森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

夏がゆく

2019-08-26 | 日記


 夏が過ぎようとしています。
 線路脇はもうススキでいっぱいです。
 
 なんにでも終わりがあります。どんなに長い小説にも終わりがあるように。 
 終わってもまた廻ってくるものもあれば、それっきり二度と戻らないものもあります。
 


 この時節、虫たちにとっては「夏がゆく」ではなく「秋がくる」なのでしょう。
 とにかく張り切って動き回っています。
 ならば、人も虫に倣って「秋がくる」にすれば淋しくないのでしょうね。



 人は自分にふさわしく、ゆるされた道をコツコツ歩きます。
 行き先は分からないけれど歩きつづけます。
 時には他の道がよく見えて、曲がってみようと思うこともあるけれど
 一筋に進みます。
 道はどこまでも遠く先が見えないから、若い時は早く、齢とったらゆっくりと
 歩きます。
 そして歩けなくなったら終わります。

 つまり人と虫はなにも違っていない、少なくとも自分は同じです。



 紫陽花は来年も咲くのかは分かりません。だれも保障してくれません。
 だから夏が名残惜しくてがんばっているのでしょう。

 夏の終わりには、いつもわけの分からないことを考えてしまいます。
 季節の変わり目の地磁気の変化や、三つの星の引力の関係が脳に作用しているのかも知れ
 ないのです。
 
 名前の分からないこのピンクの花は夏の終わりを喜んでいるように見えます。
 
 なんてことだ! 年よりをバカにして。


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夏と少年

2019-08-18 | 日記


 この夏も残りわずかになりました。
 生い茂った樹々にはまだ真夏の勢いはあるし、気温も高いままなのですが、なぜか妙に
 落ち着いた空気になってきたのです。



 キャンプ場で、一人群れを離れている少年と仲良しになりました。
 「おじさんどこからきたの?」
 「この湖の先を少し登った山の中さ」
 「君は?」
 「うん 僕は札幌だよ」
 「じゃあ街の子だね」
 「うん でも僕はこういう所が好きなんだ ここへきたのも二回目なんだ」

 少年はいろいろな話を聞かせてくれました。
 江別に大きなクワガタを飼っている友だちがいること。自分は昆虫より水中の生きもの
 が好きなこと。そして水中の生きものたちの名前を次から次と教えてくれました。
 私は仲良しだったキツネのコンチャンのこと、エゾリスのピーくんのことを話しました。
 すると少年は眼をキラキラ輝かせて聞き入っていました。

 この子はいつの日か、見知らぬジイサンと話したことを思い出してくれるだろうか?
 そうなるといいなぁ。

 

 誰もがもっている何十個かの夏、そのうちの一つが無くなろうとしています。
 まだ手持ち在庫のたくさんある人、もうほとんどない人、さまざまな人が出会って明日
 へ繋がっていく、それが夏なのでしょう。

 さあ、くよくよせずに残り二週間の夏を満喫しよう。


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キイチゴ

2019-08-12 | 日記


 今年も期待どおりキイチゴの収穫ができました。
 わが夏がきたのです。
 日照不足のせいか、小ぶりで甘みもいまいちです。しかし甘い果物や野菜で溢れる時代
 にあって酸っぱい自然の味は貴重です。
 自生しているものを食べると、老体に大地の成分が吸収されて大変良いと聞きます。
 なので、できるだけ食べるようにしているのですが、茸にしても山菜にしても毒のある
 ものとないものの見分けがつきません。無知なのです。
 
 老体といえば、若い時は「老年とはただ空虚で辛いもの、老人のいわくありげな分別顔
 はただ体面を保つだけのもの」と思っていました。多くの老人が気だけ若くて体はガタ
 ガタ、それを若返らせようとするむなしいあがき。過去にしがみついて前を向けず柔軟
 性のかけらもない人種。こんなイメージでした。
 しかし自分が老人になってみると確かにそうなのですが、逆に老いを楽しんでいる人た
 ちが存在することも分かりました。
 
 『月と六ペンス』で有名なサマセット・モームは「完全なる一生、完全なる絵模様は、
 青年、壮年時代と同様に老年時代も含んでいる......老年には老年の愉しみがある。
 それは異なったものであっても、青年の愉しさに劣るものではない」と述べています。

 確かに朝の清々しい美しさや、真昼の草原の輝きはすばらしいものです。そして夕べの
 静寂さも決して悪くはありません。
 どうやら老いを学ぶことに価値はありそうです。



 キイチゴをいただいた帰り道、もうオオハンゴンソウが咲き乱れていました。
 夏の終わりの近いことを知らされて、少し淋しくなりました。

 今夜は都はるみさんじゃなく、小樽の野瀬栄進さんのピアノを聴きましょう。


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森の紫陽花

2019-08-05 | 日記


 関東が梅雨明けしたとたん、連動しているかのように森もお天気が回復しました。
 懐かしい太陽が現れ気温もぐんと上昇しています。
 
 これを「待ってました」とばかりに、白い小さな玉だった紫陽花が涼しげなブルー
 に変身して鞠のようにパンと張ってきました。



 この紫陽花はもともと十数年前に下町の植木市で買ったものです。大自然の雑木林
 に上手くついてくれるかと心配でしたが、力強く根づきました。

 そうそう、下町の人々といえば紫陽花の色自慢、メジロの鳴き声自慢など素朴な自
 慢がステータスです。
 イベントはないけれど、しょっちゅうさまざまな市が立ちます。朝顔市、ほおずき
 市、菊の発表会など、これらが生活のリズムになっています。

    あじさゐの 藍のようやく 濃かりけり    

    あじさゐの いろ濃きうすき 宿世かな    久保田万太郎

 下町も浅草生まれの久保田さん、やはり紫陽花の色が気になっていました。
 紫陽花の色を宿世とまで言い切っています。

    紫陽花や 昨日の誠 けうの嘘        正岡子規

 急に変わる花色をどんな人間に重ねたのでしょう。笑えますね。


 短い北国の夏ですが、楽しみはまだまだあります。
 そう、キイチゴはどうなっているのか心配です。
 早くいかなくちゃ、生きものたちにとられる前に。


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