 それでも実感とは反比例して犯罪は減少しているというのですから、こっちの
 頭がおかしくなり続けているのかもしれません。
 
 この森に長く暮らしていると、自分の生活実感と世の実体にかなりのギャップを
 生じていることは確かです。
 ここでいちばんの怖いのは、クマの出現です。
 オレオレの電話がきても、銀行もコンビニもないので安心です。

 内地ではそろそろ梅雨に入りそうですね。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 

遺跡の宝庫

2023-05-21 | 日記


 相変わらず降ったり止んだりの、ハッキリしないお天気が続いています。
 しかしこの雨のおかげで、植物は緑を深め花たちは次々と開花して
 いきます。
 野の花は全般に小ぶりで色も地味なものが多いため、車で走って
 いたのでは見落としてしまいます。
 の~んびり歩いていると、そこらじゅうが花畑になっていることに
 気づきます。
 たまに陽が差そうものなら、虫たちが花を目がけてブンブン飛び出して
 きます。



 この辺りは縄文遺跡の宝庫のような土地なので、縄文人たちもこれと
 同じ景色を見ていたのでしょうね。
 縄文時代は1万6千年前に土器を作る人々が現れて始まりました。
 土器ができたおかげで、煮炊きや貯蔵ができるようになって
 新しい生活様式が生まれたのですが、鍋以外の道具は相変わらず
 石器や骨の道具をつかっていたようです。
 土器がないといっても火は使えたのですから、貝の殻や朴葉などを
 使って加熱することはできたでしょうし、もちろん焼くことは自由に
 できたでしょう。
 水を汲んだり溜めたりするには、とても便利だったんでしょうね。
 
 しかしこの土器を作れる人々が、どこから来たのかわかっていません。
 石器人が火を使っているうちに土を焼くことを覚えて、縄文人に
 なったのか、はたまた弥生時代が始まった時のように、大陸から
 大挙して押し寄せた渡来人が水稲栽培や金属器を持ち込んで弥生人
 になったようなことなのでしょうか。
 


 我々が子どものころは、日本には縄文時代以前には人が住んで
 いなかったとされていました。
 それが少しずつ日本も文明開化されて、日本列島にも縄文以前の
 旧石器時代があったのだ、となっていきました。
 現にこの森の北方にある今金のピリカ遺跡、南方の尻内の湯の里遺跡
 からは、ともに2万年前の旧石器時代のものが出土しています。
 
 そんなわけで、日本にも旧石器時代はあった、そして列島には
 3万5千年前から人は住んでいたということになっていました。
 ところが近年、遠野の金取遺跡から約9万年前の石器が、出雲の砂原
 遺跡からは約12万年前の石器がでたのです。
 
 こうなるともはや、日本人のルーツがどうのこうのと論じるのは
 無意味になって、この12万年前の人々がはたしてホモサピエンス
 なのかどうかということになってきます。
 アフリカで生まれたホモサピエンスは、5万年前に世界中に散らばって
 日本にも到着したことになっているのですから。
 
 新しい発見がおきる度に、既成概念が覆って歴史が更新されていくのは
 楽しいことです。
 ただ、偉い先生たちにとっては、のんびりあぐらをかいてはいられない
 時代でしょう。
 
 今日も朝から雨降りです。
 いっときでも止んでくれると、鳥たちの合唱が聴けるのですが。



 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 

森の母の日

2023-05-12 | 日記


 立夏も過ぎて、日毎にあたたかくなってきました。
 気温は上がってきても陽が差すことは少なく、時々小雨のぱらつく
 はっきりしないお天気が続いています。
 いつも六月にやってくる、北海道南部特有の蝦夷梅雨が早くも
 始まったような感じです。
 
 あさっては「母の日」です。
 例年、大型連休が終わってボンヤリしている時期なので、なにげなく
 過ぎていくのですが、ちょっと気になってネットを見ました。
 すると、意外なことがわかったのです。
 
 ずいぶん昔からある「母の日」ですから、天皇関係の母様の誕生日か、
 歴史上の有名な慈愛に満ちた母様のことかと、自分は勝手に
 思い込んでいました。
 というのも「勤労感謝の日」が新嘗祭であったり「建国記念日」が
 紀元節であったりと、古来の祭りを現代の祝祭日に当てはめている
 例が多いのですから。
 ところがなんと「母の日」はアメリカの祭日に倣ったものだという
 ことがわかりました。驚きです。
 
 南北戦争で戦場で負傷した兵士たちを敵見方なく手当した慈愛の
 女性を追悼するため、ある教会で集会が開かれました。
 その時にその女性の娘が、出席者に白いカーネーションを配りました。
 これが「母の日」とカーネーションの由来なのだそうです。
 
 

 「母の日」は明治時代末に日本に伝わったそうですが、祝日に
 制定されたのは第二次世界大戦が終わった直後ことです。
 アメリカからのプッシュがあったのかもしれませんね。
 ただ、日本では白い花や菊は縁起が悪いということで、紅い
 カーネーションにしたということです。
 自分は個人的に白い花が好きなので、この日本的習慣は困りもの
 ですが。
 それにしても、ハロウィンやバレンタインなど外国の習慣を
 国民の行事として取り込んでいる例は、他にもずいぶん
 ありそうですね。
 
 いつもなんでもなく来ては過ぎていく祝祭日ですが、これからは
 関心をもってせいぜいネットを開くぐらいのことはしてみようと
 思いました。
 そういえば、我々のころ楽しみだった「十五夜」とか「七夕」など
 今は家庭ではやらなくなりました。
 少し寂しいですね。

 コロナが終わりそうなので、大沼にも観光客が戻りつつあるようです。
 久しぶりに名物だんごでも買いに行こうかな。


 

 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

森でシャケを食べる

2023-05-05 | 日記


 五月に入って、はや五日がたちました。
 ソメイヨシノは終了しましたが、ヤマザクラは今が盛りです。
 淡色の新緑の中に薄紅が混在して、なんとも爽やかな風景を
 創っています。

 野の花たちが、それぞれ日を追って順序正しく咲き出しています。
 それを観られる毎日の外歩きは、この時季いちばんの楽しみです。
 


 近くの町の野菜直売所では、キャベツやリンゴなどの越冬保存野菜
 の他に、どこからか運んできたキュウリやトマトが並んでいました。
 地ものの野菜はまだかなり先ですから、流通はありがたいものです。
 森の生活で最も大切なことは、食料確保です。
 自分は月に何度か近くの町の小さなスーパーへ買い出しにいきます。
 古い北海道人は、子どものころから体になじんでいるシャケやタラ
 を食べなくては生きていけません。
 タラのことはもう十年前に泣く々諦めました。道南ではまったく
 獲れなくなったのです。
 しかしシャケはなぜか諦められません。
 函館では、シャケに代わってやたらと獲れるようになったブリを
 食べるように勧めていますが、ブリを食べようとは思いません。
 長く続いた食習慣は簡単には変えられないのです。
 
 このスーパーでは、かなり前からシャケといえばロシア産が
 ほとんどでした。
 たまに北海道産のものもでますが、ロシア産に比べてかなり割高で
 高級魚といった感じです。
 もはや地物のシャケは、都会の料亭や富裕層の御用達となっていて、
 かつてのサンマやホッケのような庶民の見方ではなくなっています。
 いやいやサンマ、ホッケも今や高級魚となっていますが。
 まあしかし、ロシア産なら国は近いし海は繋がっているのだから
 同じ魚だろうと考えてあまり躊躇せずに買い続けていました。
 ところが一年前から、スーパーの棚にロシア産シャケの姿がパッタリ
 と消えてしまいました。
 たぶん、ロシア・ウクライナ戦争の影響だと考えられます。
 代わって現れたのがノルウエー産のシャケです。
 値段もロシア産とほぼ同じで、味も変わりません。
 今はもっぱらこのシャケを買い続けています。
 ノルウエーの漁師さんに感謝しつつ。



 先日、シャケを食べながらふと考えました。
 「どうして北海道人が北海道でノルウエーのシャケを食べるのだろう 
  シャケといえば北海道の代名詞ではないか」と。
 ノルウエーは言わずと知れた北欧の先進国、国民所得は日本よりかなり
 高く、社会制度の行き届いた国です。
 そこで獲れたシャケがどこでどうなって、この森の平民の食生活に役立つ
 ことになっているのだろうと思いました。
 日本から遥かに遠く、まるで地球の反対側にあるような国の漁師さんが
 獲ったシャケが冷凍され、何日もかけて海を渡り、貿易会社を通して
 運送業者がスーパーへ運び、それでやっと店頭に並びます。
 この間の各社の経費と利益を含めても、地で獲れたシャケよりも安価に
 売られて、庶民の見方になっていることが不思議でならないのです。
 ノルウエーの海から、シャケが勝手に日本へ泳いでくるならわかりますが…
 
 今日五日は、子どもの日です。
 この子たちが大人になった時には、日本でシャケが食べられるので
 しょうか。
 ノルウエーの漁師さんよろしくお願いします。