森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

紅葉 3

2015-10-26 | 日記
 数日前から楓類が赤くなって、いよいよ今年の紅葉もフィナーレです。



 華やかさと淋しさが混在する不思議な風景です。





 厳しい冬が来る前に、思いっきり燃焼しているかのようです。





 真っ赤な葉が落ちて、今年の森の祭りは終了しました。


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回帰

2015-10-24 | 日記
 何年も何万キロもひたすら大海を泳いで、その最終ゴールが自分の生まれた川に
戻ることだなんて。そして残された最後の力を振り絞って子孫を残した後は、ボロ
ボロになって死んでゆく。
 神はどうしてこんな過酷な運命を鮭や鱒に与えたのだろう。いくらなんでもちょ
っと厳し過ぎやしませんか?・・・と思っていました。

 しかし、実際に遡上に出会ってこの目で見た時に、考えは変わりました。その必
死な動き、目の輝きから「あっ、これは皆のために帰ってきてくれたのだ」と。
 事実アイヌの人々にとって鮭は神そのものだったと聞いています。



 今の時代、多くの人は肉や魚はスーパーの奥の方から出てくるもの、子供は牛乳
を冷蔵庫から出るものと思っています。ですから魚の回帰に感謝するどころか、関
心もありません。それはそれでいいことなのです。幸せの証なのです。
 それなのに、一生懸命頑張って帰ってくる彼らの律儀な姿に頭が下がります。



 一生の最後に一番大事なことをやり終えて、直ちに消える。もしやこれが最高の
生き方なのかも知れない。しかしオッチャンにできるだろうか? できねぇ~。

 動物たちにいろいろ教えられる秋です。


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鳥の目

2015-10-15 | 日記


 このところ鳥たちの動きが活発です。渡ってきた鳥、これから渡って行く鳥、も
ともとこの地で生まれ育って住んでいる鳥、中には渡り鳥なのに、ここが居心地良
いらしく、住み着いてしまった鳥もいます。皆元気です。

 人も鳥と良く似て二種類です。渡る人と渡らない人です。そして昔から渡らない
人が渡る人より少し偉いとされています。鳥の世界ではどうなのでしょうか。
 
 中島みゆきさんは「人は昔々、鳥だったのかもしれないね~♪こんなにもこんな
にも空が恋しい~♪」と歌っていますが、言い得て妙です。



 鳥を見ていて気付くことがあります。彼らはどんなに遠くからでも、じっと人間
の目を見ています。もちろん人が鳥を見つける遥か前からです。そのくせちょっと
近づくと見ていないふりをします。つまり人は観察されているのです。「このオッ
チャンどんなやつかな?」と。

 冬に向かって冷え込んでいく湖で、鳥たちの目に真摯な生き方を感じます。


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紅葉 2

2015-10-09 | 日記


 蔦と漆が真っ紅になりました。
 この先、日一日と冷え込むと、木々は急ぐように変身して、何もかも紅にし
ていきます。





 自然の神が執り行う、年に一度の大祭なのでしょう。
 華やかさの中に、淋しさを隠して、季節は移り変わります。


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2015-10-06 | 日記
 先週末の台風並みの大嵐は大変でした。そのあとも降ったり止んだりの、はっき
りしない肌寒い日が続いていました。今日は久しぶりに朝から晴れ渡り、木々を渡
って届く雨上がりの森の香りが、心地よい秋を感じさせてくれます。

 森の嵐で一番怖いのは倒木です。「ゴーゴー」と絶え間ない風の音とともに数十
メートル高さの樹木がぐらぐら揺れて、今にも倒れ掛かってきそうになります。下
敷きになったひにゃ、小屋はひとたまりもありません。幸い近くで倒木はありませ
んでした。
 
 嵐は森にいろいろな変化をもたらします。大荒れして通り過ぎた後は新しい環境
ができ、皆それに適応して再スタートとなります。嵐は怖いけれど、森の更新には
欠かせないものかもしれません。







 コンチャンもホッとしたらしく、ぼんやりしていました。



 嵐のあとはいちだんと秋が進みます。




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