楽音寺から県道59号を南に約3Kmの場所に楽音寺の末寺、東禅寺(とうぜんじ)があります。(広島県三原市本郷町南方89)
真言宗御室派、蟇沼山補陀落院東禅寺が正式名で、南北朝時代に蟇沼寺(ひきぬまでら)から改称したようです。
奈良時代、行基が建立したと寺と伝えられ、かっては蟇沼(住所の字)一帯が境内で、多くの伽藍と、広い寺領があったようです。現在は、雷火により伽藍が消失し、本堂だけになっています。
そのすぐ西に「蟇沼神社」があり、明治の神仏分離によるものと推察しています。
本尊の「十一面観音像」は、33年に一度の御開帳と、17年に一度の半開帳の時に公開される秘仏です。当初は立ち木に彫られたものでしたが、火災の時、根元近くから切って助け出されたため、上半身が黒く焦げた状態で残っているようです。
住職不在のお寺のようで、閑散としていました。
四天王立像はぜひ拝観したいものです。
<本堂の前の説明板>
広島県重要文化財 木造四天王立像 四躯
東禅寺は旧名、蟇沼(ひきぬま)山補陀落院と称し、小早川氏の氏寺であったが、雷火によって伽藍が消失し現在は一堂のみとなっている。
由緒によると、行基がこの地に巡錫(じゅんしゃく)された時に榛(はん)の巨木に十一面観音を彫刻したのが、この寺の本尊と伝えられ、脇仏である多聞天立像の内部から「元徳2年(1300)6月17日源信成(源信成は沼田庄梨羽郷弁海名の名主であった)寄進の書銘が発見された。また、多聞天の首柄及び玉眼の押え木などに銘が記されている。
持国天・多聞天・広目天・増長天の雄渾(ゆうこん)な四天王立像の顔面の表情や姿態の量感の豊かさは鎌倉彫刻の特徴が遺された歴史的・美術的価値の高いものである。
東禅寺にはその他、町重要文化財として、古文書・十一面観音菩薩像がある。
真言宗御室派、蟇沼山補陀落院東禅寺が正式名で、南北朝時代に蟇沼寺(ひきぬまでら)から改称したようです。
奈良時代、行基が建立したと寺と伝えられ、かっては蟇沼(住所の字)一帯が境内で、多くの伽藍と、広い寺領があったようです。現在は、雷火により伽藍が消失し、本堂だけになっています。
そのすぐ西に「蟇沼神社」があり、明治の神仏分離によるものと推察しています。
本尊の「十一面観音像」は、33年に一度の御開帳と、17年に一度の半開帳の時に公開される秘仏です。当初は立ち木に彫られたものでしたが、火災の時、根元近くから切って助け出されたため、上半身が黒く焦げた状態で残っているようです。
住職不在のお寺のようで、閑散としていました。
四天王立像はぜひ拝観したいものです。
<本堂の前の説明板>
広島県重要文化財 木造四天王立像 四躯
東禅寺は旧名、蟇沼(ひきぬま)山補陀落院と称し、小早川氏の氏寺であったが、雷火によって伽藍が消失し現在は一堂のみとなっている。
由緒によると、行基がこの地に巡錫(じゅんしゃく)された時に榛(はん)の巨木に十一面観音を彫刻したのが、この寺の本尊と伝えられ、脇仏である多聞天立像の内部から「元徳2年(1300)6月17日源信成(源信成は沼田庄梨羽郷弁海名の名主であった)寄進の書銘が発見された。また、多聞天の首柄及び玉眼の押え木などに銘が記されている。
持国天・多聞天・広目天・増長天の雄渾(ゆうこん)な四天王立像の顔面の表情や姿態の量感の豊かさは鎌倉彫刻の特徴が遺された歴史的・美術的価値の高いものである。
東禅寺にはその他、町重要文化財として、古文書・十一面観音菩薩像がある。