昔に出会う旅

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遠野市の縄文遺跡「綾織新田遺跡」「張山遺跡」

2008年02月23日 | 東北地方の旅
昨年10月7日の東北旅行の続きです。
遠野市博物館で縄文時代の遺跡が紹介されていました。



博物館で、遠野にある遺跡地図のパネルが展示されていました。
向って一番左が「新田遺跡」、一番上が「張山遺跡」です。

遺跡地図の範囲外ですが、遠野市には国内最古の遺跡が発掘されています。

遠野市に合併された旧宮守村達曽部金取にある「金取遺跡」で、中期旧石器時代の8万5000年前の阿蘇山の火山灰層から石斧、掻器など7点の旧石器が発掘されたそうです。
阿蘇山の火山灰層とは、8万5000年前、九州の阿蘇山の巨大噴火によるもので、朝鮮半島から北海道までを火山灰が覆い尽くしたそうです。
旧石器が発掘された「金取遺跡」の火山灰層には木炭片、焼けた礫(れき=石ころ)が多く見られたそうで、旧人がキャンプをした場所と考えられています。

この時代の人類は、「旧人」の段階で、類人猿→原人→旧人と進化し、現代の「新人(ホモ・サピエンス)」に代わる前の時代です。



縄文時代前期の「綾織新田遺跡」の展示パネルがありました。
向って右の図は住居跡・広場跡・道路跡で、向って左の写真は3号住居跡の写真です。

「綾織新田遺跡」は、ほとんどが長方形の大型竪穴住居で、縄文時代前期の集落の様子が分かる貴重な遺跡だそうです。

■展示パネルの説明文を転記します。
「国指定史跡 綾織新田遺跡」
綾織町新田地区にあり、長方形の大型のたて穴式住居がならぶ縄文前期(約5500年前)のムラである。
はば約5m、長さ約8~14mの巨大な住居には、使い方がわからない小さなたて穴式建物がついていた。ムラの中には広場があり、そのまわりに住居がならんでいて、食べ物をたくわえる穴やお墓、道路などがあった。
ほかに、土器や石器、けつ状耳かざり、牙状装飾品、異形石器、カツオブシ型石製品などが発見された。
このようなムラの遺跡は、当時の社会の様子を知るうえで、非常に重要な発見として平成14年(2002年)国指定史跡となった。



展示されていた土器の写真です。
縄文時代前期から中期にかけて東北地方の土器は、秋田・盛岡・宮古を結ぶ線を挟んで北が「筒式土器」、南が「大木式(だいぎしき)土器」が出土し、二つの文化圏があったようです。
「綾織新田遺跡」からは「大木式土器」の中でもあまり例のない「大木三式土器」が出土しています。
写真の土器について個別に分りませんが、「大木三式土器」は、縁が波打っているのが特徴と思われます。



■この土器のの後ろに「張山遺跡」の説明書きがパネル展示されていましたので転記します。
「張山遺跡」
附馬牛町張山地区にあり、縄文時代の中ごろ(約5000年~4000年前)の集落の様子をよく伝える遺跡である。集落の中心には広場があり、そのまわりを約40の墓穴が囲んでいる。
その外側に住居の跡や食料をたくわえる穴、柱穴のある地域がある。
また、集落からやや離れたところにも数棟の住居の跡がある。
住居の中には、8mを超す大型のものも見られる。
遺跡からは土器や石器、土製品、石製品のほか、墓穴からはヒスイの大珠や赤色の顔料が発見された。



■「張山遺跡」の出土品の説明書きを転記します。
「お墓から出たヒスイ大珠」
石を立てたお墓からヒスイとベンガラ(赤い顔料)が出てきました。
ヒスイは新潟県糸魚川付近でとれるめずらしい宝石です。
ムラのまとめ役など特別な人のお墓だったのでしょうか。
 張山遺跡(附馬牛町)出土



「張山遺跡」で発掘された「石製有孔装飾品」です。

「張山遺跡」は、遠野市附馬牛町張山で発掘された縄文時代中期から後期の遺跡です。
遺跡では、集落中央の広場の周囲に48基の墓があり、又その周囲を竪穴住居が取り囲む環状集落跡が発掘されたようです。
「張山遺跡」は、「遠野市博物館」の後行く「遠野ふるさと村」の近くです。


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