森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

スイレン

2019-07-27 | 日記


 今年も大沼にスイレンが咲きました。
 
 スイレンは不思議な植物です。
 湖底の泥中の根から長い長い葉を伸ばして水面に浮き、たった一花咲かせます。
 花は明るい昼間に開き、夜になると閉じます。これを三回くりかえして寿命が
 尽きます。決して四回目はありません。
 「数えてるのかなぁ?」と思うのですが、だれにも分かりません。
 


 蓮に似ているので睡蓮とも書きますが、和名は「ヒツジグサ」で古くから自生
 しているものです。蓮のようなレンコンはできないので、残念ながら食べられ
 ません。
 この白い花を見ていると、たぶん縄文人たちも同じように「いち、にい、さん」
 と数えながら眺めていたのだろうと思うのです。

 こんなことを何人かに吹聴しているうちに、ある時偉い大先生にも話してしま
 いました。先生は「君、大沼は1640年の北海道駒ケ岳の大噴火によって、
 折戸川がせき止められてできたんだから、数千年まえの縄文人がスイレンを見
 ているわけがないだろう」とお笑いになりました。
 1640年(寛永17)といえば徳川幕府が鎖国令を出したころ、また島原の
 乱があったころだから、わりと最近です。
 


 自分は周囲の山々とそこから流れる数本の川から、ここにはもともと沼があった
 ものと思い込んでいました。確かに周辺の町村の郷土史を見てもすべて、164
 0年の大噴火によって大沼、小沼、蓴菜沼が突然できたと記されています。
 
 「こりゃ~まずい。今でも変人扱いされているのに、その上ほら吹きになってし
 まう」しかし、大噴火前のこの地をあらわす資料などどこにもありませんでした。



 ごく最近、某大学の論文がネットにアップされました。数十頁に及ぶこの地域の
 地質調査により、「1640年の大噴火以前のこの地域は泥炭の湿地であり、大
 規模な湖はないものの小さな湖沼は存在した」と結論づけています。
 「やれやれ イガッタ エガッタ」これで嘘つきはまぬがれました。
 
 この辺りは高速道路の工事にともない51か所もの遺跡が発見されました。その
 ほとんどが縄文遺跡なので、多くの縄文人が集落を造って生活していたのです。
 
 自分は調子に乗って「スイレンは神の花として崇められていたのだ」と思うよう
 になりました。しかしこのことは決して周囲に話してはならぬと戒めています。
 今度こそ本当に「ほら吹きジジイ」にされるのだから。


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海からのおくりもの

2019-07-21 | 日記


 昨日は時々陽の射す薄曇り。気温もぐんと上がり、久々の夏らしい一日でした。
 大森浜はシケがおさまり、穏やかな凪になりました。
 下北半島がはっきり見えて、海峡をゆっくりと貨物船が横切っていきました。
 


 その昔、浜の漁師たちは「ヤマセが吹くから シケになるぞ」と大急ぎで磯舟を砂浜の
 奥へ引っ張り上げていました。
 ヤマセは夏場に吹きよせる東寄りの風です。これが始まると漁師たちは漁に出られなく
 なり、長く続くと生活が大変になります。舟が流されたり、人の事故もありました。
 漁師たちは、来る日も来る日も海岸に立って白波を眺めていました。

 北海道には「アイのこは吹きやヤマセのもとだ ヤマセや別れの種となる」こんな唄が
 ありました。
 アイは越中でいうヤマセのことで「心あいの風」に掛けて、この地にきて「風」を孤独
 の身の友とする舟人たちの寂しい心情を謳っています。



 しかし子供たちにとってヤマセは胸ときめく楽しみのひとつでした。
 凪になると「ソレッ!」とばかりに海岸へ飛び出します。
 シケはさまざまなものを、渚に向かって送り届けてくれる希望の波でした。
 それは海藻、きれいな石、貝殻、シーグラス、生活用品のかけらなどでした。
 今でいえばゴミなのでしょうが、当時の子どもたちにとっては宝物だったのです。



 昨日は期待どおり「海からのおくりもの」が届いていました。
 自分は半日砂浜を歩き回り、しっかりとシーグラスや貝殻を拾いました。
 お母さんは海藻を集めていました。流れ着いた海藻は味が良いのだそうです。
 それらは皆、海神からの希望のおくりものです。

 大森浜はふたたび生活の浜になって戻ってきました。


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どこへいったやら

2019-07-13 | 日記


もうずう~っと雨、曇、雨、曇の日々です。「あれから太陽は どこへいったやら~🎵」なのです。
もともと北海道には梅雨はなかったのですが、温暖化やらでとうとうこの地にも梅雨という季節が
現れたのでしょうか。
北海道で梅雨を過ごすとなれば、八月下旬には秋の気配が漂うのだから、夏の盛りは実質一か月も
ないことになります。なんと寂しいことでしょう。野菜が日照不足にならなければいいのですが。



異変といえばこの近くの海で生活している漁業者たちはすでに大変なようです。
函館では街のシンボルだったイカがとれません。かっては市民たちがイカのゆるキャラとともに
イカ踊りをしている姿がしょっちゅう紹介されましたが、今はほとんど見ません。
鱈もホッケも少なく、シャケも僅かしか昇ってこなくなりました。かって我々が経験した苦渋の
ニシン漁のように「あれから 魚はどこへいったやら~🎵」になるのでしょうか。

それでも「今はマグロやブリが獲れるからいいのさ」という人もいます。そのマグロも去年大間
では記録的な不漁でした。
マグロの一本釣りは歴史の中で、紀伊半島から房総半島をへて下北半島大間、亀田半島戸井へと
移ってきました。同時に漁法を伝承していったのです。
 
この先はもうここから移らないでほしいと皆が願っています。しかし地球のことは誰にも分か
りません。実際大間でも7~10月の最盛期が9~12月へと変化しています。
人は少しづつ変わるものに鈍感です。政治屋さんは目先のことに忙しく地球のことなど考えている
暇はありません。お偉い地球学者とか気象庁のお役人こそもっと知恵を出して、庶民の役に立
ってほしいものです。
人々は今はなんとか上手に変化に対応していくしかありません。

 

毎日雨でも元気なのは野の花たちです。上のピンクはムラサキツメグサです。今年も忘れずに
咲いてくれました。スイレンも、もう一息で開花します。
花たちは変わることなく約束どおり顔をだしてくれます。


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曇り

2019-07-06 | 日記


 先月末から月が変わってもまだ晴れた日がありません。
 どんよりした低い空から雨が降ったり止んだりのぐずついた毎日です。
 曇りも雨も嫌いではないけれど、さすがに気分がどんよりしてきました。



 井上陽水さんの「心もよう」を思いだしました。
  
  さみしさの つれづれに 手紙をしたためています あなたに~🎵

 そうだ、こんな時は手紙を書けばいいのだ。文月だもの。
 机に向かって紙を用意したものの...「出す相手がいないじゃん」でした。



 そうだ、こんな時は赤い色が必要だ。
 さっそく街へ出て真っ赤なゼラニウムを買いました。
 花屋のお姉さんは「ゼラニウムは臭いが嫌われて人気がないんですよ」
 とけげんそうにジイサンの顔を覗き込んでいいました。
 「いや 自分はこの匂いが好きなんです 楽しい想いでがあるのです」
 と反発しようとしたけれどなぜか「そうですよね」といってしまいました。
 そのゼラニウムも陽が射さないから花が落ちて葉も枯れそうです。
 「おてんとうさま お願いです お顔をおだしください」と祈りました。
 
 若い時はバラが好きだったのに変わるものですね。
   
  くもりガラスの外は雨 私の気持ちは 書けません~🎵
  
  あざやか色の春はかげろう まぶしい夏の光は強く 
              秋風の後 雪が追いかけ あなたを変える~🎵
 
 陽水さんが歌うように、人の心は移ろいやすく自分でも良く分からない。
 それでいいのでしょう。


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