昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

ドイツ・スイス旅行 10 ハイデルベルクの街並み

2013年09月26日 | 海外旅行
南ドイツ・スイス旅行2日目夕方、ハイデルベルク城の次は、ネッカー川の河畔に広がる街並みの見物です。



ハイデルベルク城から山の下の街へ下るケーブルカーです。

ケーブルカーの駅は、更に山を登った所にもあるようで、ここは上下線の車両が同時に到着する中間の駅でした。



「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)に掲載されていた「ハイデルベルク旧市街図」です。

歩いたコースを赤い矢印で表示していますが、「ハイデルベルク城」から「市庁舎」、「マルクト広場」、「聖霊教会」、「騎士の家」と歩き、お土産店へ案内された後、「カール・テオドール橋」の上でゆっくりと見物しました。



写真上段は、市庁舎の南にある「コルンマルクト(穀物広場)」で、中央に聖母マリア像が建っていました。

左に向く聖母マリア像の正面に立って見上げた風景が写真下段で、壮観なハイデルベルク城の風景をバックにキリストを抱く聖母マリア像が印象的でした。

マリア像は、四体の天使が支える黄金の球体の上に立ち、頭には後光の様な飾りが見られ、両手で抱く幼児姿のキリスト像が長い柄の旗のようなものなどを持つ珍しい像でした。



「コルンマルクト(穀物広場)」から西へ向かった先に「聖霊教会」が見えてきました。

「聖霊教会」の手前に白や、青いパラソルが並ぶ場所は、「マルクト広場」です。

前回も記載しましたが、「聖霊教会」は、この地で約500年間プファルツ選帝侯を世襲した「ヴィッテルスバッハ家」の菩提だったとされ、黒い屋根と、レンガ色の壁に重厚さを感じます。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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聖霊教会
広場の西側にある教会は、ハイデルベルク城の「ルブレヒト館」のプファルツ選帝侯ルブレヒト3世(1400年から皇帝ルブレヒト1世)によって14世紀に建てられた「聖霊教会」で、ゴシック様式である。1544年に完成した。
教会の回りにはたくさんの小さな土産店が連なっているが、これらの店の歴史も大変古い。教会の塔は82メートルの高さがあり、上ることができる。
この教会を建てさせたルブレヒト3世と妃の墓碑はこの中にある。この墓碑はフランス軍の破壊を逃れた。教会そのものは火災に遭い、18世紀に再建された。
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「市庁舎」を背景にパラソルが並ぶ「マルクト広場」の風景です。

「マルクト広場」は、「聖霊教会」と、「市庁舎」に挟まれ、ハイデルベルク街の中心となるようです。

写真右端は、広場中央にある「ヘラクレスの泉」に立つヘラクレス像で、広場の風景の左端に小さく見える像です。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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マルクト広場、市庁舎
ハィデルベルクに限らず、ドイツの都市はたいてい街の中心にマルクト広場(Marktplatz)があり、市庁舎と教会がある。マルクトとは、英語のマーケット、つまり市場のことで、昔、市が開かれていた広場である。
マルクト広場の真ん中にある噴水はヘラクレスの泉と呼ばれ、中世のころは、罪人は寵に入れてこの噴水のところに掛けられ、その龍を回してさらし者にされた。
広場の東側にある建物は市庁舎で16世紀に建てられたルネッサンス様式である。
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「聖霊教会」の横を進むと、「ホテル・ツム・リッター(騎士の家)」の建物がありました。

窓の周囲には石像や、ギリシア風の柱などの彫刻が彫られ、ひと際格式を感じる建物です。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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騎士の家
教会からハウプト通りへと行く道に、フランスとの戦争で唯一破壊を逃れた建物がある。それは「ツム・リッター(騎士の家)」と呼ばれるもので、今はホテルになっている。
この建物は元々フランス出身のタオル商人シャルル・ペリエの館だったところで、1592年に建てられた美しいルネッサンス様式の建築である。一番上に「騎士の像」のあることから、1703年からツム・リッターという名前でホテルとして使われるようになった。
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土産店からネッカー川方面に進んで行くと、通りの向こうに「カール・テオドール橋」(別名アルテブリユッケ[古い橋])の橋門「カールス門」が見えてきました。



写真上段は、ハイデルベルク城から見下ろした「カール・テオドール橋」の風景で、写真下段は、橋門の横から見た橋の風景です。

中央に大きな5連アーチ、両岸にやや小さな2連アーチが連なり、全体が9連アーチの美しい石橋でした。

市街地が広がる南岸側には橋門「カールス門」がそびえ、対岸(北岸)や、ネッカー川側からの防衛施設としていたようです。

■「ドイツ世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く」(武村陽子著、彩図社出版)より
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アルテブリュッケ
~ネッカー川にかかる一番美しい橋が、アルテブリユッケ (Alte Bru:cke)である。アルテブリユッケを日本語に訳すと、「古い橋」 となるのでちょっと味気ない。13世紀、もともと木造の橋がかかっていた。
プファルツ選帝侯の宮廷が1720年にマンハイムに移された後、選帝侯であったカール・テオドールが1786年から1788年にかけて、はじめてこの橋を石橋に造りかえた。そのため、「カール・テオドール橋」とも呼ばれている。先ほどのワインの樽のところで説明したカール・テオドールである。
後に、カール・テオドールの記念像がこの橋に造られた。
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石畳の坂道を登り、橋塔「カールス門」へ近付くにつれ、「カールス門」の巨大さを感じてきます。

こんなにも橋塔が高く造られたのはなぜでしょうか。



橋塔「カールス門」の横に鏡を持つ不思議な猿の銅像がありました。

顔は猫のようですが、手足や体つきは猿です。

向かって左下にも小さな二匹のネズミの像があり、その横に説明板がありました。

どんな言い伝えがあるのか分りませんが、翻訳できない説明板を下記に転記します。

■説明板です。
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WAS THUSTU
MICH HIE ANGAFFEN?
HASTU NICHT GESEHEN
DEN ALTEN AFFEN
ZU HEYDELBERG /
SICH DICH HIN UNND HER /
DA FINDESTU WOL MEINES GLEICHEN MEHR.

GESTIFTET VOM VEREIN
Alt-heidelbeverg
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橋を進むと、左手にこの橋を造ったプファルツ選帝侯「カール・テオドール」(1724~1799年)の銅像が建っていました。

橋の説明文にもありましたが、1788年に木造だった橋を石橋に造り替え、お城にある大樽も造った人です。

銅像の足元に見られるギリシア・ローマ神話の神のような石像も意味不明ですが、「カール・テオドール」の石像に重厚なイメージを添えているようです。



ハイデルベルク城が見える橋の上で、ツアーでご一緒の人たちが楽しく記念写真を撮り合っている風景です。

ドイツでの観光初日、珍しい風景に感動の連続でした。

この後郊外の地ビールレストランへ向かいましたが、旅行2日目の観光はこれで終了しました。


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