森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

昔話

2019-06-29 | 日記


 森の六月が終わろうとしています。
 
 この静かな大沼にも、人々の間に悲しい昔話が伝わっています。



 その昔、沼を挟んで二つのコタンがありました。
 コタン同士は沼の漁場をめぐって反目し合い、争いごとが絶えませんでした。
 子どもたちは長老から「向こうのコタンの人間とは口をきいてはならぬ それ
 を破れば禍いがおこるのじゃ」などと教育されていたのでしょう。

 しかし、運命はそんなことおかまいなしです。
 コタンの酋長の娘と、もう一方のコタンの若い勇者が恋に落ちてしまったのです。
 当然二人は人目を避けて会うようになりました。



 その日も若者は娘に会うために、向こう岸から舟をこぎ出しました。
 沼の半ばにさしかかった時、にわかに真っ黒い雲が空一面をおおうと
 いきなり突風が吹きつけてきて、アッという間に舟は転覆し、若者は
 水面に投げ出されてしまいました。気の毒に若者は二度と帰らぬ人と
 なったのです。
 
 そして悲しみに暮れた娘もまた後を追って入水してしまったのです。

 その後の両コタンは仲良くなったのか、一層険悪になったのかは分かり
 ません。ただ北海道駒ケ岳が白い煙を出すのは神がこの争いを怒っている
 からなのだというのです。

 ここ道南は民話伝説の宝庫です。
 さあ、来る七月は文月(ふみづき)書の月です。
 短い夜を、道南の昔話でも読みふけりましょう。


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夏至

2019-06-22 | 日記


 このところ、降ったり止んだりのスッキリしないお天気でしたが、気温は高めで
 過ごしやすい毎日でした。
 森のみんなはの~んびり外で昼寝を楽しんでいましたが、今日は一転して冷たい
 雨です。しかも大降りです。



 梅雨のない北海道ですが、6月下旬の道南は梅雨に似たようなぐずついた気候
 が続きます。
 ひと雨ごとに植物の葉が濃い色となり、盛夏へと向かう変化が見てとれます。

 この棒飴のような花はネムロコウホネといいます。図鑑で調べました。
 これが咲くと、次はいよいよ夏の楽しみスイレンです。



 夏至の短い夜に読むものは、できるだけ短いお話がいいのです。
 長いものは飽きて眠ってしまうか、または気が付くと空が白んで
 いるから。

 それにしても、もう夏至なのです。
 「光陰矢の如し 老人ボケ易く 楽なり難し...」
 なのです。


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「老人と海」

2019-06-14 | 日記


 この日の函館の大森浜は「しけ」で風が強く、波のしぶきが舞い上がり
 霧状になってべたべたと顔に吹き付けてきました。
 それでも昼近くになってやっと落ち着いて、波もいくらか穏やかになり
 砂浜を歩けるようになりました。



 若き日(確かにあった)に出会ったこの小説「老人と海」は、自分の人生の
 指針となる一冊でした。
 
 海辺の小屋に住む年老いた漁師と、周囲の反対を押し切ってこの老漁師と一緒に
 舟に乗りこんで漁にでる少年のお話です。
 美しいメキシコ湾を背景に、二人の「純粋な心が」かみ合いながら流れていく
 時間を、ヘミングウェイは独特の飾りのないシンプルな文で綴っていきます。



 1952年に書かれたこの名作によって、彼は2年後にノーベル文学賞を
 受賞しています。しかし残念なことに7年後の61歳で自死してしまいます。
 そして「わが人生は、ほんの一行で要約できるだろう 
 そう、私は生きることを十分に楽しんだ」と残しています。


 
 海岸に来る度に思い出すのがこの小説です。
 「純粋な心」なんて、もはや死語なのでしょう。
 みんなに「ジイサンいつまで昭和やってんだョオ」と言われそうです。

 ひと気のない浜ではハマヒルガオがピンクの絨毯のように咲そろっていました。
 誰に見られるでもなく、静かに笑っているようでした。


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2019-06-09 | 日記


 森は花盛りです。
 
 若い時分、花にはあまり関心がなかったのですが
 いつのころからか野に咲く花を愛でる習慣が身につきました。



 「一番小さなことでも満足できる人が 一番裕福である
 何故なら満足を感じることが 自然が与えてくれる富だからだ」
                      -ソクラテスー

 2400年前のこの方の言葉に、貧乏老人は納得します。
 確かに、墓穴に向かう道をよろめきながら歩くようになっても
 道端に咲く美しい花を楽しむことができます。



 しばしば、花は女性にたとえられます。
 それは「花やか」とか「華がある」とか、希望的に使われます。
 一方、男性は自然にたとえられることはほとんどありません。
 せいぜい「ウドの大木」とか、最近では「濡れ落ち葉」などです。

 この方は両方を褒めて、生き方を提言されています。

 「一人の良い女性 一人の良い友 ひとつの良い思い出 一冊の良い書物
 それがあれば人生は満足だ」        -チェスタトンー



 今、自然を美しいと感じる人はどの位いるのでしょうか?
 自然より、美しいものを知っているのでしょうか?
 であれば、それを教わりたいです。

 人々はもっと便利で楽しく美しい、夢の世界の到来を信じているのでしょうか?


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夏がきた

2019-06-02 | 日記


 今年も夏がやってきました。
 北海道の夏です。



 ツツジが咲くのも夏です。
 梅雨のない北海道に、紫陽花が咲くのはまだ先です。



 冬の大雪と寒さを差し引いても十分に余りある
 すばらしい夏です。



 生きるものすべてが覚醒する夏
 人もつられて生き生きしてきます。



 約束どおり、北海道に短い夏がきました。


                           動(yurugi)