森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

クマゲラ

2020-01-27 | 日記


 早朝にクマゲラが「カンカンカン・・・」と大音量で枝を叩き始めました。
 そしてお昼前には、こんなふうにすっかり樹皮をはがしてしまいました。
 今年は着雪が少ないから虫が捕らえやすいのでしょう。おなか一杯たべて「キョッキョッ」
 と鳴いてどこかへ飛んでいきました。

 クマゲラはカラスや九官鳥によく似ているから、もしや人の言葉を覚えるかもしれません。
 こんど見つけたら「ぼく ぼく」と根気よく声をかけてみようと思います。
 クマゲラが自分のことを「ぼく」といったらどんなに愉快でしょう。
 それから先は、さまざまな楽しくも意外な展開が想像されます。



 想えば、子どものころの私は自分のことを「ぼく」といっていました。
 いつの頃か、なぜか「オレ」になりましたね。たぶんちょっと大人っぽくワイルドに気
 取っていたのでしょう。
 働くようになると「オレ」は通用しなくなって、一時「自分」を使いました。しかし「自
 分は〇〇であります」というと旧日本軍のイメージになってしまうのでやめました。
 三十歳を過ぎた頃からは「わたし」いっぽんで使い続け、四十年以上たった今に至ってい
 ます。
 
 昔の下町では「おいら」を使う若者が多かったです。「おらっち」なんて少年たちもいま
 した。年配の職人はまだ「アッシ」といったり、年寄りは男女とも「あたしゃ」を使いま
 したね。
 
 先日街で会った、五十がらみのおじさんは「ぼく」をつかっていました。それがまったく
 違和感なく自然に感じたのです。その人は知的で上品で色白で、一見資産家風の人でした。
 やはり年取ってから「ぼく」の似合う人には、いくつかの条件があるようです。

 それを考えると、クマゲラさんには「オレ」を教えたほうがいいのかな~と思いました。
 熟慮してから行動します。



 雪が少ないとはいっても、そこは北海道。気温はグッと下がってきました。
 立春にむかう森で、アホな妄想にふける「わたし」です。


 
 
 

大寒

2020-01-20 | 日記


 今日は大寒で朝から小雪が舞っていました。
 今冬は、今のところ積雪が少なく大いに助かっています。
 なんでも観測史上記録的なことだそうです。
 この時季、轍にアスファルト舗装が出ているなんて、不思議な光景です。
 下の湖畔道では雪は解けて、まるっきり道路が露出していました。
 もはや異常ではないのでしょうか。



 数年前から自然界における「異常」「記録的」「史上初」「想定外」などの言葉を、
 日常的に目にするようになりました。
 あまりにも多いので、もう慣れてしまって驚くこともありません。感覚が麻痺してし
 まったのでしょう。
 本当はそれが恐ろしいことです。

 それと連動するかのように、人間界でも異常がおこっています。
 毎日、日本のどこかでオジサンが謝っていることです。いわゆる謝罪会見です。
 細長いスチールのテーブルに三人並んで深々と頭を下げます。たまに二人や、四人の時も
 ありますが、形になりません。やはり三人で、しかも真ん中のオジサンが少し禿ていると
 グッと誠意が伝わってきます。
 ただし、一人でも早く頭を上げてしまうと台無しになりますから、綿密にリハーサルを重
 ねているのでしょう。
 
 しかしこれも、今ではすっかり見慣れてしまって「ああ またやってる~」と思うように
 なりました。なにを謝っているのかさえ知ろうともしません。
 やってる方も、「悪さがバレたら あれやりましょうよ」程度の考えでしょう。

 気候の異変と人間社会のモラルハザードは連動していないまでも、無関係ではないように
 感じます。
 どこかのお偉い先生、研究してみてはいかがでしょう。「ノーベル賞」は無理としても、
 コンちゃんが葉っぱのお札を授与してくれます。



 雪が少ないとはいえ気温は例年並みなので、山道は完全に凍結しています。
 車の運転は大変で、山を下りたはいいが、登って帰れなくなることがよくあります。
 そんな時は砂を撒くのですが、それでも間に合わないこともあって、雪が程良く降ってく
 れた方がタイヤのグリップが効くので「雪よ降ってくれ!」なんて勝手なお願いをしてし
 まいます。

 少雪大寒ですが、もう二週間すれば立春です。
 すでに早咲き桜や梅の開花が聞かれます。
 それにしても、なんと明るく穏やかな冬なのでしょう。
 心配性の絶滅系森林民族はかえって不気味な怖さを感じています。




 
 
 
 
 

森のなかま

2020-01-11 | 日記


 コンちゃんに出会うと、いつも想いだすのは「星の王子さま」です。

  
 操縦士の「ぼく」が砂漠に不時着して出会ったのが、小さな小さな惑星からやって来た王子で
 した。それからこのお話が始まります。
 王子が一年ほど前に地球に降り立ってから、キツネに会ったおかげで、さまざまな人間のこと
 を教えてもらいます。

 そして仲よしになったキツネと別れるとき、別れの悲しさから「相手を悲しくさせるのなら仲
 よくならなければ良かった」と思う王子に「黄色く色づく麦畑を見て 王子の美しい金髪を思
 いだせるなら 仲よくなったことは決して無駄なこと 悪いことではなかった」とキツネは答
 えます。そして別れ際に大事な秘密を教えてくれます。それは「大切なものは 目に見えない」
 ということでした。


 没落貴族で小説家、操縦士だったサン=テグジュペリは1943年(43歳)に「星の王子様」
 を出版し、翌1944年に戦時下の飛行で消息が分からなくなってしまいました。その後この
 本は200ヵ国以上で翻訳出版され総販売部数1億5千万冊超のロングベストセラーとなって
 います。
 はたして、このことをサン=テグジュペリはどこかで見ているのでしょうか。
 たぶん彼はこの作品を児童文学の体裁を装うことで「子どもの心を失った大人」に向かって語
 りかけているのだと思います。それがこれほど世界的に読み継がれている要因なのでしょう。

 私もこの森でコンちゃんに出会って、自然の中で生きるさまざまな知恵を教わりました。
 キツネは世界中で愛されているようですね。



 「みにくいアヒルの子」はだれでも知っているアンデルセン童話です。


 なにかの間違いで、アヒルの群れの中に他のアヒルと異なった、みにくい姿のひなが生まれまし
 た。
 その子は周りのアヒルから辛く当たられ、もう耐えられなくなって家族から逃げ出します。
 でも、他の群れに行ってもやはり醜いやつだと、ひどいいじめにあいます。
 もう疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと大きな白鳥の住む水地へ行きます。そこで、なんと
 自分はアヒルではなく美しい白鳥だったことが分かるのです。


 ハンス・クリスチャン・アンデルセンは1805年に貧しい靴職人の父親のもとに生まれました。 
 11歳のときに父親が亡くなり、それが苦難の始まりでした。
 当時の苛酷なヨーロッパ階級社会で、死ぬ以外に幸せになるすべを持たない貧困層の生き方と、
 それを見ぬふりで無関心を装う社会への嘆きを童話で訴えました。「マッチ売りの少女」などは
 その代表作です。

 彼は生涯に何度も失恋して70歳までを独身で終えました。しかし後半の人生は作品も認められ
 穏やかな良い生活を送ったようです。


 今年も大沼には白鳥が飛来しています。が、いつもの年よりずいぶん少ない感じがします。
 例年なら今頃はガアガア鳴いて賑やかな筈なのですが、今年はひっそりとしています。
 ちょっと心配です。


 


 
 

  

  

 
 

元旦

2020-01-01 | 日記
     明けまして おめでとうございます
       本年もよろしく お願いいたします



 昨夜からの雪は、年明けの今も降り続いています。
 
 しんしんと降る雪のまっ白な静寂のなかで
 枝からバサッと落ちる雪の音
 それに驚いたヤマゲラが キィーンと鳴いて飛び去ったあとは
 また静けさが戻ってきました

 さあ、また新しい365日の始まりです。


               北海道の「くちとり」

 たいくつなブログですが、今年も暇なときに覗いてみてください。